2011年1月17日月曜日

芸術支援を考える

今日は、潮博恵さんというかたにお会いしてきました。潮さんのウェブサイトで、私の『ヴァン・クライバーン 国際ピアノコンクール』をとても的を射た形で紹介してくださっているのを少し前に発見したのですが、その際に潮さんのウェブサイトを探索したところ、それだけで私はすっかり惚れ込んでしまい、「この人には是非会わなくてはいけない」と思って連絡をとらせていただいたのです。潮さんは、銀行勤務を経て、現在は行政書士のお仕事をしながら、日本のオーケストラなどの芸術活動の支援をなさっているかたです。近年はとくに、マイケル・ティルソン・トーマス率いるサンフランシスコ交響楽団(SFS)にたいへん入れ込み、芸術的に最高レベルの演奏をしながら、地域社会におけるオーケストラの役割やメディアを通した芸術活動を先進的な形で開拓しているにもかかわらず、日本の聴衆にはあまり知られていないSFSの活動を、ウェブサイトで多面的に紹介なさっています。私の著書を好意的に紹介してくださっているということは差し引いても、文化政策や芸術支援の日米比較を現在の研究テーマとしている私は、潮さんの活動にとても興味があるので、それだけでも是非お話をうかがいたいと思ったのですが、それに加えて、なんといっても潮さんのウェブサイトが素晴らしい。形式としても、見やすい、わかりやすい、妙に可愛らしくない(サイトの種類にもよりますが、概して私は可愛らしさを強調したようなウェブサイトを見るとイライラしてくるのです)。そして、コンテンツ面を特徴づけるのが、過不足ない情報量、ポイントを絞ったコメント、そして感性あふれる文章。私は自分のサイトを作るときに、かなり多くの人のサイトを見比べましたが、潮さんのサイトは私のなかではとても上位ですので、ぜひ見てみてください。

実際にお会いした潮さんは、ウェブサイトから想像したとおりの、魅力的で興味深いかたでした。SFSに興味を持って、「じゃあ今週末聴きに行こう」とだんなさまを誘っていきなりサンフランシスコまで飛んで行ったり、プラハでSFSを聴きに行った後でたまたま飛行機でティルソン・トーマスとSFSの事務局の人と乗り合わせたので、コンサートの感想を話しにいったのがきっかけでSFSの関係者と交遊ができたりという、驚くべき行動力と積極性に感服。私も行動力と積極性があると人にはよく言われるほうですが、潮さんは数ランク上です。潮さんが詳しく紹介しているSFS制作のKeeping Scoreというドキュメンタリー・プログラムは、私も数本観たことがありますが、これは本当によくできていて、私は夢中になって観てしまいます。アメリカの公共テレビで放送されるときには、ドキュメンタリー部分しか放送されないのが普通ですが、DVDだと演奏がまるごと観られるので、そちらがおすすめです。が、ドキュメンタリー部分はオンラインでも観られますので、ものは試しと思ってとにかく観てみてください。

というわけで、潮さんから、これからの私の研究におおいに役立ちそうな情報をいろいろ教えていただきました。クライバーン・コンクールについて学ぶ過程で、芸術と地域コミュニティの関係ということをたくさん考えるようになりましたが、社会が芸術を育むとはどういうことか、今後いろいろな視点から勉強していきたいと思っています。

2011年1月12日水曜日

アリゾナ銃撃事件追悼式典

6人の死亡者と14人の負傷者を出したアリゾナ州ツーソンでの銃撃事件は、政治との関連が明らかではないものの、近年移民法などをめぐって政治的に大きく分裂してきたアリゾナが舞台であったことから、アメリカじゅうに大きな波紋をよんでいます。現地で行われた追悼式典に出席したオバマ大統領の演説が素晴らしいです。とくに最後の10分が素晴らしい。犠牲者たちとその周囲の人々への哀悼の意を示しながらも、事件の原因を単純化せず、2001年9月11日に生まれた9歳の元気いっぱいな女の子を含む犠牲者たちがアメリカという国にたいして抱いていた期待に恥じないような社会にしていこうと、国民すべてに語りかけるその演説は、その言葉においても論理においても感情においても、感動せずにはいられません。ここで説かれるcivilityとは、「品性」とか「礼節」とかいったふうに訳せるでしょうが、この単語の形容詞形であるcivilが、「市民の」「公の」「国家の」「社会の」といった意味でもあることを、深く考えさせられる演説です。ああ、オバマ大統領のパワーはこういうところにあったのだ、と思い出されます。日本のテレビではまるごとは放送されないでしょうから、ぜひこちらで観てみてください。

