2010年12月24日金曜日

22丁目のサンタ・クロース

アメリカでクリスマス・シーズンを過ごすようになって20年ほどになります。『ドット・コム・ラヴァーズ』でも書いたように、アメリカでのクリスマス・シーズンというのは実に複雑な感情を引き起こすもので、クリスチャンでもなければクリスマスを一緒に過ごす家族がいるわけでもない私も、年によっていろいろ違った気分になります。自分には直接関係なくても、恵みの心が溢れる周りの雰囲気に心温まる気分になることもあれば、普段は多様性を声高に唱えている人たちも急に一転してクリスマス文化に染まってしまうことに納得のいかない思いを感じることもあれば、「我が家はクリスチャンじゃないからクリスマスはしない」と言ってクリスマス文化から距離を置く人たちがちゃんと存在することに安心感を覚えることもあります。去年、ひさしぶりに日本でクリスマス・シーズンを過ごしたときには、宗教や文化とみごとになんのつながりもない徹底した商業主義のクリスマス(アメリカのクリスマスも商業主義に踊らされていると批判する人たちがたくさんいますし、実際多くの商店ではこのシーズンが年内最大の売り上げ期なので、商業主義の要素が強いことには違いありませんが、少なくともアメリカでは、人口の多数がクリスチャンであり、クリスマスは家族と過ごし人々にプレゼントをするという文化や伝統があるのがやはり日本とは大きく違います)に、一種の解放感を覚えると同時に、なんだかしらけた気分になったものです。今年は、ハワイで親しくしている友達の多くが、アメリカ本土や国外の家族のところに出かけてしまっていないのですが、クリスマス当日は数人の友達と集まる予定です。ハワイにいると、クリスマスも半袖で過ごすので、なんとも不思議な気分ですが。

さて、今日のニューヨーク・タイムズに掲載されているクリスマス関連のビデオに、なんだか心打たれてしまいましたのでご紹介します。マンハッタンの西22丁目、チェルシーという、ゲイの人たちが多く住んでいるお洒落なエリアのあるアパートに住むふたりのもとに、あるときから「サンタ・クロースへ」という宛名の手紙がたくさん届くようになりました。普通のアパートの7号室という、なんの変哲もない住所に、なぜサンタ宛の手紙が届くようになったのか、受け取ったふたりはさっぱりわからず、なにかのいたずらか、あるいは自分たちの住所がどこかのチャリティ団体の住所と似ていて間違われているのか、なにかの間違いでどこかの学校で先生が子供たちにこの住所を教えたのか、などといろいろ考えてみたもののやはり理由はわからないまま。ここで、多くの人だったら、気味悪がって、郵便局や警察(?)に相談するとか、なぜ自分のところに手紙が届くのかを突き止めようとする(手紙の差出人に連絡をとって、なぜこの住所に手紙を送ったのか問い合わせればいいわけですから、そんなに難しいはずはない)とかするでしょうが、そうでないのがこの話のよいところ。ついには何百通にもなった手紙に、受け取ったふたりはすべて目を通し、手書きで書かれた子供たちの真摯なお願いに心打たれます。親が困窮していて今年はプレゼントを買えないので、妹のためにプレゼントを送ってほしい、といった類のメッセージから、ごく普通のお願いまでいろいろですが、受け取ったふたりは、これらの手紙を自分の家に積んだままでクリスマスを迎えるのは気がすまない、かといって何百人もの人たちのお願いを自分たちがかなえるわけにはいかない、それと同時に、数人だけを選んでお願いをかなえるのも理不尽な気がする...そこでふたりは、自分たちの手元にある手紙を同僚や友人知人のところにもっていき、各人にひとつのお願いをかなえてもらう、つまり、差出人の住所にその人がほしいと思っているプレゼントを送ってもらう、ということを思いつきます。サンタになってくれる人をFacebookを通じて募集もします。年末の忙しい時期に、何百人もの見も知らぬ人から訳もわからず送られてきたサンタへのお願いをなんとかかなえてあげようと、せっせとサンタを探すこのふたりもすごいですが、「いいよ」と言って快く引き受ける友人知人が何百人もいるのもすごい。このあたりに、アメリカの人たちのおおらかさ、懐の深さ、そしてよい意味でのクリスマス精神を見る気がします。このビデオからは、このふたりのあいだの愛情も伝わってきて、なんだか不思議な感動がありますので、見てみてください。