ピアニストのヴァン・クライバーン氏が、末期の骨がんと診断された、とのニュースが昨日発表になりました。
演奏の舞台や公の場には姿を見せなくなってすでに数十年たっているクライバーン氏ですが、冷戦さなかの1958年にこのテキサスの青年が第一回チャイコフスキー・コンクールで優勝したときの騒ぎは、現代ではちょっと想像しがたいものでした。チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番の録音は驚異的なヒットとなり、クライバーン氏はピアノやクラシック音楽の世界を超えて世界的なスターとして、アメリカ文化史や文化外交の重要な一こまとなったのでした。その後のクライバーン氏のキャリアや、彼の功績を記念して設立されたヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールを初めとするクライバーン財団の活動については、拙著を読んでいただければわかります。今でもフォート・ワースのコミュニティの人々には心から愛されている人物であることが、地元の人たちと話していると明らかです。去年のアマチュア・コンクールのときに、年齢は感じられたけれども、心身ともにとてもしっかりとしていて、温かい真心をもって接してくださったのが思い出されます。参加者全員が舞台上で賞状を受け取るときには、ひとりひとりと丁寧に言葉を交わして、力強く握手をしてくださいました。私はついでにお願いしてハグと頬にキスもしていただいたのが、素敵な思い出です。
クライバーン・コンクール発足以来50年、そして来年2013年はまたクライバーン・コンクールの年。そのコンクールの場でクライバーン氏本人の姿を見られるといいのですが。
ハワイ大学アメリカ研究学部教授、吉原真里のブログです。『ドット・コム・ラヴァーズーーネットで出会うアメリカの女と男』(中公新書、2008年)刊行を機に、アメリカのインターネット文化や恋愛・結婚・人間関係、また、大学での仕事、ハワイでの生活、そしてアメリカ文化・社会一般についての話題を掲載することを目的に始めました。諸般の事情により、2014年春から2年半ほど投稿を中止していましたが、ドナルド•トランプ氏の大統領選当選の衝撃で長い冬眠より覚め、ブログを再開することにしました。
2012年8月28日火曜日
2012年8月26日日曜日
ハワイのモルモン教 『A Chosen People, A Promised Land』
新学期が始まって一週間、授業の準備も原稿の締め切りもあるのだから、授業にも執筆にも直接関係のない本などを読んでいる場合ではないのですが、最近買った本数冊のなかでどうしてもすぐ読みたいものがあったので、今日の日曜日を読書に費やしました。その選択は正しかった!読み応えがあり、自分が疑問に思っていたことが解明され、表面上はまったく無関係の自分の研究ともいろいろな結びつきが発見され、とても勉強になった上に、頭だけでなく心にも響く、感動を与えてくれる本でした。
その本は、私の友人であるHokulani Aikauによる新刊ほやほや、A Chosen People, a Promised Land: Mormonism and Race in Hawai'i。副題からも明らかなように、ハワイにおけるモルモン教を扱った研究です。ハワイに来たことのある人は、オアフ島北部にあるテーマパーク、ポリネシア文化センターが、モルモン教会によって運営されていて、センターでガイドをしたり踊りを披露したりしているのはその隣にあるブリガム・ヤング大学ハワイ校で学ぶモルモン教の学生たちであるということを知っている人も多いかもしれませんが、そのポリネシア文化センターやブリガム・ヤング大学ハワイ校のあるライエという町は、19世紀半ばから宣教師たちと先住ハワイ系の信者たちがモルモン教徒の共同生活の場として築いてきたコミュニティです。ハワイの外にも、先住ハワイ系や他のポリネシア系のモルモン教信者は数多くいて、この本の著者も、ユタ州のポリネシア系モルモン・コミュニティで育った人です。大学に進み、ハワイ植民地化の歴史やモルモン教会の人種力学などを学ぶにつれ、組織としてのモルモン教会からは離れるようになった彼女ですが、モルモン教徒としての生い立ちと、先住ハワイ系としてのアイデンティティのあいだの関係を理解しようとして取り組んだのが、この研究。彼女は現在はハワイ大学の政治学部で教えていますが、ミネソタ大学のアメリカ研究学部で博士号をとっているので、研究手法的には、私にとてもしっくりくるものです。
きわめて「アメリカ的」な宗教でありながらも、アメリカ社会においてはマージナルな位置づけにあるモルモン教会が、なぜハワイという土地でこれだけ定着しこれだけのハワイ系の人々を信者として獲得したのか。20世紀後半に至るまで、教会のポリシーとして黒人を排斥・差別してきたモルモン教会のなかで、ハワイ系の人々が「選ばれた民」と位置づけられ、ハワイのミッションではハワイ系の信者にもかなりのリーダーシップが与えられたのはなぜか。近代化の流れのなかで、ライエのコミュニティがより資本主義と観光の論理で動くようになるにつれ、教会はハワイ系の人々にとって決してよいものとはいえない方針をいくつもとるようになったにもかかわらず、ハワイ系の信者たちがそれを自主的に受け入れた(ようにみえる)のはなぜか。ポリネシア文化センターでの観光客向けに自分たちの「文化」を商品化することに、なぜ彼らは抵抗しない(ようにみえる)のか。1970年代から興隆したハワイ文化ルネッサンス運動のなかで、このような形での「文化保存」をハワイ系のモルモン教徒たちはどう考えているのか。といった問いに、歴史史料分析とエスノグラフィーを通して、ニュアンスをもって丁寧に答えている本です。
