私の友人で素晴らしいマリンバ奏者である名倉誠人さんのことは以前にこのブログでも紹介したことがありますが、その名倉さんが、Kickstarterというプラットフォームを使って、新しいCD作成のための資金集めをしています。
名倉さんは、目を見張るような技術と深く豊かな音楽性に満ちた演奏家であるだけでなく、現代作曲家への作品委嘱を通して、マリンバという楽器のための新しい音楽の幅を広げることにキャリアを注いでいる、ビジョンと独創性に富んだ芸術家です。また、アフリカや南米、北米というルートを辿って発達してきたマリンバという楽器のさまざまな可能性を、作曲家とともに探ってきた音楽家でもあります。名倉さんのコンサートでは、演奏される作品のほとんどあるいは全曲が、名倉さんのために作曲された曲の世界初演、ということも多く、聴衆にとってはそんな贅沢なことはありません。私は初めて名倉さんの演奏をニューヨークで聴いたとき、木や森を思わせる有機的な響きに心も身体も揺さぶられる思いをしましたが、とくにここ数年間は、名倉さんはこの「木と森」というテーマに真正面から取り組み、このテーマにかかわる作品を作曲家に委嘱しています。
世界各地で演奏を重ねてきたこれらの作品を集めたアルバムを、京都で録音しているのですが、このアルバムの制作・販売にかかる費用を集めるために、今回初めて使っているというのがこのKickstarter。私もこのたび初めて知りましたが、さまざまな芸術その他のプロジェクトが大小の資金を一般の人々から集めるためにできているネット上のプラットフォーム。なるほど現代ならではで、面白い方法だと思います。企画者が設定して期限までに目標額に到達した時点で、寄付を表明した人たちのクレジットカードから指定の額が引き落とされるけれども、もしも目標額に満たなければ、寄付者は負担ゼロ。つまり、オールorナッシングというわけです。(1万ドルを必要とする企画に、5千ドルしか集まらなかった場合、半額でその企画を実行するのは無理があるし、寄付者にとってもそんな中途半端な企画を支援するのは納得がいかない、という論理。)どんなに小額でも、寄付することによって、このプロジェクトの実現に自分がかかわっている、という気持ちになれ、企画者を継続的に支援する気持ちも生まれる。せっかく自分が寄付するのだから、ぜひ実現してほしいと、周りの人たちにもせっせと宣伝する。というわけで、企画者にも寄付者にもやる気をかき立てる仕組みになっているわけです。なかなかウマい。
というわけで、私も小額ながら寄付しました。名倉さんのCDには、不満を抱くことは絶対にないと断言いたしますので、少しでも興味のあるかたは、どんな額でもいいので寄付してみてください。サイトは英語のみですが、クレジットカードの情報を入れるだけです(アマゾンとつながっています)のでそんなに難しいことはありません。
ハワイ大学アメリカ研究学部教授、吉原真里のブログです。『ドット・コム・ラヴァーズーーネットで出会うアメリカの女と男』(中公新書、2008年)刊行を機に、アメリカのインターネット文化や恋愛・結婚・人間関係、また、大学での仕事、ハワイでの生活、そしてアメリカ文化・社会一般についての話題を掲載することを目的に始めました。諸般の事情により、2014年春から2年半ほど投稿を中止していましたが、ドナルド•トランプ氏の大統領選当選の衝撃で長い冬眠より覚め、ブログを再開することにしました。
2012年10月8日月曜日
2012年10月3日水曜日
ウォール・ストリートの文化解剖
ひさしぶりに、読んでいて本当にゾクゾクし、疲れていてもつい次々とページをめくってしまうような研究書を読みました。数年前に出版されて読もう読もうと思いつつ積ん読になっていて、読む機会を作るために大学院の授業の課題に入れたのがこの本、Karen HoによるLiquidated: An Ethnography of Wall Street
。副題から明らかなように、文化人類学者がウォール・ストリートの文化や価値観を描写・分析したものです。その副題を見るだけで、私なぞは「ひょえ〜!すご〜い!」と思ってしまうのですが、実際に読んでみると、これがほんとにすごい。
