2011年1月26日水曜日

レオン・フライシャー

今日はサントリー小ホールでレオン・フライシャーを聴いてきました。(今私が住んでいるところからは、なんとサントリーホールまで歩いて行けます!)この演奏会について私が知ったのは年明けに日本に着いてからのことで、ましてや小ホールだし、まさかチケットは残っていないだろうとダメもとで問い合わせたところ、まだぽつぽつと残っているということに驚き。日本ではレオン・フライシャーはそれほど大物扱いされていないのでしょうか?

フライシャーは、ピアニストとしての絶頂期にあった30代のときにジストニアという病気で突然右手が使えなくなり、以後40年間にもわたって、左手のみを使うピアノ作品の開拓や、指揮・指導にあたり、クラシック音楽界ではとても重要な存在となってきました。数年前から再び両手の演奏をするようになり、右手復活後に『トゥー・ハンズ』というタイトルのCDも録音しています。すでに80歳を過ぎた大ベテランですが、このCDを聴いて私はぜひ生演奏を聴きたいと思いました。おまけに今日のプログラムには、ブラームス編曲によるバッハのシャコンヌが入っているということで、チケットが残っていたことに大感謝。私はブゾーニ版をせっせと練習中(もう何年間「練習中」が続いているかわかりませんが、音楽というのはそういうものだ、という説明にしておきましょう)ですが、左手だけのために編曲されたブラームス版はブゾーニの華麗な交響楽的な音楽とはまったく別の種類の迫力のある作品。これをじっくり聴くのも、ブゾーニ版を弾くのに役立つはず。

と、たいへん期待していたところ、前日に連絡があり、フライシャー氏の右手の調子が悪いので、曲目を一部変更するとのこと。半年ほど前に右手の手術をし、手術自体は成功したものの、その後の回復が期待していたより遅く、親指に重みや力をかけられないため、やむなく一部の曲を変更し、一部の曲は妻のキャサリン・フライシャーとの連弾となるとのこと。この変更のために参加をキャンセルしたい場合はチケットを払い戻しできますと、わざわざサントリーホールから電話がかかってくるあたり、さすが日本のサービスはすごい!客席にちらほら空席があったのは、もともと空いていたのか、プログラム変更によりキャンセルした人が出たのか、判断つきませんが、とにもかくにも、本日のプログラムは以下の通り(*印がついているものは連弾)。

バッハ/ペトリ編曲 羊たちは安らかに草をはみ
イェネー・タカーチ 左手のためのトッカータとフーガ
*ブラームス 愛の歌 作品52a
バッハ/ブラームス編曲 シャコンヌ
*シューベルト 幻想曲 ヘ短調 D940
*ドヴォルザーク スラブ舞曲集から 第6、10、8番

「羊たちは安らかに草をはみ」は、クライバーン・コンクールでヨルム・ソンが弾いたのを聴いて昇天するような気持ちにさせられた曲(詳細は拙著をご覧くださいね)で、『トゥー・ハンズ』のCDにも入っているのですが、これはもう、生で聴くほうが比較にならないほどよく、初めの数音を聴いた段階で涙が出そうでした。澄んで優しく穏やかな旋律と和声の曲なのですが、フライシャー氏の触るピアノから出る音は、なんといっても音色が素晴らしい。そう思って聴くからそう聴こえるのかどうかわかりませんが、人間としても芸術家としても苦悩の年月を経ていろいろなものを模索してきた大ベテランだからこそ生み出せる、シンプルにして果てしなく清らかで優しい音色で、この一曲を聴いただけでも、来てよかったと思わせてくれました。

フライシャー氏の両手のソロはこの一曲だけで、あとのソロはタカーチと、例のシャコンヌ。タカーチは私は初めて聴いた曲ですが、当初このコンサートで演奏されるはずだったバッハの「半音階的幻想曲とフーガ ニ短調BWV903」からインスピレーションを得て書かれた曲ということで、バッハ風の対位法と20世紀的な和声がなんともユニークで、そのダイナミックさを左手だけで表現してしまうところがすごい。シャコンヌももちろん素晴らしかったのですが、私はつい聴きながらブゾーニ版を頭のなかでなぞってしまい、演奏を聴くことにじゅうぶん集中できなかったのが悔しい。自分が練習している曲そのものを聴くなら、その演奏の全体の構成にも細部にももっと集中して聴けるのでしょうが、練習中の曲の違う編曲の演奏を聴くというのはなかなか曲者だということがわかりました。

連弾のほうは、ブラームスは、正直言って私には訳がわからなかったのですが、これは私が曲に馴染みがないからなのだろうか、それとも他に理由があるのだろうか。なんともふにゃふにゃとして説得力に欠ける音楽だと思ったのですが、そういう曲なんだろうか、それとも演奏のせいなんだろうか。シューベルトとドヴォルザークはよかったので、連弾がよくないというわけでも、急なプログラム変更で準備がじゅうぶんにできていないというわけでもなさそう。ほんとはとてもよい演奏だったのを、単に私が理解できなかったのかも。

アンコールで演奏された、スクリアビンの左手のためのプレリュード9の1は、アンコールでなくプログラム本体のなかで演奏してほしかったというくらい(アンコールで悪いことは別にないのですが)深みのある演奏でした。

ちなみに、今日はサントリー大ホールのほうでは新日本フィルの演奏があったようですが、ホール周辺の聴衆をざっと見回したところ、ピアノ・リサイタルのほうは女性が多く(それでも、前にアンジェラ・ヒューイットを聴きに行ったときと比べると男性が多かったような気もします)、オケのほうは男性が圧倒的に多いように見えましたが、それって日本のクラシック音楽の聴衆のパターンとしては一般的なことなのでしょうか?

とにかく、そんなこんなで、私はアメリカ研究者としては恥ずかしながら、まだオバマ大統領の一般教書演説を見ておらず、それに関しては本日はコメントできません。あしからず。