その分析の中心にあるのが、faithfulnessという概念。そしてその信仰は、教会という組織によって、人々を管理したり利用したり搾取したりする手段となる場合もある。しかし、信者たちは盲目に信仰しているのではなく、教会という組織内での人種関係や、観光という産業に内包される力学についてもじゅうぶん理解しながら、自ら選んだ信仰を通じて、自分の状況を理解する世界観を構築し、ときにはその信仰を通じて、自分たちのコミュニティやそして教会そのものをよりよいものにしようと、声を発し、行動を起こす。そうした主体性が、単なるfaithではなくfaithfulnessという単語にこめられています。
私は読みながら、このfaithfulnessという概念は、Musicians from a Different Shoreで私が言おうとしていることと結びつくなあ、などと考えていたのですが、そのコネクションを理解してくれる人はどれだけいるでしょうか?ともかく、ハワイ、人種、宗教、といったことを新たな視点から考えるには素晴らしい本です。また、ロムニー氏が大統領候補になっていることでモルモン教にもさらなる注目が集まることでしょうから、モルモン教のこういう側面も知るのも興味深いと思います。
その本は、私の友人であるHokulani Aikauによる新刊ほやほや、A Chosen People, a Promised Land: Mormonism and Race in Hawai'i。副題からも明らかなように、ハワイにおけるモルモン教を扱った研究です。ハワイに来たことのある人は、オアフ島北部にあるテーマパーク、ポリネシア文化センターが、モルモン教会によって運営されていて、センターでガイドをしたり踊りを披露したりしているのはその隣にあるブリガム・ヤング大学ハワイ校で学ぶモルモン教の学生たちであるということを知っている人も多いかもしれませんが、そのポリネシア文化センターやブリガム・ヤング大学ハワイ校のあるライエという町は、19世紀半ばから宣教師たちと先住ハワイ系の信者たちがモルモン教徒の共同生活の場として築いてきたコミュニティです。ハワイの外にも、先住ハワイ系や他のポリネシア系のモルモン教信者は数多くいて、この本の著者も、ユタ州のポリネシア系モルモン・コミュニティで育った人です。大学に進み、ハワイ植民地化の歴史やモルモン教会の人種力学などを学ぶにつれ、組織としてのモルモン教会からは離れるようになった彼女ですが、モルモン教徒としての生い立ちと、先住ハワイ系としてのアイデンティティのあいだの関係を理解しようとして取り組んだのが、この研究。彼女は現在はハワイ大学の政治学部で教えていますが、ミネソタ大学のアメリカ研究学部で博士号をとっているので、研究手法的には、私にとてもしっくりくるものです。
きわめて「アメリカ的」な宗教でありながらも、アメリカ社会においてはマージナルな位置づけにあるモルモン教会が、なぜハワイという土地でこれだけ定着しこれだけのハワイ系の人々を信者として獲得したのか。20世紀後半に至るまで、教会のポリシーとして黒人を排斥・差別してきたモルモン教会のなかで、ハワイ系の人々が「選ばれた民」と位置づけられ、ハワイのミッションではハワイ系の信者にもかなりのリーダーシップが与えられたのはなぜか。近代化の流れのなかで、ライエのコミュニティがより資本主義と観光の論理で動くようになるにつれ、教会はハワイ系の人々にとって決してよいものとはいえない方針をいくつもとるようになったにもかかわらず、ハワイ系の信者たちがそれを自主的に受け入れた(ようにみえる)のはなぜか。ポリネシア文化センターでの観光客向けに自分たちの「文化」を商品化することに、なぜ彼らは抵抗しない(ようにみえる)のか。1970年代から興隆したハワイ文化ルネッサンス運動のなかで、このような形での「文化保存」をハワイ系のモルモン教徒たちはどう考えているのか。といった問いに、歴史史料分析とエスノグラフィーを通して、ニュアンスをもって丁寧に答えている本です。
その分析の中心にあるのが、faithfulnessという概念。そしてその信仰は、教会という組織によって、人々を管理したり利用したり搾取したりする手段となる場合もある。しかし、信者たちは盲目に信仰しているのではなく、教会という組織内での人種関係や、観光という産業に内包される力学についてもじゅうぶん理解しながら、自ら選んだ信仰を通じて、自分の状況を理解する世界観を構築し、ときにはその信仰を通じて、自分たちのコミュニティやそして教会そのものをよりよいものにしようと、声を発し、行動を起こす。そうした主体性が、単なるfaithではなくfaithfulnessという単語にこめられています。
私は読みながら、このfaithfulnessという概念は、Musicians from a Different Shoreで私が言おうとしていることと結びつくなあ、などと考えていたのですが、そのコネクションを理解してくれる人はどれだけいるでしょうか?ともかく、ハワイ、人種、宗教、といったことを新たな視点から考えるには素晴らしい本です。また、ロムニー氏が大統領候補になっていることでモルモン教にもさらなる注目が集まることでしょうから、モルモン教のこういう側面も知るのも興味深いと思います。
2012年8月21日火曜日
共和党の反中絶綱領