2011年1月9日日曜日

余は如何にして吉原真里となりし乎




数日前に東京に到着しました。今回はなにしろ千代田区三番町の住民なので、前回の町田市小山田桜台とは同じ東京都内とはいえ別の国に来たような感覚です。到着の翌日は友達との飲み会で、会場までなんと私は徒歩で数分。小山田桜台のときは、夜遅くに電車とバス(バスがなくなる時間に帰るときはタクシー)を乗り継いで家に帰ることを考えただけでどっと疲れたものですが、今度は解散後15分でパジャマ姿になることができます。今日は天気がよかったので、皇居一周ジョギングをしてきましたが、これも家から乗り物に乗らずに行けてすばらしい。皇居周りのランナーについては噂は聞いていましたが、たしかに実に多くの人が走っているものですねえ。

さて、昨日、実家に行って物置を探検。探していたもの(ある人にもらった手紙)は出てこなかったのですが、それを探す過程で、思わず「うわっ」と声を出してしまうようなものにたくさん出会いました。幼稚園から小学低学年にかけて習ったバレエで使ったトーシューズとか、大学入試の模試の答案とか、大学の授業のノートやレポートとか、就職セミナー(新聞記者志望だったので、小論文の講座に通ったことがあった)で添削された作文とか。なかでもメインなものは、日記の山と、手紙の山。どちらもハワイの自宅にも山ほどあるのですが、実家にあるのはそれより前のもので、日記は幼稚園から大学まであります。自分で読んでいてあまりにも面白いので、山ごと現在の住居に持ってきました。

幼稚園のときのものは、かわいいやら、いじらしいやら、可笑しいやら。中学・高校のときのものは、読んでいてなかなか辛くなるものがあります。思春期の女子というのは、芽生える自我やうずまくホルモン、競争心や嫉妬心がないまぜになって、実にややこしいものですねえ。それでも、自分の将来や社会について、真剣に体当たりで考えていたらしい姿勢に、自分で感動。(笑)男の子にかんする記述もやたら多い(そして、失礼ながら、何度も記述があるにもかかわらず、今は「これって誰だっけ?」と名前すら覚えていない人もいる。同じく、「これって誰だっけ?」という男性からもらったラブレターも何通か出てきました)のですが、いかに数学が嫌いかという記述が何度となく繰り返されているのにも驚き。勉強していると、イヤでイヤでたまらず一人で大泣きして自分で発狂するんじゃないかと心配していたことまであったらしいです。そこまで嫌いだったとは...自分で一番驚きだったのは、大学のときの日記です。当時のボーイフレンドとの関係について、後から自分の頭のなかで形成されている記憶と、日記に切々と綴られた思いが、重なる部分とかなり違っている部分があって、驚きました。10代になってからの日記は、とても人に見せられたものではないのですが、以下一部抜粋。

幼稚園時代(注:カトリックの幼稚園だったので、「おいのり」とか「しゅわれをあいす」とかいう用語が登場するわけです)

「今日ようちえんで入えんしきだった。あたらしいおつぼみさんがとてもかわいかった。おいのりをしたりうたをうたったりしてとてもたのしいしきだった。かえっておいしゃさんごっことがっこうごっこをした。ピアノのおけいこをしてむずかしいとこがたくさんあった。リズムきょうしつにいってあたらしいうたをならってとてもおもしろかった。」

「ようちえんにいった。おたんじょう会だった。かえりにようこちゃんとしゅとうのちゅうしゃをみせにいった。かえってひるねをした。ピアノのおけいこをした。今日はだいぶいい子だったとままがゆってくれてちょっぴりうれしかった。ままはいつもおこるけどほめてくれるときもときどきあるのか。(きのうとおとといとしこおばちゃんがとまりにきてうれしかったけどけさ会社があるのでけさかえった)」

「ようちえんにいった。ようちえんでヤクルトのびんで木をつくった。ホールで「しゅわれをあいす」と「一年生になったら」のうたをならってかんたんだったのでけろっとおぼえちゃった。ピアノのおけいこをした。」

「今日は卒えん式の日です。むねにばらをつけていった。せんせいたちがないてもうたはしっかりうたいましょうというやくそくなので、おかあさんたちはないたけれど子供たちはうたはしっかりうたった。まりはせいきんしょうをもらった。ピアノのおけいこにいった。テクニック(52)ラジリテー(0)バロック(0)がおわった。かえってピアノのおけいこをした。」

「昨日東京にかえるときに、くにちゃんとじゅんこちゃんと昌子おばちゃんがいっしょにきたので今日かまくらにいった。はちまんぐへいったり大仏をみにいったりして、しゃしんもたくさんとった。かえりに東京タワーにいった。ゆうがたはとてもさむかった。かえってすぐくにちゃんたちはほかのおばちゃんのところにいってうちはさみしくなった。」