スタンフォード大学を卒業し、プリンストン大学で人類学の博士課程に在籍していた著者は、企業の株価の上昇がしばしば企業の大幅な解雇と重なることに素朴な疑問をもち、また、現代のアメリカそして世界経済のもっとも中核的な位置づけにあると考えられている投資銀行の世界で働く人々の価値観や生活に興味をもち、大学院を休学して大手の投資銀行に自ら職を得る。そこでウォール・ストリートの仕事の内容はもちろん、投資銀行という職場の物理的環境や人間関係、そこで働く人々の日常生活や人生目標などを、鋭く冷静に観察する。もちろん、ウォール・ストリートで働く他のエリート銀行員と同様に、とてつもない長時間労働をして、自分に与えられた仕事をこなす。しかしまもなく、彼女の部署が解体となり、彼女自身も解雇の目に遭う。しかしそれも、ウォール・ストリートの世界ではごくごく日常的なこと。解雇された後は本格的なフィールドワークとして数多くのウォール・ストリートのエリートたちをインタビューし、解雇されてはまた次の職につき、臨機応変にさまざまな職を転々としながら自分の銀行員としての価値を上げていく人たちのメンタリティを著者は分析する。ウォール・ストリートのエリート投資銀行が、ごくごく特定少数の名門大学のみから新入社員をリクルートし、そうやって選ばれた若者がウォール・ストリートの文化や発想や行動様式を身につけエリート意識を育み、ウォール・ストリートの世界では至上かつ自明とされていながらもその外の人間からみればきわめて特殊な価値観にのっとって、企業の買収などの大型ディールに取り組み、これまた外の人間から見れば驚異的な報酬を手に入れる。投資銀行という職場の空間的設定(職種のヒエラルキーと職場のフロアが一致していて、使うエレベーターも別になっているとか、クライアントとのミーティングは外の豪勢なレストランやホテルなどで行われるので、銀行員のオフィスは驚くほど質素だとか)から、銀行員の食生活、服装、通勤様式など、その世界にいる人にとってはごく当たり前で特別な意味を見いださないようなことでも、実際は非常に多くのことを物語っている、というような要素を、著者は見事な鮮明さで描き出す。
そうしたエスノグラフィーも読んでいてワクワクするけれども、さらに著者は、shareholder valueを上げることを至上の使命とする現代の金融のありかたは、アメリカの経済史においてもごく最近の現象で、株主の利益と経営者や従業員の利益が一致しない企業のありかたは、20世紀アメリカにおいてもきわめて特殊な状況であるという歴史的文脈を、私のように経済音痴な読者にもわかりやすく説明してくれます。そして、ハイリスク・ハイリターンの原理のもと、短期の収益を上げることで株主にとっての利益をひたすら追求するウォール・ストリートの論理が、ウォール・ストリート以外の経済全体を支配するようになることがもたらす危機を、オソロしいまでの説得力をもって示しています。そういう大きな流れについては、もちろん多くの経済学者や業界内の人々がすでにたくさん示してきているのでしょうが、そうした流れを、銀行家たちの日常のディテールからエスノグラフィックに浮かび上がらせ、金融の世界の根底にある価値観や「マーケット」という概念は、けっして抽象的・客観的なものではなく、銀行員たちがさまざまな行為を通じて作り上げている産物なのだ、ということを描いているところがすごい。
研究としてすごいな〜と感心すると同時に、読んでいてその内容にイヤ〜な気持ちになることも確か。私はバブル末期に大学を卒業したので、大学時代の友達の多くも金融業界に就職し、アメリカの投資銀行で仕事をしている友達も、実際にウォール・ストリートで働いている人たちもいます。そうした人たちの一部と話しているときに、なにか根本的に私と思考パターンが違うと感じながらも、なにがどう違うのかよくわからない、ということがあったのですが、この本を読んで、そのあたりがすごくよくわかるようになった、というメリットも。とにかくすごい本ですので、おすすめです。今晩のオバマ大統領とロムニー候補との討論を聞くにあたって、この本で学んだことも参考になるような気がします。
スタンフォード大学を卒業し、プリンストン大学で人類学の博士課程に在籍していた著者は、企業の株価の上昇がしばしば企業の大幅な解雇と重なることに素朴な疑問をもち、また、現代のアメリカそして世界経済のもっとも中核的な位置づけにあると考えられている投資銀行の世界で働く人々の価値観や生活に興味をもち、大学院を休学して大手の投資銀行に自ら職を得る。そこでウォール・ストリートの仕事の内容はもちろん、投資銀行という職場の物理的環境や人間関係、そこで働く人々の日常生活や人生目標などを、鋭く冷静に観察する。もちろん、ウォール・ストリートで働く他のエリート銀行員と同様に、とてつもない長時間労働をして、自分に与えられた仕事をこなす。しかしまもなく、彼女の部署が解体となり、彼女自身も解雇の目に遭う。しかしそれも、ウォール・ストリートの世界ではごくごく日常的なこと。解雇された後は本格的なフィールドワークとして数多くのウォール・ストリートのエリートたちをインタビューし、解雇されてはまた次の職につき、臨機応変にさまざまな職を転々としながら自分の銀行員としての価値を上げていく人たちのメンタリティを著者は分析する。