共和党のロムニー氏が副大統領候補にポール・ライアン氏を指名して以来、富裕層の所得税を減らし社会的弱者のためのさまざまなプログラムを削除するというライアン氏の極端な財政案に、リベラル派だけでなくカトリック教会などからも大いなる反発が起こっていますが、そんなさなかに、共和党の政策案にさらなる波紋を投げかけているのが、昨日のミズーリ州上院議員候補のトッド・エイキン氏の発言。中絶問題についての質問を受けて、「『正当なレイプ』の場合には、女性の身体は妊娠を拒絶するようになっている」という発言をして、たいへんな騒動を巻き起こしています。あらゆる意味で問題に満ちたこの発言を糾弾しているのは、プロ・チョイスの女性団体や民主党の政治家ばかりでなく、ロムニー氏を初めとする共和党のリーダーたちも、エイキン氏の発言を強く批判し、彼に選挙戦から降りるようプレッシャーをかけています。(この投稿の時点では、エイキン氏は引き続き選挙に出ることを表明していますが、今日の夕方までに彼が辞退しない場合には、来週の共和党全国大会を控え選挙全体に大きな影響が出るので、もしかするとじきに別の展開があるかもしれません。)
エイキン氏の発言が、大統領選そして全国の選挙にどのような影響を与えるかはまだ不明ですが、こんな騒動のさなかに、共和党の委員会は、中絶に反対する立場をさらに強化し、中絶を禁止する憲法修正を求める方針を党の綱領に盛り込む、という動きをしています。しかも、この方針には、強姦や近親相姦による妊娠についての扱いも含まれておらず、それらの扱いは各州に委ねられるべき、との立場。
経済政策が大統領選の要になるとは思いますが、中絶論争を初めとするこうした「社会問題」がアメリカの政治をかくも分断するさまは、アメリカ研究を専門とし、アメリカで20年間以上生活してきた私にも、いまだに深く困惑させられます。
エイキン氏の発言が、大統領選そして全国の選挙にどのような影響を与えるかはまだ不明ですが、こんな騒動のさなかに、共和党の委員会は、中絶に反対する立場をさらに強化し、中絶を禁止する憲法修正を求める方針を党の綱領に盛り込む、という動きをしています。しかも、この方針には、強姦や近親相姦による妊娠についての扱いも含まれておらず、それらの扱いは各州に委ねられるべき、との立場。
経済政策が大統領選の要になるとは思いますが、中絶論争を初めとするこうした「社会問題」がアメリカの政治をかくも分断するさまは、アメリカ研究を専門とし、アメリカで20年間以上生活してきた私にも、いまだに深く困惑させられます。
2012年8月12日日曜日
タイガー・マザーの音楽教育
テキサスそしてトロントと合わせて2ヶ月近く留守にしていましたが、昨日ホノルルに戻ってきました。馴染みのない街にしばらく滞在してみると、やはりいろいろと新鮮な体験があり、刺激的でもあり興味深くもありましたが、自分の空間に帰ってくるのもやはりほっとします。ホノルルは相変わらず快適な青空。どこかからここに戻ってくるたびに、こんなに気持ちのいい場所が私の「家」なのかと、半ば信じられない気持ちにすらなります。
さて、トロントからのフライトはサンフランシスコ経由だったのですが、トロント−サンフランシスコ間の飛行機では、Kindleにダウンロードした、Battle Hymn of the Tiger Motherを読みました。5時間のフライトが到着するときにきっちり読み終わるという、見事にちょうどいい長さ。邦訳も出ているようですが、英語はきわめて平易なので、ごく普通の英語力のある人なら原著でOKのはずです。この本、昨年出版されて以来、全米のメディアでたいへんなセンセーションを巻き起こし、ベストセラーになりいくつもの言語に翻訳もされています。私はその噂を聞いたことがあるだけだったのですが、数日後に、あるフォーラムでDeconstrcting the Asian American Model Minority Mythというタイトルのレクチャーをすることになっているので、その参考に読んでみようと思ってダウンロードしました。「中国式」の子育て理念に基づいて凄まじい勢いでスパルタ教育をする教育ママの話、ということしか知らなかったのですが、読んでみると、その「スパルタ教育」の中心が、二人の娘のピアノとヴァイオリン教育なので、「タイガーよ、おまえもか」という気持ちになりました。
子供に学業成績を初めとしてつねに最高のものを要求し、「子供にとって最良のものは子供よりも親のほうがわかっている」という信念のもとに、著者が「西洋式」と対比させて「中国式」とよぶ徹底したスパルタ教育を、子供がよちよち歩きの頃から大学に入学するまで施す。アメリカの一般のミドルクラスの子供たちが普通にやるようなこと(playdateやsleepover)は一切させず、鈴木メソッドで習い始めたピアノとヴァイオリンを、旅行中も含め決して休むことなく、毎日6時間も練習させる。毎週のレッスンに加えて、コンクールやオーディションの前には、日々の練習の指導のためにも別の先生を雇い、なんと一日数回もお金を払って家に来てもらうほか、数日間のオーディション旅行にも、その先生とボーイフレンドのぶんまでお金を払って付き添ってもらう。旅行に出かけるときには、子供がピアノの練習ができるよう、ホテルにあるピアノを使わせてもらったり、ピアノを使わせてくれる街の施設を探して、毎日観光の前に数時間練習に通う。娘にいいヴァイオリンを買い与えるために、著者は自分の年金を解除してしまう。などなど。その苦労実って、娘はカーネギーホールでリサイタルをするまでに至り、また、ブタペストで姉妹のコンサートも開催させる。けれど、とくに下の娘が反抗期に入ると、母娘のあいだに激しい葛藤があり、それまで積もってきた娘の憤懣は、モスクワ旅行中に爆発する...