自分で言うのもなんですが、幼稚園児にしてはなかなかな論理力と表現力ではないですか!(笑)この頃の日記にはほぼ毎日ピアノの練習のことが書かれていて、いかにピアノ中心の生活を送っていたかがわかります。

小学一年生

「今日は学校で「つくしこい」という字をかいた。まりは5重丸だったのでとてもうれしかった。5重丸を上からみると6重丸にみえた。いえにかえってピアノのおけいこにいくのでおさらいをした。ピアノのおけいこにいって3つの小曲の1ばんと2ばんがとてもじょうずだとほめられたけど、3ばんはこんど半分のところが30かいになったのでとてもたいへんだとおもった。」

「今日は学校で「しろいくも」という字をかいた。さんすうのじかんは本の5と6をした。まだみんなだしてあるけど、まりは100てんだといいと、いつもおもっている。かえって一年のかがくがきていたので、そわそわしていたので、バレエをおやすみした。ばんごはんのとき、カレーのおにくがかたかったので、うごいていたはが、ぬけてしまった。ピアノのおけいこをした。ちょっとぐずぐずゆった。」

「今日は、しゅうぎょうしきです。私は、一年の代ひょうで、しきのときつうしんぼをもらいにいきました。それから、私は学きゅういいんになりました。しば田さんはほけつで、男はまつのくんですぎ本くんがほけつです。つうしんぼは5がいっぱいあったので、「みせてはいけません」といわれたけれどついみせてしまいました。それでかえるとき山本さんにきいてみたら、山本さんは、5が1つもなかったそうです。私はうれしくて、はしってかえりました。ママにほめられました。」

なんたるイヤな優等生。(笑)

中学二年生

「真里は将来どんな生活するんだろう。いろんな人の生き方見て、あんなのもいい、こんなのもいいと思うけど、でも人の真似っていうか、人と同じ生き方したくないナ。自分は世界中に一人しかいないんだ!そう思える仕事がしたい。」

中学三年生(注:私がアメリカから帰ってきて中二で転入した学校は、中高一貫の私立校なのですが、いろんな意味で実に変わった学校で、同じ高校に上がるのをやめて別の学校を受験しようかと考えていた時期があった(らしい)のですが、結局そのまま上にあがりました。学校に迷惑がかからないように補足説明しておきますが、その学校は、私が卒業してからずいぶんと校風や体質が変わったそうですし、また、私はいろんな文句はありながらも、中学・高校ではずいぶんいい思いをさせていただいたと思っています。今の私にとっての一番の親友は、中学・高校時代の友達です。)

「うちの学校、やっぱおかしいよ。(中略)遊んでて東大は入る人とかわずかでもいるらしいけど、そういう人はやっぱ生まれつき頭のいい人でしょ。真里そうじゃないし。今は真里、女子でトップくらいだから、ヌルマ湯につかってるって感じで、ダメだし。(中略)うちの学校、校長の力が絶大すぎてふつうの先生の意見なんかなんの意味も持たない。せっかくいい先生沢山いるのに、学校そのものがちっとも変わらないんだもん。もったいない。それから、人数が多すぎて個性が尊重されない。一人一人が生きているってことを忘れてるみたい。それからネー、なにかっていうと大学大学っていうのも気に食わん。そりゃ進学校に入った自分が悪いのかも知れないけど、中学選ぶ時点で大学のことなんか考えてる訳ないじゃん。中学えらぶのはほとんど親だよ。それをなんとなく入れられて、だんだん学校の方針に感化されていって、とにかく大学に行くってことになる。どこでも今じゃ「当然」なのかもしれないけど、当然じゃない生き方へのあこがれってないのかナ。」

高校一年生(名前は伏せておきますが、Xとは当時のボーイフレンドです。YとZは女の友達)

「私さ、誰ともつきあっていないときは私の考え、私の行動はすべて「私」だったんだけど、最近みんな私のことを私でなくて「X」としてみるんだよね。私がなにをするにしても、Xに関連づけて見られてさ。私はXになってしまっているの。Yも「真里、最近考え方変わったね。Xの影響かな」とか言うしサ...そりゃ、つき合ってりゃ明るくなるけどさ、そう簡単に影響されて考え方まで変わっちゃうもん?「変わった」とか言われると、私のこと知り尽くしてるみたいな言い方しないでって言いたくなるよ。とにかく、そういう色メガネで見られるのはイヤだ。Xの話しててひやかされるのはいいんだけど、真面目な話まですべてXとくっつけないで。って言うか、私は私であるんだから...」