ウォール・ストリートのエリート投資銀行が、ごくごく特定少数の名門大学のみから新入社員をリクルートし、そうやって選ばれた若者がウォール・ストリートの文化や発想や行動様式を身につけエリート意識を育み、ウォール・ストリートの世界では至上かつ自明とされていながらもその外の人間からみればきわめて特殊な価値観にのっとって、企業の買収などの大型ディールに取り組み、これまた外の人間から見れば驚異的な報酬を手に入れる。投資銀行という職場の空間的設定(職種のヒエラルキーと職場のフロアが一致していて、使うエレベーターも別になっているとか、クライアントとのミーティングは外の豪勢なレストランやホテルなどで行われるので、銀行員のオフィスは驚くほど質素だとか)から、銀行員の食生活、服装、通勤様式など、その世界にいる人にとってはごく当たり前で特別な意味を見いださないようなことでも、実際は非常に多くのことを物語っている、というような要素を、著者は見事な鮮明さで描き出す。
そうしたエスノグラフィーも読んでいてワクワクするけれども、さらに著者は、shareholder valueを上げることを至上の使命とする現代の金融のありかたは、アメリカの経済史においてもごく最近の現象で、株主の利益と経営者や従業員の利益が一致しない企業のありかたは、20世紀アメリカにおいてもきわめて特殊な状況であるという歴史的文脈を、私のように経済音痴な読者にもわかりやすく説明してくれます。そして、ハイリスク・ハイリターンの原理のもと、短期の収益を上げることで株主にとっての利益をひたすら追求するウォール・ストリートの論理が、ウォール・ストリート以外の経済全体を支配するようになることがもたらす危機を、オソロしいまでの説得力をもって示しています。そういう大きな流れについては、もちろん多くの経済学者や業界内の人々がすでにたくさん示してきているのでしょうが、そうした流れを、銀行家たちの日常のディテールからエスノグラフィックに浮かび上がらせ、金融の世界の根底にある価値観や「マーケット」という概念は、けっして抽象的・客観的なものではなく、銀行員たちがさまざまな行為を通じて作り上げている産物なのだ、ということを描いているところがすごい。
研究としてすごいな〜と感心すると同時に、読んでいてその内容にイヤ〜な気持ちになることも確か。私はバブル末期に大学を卒業したので、大学時代の友達の多くも金融業界に就職し、アメリカの投資銀行で仕事をしている友達も、実際にウォール・ストリートで働いている人たちもいます。そうした人たちの一部と話しているときに、なにか根本的に私と思考パターンが違うと感じながらも、なにがどう違うのかよくわからない、ということがあったのですが、この本を読んで、そのあたりがすごくよくわかるようになった、というメリットも。とにかくすごい本ですので、おすすめです。今晩のオバマ大統領とロムニー候補との討論を聞くにあたって、この本で学んだことも参考になるような気がします。
2012年9月30日日曜日
クライバーン・コンクールの50年
今年は、ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールが創設されてからちょうど五十周年です。クライバーン財団は、それを記念するコンサート・シリーズ(アマチュア・コンクールの入賞者たちを集めたコンサートも少し前に開催されました)などさまざまなイベントを企画・運営していますが、そのなかでも目玉のひとつである、ドキュメンタリー映画、『The Cliburn: 50 Years of Gold』が先日アメリカの公共テレビ局PBSで放映されました。そして、こちらのサイトで無料で映画まるごと見られるようにもなりました。
クライバーン・コンクールでは、四年に一度のコンクールのたびに、そのコンクールを追ったドキュメンタリー映画を制作していて、それぞれ面白いのですが、それらの映画では各コンクールについての映画という性質上、物語のは「誰が優勝するか」ということに焦点が当たりがち。それに対して、今回の映画は、1958年にクライバーンがチャイコフスキー・コンクールで優勝したことの歴史的意義、そして彼の功績を記念して設立されたクライバーン・コンクールをイベントとして育て上げたフォート・ワースの地域コミュニティのありかた、そしてコンクールに出場したり入賞したりすることで若いピアニストたちが演奏家としてのキャリアに巣だっていったか、ということのほうに重点が置かれていて、私が『ヴァンクライバーン 国際ピアノコンクール』
で伝えようとしたこととよく重なっています。もちろん、2009年のコンクールの様子もあちこちに出てくる(28:45あたりで、辻井さんの後ろに立っている私の姿もちょびっと見えます)し、クライバーン・コンクールの顔となったホゼ・フェガーリ(この夏のPianoTexasで私がマスタークラスを受けた人です)やジョン・ナカマツ、オルガ・カーンなどのインタビューも沢山あって、楽しめます。そして、クライバーン氏自身が1958年のことを振り返るシーンなどもとてもよい。いろんなことを考えさせられる映画です。