私も子供のとき、ここまでではないけれどもかなり熱心にピアノをやっていたこともあり、またクラシック音楽についての研究もしてきているので、この様子はじゅうぶん想像できるのですが、ここでは、イェール大学ロースクールの教授である両親の財力と人脈が、普通の教育ママに一回りも二回りも輪をかけた凄まじさを可能にしているといえます。ある程度のレベルまで楽器を習う子供はたくさんいるなかで、子供自身が音楽の深みや楽しみを理解し、「お稽古」の次元から「音楽」の次元へ移行するところまでいけるかどうかの多くは、そうした理解の手助けをしてくれ、しかも必要な技術をきちんと身に付けさせてくれる先生に出会えるかにかかっている。そして、そうした先生に習うには、単純にお金がかかる。この二人の娘が、すぐれた音楽的感性と、目的に向かって集中力と持続力をもって修行する能力をもっているのは確かだけれども、この家庭にこれだけの財力と、いわゆる「文化資本」がなければ、二人の音楽はここまで伸びなかった可能性はじゅうぶんあるでしょう。
著者が「中国式」と「西洋式」と二項対立的に描写する子育ての記述には、あまりにも単純なステレオタイプがあちこちに見られ(著者は「中国」と「西洋」というのは必ずしも土地や人種を指しているのではなく、「中国式」の子育てをするアメリカ人もたくさんいるし、「西洋式」の子育てをしている中国人もたくさんいると指摘してはいますが)、また、教育方針についても、共感する部分もあるけれど異を唱えたくなる箇所もいろいろあるのですが、私が個人的に興味を覚えたのは、二人の娘だけでなく、母親である著者が、音楽というものを理解し鑑賞するようになる、その過程。著者は、自らの親も大学教授という家庭で育ち、ユダヤ系の夫も法学者で、文化資本が豊かな環境であることは確かですが、この本を読むと、著者自身にはクラシック音楽についての深い知識や理解がもともとあったわけではないことが明らか。むしろ、子供に音楽をやらせようとするアジア人・アジア系アメリカ人の親の多くと同様に、子供にピアノやヴァイオリンをやらせようというその動機の根底には、クラシック音楽は洗練された西洋文化を象徴しており、それを身につけることは社会的・文化的上昇を意味している、という信念がある。たいていの親は、そうした動機からせっせと子供に音楽をやらせるというところで終わるのでしょうが、そこはさすが教育程度の高い著者だけあって、子供のレッスンや練習の監督をしながら、子供と並行して自分も、それぞれの楽曲の表す精神や情感、そしてそうした精神や情感を表現するために使われている具体的な音楽的要素とそれが要求する演奏技術を、徐々に理解し、音楽を自分の人生の一部としていく。これは、この本の主なポイントではないのだけれども、その過程に私は素直な感動を覚えました。
先の投稿で言及したミシガン旅行中に、友達数人と話していたときに、「自分が子供のときに一生懸命ピアノをやっていたことは、自分の仕事や人生にどんな影響を与えたと思うか」という質問をされました。これについては、前からいろいろと考えてきたのですが、私の答は、「音楽を真剣に勉強することで、ひとつのことについてある程度の力を身につけるのがいかに大変なことかを年少の頃から理解した。それによって、他のことについても、それをきちんとやるのはとても大変なことで、長年の真剣な努力が必要に違いない、という前提のもとに取り組むようになり、謙虚さと努力の姿勢が身に付いたと思う」というものです。私は、子供にあれやこれやと習い事をさせることを必ずしもよいことだとは思わないのですが、この点においては、なんであれ、ひとつのことを(それも、ある程度のレベルまで行くには十年も二十年もかかるような難しいことを)真剣に子供にやらせる、それも、単に「楽しんでやる」というのではなく、真剣にやらせるのは、よいことだとも思います。この本に登場する下の娘は、そこまで一生懸命やっていたヴァイオリンを途中でやめてしまうのですが、「その後」についての記述を読むと、あれだけ真剣にヴァイオリンをやったからこそ、さまざまな能力や感性が身に付き、彼女の人生が豊かになったのも明らか。そうした意味で、「音楽教育」とはなにか、「文化資本を身につける」とはどういうことか、「子供に最大限の可能性を与える」とはどういうことか、考えさせられました。
それにしても、著者がこの本を書いていたときには、Musicians from a Different Shoreはもう刊行されていたのだから、学者ならもうちょっと調べて脚注に入れておいてくれてもよさそうなものなのに(苦笑)。
さて、トロントからのフライトはサンフランシスコ経由だったのですが、トロント−サンフランシスコ間の飛行機では、Kindleにダウンロードした、Battle Hymn of the Tiger Motherを読みました。5時間のフライトが到着するときにきっちり読み終わるという、見事にちょうどいい長さ。邦訳も出ているようですが、英語はきわめて平易なので、ごく普通の英語力のある人なら原著でOKのはずです。この本、昨年出版されて以来、全米のメディアでたいへんなセンセーションを巻き起こし、ベストセラーになりいくつもの言語に翻訳もされています。私はその噂を聞いたことがあるだけだったのですが、数日後に、あるフォーラムでDeconstrcting the Asian American Model Minority Mythというタイトルのレクチャーをすることになっているので、その参考に読んでみようと思ってダウンロードしました。「中国式」の子育て理念に基づいて凄まじい勢いでスパルタ教育をする教育ママの話、ということしか知らなかったのですが、読んでみると、その「スパルタ教育」の中心が、二人の娘のピアノとヴァイオリン教育なので、「タイガーよ、おまえもか」という気持ちになりました。
子供に学業成績を初めとしてつねに最高のものを要求し、「子供にとって最良のものは子供よりも親のほうがわかっている」という信念のもとに、著者が「西洋式」と対比させて「中国式」とよぶ徹底したスパルタ教育を、子供がよちよち歩きの頃から大学に入学するまで施す。アメリカの一般のミドルクラスの子供たちが普通にやるようなこと(playdateやsleepover)は一切させず、鈴木メソッドで習い始めたピアノとヴァイオリンを、旅行中も含め決して休むことなく、毎日6時間も練習させる。毎週のレッスンに加えて、コンクールやオーディションの前には、日々の練習の指導のためにも別の先生を雇い、なんと一日数回もお金を払って家に来てもらうほか、数日間のオーディション旅行にも、その先生とボーイフレンドのぶんまでお金を払って付き添ってもらう。旅行に出かけるときには、子供がピアノの練習ができるよう、ホテルにあるピアノを使わせてもらったり、ピアノを使わせてくれる街の施設を探して、毎日観光の前に数時間練習に通う。娘にいいヴァイオリンを買い与えるために、著者は自分の年金を解除してしまう。などなど。その苦労実って、娘はカーネギーホールでリサイタルをするまでに至り、また、ブタペストで姉妹のコンサートも開催させる。けれど、とくに下の娘が反抗期に入ると、母娘のあいだに激しい葛藤があり、それまで積もってきた娘の憤懣は、モスクワ旅行中に爆発する...
