以前、私が運営を手伝っている、アロハ・インターナショナル・ピアノ・フェスティヴァルというイベントについてこのブログで紹介したことがありますが、去年のフェスティヴァルにゲスト・アーティストとして参加したピアニスト、サラ・デイヴィス・ビュークナーによるエッセイが、昨日のニューヨーク・タイムズに掲載されました。
現在ヴァンクーヴァーのブリティッシュ・コロンビア大学で教えながら世界各地で演奏活動やマスタークラスをして活躍しているサラ・デイヴィス・ビュークナーのアイデンティティについてあれこれ言う人はもうほとんどいなくなったものの、ここ10年間の彼女のキャリアはとても厳しいものでした。彼女は、もとはデイヴィッド・ビュークナーという名で、チャイコフスキー・コンクールに入賞し、世界トップレベルのオーケストラと年間50の演奏をする、国際的に活躍する男性ピアニストだったのです。しかし、子供の頃から、自分は女性であるべきだと意識して生きてきた「彼」は、家族の反対を押し切って、自分の性的アイデンティティに忠実に生きることを選択し、まず1998年に、トランスジェンダーとしてカム・アウトし、サラ・デイヴィス・ビュークナーという名を公私ともに名乗ることにし、さらに2003年にタイに渡って性転換手術を受けました。ニューヨークに住んでいながらわざわざタイまで行って手術を受けたのは、同じ手術をアメリカで受けると6倍もの費用がかかり、性転換手術に適用される保険もなかったから。そのタイでの手術でひどい傷を負ってしまった後、ニューヨークに戻って、その傷を治す手術をするはめになった彼女にとって、その手術は苦難のごく一部でしかありませんでした。それまでは各地でひっぱりだこだったにもかかわらず、サラとしてカム・アウトしてからは、ぴたりと演奏の依頼がこなくなり、その後5年間は、地元の小さなコンサートをのぞいては、年間にほんの数回の演奏の機会しかなく、オーケストラとの共演は皆無の状態が続きました。当時マンハッタン音楽院で講師をしながら、フルタイムの教職を探していた彼女を雇ってくれる大学はアメリカじゅうのどこにもありませんでした。
マンハッタンを後にしてブロンクスに住み、子供たちにピアノを教えながら細々と演奏活動をしていたサラを、ジュリアード音楽院時代の同級生が見つけ、マネージャーになると申し出、「とにかくサラの演奏を世に知らしめなくては」と、せっせと演奏の契約をとりつけるようになります。そうするなかで、ヴァンクーヴァーのブリティッシュ・コロンビア大学での教職のポストが空き、採用されたサラは、2003年にカナダに移住しました。彼女の性的アイデンティティが採用の際にまったく問題にならなかったというわけではないものの、ピアノの教授としての仕事において、そんなことよりずっと重要な要素をたくさん彼女はもっていた、という大学の関係者。カナダでは2005年には同性婚が認められ、サラはデイヴィッドであった頃からずっと交際中であった日本人女性と正式に結婚することもできました。アメリカでは見向きもされなかったサラが、カナダでは次々と大きな舞台での演奏を依頼され、カナダで演奏を重ねることによってアメリカでも次第に彼女への門戸が開かれるようになりました。2009年にはニューヨークのマーキン・ホールでのリサイタルが大喝采を受け、演奏家としてのサラのキャリアも再び軌道に乗っています。
ゲイやレズビアンの人々に対する意識や態度は、アメリカではゆっくりと、しかし確実に、変化しつつあり、ひとつまたひとつと、同性婚を合法化する州も増えています。そのいっぽうで、トランスジェンダーやトランスセクシュアルの人々に対しては、依然として無理解や差別が強いのは確かです。アメリカのなかでももっとも多様な人々が集まると信じられているニューヨークで、サラがマンションを購入しようとすると、マンションの理事会に理由を告げられないまま断られる(ニューヨークのco-op式のマンションは、このような決定権を理事会が握っているのです)などの扱いを受けるいっぽうで、カナダではずっと自由に生きられる、という彼女の体験に、いろいろなことを考えさせられます。そしてまた、こうした文章を発表する彼女の勇気から、音楽においても文章においても人生においても、自分に真摯で誠実であることこそが人の心を打つのだ、ということを学ばされます。
私自身は、彼女と知り合ったのはほんの一年前ほど、彼女がサラになってからずいぶんたってからのことです。私が知る人のなかでももっとも温かくおおらかな人物のひとりで、アロハ・インターナショナル・ピアノ・フェスティヴァルのアマチュア・プログラムでも、ほんとうに親切で丁寧でポイントを突いた指導をしてくれました。ちなみに、彼女は阪神タイガースの熱狂的なファンでもあり、六甲おろしをテーマにした曲を委嘱したりもしています(笑)。辻井伸行さんが「盲目のピアニスト」などではなく、立派なひとりの芸術家であるのと同様、サラ・デイヴィス・ビュークナーの音楽家としての価値は、彼女の性的アイデンティティなどとは無関係のところにあり、「トランスジェンダーのピアニスト」などと呼ばれるのは彼女が望むところではまったくないはず。サラの、ダイナミックでかつ繊細で表情豊かな演奏を聴くと、そんなことはすぐに忘れてしまいます。彼女の辿ってきた道程を紹介した2009年の記事のリンクから、演奏の抜粋も聴けますので、ぜひどうぞ。