前にもこのブログで言及したとおり、クライバーン氏は末期がんと診断され、現在は自宅でホスピスケアを受けているとのこと。来年のコンクールでは姿が見られないかもしれませんが、このドキュメンタリーが彼の存命中に放送されてよかった。
クライバーン・コンクールでは、四年に一度のコンクールのたびに、そのコンクールを追ったドキュメンタリー映画を制作していて、それぞれ面白いのですが、それらの映画では各コンクールについての映画という性質上、物語のは「誰が優勝するか」ということに焦点が当たりがち。それに対して、今回の映画は、1958年にクライバーンがチャイコフスキー・コンクールで優勝したことの歴史的意義、そして彼の功績を記念して設立されたクライバーン・コンクールをイベントとして育て上げたフォート・ワースの地域コミュニティのありかた、そしてコンクールに出場したり入賞したりすることで若いピアニストたちが演奏家としてのキャリアに巣だっていったか、ということのほうに重点が置かれていて、私が『ヴァンクライバーン 国際ピアノコンクール』
前にもこのブログで言及したとおり、クライバーン氏は末期がんと診断され、現在は自宅でホスピスケアを受けているとのこと。来年のコンクールでは姿が見られないかもしれませんが、このドキュメンタリーが彼の存命中に放送されてよかった。
2012年9月6日木曜日
リンカーン・チェイフィー
民主党全国大会もいよいよ終盤、まもなくオバマ大統領自身の演説があります。昨日のクリントン元大統領の良識あるスピーチもたいへんよく、「元大統領たるもの、こうでなくっちゃあ」と思わせてくれるものでしたが、ミッシェル・オバマやクリントン、そしてエリザベス・ウォーレンの華々しいスピーチが注目を浴びるなかで、日本では話題になっているとはまず思えないながらも私がよいと思うものをひとつここで紹介しておきます。
私が大学院時代に6年間を過ごしたロードアイランド州の現知事、リンカーン・チェイフィー氏。彼は長年共和党員として政治活動を続けていましたが、ブッシュ政権の経済政策や環境政策に納得できず共和党を離れ、現在では全国で唯一、無所属として州知事をつとめているという人です。彼のスピーチ、けっして派手ではないけれど、現在の共和党が彼が考えるところの「保守」の理念からどれほどかけ離れたものになってしまっているかを明確に語っていて、説得力があります。元ロードアイランド州の住民としても、このスピーチには拍手。是非ごらんください。文章はこちらで読めます。
ところで、先日ミッシェル・オバマのドレスが素敵と書きましたが、やはりこのドレスはあちこちで話題になっており、私は思わずデザイナーをチェックしてしまいました。Tracy Reeseというアフリカ系アメリカ人のデザイナーの作品で、このドレス自体はまだ商品化されていないものの、このデザイナーのドレスは大体400ドル前後とのこと。私のような人間には決して安くはないけれど、ファーストレディが党全国大会で着るドレスとしてはたいへんリーズナブルな値段ではないですか。それに対して、ロムニー夫人のドレスは1990ドルだったらしい。ふむむ。
私が大学院時代に6年間を過ごしたロードアイランド州の現知事、リンカーン・チェイフィー氏。彼は長年共和党員として政治活動を続けていましたが、ブッシュ政権の経済政策や環境政策に納得できず共和党を離れ、現在では全国で唯一、無所属として州知事をつとめているという人です。彼のスピーチ、けっして派手ではないけれど、現在の共和党が彼が考えるところの「保守」の理念からどれほどかけ離れたものになってしまっているかを明確に語っていて、説得力があります。元ロードアイランド州の住民としても、このスピーチには拍手。是非ごらんください。文章はこちらで読めます。
ところで、先日ミッシェル・オバマのドレスが素敵と書きましたが、やはりこのドレスはあちこちで話題になっており、私は思わずデザイナーをチェックしてしまいました。Tracy Reeseというアフリカ系アメリカ人のデザイナーの作品で、このドレス自体はまだ商品化されていないものの、このデザイナーのドレスは大体400ドル前後とのこと。私のような人間には決して安くはないけれど、ファーストレディが党全国大会で着るドレスとしてはたいへんリーズナブルな値段ではないですか。それに対して、ロムニー夫人のドレスは1990ドルだったらしい。ふむむ。
2012年9月4日火曜日
ミシェル・オバマ、民主党全国大会スピーチ