私も子供のとき、ここまでではないけれどもかなり熱心にピアノをやっていたこともあり、またクラシック音楽についての研究もしてきているので、この様子はじゅうぶん想像できるのですが、ここでは、イェール大学ロースクールの教授である両親の財力と人脈が、普通の教育ママに一回りも二回りも輪をかけた凄まじさを可能にしているといえます。ある程度のレベルまで楽器を習う子供はたくさんいるなかで、子供自身が音楽の深みや楽しみを理解し、「お稽古」の次元から「音楽」の次元へ移行するところまでいけるかどうかの多くは、そうした理解の手助けをしてくれ、しかも必要な技術をきちんと身に付けさせてくれる先生に出会えるかにかかっている。そして、そうした先生に習うには、単純にお金がかかる。この二人の娘が、すぐれた音楽的感性と、目的に向かって集中力と持続力をもって修行する能力をもっているのは確かだけれども、この家庭にこれだけの財力と、いわゆる「文化資本」がなければ、二人の音楽はここまで伸びなかった可能性はじゅうぶんあるでしょう。
著者が「中国式」と「西洋式」と二項対立的に描写する子育ての記述には、あまりにも単純なステレオタイプがあちこちに見られ(著者は「中国」と「西洋」というのは必ずしも土地や人種を指しているのではなく、「中国式」の子育てをするアメリカ人もたくさんいるし、「西洋式」の子育てをしている中国人もたくさんいると指摘してはいますが)、また、教育方針についても、共感する部分もあるけれど異を唱えたくなる箇所もいろいろあるのですが、私が個人的に興味を覚えたのは、二人の娘だけでなく、母親である著者が、音楽というものを理解し鑑賞するようになる、その過程。著者は、自らの親も大学教授という家庭で育ち、ユダヤ系の夫も法学者で、文化資本が豊かな環境であることは確かですが、この本を読むと、著者自身にはクラシック音楽についての深い知識や理解がもともとあったわけではないことが明らか。むしろ、子供に音楽をやらせようとするアジア人・アジア系アメリカ人の親の多くと同様に、子供にピアノやヴァイオリンをやらせようというその動機の根底には、クラシック音楽は洗練された西洋文化を象徴しており、それを身につけることは社会的・文化的上昇を意味している、という信念がある。たいていの親は、そうした動機からせっせと子供に音楽をやらせるというところで終わるのでしょうが、そこはさすが教育程度の高い著者だけあって、子供のレッスンや練習の監督をしながら、子供と並行して自分も、それぞれの楽曲の表す精神や情感、そしてそうした精神や情感を表現するために使われている具体的な音楽的要素とそれが要求する演奏技術を、徐々に理解し、音楽を自分の人生の一部としていく。これは、この本の主なポイントではないのだけれども、その過程に私は素直な感動を覚えました。
先の投稿で言及したミシガン旅行中に、友達数人と話していたときに、「自分が子供のときに一生懸命ピアノをやっていたことは、自分の仕事や人生にどんな影響を与えたと思うか」という質問をされました。これについては、前からいろいろと考えてきたのですが、私の答は、「音楽を真剣に勉強することで、ひとつのことについてある程度の力を身につけるのがいかに大変なことかを年少の頃から理解した。それによって、他のことについても、それをきちんとやるのはとても大変なことで、長年の真剣な努力が必要に違いない、という前提のもとに取り組むようになり、謙虚さと努力の姿勢が身に付いたと思う」というものです。私は、子供にあれやこれやと習い事をさせることを必ずしもよいことだとは思わないのですが、この点においては、なんであれ、ひとつのことを(それも、ある程度のレベルまで行くには十年も二十年もかかるような難しいことを)真剣に子供にやらせる、それも、単に「楽しんでやる」というのではなく、真剣にやらせるのは、よいことだとも思います。この本に登場する下の娘は、そこまで一生懸命やっていたヴァイオリンを途中でやめてしまうのですが、「その後」についての記述を読むと、あれだけ真剣にヴァイオリンをやったからこそ、さまざまな能力や感性が身に付き、彼女の人生が豊かになったのも明らか。そうした意味で、「音楽教育」とはなにか、「文化資本を身につける」とはどういうことか、「子供に最大限の可能性を与える」とはどういうことか、考えさせられました。
それにしても、著者がこの本を書いていたときには、Musicians from a Different Shoreはもう刊行されていたのだから、学者ならもうちょっと調べて脚注に入れておいてくれてもよさそうなものなのに(苦笑)。
2012年8月7日火曜日
Interlochen Summer Arts Camp訪問
この週末はカナダが三連休だったので(といっても私はここで働いているわけではないので、間接的にしか関係ないのですが)、国境を超えてミシガンまでドライブしてきました。途中ちょっと寄り道をしながらですが、目的地まで約8時間のドライブ。徐々に植物や風景が変化するのがなかなか面白く、いつかやってみたいと思っていた北米大陸横断ドライブ旅行を早くやりたいと思いました。