「私は将来何をするんだろう。そればっかり最近考えてるよ。大学行って何を勉強して何になるんでしょうか。Zみたいに目標が決まってるというのは大変羨ましい。そりゃ前途は長いだろうけどさ、道はあるんだから、それを進むべく努力をすればいいでしょ。私は一体全体なにをするつもりなのかしら。私は将来外国に行ける仕事がいいな。それもスチュワーデスとか添乗員とか人に仕えるんじゃなくて、もっと自分が豊かになるような取材とかしたい。みんなは外交官になれと言うけれど、まあなれるなれないは別として、そうだね、すごくいいけど、疲れそう。私は何を求めているんだろう。今、なんのために勉強しているの?」

高校三年生(注:学校が進学校で授業をしっかりやっていれば入試対策になるようになっていたので、私は予備校にはほとんどまったく行かなかったのですが、直前の冬休みだけ講習に通ったようです(よく覚えていない)。河合とは河合塾のこと。結局、うすっぺらな知識のまま大学に入ってしまいました)

「河合はなかなか刺激的です。私はやっぱりもう一年勉強したほうがいいんじゃないだろうか。浪人した方が身のためじゃないだろうかという気になったりする。だって、世界史にしろ現国にしろ、私なんかその場限りの答案作ること目的にしてやってる感じだけど、どの科目もものすごく奥が深いし、私には全然ものごとがわかっていない。もし運よく大学受かったとしても、そんなうすっぺらの知識じゃ大学行ってもイミがないんじゃないだろうか。浪人したりとか高校三年間ホンモノを見つめて勉強してきた人たちとは器が違うんじゃないだろうか。そういう気になってくる。やっぱり受験勉強じゃなくて、受験勉強で得た知識をもとに自分の頭で何かを考えたり感じたりできなきゃイミがないと思うし。私は人に解説してもらったこととかはへーえなるほどと感心するけど、自分で考えること、まだできない。こんなじゃ受かんないだろうし、受かったとしてもホントじゃない。そう思う。」

「そんなに新人類新人類と非難めいた眼をして異様なものを見るように言わなくてもいいと思いませんか?新人類は努力が嫌いだ、新人類は感性でものごとを判断する、新人類は個人主義だ、新人類は無責任だ、etc.etc.etc. そうでしょうか。我々は社会がいろいろひずみを負ってる中で、人間の生き方とかものの価値観とか友情とか恋愛とか社会問題とかに、ぶつかっては悩み、悩んでは努力してはいないでしょうか。たしかに国家意識はうすい。けど大人の人たちだって、なにも日本のことを考えて社会のことを考えて毎日働いて飲んでる訳じゃないでしょう。世代間のギャップ、そんなに大きいでしょうか。いつの時代にだって大人は若者をその野方図さと自由と無責任がゆえに非難しながらも、若さに対するかすかなあこがれをもっていたのではないでしょうか。何でもかんでも新人類。流行やファッションが変わるのはあたりまえです。」

大学時代のものは、人にお見せするようなものではないので、省略しますが、こうして見ると、自分がどうやって今の人間になったかということが、わかるようなわからないようなで、深く考えこんでしまいます。それにしても、手紙もそうですが、幼稚園の頃から毎晩鉛筆やペンを握って自分のやったことや考えたこと感じたことをせっせと書き綴っていたというその事実こそが、今の自分ともっとも直結しているようでありながら、そのことは私はすっかり忘れていました。

ちなみに、日記の他にも、1981年から1986年にかけて読んだ本の記録というのもあって、これもなかなか面白いやら恥ずかしいやら。それ以降は、読む本が多すぎていちいち書き留めることもなくなってしまったのですが、ずっと記録をとっていたら、なかなか面白かったのではないかとも思います。

2011年1月2日日曜日

自分をよくしてくれる結婚がよい結婚 & Young@Heart

あけましておめでとうございます。ハワイは日本より19時間遅れて2011年に入りました。大晦日の夜は眺めのいい丘の上のテラスのある家に住んでいる友達のところで花火を見、元旦は友達(『ドット・コム・ラヴァーズ』に出てくる「ジェイソン」のボーイフレンドで、彼は「ローカル」の日系人です)が毎年作ってくれるお雑煮を食べながらのパーティをし、その後でたまったカロリーを少しでも消費するためジョギングに行きました。お正月に青空のもとをジョギングできる気候は実にありがたいものです。

