さて、私は2009年から2010にかけて一年間、実にひさしぶりの日本生活を経験しましたが、2011年を迎えてから数日後に日本に帰り、再び半年強にわたり日本で暮らします。今回はサバティカルなので授業などの義務がなく、自分の研究に専念できるのと、前回の町田市小山田桜台での暮らしとは打って変わって千代田区民になるのとで、前回とはずいぶん違った生活になりそうです。今は、出発に向けて再び家の掃除(アメリカではサバティカル中の研究者が別の街で半年や一年間暮らすというのはよくあることなので、サバティカルの人が家財道具や日用品などはそのままで家を貸したり交換したりというのは一般的で、そうした情報交換のためのSabbaticalHomes.comというウェブサイトまであります。今回は私もこのサイトを使って我が家を借りてくれる人を見つけました)や荷作りをしているところですが、日本に行く前に観ておこうと思っていた映画を昨日と今日たて続けに観てきました。
去年と今年、日本とアメリカを比較して気づいたことのひとつは、映画というものが文化において占める位置が日米ではずいぶん違うということ。私は日本に住んだ一年間で、知人友人と映画の話題になったことがほとんどありません。もちろん、積極的に映画が好きだという人とは、一緒に観に行ったり映画の話をしたりしますし、なにしろ日本にはオタク文化があるので映画通を誇る人たちは底知れない知識をもっているのはわかっていますが、そうでない、「普通の人」同士が映画の話題で盛り上がるという場面に、私はほとんど遭遇しませんでした。サラリーマンは仕事が忙しく、主婦は子育て忙しくて、映画に行くような時間がないのだ、という説明もありますが、そういう忙しい人たちでも本当に自分がやりたいことについては無理にでも時間を作ってやるわけですから、それで説明しきれるとはちょっと思えない。日本は映画館で普通料金を払って映画を観るには1800円もする(アメリカでは地域によって値段は違いますが、ハワイでは普通料金は10ドル強、マチねなら8ドル強です)、というのも一要素としてあると思いますが、もっとずっと高い娯楽にお金を出す人たちはたくさんいるので、それもあまり説明になっていない。やはり、映画を観に行くということがそれほど一般的でないのだと思います。私がブログでときどき映画の話題について書くので、私のことを「映画が好きな人」だと思っている人が結構いるようですが、私はもちろん映画は嫌いではないものの、話題になっているもののうちで自分が興味のあるものを観に行ったりDVDで観たりするくらいで、アメリカの文脈では「映画好き」の部類にはまるで入らず、私の社交サークルのなかでは、私の映画についての知識は平均以下だと思います。こちらでは、日常会話において映画の話題になることはよくあるし、現在上映中の映画については、内容やら監督やら俳優やらについて、その映画を観ていない人でもよく知っています。DVDやインターネットで映画が簡単に観られるようになって、映画館に行く人が減っているのはアメリカも同じですが、それでもやはり、アメリカのほうが映画というものが一般の人たちの日常生活に溶け込んでいるような気がします。
で、今回観たのは、Darren Aronofsky監督のBlack Swanと、Tom Hooper監督のThe King's Speech。Black Swanは昨日のマチネで観たのですが、水曜の昼間に観るにはまったく不適切な映画でした(笑)。でもそのいっぽうで、この映画を夜に観ていたら、眠れなくなっていたと思うので、昼間に観たのは正解だったかも知れません。レビューを読んでから観たので驚きはしなかったものの、想像していたよりもどぎつい映画でした。バレエの「白鳥の湖」を舞台にした物語、には違いないのですが、その響きとは裏腹に、たいへんダークな心理スリラーです。なかなか面白かったけれど、私は思わず手で目を覆ってしまう場面もいくつかあり。心理描写として監督の目指していることはわかるけれども、あそこまでやる必要もないんじゃないかという気もしました。でも、ナタリー・ポートマンの演技はなかなか素晴らしいです。今さっとネットで検索したかぎりでは、この映画の日本公開についての情報は見当たりませんでしたが、もうちょっと時間がたってから公開されるかもしれません。
そして、先ほど、The King's Speechを観てきました。こちらは2月末から日本でも公開されるようです。これは素晴らしかったので、おすすめです。物語の主人公は、エリザベス女王の父親、英国王ジョージ6世。家族に「バーティ」の名で呼ばれていた彼は、幼少の頃から吃音に悩み、公共の場やラジオ放送で演説をしなければいけないときは、世界に恥をさらす経験を繰り返していた。その彼が、王として国を象徴し国民に語りかけなければいけない立場に立ち、しかもその後間もなく、イギリスはナチス・ドイツと開戦となる。そのジョージ6世が言語障害を克服する導き手となったスピーチ・セラピストと王の関係を追った物語です。ジョージ6世を演じるのはコーリン・ファース、スピーチ・セラピストを演じるのはジェフリー・ラッシュで、なんとも迫力と味のあるコンビネーションになっています。吃音や発話ということについても深く考えさせられますが、そうしたことを超えて、人それぞれが抱えているもの、背負っているものについて、たとえひとりでも、耳を傾けて理解し共感してくれる人物がその人の人生に存在するということが、どれだけ大事なことか、ということについて、静かに教えてくれる映画です。雅子さまにもこの「ライオネル」のような人物が存在すればいいのになあ、などと思ってしまいます。