今回の旅行の目的は、私の親友(『ドット・コム・ラヴァーズ』に出てくる「マイク」)が夏のあいだ滞在しているInterlochen Center for the Artsを訪れることでした。このセンターはいろいろな側面があるのですが、主なものは、音楽・ダンス・美術・映画・演劇・文芸などといった芸術を専門にする全寮制の高校と、同じさまざまな芸術分野で1週間から6週間までさまざまなプログラムがある、サマーキャンプ。私の友達の音楽家も、また、Musicians from a Different Shoreのリサーチ中にインタビューをした人たちのなかにも、この高校を卒業した、あるいは夏のキャンプに行ったことがある、という人たちがたくさんいます。「マイク」はここの高校の卒業生であるだけでなく、ここしばらく毎夏キャンプでクラリネットを教えているので、私は前からいろいろと話は聞いていたのですが、実際に行ったのは今回が初めて。で、行ってみると、話を聞いて想像していたものよりはるかに規模が大きくレベルも高く、すっかり圧倒されました。なにしろ、このミシガン北西部のまさに森のなかにある学校、高校生のため(夏期キャンプは小学3年生の「ジュニア」レベルから高校生レベルまでのプログラムがある)のものとは思えない施設の充実ぶり。ホールから練習室から図書館からなにから、私の大学なんかよりずっと立派。世界中からオーディションを経てやってくる生徒のレベルも、待遇面でそれほど素晴らしいとは言えないけれど生徒のレベルや態度とキャンプの理念や雰囲気に惹かれて毎年教えにくる教師陣のレベルも、そして各プログラムの指導理念も課程内容も、毎日のように開催される生徒や教師陣やゲストアーティストによる公演の内容も、とにかくすごい。もちろん、こういう場所に参加するためには、生徒の能力だけでなく、相当のお金が必要で、ある程度の奨学金も提供されるものの、親にまったく財力がない生徒には参加はまず無理。それでも、才能やポテンシャルのある生徒には、財力にかかわらずこうした場所での刺激とガイダンスが経験できるよう、学校側は奨学金を可能にするためのさまざまな資金集め策を講じているらしいです。真のエリート教育とはどういうものか、考えさせられる訪問でした。
Interlochen訪問に加え、「マイク」の案内でミシガンのこのエリア周辺をあちこち見て回り、これまでデトロイトにちらりと学会で行ったことがあるだけで、まるで馴染みのなかったミシガンに少し触れることができました。大きな湖の他にも、こんなにたくさんの大小の湖がミシガンにあるということも、そしてこのエリアがこんなに美しいということも、私はまるで知りませんでした。ミシガンというと、デトロイトを初めとする都市が国産自動車産業の衰退により経済的に廃退し、治安も悪化し、とにかく暗い、というイメージがあり、たしかにマイケル・ムーアの映画で知られるフリントの街を車で通ると、見事なまでにその前後の街より高速道路の状態が悪い。今回は高速道路で通り過ぎる以上のことをする時間がなかったので、いずれまたちゃんと訪れてみたいと思いますが、そのマイケル・ムーアが監督・主催する映画祭が、私たちが滞在したTraverse Cityで開催中でした。このTraverse Cityも、なかなか感じのいい街で、観光するにも住むにも快適そう(ただし、今回は夏の訪問だったからよいけれど、冬の寒さを想像すると、ハワイに身体が慣れている私は、考えただけで頭が凍る)。というわけで、大変楽しい旅でした。
トロント滞在も残りあとわずかとなってきてしまい、ここにいるあいだにやっておくべきことをちゃんと仕上げられるかどうかの正念場です。日本はたいへんな暑さだとほうぼうから聞いていますが、日本のみなさま、どうぞ熱中症にお気をつけて。
今回の旅行の目的は、私の親友(『ドット・コム・ラヴァーズ』に出てくる「マイク」)が夏のあいだ滞在しているInterlochen Center for the Artsを訪れることでした。このセンターはいろいろな側面があるのですが、主なものは、音楽・ダンス・美術・映画・演劇・文芸などといった芸術を専門にする全寮制の高校と、同じさまざまな芸術分野で1週間から6週間までさまざまなプログラムがある、サマーキャンプ。私の友達の音楽家も、また、Musicians from a Different Shoreのリサーチ中にインタビューをした人たちのなかにも、この高校を卒業した、あるいは夏のキャンプに行ったことがある、という人たちがたくさんいます。「マイク」はここの高校の卒業生であるだけでなく、ここしばらく毎夏キャンプでクラリネットを教えているので、私は前からいろいろと話は聞いていたのですが、実際に行ったのは今回が初めて。で、行ってみると、話を聞いて想像していたものよりはるかに規模が大きくレベルも高く、すっかり圧倒されました。なにしろ、このミシガン北西部のまさに森のなかにある学校、高校生のため(夏期キャンプは小学3年生の「ジュニア」レベルから高校生レベルまでのプログラムがある)のものとは思えない施設の充実ぶり。ホールから練習室から図書館からなにから、私の大学なんかよりずっと立派。世界中からオーディションを経てやってくる生徒のレベルも、待遇面でそれほど素晴らしいとは言えないけれど生徒のレベルや態度とキャンプの理念や雰囲気に惹かれて毎年教えにくる教師陣のレベルも、そして各プログラムの指導理念も課程内容も、毎日のように開催される生徒や教師陣やゲストアーティストによる公演の内容も、とにかくすごい。もちろん、こういう場所に参加するためには、生徒の能力だけでなく、相当のお金が必要で、ある程度の奨学金も提供されるものの、親にまったく財力がない生徒には参加はまず無理。それでも、才能やポテンシャルのある生徒には、財力にかかわらずこうした場所での刺激とガイダンスが経験できるよう、学校側は奨学金を可能にするためのさまざまな資金集め策を講じているらしいです。真のエリート教育とはどういうものか、考えさせられる訪問でした。
Interlochen訪問に加え、「マイク」の案内でミシガンのこのエリア周辺をあちこち見て回り、これまでデトロイトにちらりと学会で行ったことがあるだけで、まるで馴染みのなかったミシガンに少し触れることができました。大きな湖の他にも、こんなにたくさんの大小の湖がミシガンにあるということも、そしてこのエリアがこんなに美しいということも、私はまるで知りませんでした。ミシガンというと、デトロイトを初めとする都市が国産自動車産業の衰退により経済的に廃退し、治安も悪化し、とにかく暗い、というイメージがあり、たしかにマイケル・ムーアの映画で知られるフリントの街を車で通ると、見事なまでにその前後の街より高速道路の状態が悪い。今回は高速道路で通り過ぎる以上のことをする時間がなかったので、いずれまたちゃんと訪れてみたいと思いますが、そのマイケル・ムーアが監督・主催する映画祭が、私たちが滞在したTraverse Cityで開催中でした。このTraverse Cityも、なかなか感じのいい街で、観光するにも住むにも快適そう(ただし、今回は夏の訪問だったからよいけれど、冬の寒さを想像すると、ハワイに身体が慣れている私は、考えただけで頭が凍る)。というわけで、大変楽しい旅でした。