さて、昨日から今日にかけて、ニューヨーク・タイムズの「もっともeメールされている記事」の一位になっているのがこの記事。以前にも何度も投稿しているように、ニューヨーク・タイムズには、この手の、恋愛や結婚についての記事がかなり頻繁に掲載されるのですが、今回のタイトルは、The Happy Marriage Is the "Me" Marriage、訳せば「幸せな結婚とは『私のための』結婚」といったところでしょうか。単に長続きする結婚というのではなく、お互いに満たされた幸せな結婚、いうなれば「精神的に持続可能な結婚」というのは、要は、ふたりのそれぞれが、相手から得るものが多く、その結婚によって自分の世界が広がり自分がよりよい人間になっていると感じられる結婚である、というのが主旨。結婚生活をうまく続けていくには、自分の要求は抑えて家庭のニーズや相手の都合を優先させるのが重要、と考える人が多いけれども、ここで紹介されている研究によると、実際に満たされた結婚生活を長期間続ける人というのは、相手やその相手との関係によって、自分が新しいことに出会ったり、視野が広がったり、自分の目標達成に近づいたり、自分がよりよい人間になったりしていると感じられる人、だということ。要は、相手が自分のことをきちんと理解して自分をさらに高めてくれ、さらには、自分も相手にとってそういう存在であると感じられる関係が、「持続可能な関係」だということです。自分の結婚がどのくらい「持続可能」であるかを自己評価するためのクイズまでついています。

当たり前のようでいて、なかなか考えさせられます。日本に出発に向けて家を片づけている最中に、友達にもらった手紙が詰まった箱が何箱も出てきたのですが、そんなことをしている場合ではないと思いつつもつい開けて手紙を読んでしまう。今では通信はメールばかりになってしまいましたが、便せんに手書きの手紙をせっせと書いて郵便で送っていた時代もあったのだ(そして、私の大学院時代は、勉強が苦しくもあり孤独でもあり娯楽が乏しかったこともあって、実にたくさん手紙を書いていました)ということだけでも感慨深いのですが、いろいろな友達の手紙の内容がこれまた濃厚で新鮮。なにも考えずちゃらちゃらしたバブル期に成人してしまったことに悔いも多いのですが、これらの手紙を読むと、私たちは私たちなりに(というか、私自身はともかく、少なくとも私に手紙をくれた友達は)一生懸命ひたむきに仕事や勉強や恋愛に取り組んでいたんだなあということがわかって、なんだか妙に感心。そして、大学院時代のボーイフレンドにもらった手紙を入れた特別の箱というのがあり、私は引っ越しや掃除をするたびにその箱を開けては手紙を読み返し、おいおいと涙してしまうのですが、今回もそれをやってしまいました(引っ越し前にそんなことをしている場合ではまったくないのですが...)。苦しい時期を共に過ごして、苦労も喜びも共有し、また、若いときらしく、自分の良いところも悪いところもさらけ出し合ったつき合いだったからこそ、絆が強くもあり、深く傷つけ合うこともあった関係だったのだということを、20年近くたってあらためて認識します。あの頃の自分の恋愛は、お互いの良いところを引き出して高め合う関係でもあったけれど、それと同時に、お互いの一番醜い部分を引き出してしまう関係でもあったと思います。その後自分が経験した恋愛のなかには、なぜだかわからないけれど自分の嫌な部分ばかり出てしまうような関係もあったので(年齢と経験を重ねるにつれ、さすがにそういう関係には早めに終止符を打つことを学びました)、それと比べればいい関係だったと思いますが、お互いを高め合う関係を継続的に培っていくのには、やはり大きな努力が必要。そういう努力が続けられるふたりが、満足度の高い実りある関係を維持できるのでしょう。

さて、関係ないですが、私が2011年に最初に観た映画(といっても、映画自体は2007年のものでDVDで観たのですが)は、Young@Heart。これは日本でもDVDが手に入るので、是非とも観ていただきたい。マサチューセッツのノースハンプトンという大学街周辺で活動を続ける高齢者コーラスを追ったドキュメンタリーなのですが、高齢者コーラスだからといって、教会の聖歌隊(に同時に入っているメンバーもいますが)や、日本の典型的なママさんコーラスのようなものを想像してはいけません。平均年齢80歳のこのグループが歌うのは、なんと、ジミー・ヘンドリックスや、ボブ・ディラン、ジェイムス・ブラウン、ソニック・ユースなどのロック・ミュージックばかり。音楽監督を務めるのは、いかにもノースハンプトンに住んでいそうな現代のヒッピー風のお兄さん(年齢的にはおじさんですが)で、歌詞を覚えられなかったりリズムをつかめないおじいさんおばあさんには容赦なく厳しい言葉をビシバシと投げかける。身体的に無理なことはもちろんさせないと同時に、舞台上でのパフォーマンスに恥じないレベルの曲作りを要求し続ける。おじいさんおばあさんたちも、訳の分からない大音量の曲に最初は戸惑いながらも、練習を続けているうちに曲の本質を見事にとらえて、身体ごとグルーヴィーな歌声をあげる。なにしろ80代のメンバーが多いグループなので、長年仲間に愛されてきたメンバーが活動の途中で入院したり亡くなったりすることももちろんあるのですが、そうした仲間に哀悼の気持ちを捧げながらリハーサルや演奏を続ける彼らの声や表情には、深みはあるけれども感傷はなく、コンサートもけっしてセンチなお涙ちょうだい的なものではない。なにしろパンク・ロックをおじいさんおばあさんがやるのですから、目が点になるやら思わず大笑いしてしまうやらなのですが、それと同時に、このおじいさんおばあさんたちの声を通してあらためて歌詞を聞いてみると、これまで抱いていた曲のイメージとはまるで違った意味合いに気づかされて、はっとする。音楽的に、こうしたロックの曲のほうが意外にも老人が歌うには向いていることが多い、ということにも気づきますが、それ意外にも、人生の表も裏も経験してきたであろう高齢者たちが、社会や人生や恋人や友に向かって、きれいごとでないまっすぐなメッセージを投げかけるには、「普通の」高齢者が慣れ親しんでいるような音楽よりも敢えてロックだという、音楽監督の選択に、思わず脱帽。地元の音楽ホールでのコンサートの他にも、刑務所での慰問コンサートやヨーロッパ・ツアーにまで出かけてしまうおじいさんおばあさんのエネルギーに、笑いと涙と勇気をもらえますので、是非観てみてください。

