2012年8月3日金曜日

ジュリアード、中国に進出

私は相変わらずトロントに滞在中です。カナダにいるばかりか、今の滞在先にはテレビがない(いや、正確に言うとテレビはあるのですが、ケーブルが入っていないので、DVDは観られるけどテレビ番組はまるで受信できない)ので、オリンピックが見られず、テレビのあるバーでちょろりと見たり、ネットで結果を見るだけなので、なでしこの頑張りぶりも目撃することができず残念。今週末はカナダは3連休なので、国境を超えるドライブをして(ヨーロッパの鉄道旅行ならしたことありますが、車で国境を超えるのは生まれて初めてなので楽しみ)ちょっとミシガンまで行ってきます。


さて、本当はもうちょっと完成に近づいてからここに書くべきなのでしょうが、自分を奮い立たせるためにも公表してしまうと、私のこの夏の第一の課題は、拙著Musicians from a Different Shore: Asians and Asian Americans in Classical Musicの和訳をすることです。出版社との話はもうずいぶん前からまとまっていて、訳しさえすれば出していただけるのですが、あれやこれやで遅くなっていました。自分で書いたものを自分の母語にするのだから、そう難しいことはなかろうとタカをくくっていたら、この作業、予想をはるかに超えて難しく、アメリカのおもにアカデミックな読者を想定して英語で書いたものを、一般の日本読者に向けて訳すということの難しさをしみじみと実感。理論的な概念や用語、論の運びかたといったものがとことんアメリカのアカデミアのものになっている、という実際的なことに加えて、そもそもの自分の問題設定のしかたや、前提としている認識が、いかにアメリカ中心的なものかとひしひしと感じています。でもまあ、この本を日本の読者に読んでもらうことにはじゅうぶん意味があると思うので、せっせと原稿に手を入れ(なにしろ著者本人が訳すのだから、書き足したり削除したり順番を変えたりするのは好き勝手にできる)、なるべく読みやすい文章にしようと頑張っております。


私の著書は、クラシック音楽界で活躍するアジア人・アジア系アメリカ人にとって、西洋音楽をするということとアジア人であるということがどのように関係しているか(またはしていないか)、という問題を扱ったものですが、この本のためのリサーチをしたのは主に2003−2004年、ニューヨークでのこと(『ドット・コム・ラヴァーズ』を読んだ人は、私がニューヨークで「デート」ばかりしていたかの印象をもっているかもしれませんが、ちゃんと研究をしていたんです)。それから10年近くたって、クラシック音楽でのアジア人の位置はますます明らかになっています。見事な技術と芸術性をもつ若いアジア人音楽家が次々と出てきているし、国際コンクールなどでの中国・韓国の勢いがすごい。そんななか、「ついにこういう時代になったか」と思わずため息をついてしまったのが、このニュース。「タイム」誌にもこの話題についての記事が載っています。音楽家養成では世界の最高峰のひとつであるニューヨークのジュリアード音楽院が、中国に進出、天津音楽学校と提携して音楽院を設立する、とのことです。最新のデータによると(拙著の翻訳にあたり、ジュリアードの事務に問い合わせたのですが、見事な素早さで新しいデータを送ってくれました。そんなところに妙に感心)、現在のジュリアードに在籍する音楽専攻の学生647人のうち、留学生は195人。その出身国の内訳は、韓国59人、カナダ39人、中国38人(ちなみに日本は6人)。全体の規模はジュリアードよりずっと小さいけれど、少数精鋭で知られているフィラデルフィアのカーティス音楽院は、全165人の学生のうち留学生が72人で、うち中国からが21人、韓国からが17人、カナダからが10人、台湾からが5人(ちなみに日本は3人)。私が6月に参加したピアノ・テキサスの若手音楽家のプログラムでも、驚くべき数の参加者が中国出身でした。中国では、オリンピックの選手養成と同じように、凄まじい特訓を経て次世代の音楽家が教育されているので、アメリカでのクラシック音楽人口の減少を考えると、本当にクラシック音楽の将来を担うのは東アジア、とくに中国なのではと思わずにはいられませんが、そうしたなかで、ジュリアードがニューヨークの外に初の拠点を置く先が天津というのには、「うーむ、やはり」。高校生までの年齢の生徒たちのためのプログラム(ジュリアードのプレ・カレッジに準ずるものでしょう)と、大学レベルの音楽院課程を設置する計画のよう。そして、中国の才能ある音楽家たちを集めて天津の街の文化生活に貢献するだけでなく、東アジアで唯一、ニューヨークのジュリアードの入学審査のオーディションの受験会場ともなるらしい。うーむ、なんともすごい。


私が本のためのリサーチ中にインタビューをした音楽家たちも、9年の歳月を経て、それぞれキャリアそして人生の新しい段階に入っているのは当然ですが、クラシック音楽界自体も、次のフェーズに入りつつあるような気がします。頑張って早く翻訳を出さなければ!