トロント滞在も残りあとわずかとなってきてしまい、ここにいるあいだにやっておくべきことをちゃんと仕上げられるかどうかの正念場です。日本はたいへんな暑さだとほうぼうから聞いていますが、日本のみなさま、どうぞ熱中症にお気をつけて。
2012年8月3日金曜日
ジュリアード、中国に進出
私は相変わらずトロントに滞在中です。カナダにいるばかりか、今の滞在先にはテレビがない(いや、正確に言うとテレビはあるのですが、ケーブルが入っていないので、DVDは観られるけどテレビ番組はまるで受信できない)ので、オリンピックが見られず、テレビのあるバーでちょろりと見たり、ネットで結果を見るだけなので、なでしこの頑張りぶりも目撃することができず残念。今週末はカナダは3連休なので、国境を超えるドライブをして(ヨーロッパの鉄道旅行ならしたことありますが、車で国境を超えるのは生まれて初めてなので楽しみ)ちょっとミシガンまで行ってきます。
さて、本当はもうちょっと完成に近づいてからここに書くべきなのでしょうが、自分を奮い立たせるためにも公表してしまうと、私のこの夏の第一の課題は、拙著Musicians from a Different Shore: Asians and Asian Americans in Classical Musicの和訳をすることです。出版社との話はもうずいぶん前からまとまっていて、訳しさえすれば出していただけるのですが、あれやこれやで遅くなっていました。自分で書いたものを自分の母語にするのだから、そう難しいことはなかろうとタカをくくっていたら、この作業、予想をはるかに超えて難しく、アメリカのおもにアカデミックな読者を想定して英語で書いたものを、一般の日本読者に向けて訳すということの難しさをしみじみと実感。理論的な概念や用語、論の運びかたといったものがとことんアメリカのアカデミアのものになっている、という実際的なことに加えて、そもそもの自分の問題設定のしかたや、前提としている認識が、いかにアメリカ中心的なものかとひしひしと感じています。でもまあ、この本を日本の読者に読んでもらうことにはじゅうぶん意味があると思うので、せっせと原稿に手を入れ(なにしろ著者本人が訳すのだから、書き足したり削除したり順番を変えたりするのは好き勝手にできる)、なるべく読みやすい文章にしようと頑張っております。
私の著書は、クラシック音楽界で活躍するアジア人・アジア系アメリカ人にとって、西洋音楽をするということとアジア人であるということがどのように関係しているか(またはしていないか)、という問題を扱ったものですが、この本のためのリサーチをしたのは主に2003−2004年、ニューヨークでのこと(『ドット・コム・ラヴァーズ』を読んだ人は、私がニューヨークで「デート」ばかりしていたかの印象をもっているかもしれませんが、ちゃんと研究をしていたんです)。それから10年近くたって、クラシック音楽でのアジア人の位置はますます明らかになっています。見事な技術と芸術性をもつ若いアジア人音楽家が次々と出てきているし、国際コンクールなどでの中国・韓国の勢いがすごい。そんななか、「ついにこういう時代になったか」と思わずため息をついてしまったのが、このニュース。「タイム」誌にもこの話題についての記事が載っています。音楽家養成では世界の最高峰のひとつであるニューヨークのジュリアード音楽院が、中国に進出、天津音楽学校と提携して音楽院を設立する、とのことです。最新のデータによると(拙著の翻訳にあたり、ジュリアードの事務に問い合わせたのですが、見事な素早さで新しいデータを送ってくれました。そんなところに妙に感心)、現在のジュリアードに在籍する音楽専攻の学生647人のうち、留学生は195人。その出身国の内訳は、韓国59人、カナダ39人、中国38人(ちなみに日本は6人)。全体の規模はジュリアードよりずっと小さいけれど、少数精鋭で知られているフィラデルフィアのカーティス音楽院は、全165人の学生のうち留学生が72人で、うち中国からが21人、韓国からが17人、カナダからが10人、台湾からが5人(ちなみに日本は3人)。私が6月に参加したピアノ・テキサスの若手音楽家のプログラムでも、驚くべき数の参加者が中国出身でした。中国では、オリンピックの選手養成と同じように、凄まじい特訓を経て次世代の音楽家が教育されているので、アメリカでのクラシック音楽人口の減少を考えると、本当にクラシック音楽の将来を担うのは東アジア、とくに中国なのではと思わずにはいられませんが、そうしたなかで、ジュリアードがニューヨークの外に初の拠点を置く先が天津というのには、「うーむ、やはり」。高校生までの年齢の生徒たちのためのプログラム(ジュリアードのプレ・カレッジに準ずるものでしょう)と、大学レベルの音楽院課程を設置する計画のよう。そして、中国の才能ある音楽家たちを集めて天津の街の文化生活に貢献するだけでなく、東アジアで唯一、ニューヨークのジュリアードの入学審査のオーディションの受験会場ともなるらしい。うーむ、なんともすごい。
私が本のためのリサーチ中にインタビューをした音楽家たちも、9年の歳月を経て、それぞれキャリアそして人生の新しい段階に入っているのは当然ですが、クラシック音楽界自体も、次のフェーズに入りつつあるような気がします。頑張って早く翻訳を出さなければ!