2010年12月30日木曜日

Black Swan & The King's Speech

ハワイ時間ではまだ30日ですが、日本ではすでに大晦日ですね。アメリカの大晦日と元旦は、日本とは似ても似つかない雰囲気で、大晦日の夜中は花火で大騒ぎ、元旦は休日という以外にはなんということもない普通の日です。ハワイでは、海辺の公園で打ち上げられる大型花火の他に、一般の人たちが庭や道路で花火や爆竹をするので、夜はたいへんな騒ぎで、窓を閉めていても煙が入ってくるくらいで、とてもゆっくり眠れたものではありません。これはこれで、ひとつの風物詩です。

さて、私は2009年から2010にかけて一年間、実にひさしぶりの日本生活を経験しましたが、2011年を迎えてから数日後に日本に帰り、再び半年強にわたり日本で暮らします。今回はサバティカルなので授業などの義務がなく、自分の研究に専念できるのと、前回の町田市小山田桜台での暮らしとは打って変わって千代田区民になるのとで、前回とはずいぶん違った生活になりそうです。今は、出発に向けて再び家の掃除(アメリカではサバティカル中の研究者が別の街で半年や一年間暮らすというのはよくあることなので、サバティカルの人が家財道具や日用品などはそのままで家を貸したり交換したりというのは一般的で、そうした情報交換のためのSabbaticalHomes.comというウェブサイトまであります。今回は私もこのサイトを使って我が家を借りてくれる人を見つけました)や荷作りをしているところですが、日本に行く前に観ておこうと思っていた映画を昨日と今日たて続けに観てきました。

去年と今年、日本とアメリカを比較して気づいたことのひとつは、映画というものが文化において占める位置が日米ではずいぶん違うということ。私は日本に住んだ一年間で、知人友人と映画の話題になったことがほとんどありません。もちろん、積極的に映画が好きだという人とは、一緒に観に行ったり映画の話をしたりしますし、なにしろ日本にはオタク文化があるので映画通を誇る人たちは底知れない知識をもっているのはわかっていますが、そうでない、「普通の人」同士が映画の話題で盛り上がるという場面に、私はほとんど遭遇しませんでした。サラリーマンは仕事が忙しく、主婦は子育て忙しくて、映画に行くような時間がないのだ、という説明もありますが、そういう忙しい人たちでも本当に自分がやりたいことについては無理にでも時間を作ってやるわけですから、それで説明しきれるとはちょっと思えない。日本は映画館で普通料金を払って映画を観るには1800円もする(アメリカでは地域によって値段は違いますが、ハワイでは普通料金は10ドル強、マチねなら8ドル強です)、というのも一要素としてあると思いますが、もっとずっと高い娯楽にお金を出す人たちはたくさんいるので、それもあまり説明になっていない。やはり、映画を観に行くということがそれほど一般的でないのだと思います。私がブログでときどき映画の話題について書くので、私のことを「映画が好きな人」だと思っている人が結構いるようですが、私はもちろん映画は嫌いではないものの、話題になっているもののうちで自分が興味のあるものを観に行ったりDVDで観たりするくらいで、アメリカの文脈では「映画好き」の部類にはまるで入らず、私の社交サークルのなかでは、私の映画についての知識は平均以下だと思います。こちらでは、日常会話において映画の話題になることはよくあるし、現在上映中の映画については、内容やら監督やら俳優やらについて、その映画を観ていない人でもよく知っています。DVDやインターネットで映画が簡単に観られるようになって、映画館に行く人が減っているのはアメリカも同じですが、それでもやはり、アメリカのほうが映画というものが一般の人たちの日常生活に溶け込んでいるような気がします。

で、今回観たのは、Darren Aronofsky監督のBlack Swanと、Tom Hooper監督のThe King's Speech。Black Swanは昨日のマチネで観たのですが、水曜の昼間に観るにはまったく不適切な映画でした(笑)。でもそのいっぽうで、この映画を夜に観ていたら、眠れなくなっていたと思うので、昼間に観たのは正解だったかも知れません。レビューを読んでから観たので驚きはしなかったものの、想像していたよりもどぎつい映画でした。バレエの「白鳥の湖」を舞台にした物語、には違いないのですが、その響きとは裏腹に、たいへんダークな心理スリラーです。なかなか面白かったけれど、私は思わず手で目を覆ってしまう場面もいくつかあり。心理描写として監督の目指していることはわかるけれども、あそこまでやる必要もないんじゃないかという気もしました。でも、ナタリー・ポートマンの演技はなかなか素晴らしいです。今さっとネットで検索したかぎりでは、この映画の日本公開についての情報は見当たりませんでしたが、もうちょっと時間がたってから公開されるかもしれません。

そして、先ほど、The King's Speechを観てきました。こちらは2月末から日本でも公開されるようです。これは素晴らしかったので、おすすめです。物語の主人公は、エリザベス女王の父親、英国王ジョージ6世。家族に「バーティ」の名で呼ばれていた彼は、幼少の頃から吃音に悩み、公共の場やラジオ放送で演説をしなければいけないときは、世界に恥をさらす経験を繰り返していた。その彼が、王として国を象徴し国民に語りかけなければいけない立場に立ち、しかもその後間もなく、イギリスはナチス・ドイツと開戦となる。そのジョージ6世が言語障害を克服する導き手となったスピーチ・セラピストと王の関係を追った物語です。ジョージ6世を演じるのはコーリン・ファース、スピーチ・セラピストを演じるのはジェフリー・ラッシュで、なんとも迫力と味のあるコンビネーションになっています。吃音や発話ということについても深く考えさせられますが、そうしたことを超えて、人それぞれが抱えているもの、背負っているものについて、たとえひとりでも、耳を傾けて理解し共感してくれる人物がその人の人生に存在するということが、どれだけ大事なことか、ということについて、静かに教えてくれる映画です。雅子さまにもこの「ライオネル」のような人物が存在すればいいのになあ、などと思ってしまいます。

2010年12月24日金曜日

22丁目のサンタ・クロース

アメリカでクリスマス・シーズンを過ごすようになって20年ほどになります。『ドット・コム・ラヴァーズ』でも書いたように、アメリカでのクリスマス・シーズンというのは実に複雑な感情を引き起こすもので、クリスチャンでもなければクリスマスを一緒に過ごす家族がいるわけでもない私も、年によっていろいろ違った気分になります。自分には直接関係なくても、恵みの心が溢れる周りの雰囲気に心温まる気分になることもあれば、普段は多様性を声高に唱えている人たちも急に一転してクリスマス文化に染まってしまうことに納得のいかない思いを感じることもあれば、「我が家はクリスチャンじゃないからクリスマスはしない」と言ってクリスマス文化から距離を置く人たちがちゃんと存在することに安心感を覚えることもあります。去年、ひさしぶりに日本でクリスマス・シーズンを過ごしたときには、宗教や文化とみごとになんのつながりもない徹底した商業主義のクリスマス(アメリカのクリスマスも商業主義に踊らされていると批判する人たちがたくさんいますし、実際多くの商店ではこのシーズンが年内最大の売り上げ期なので、商業主義の要素が強いことには違いありませんが、少なくともアメリカでは、人口の多数がクリスチャンであり、クリスマスは家族と過ごし人々にプレゼントをするという文化や伝統があるのがやはり日本とは大きく違います)に、一種の解放感を覚えると同時に、なんだかしらけた気分になったものです。今年は、ハワイで親しくしている友達の多くが、アメリカ本土や国外の家族のところに出かけてしまっていないのですが、クリスマス当日は数人の友達と集まる予定です。ハワイにいると、クリスマスも半袖で過ごすので、なんとも不思議な気分ですが。