さて、本当はもうちょっと完成に近づいてからここに書くべきなのでしょうが、自分を奮い立たせるためにも公表してしまうと、私のこの夏の第一の課題は、拙著Musicians from a Different Shore: Asians and Asian Americans in Classical Musicの和訳をすることです。出版社との話はもうずいぶん前からまとまっていて、訳しさえすれば出していただけるのですが、あれやこれやで遅くなっていました。自分で書いたものを自分の母語にするのだから、そう難しいことはなかろうとタカをくくっていたら、この作業、予想をはるかに超えて難しく、アメリカのおもにアカデミックな読者を想定して英語で書いたものを、一般の日本読者に向けて訳すということの難しさをしみじみと実感。理論的な概念や用語、論の運びかたといったものがとことんアメリカのアカデミアのものになっている、という実際的なことに加えて、そもそもの自分の問題設定のしかたや、前提としている認識が、いかにアメリカ中心的なものかとひしひしと感じています。でもまあ、この本を日本の読者に読んでもらうことにはじゅうぶん意味があると思うので、せっせと原稿に手を入れ(なにしろ著者本人が訳すのだから、書き足したり削除したり順番を変えたりするのは好き勝手にできる)、なるべく読みやすい文章にしようと頑張っております。
私の著書は、クラシック音楽界で活躍するアジア人・アジア系アメリカ人にとって、西洋音楽をするということとアジア人であるということがどのように関係しているか(またはしていないか)、という問題を扱ったものですが、この本のためのリサーチをしたのは主に2003−2004年、ニューヨークでのこと(『ドット・コム・ラヴァーズ』を読んだ人は、私がニューヨークで「デート」ばかりしていたかの印象をもっているかもしれませんが、ちゃんと研究をしていたんです)。それから10年近くたって、クラシック音楽でのアジア人の位置はますます明らかになっています。見事な技術と芸術性をもつ若いアジア人音楽家が次々と出てきているし、国際コンクールなどでの中国・韓国の勢いがすごい。そんななか、「ついにこういう時代になったか」と思わずため息をついてしまったのが、このニュース。「タイム」誌にもこの話題についての記事が載っています。音楽家養成では世界の最高峰のひとつであるニューヨークのジュリアード音楽院が、中国に進出、天津音楽学校と提携して音楽院を設立する、とのことです。最新のデータによると(拙著の翻訳にあたり、ジュリアードの事務に問い合わせたのですが、見事な素早さで新しいデータを送ってくれました。そんなところに妙に感心)、現在のジュリアードに在籍する音楽専攻の学生647人のうち、留学生は195人。その出身国の内訳は、韓国59人、カナダ39人、中国38人(ちなみに日本は6人)。全体の規模はジュリアードよりずっと小さいけれど、少数精鋭で知られているフィラデルフィアのカーティス音楽院は、全165人の学生のうち留学生が72人で、うち中国からが21人、韓国からが17人、カナダからが10人、台湾からが5人(ちなみに日本は3人)。私が6月に参加したピアノ・テキサスの若手音楽家のプログラムでも、驚くべき数の参加者が中国出身でした。中国では、オリンピックの選手養成と同じように、凄まじい特訓を経て次世代の音楽家が教育されているので、アメリカでのクラシック音楽人口の減少を考えると、本当にクラシック音楽の将来を担うのは東アジア、とくに中国なのではと思わずにはいられませんが、そうしたなかで、ジュリアードがニューヨークの外に初の拠点を置く先が天津というのには、「うーむ、やはり」。高校生までの年齢の生徒たちのためのプログラム(ジュリアードのプレ・カレッジに準ずるものでしょう)と、大学レベルの音楽院課程を設置する計画のよう。そして、中国の才能ある音楽家たちを集めて天津の街の文化生活に貢献するだけでなく、東アジアで唯一、ニューヨークのジュリアードの入学審査のオーディションの受験会場ともなるらしい。うーむ、なんともすごい。
私が本のためのリサーチ中にインタビューをした音楽家たちも、9年の歳月を経て、それぞれキャリアそして人生の新しい段階に入っているのは当然ですが、クラシック音楽界自体も、次のフェーズに入りつつあるような気がします。頑張って早く翻訳を出さなければ!
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