さて、今日のニューヨーク・タイムズに掲載されているクリスマス関連のビデオに、なんだか心打たれてしまいましたのでご紹介します。マンハッタンの西22丁目、チェルシーという、ゲイの人たちが多く住んでいるお洒落なエリアのあるアパートに住むふたりのもとに、あるときから「サンタ・クロースへ」という宛名の手紙がたくさん届くようになりました。普通のアパートの7号室という、なんの変哲もない住所に、なぜサンタ宛の手紙が届くようになったのか、受け取ったふたりはさっぱりわからず、なにかのいたずらか、あるいは自分たちの住所がどこかのチャリティ団体の住所と似ていて間違われているのか、なにかの間違いでどこかの学校で先生が子供たちにこの住所を教えたのか、などといろいろ考えてみたもののやはり理由はわからないまま。ここで、多くの人だったら、気味悪がって、郵便局や警察(?)に相談するとか、なぜ自分のところに手紙が届くのかを突き止めようとする(手紙の差出人に連絡をとって、なぜこの住所に手紙を送ったのか問い合わせればいいわけですから、そんなに難しいはずはない)とかするでしょうが、そうでないのがこの話のよいところ。ついには何百通にもなった手紙に、受け取ったふたりはすべて目を通し、手書きで書かれた子供たちの真摯なお願いに心打たれます。親が困窮していて今年はプレゼントを買えないので、妹のためにプレゼントを送ってほしい、といった類のメッセージから、ごく普通のお願いまでいろいろですが、受け取ったふたりは、これらの手紙を自分の家に積んだままでクリスマスを迎えるのは気がすまない、かといって何百人もの人たちのお願いを自分たちがかなえるわけにはいかない、それと同時に、数人だけを選んでお願いをかなえるのも理不尽な気がする...そこでふたりは、自分たちの手元にある手紙を同僚や友人知人のところにもっていき、各人にひとつのお願いをかなえてもらう、つまり、差出人の住所にその人がほしいと思っているプレゼントを送ってもらう、ということを思いつきます。サンタになってくれる人をFacebookを通じて募集もします。年末の忙しい時期に、何百人もの見も知らぬ人から訳もわからず送られてきたサンタへのお願いをなんとかかなえてあげようと、せっせとサンタを探すこのふたりもすごいですが、「いいよ」と言って快く引き受ける友人知人が何百人もいるのもすごい。このあたりに、アメリカの人たちのおおらかさ、懐の深さ、そしてよい意味でのクリスマス精神を見る気がします。このビデオからは、このふたりのあいだの愛情も伝わってきて、なんだか不思議な感動がありますので、見てみてください。

2010年12月23日木曜日

When the Levees Broke

DVDで、スパイク・リー監督の四話にわたるドキュメンタリー映画、When the Levees Brokeを観ました。タイトルを直訳すれば「堤防が崩れたとき」。2005年夏にルイジアナ州ニューオーリーンズ周辺を襲ったハリケーン・カトリナ(『現代アメリカのキーワード 』に項目があります)についてのドキュメンタリーなのですが、これはすごい。カトリーナの災害は、ハリケーンそのものによる自然災害もさることながら、人種を軸に地域内に極端な社会格差を生んできた南部都市の歴史的背景、連邦政府を筆頭にする各種公的機関の対応のひどさといった、社会によって作られた人的災害という側面が大きかったことは指摘されてきましたが、このドキュメンタリーはそれを実に説得力をもって示しています。当時のニュースに使われた映像や写真を織り交ぜながら、ハリケーンの被害者となった数多くの市民たち、救出隊員、ニューオーリーンズ市長、ルイジアナ州知事、土木工学のエンジニア、ジャーナリスト、歴史家など、たくさんの人たちのインタビューを集め、ナレーションもなく淡々とした作りでありながら、強烈なメッセージが伝わってきます。ハリケーン地帯であるこのエリアでは、堤防がじゅうぶんな強度をもっていないこともわかっていたにもかかわらず、補強がされないままだったこと。いかなる威力をもってハリケーン迫っているかも警告されていたにもかかわらず、多くの人々が避難できない状態で残されたこと。実際にハリケーンが襲い数多くの死者や負傷者が出て、また何万人もの人が住居を失った後でも、連邦緊急事態管理庁(FEMA)をはじめとする連邦機関は何日間も対応をしなかったこと。そして、ハリケーン後数カ月たっても人々が生活を再開できるための手助けが届いていない(この映画が公開されたのは2006年)ということ。その背景に、人種と階層が否定しがたく結びついているということ。そうしたことが、多様な人々の姿と話から伝わってくるのですが、それと同時に、ジャズやマルディグラに代表される黒人文化やクレオール文化がニューオーリーンズ特有の歴史文化を形づくってきて、人々がその街に誇りをもってしがみついてでもそこで暮らし続けようとしていること、大切に築いてきた街が跡形もなく戦場のようになってしまった後でも自分たちの文化と暮らしを再開しようとするそのエネルギーに、圧倒されます。出てくる人たちの実に多様な姿を見るだけでも、アメリカについてたくさんのことを学ぶことができます。日本では、インポート版のDVDしか手に入らないようですが、見る価値はおおいにあるので、ぜひどうぞ。