今日からノースカロライナ州シャーロットで民主党全国大会。先日の共和党全国大会では、クリント・イーストウッドの変てこりんなスピーチが話題をさらっていましたが(本当に変だった)、民主党にかんしては、2008年の大会のときの勢いに匹敵する盛り上がりを生み出せるかが課題。大会はまだこれから数日間続きますが、初日の今日、ミシェル・オバマがしたスピーチがたいへん素晴らしい。大統領夫人としてのミシェル・オバマの成果には賛否両論あり、弁護士としての経験を土台にもっと積極的に政治にかかわることもできるのに、あえて母親としての役割に徹していることを批判的にみる人たちもいます。そういう見方にも多少同意する部分はあるのですが、それはそうとして、今日のスピーチは是非とも見るまたは読むかしていただきたい。自分自身そしてオバマ大統領の生い立ちを、アメリカ人口全体のなかに位置づけ、歴史を振り返りながら、揺るがぬ希望と絶え間ない努力によって壁を乗り越えていく信念こそを「アメリカらしさ」ととらえ、自分たちの娘そして次世代すべてによりよい世の中を残すために、オバマ大統領そして我々がすべきことはなにかと語りかける。パーソナルな語り口でありながら、大きく重要な問題に正面から向き合うこのスピーチ、それこそ見ているほうに希望を与えてくれます。ちなみにドレスも素敵。(以下にペーストするビデオは、もしかするとアメリカの外では閲覧できないかもしれませんが、他のソースでもビデオはあるはず。現時点ではYouTubeではスピーチがまるごと入ったものはないようなので、あしからず。ただしスピーチの文章はここで読めます。)
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2012年8月28日火曜日
ヴァン・クライバーン氏、末期骨がん
ピアニストのヴァン・クライバーン氏が、末期の骨がんと診断された、とのニュースが昨日発表になりました。
演奏の舞台や公の場には姿を見せなくなってすでに数十年たっているクライバーン氏ですが、冷戦さなかの1958年にこのテキサスの青年が第一回チャイコフスキー・コンクールで優勝したときの騒ぎは、現代ではちょっと想像しがたいものでした。チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番の録音は驚異的なヒットとなり、クライバーン氏はピアノやクラシック音楽の世界を超えて世界的なスターとして、アメリカ文化史や文化外交の重要な一こまとなったのでした。その後のクライバーン氏のキャリアや、彼の功績を記念して設立されたヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールを初めとするクライバーン財団の活動については、拙著
を読んでいただければわかります。今でもフォート・ワースのコミュニティの人々には心から愛されている人物であることが、地元の人たちと話していると明らかです。去年のアマチュア・コンクールのときに、年齢は感じられたけれども、心身ともにとてもしっかりとしていて、温かい真心をもって接してくださったのが思い出されます。参加者全員が舞台上で賞状を受け取るときには、ひとりひとりと丁寧に言葉を交わして、力強く握手をしてくださいました。私はついでにお願いしてハグと頬にキスもしていただいたのが、素敵な思い出です。

クライバーン・コンクール発足以来50年、そして来年2013年はまたクライバーン・コンクールの年。そのコンクールの場でクライバーン氏本人の姿を見られるといいのですが。
演奏の舞台や公の場には姿を見せなくなってすでに数十年たっているクライバーン氏ですが、冷戦さなかの1958年にこのテキサスの青年が第一回チャイコフスキー・コンクールで優勝したときの騒ぎは、現代ではちょっと想像しがたいものでした。チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番の録音は驚異的なヒットとなり、クライバーン氏はピアノやクラシック音楽の世界を超えて世界的なスターとして、アメリカ文化史や文化外交の重要な一こまとなったのでした。その後のクライバーン氏のキャリアや、彼の功績を記念して設立されたヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールを初めとするクライバーン財団の活動については、拙著

クライバーン・コンクール発足以来50年、そして来年2013年はまたクライバーン・コンクールの年。そのコンクールの場でクライバーン氏本人の姿を見られるといいのですが。
2012年8月26日日曜日
ハワイのモルモン教 『A Chosen People, A Promised Land』
新学期が始まって一週間、授業の準備も原稿の締め切りもあるのだから、授業にも執筆にも直接関係のない本などを読んでいる場合ではないのですが、最近買った本数冊のなかでどうしてもすぐ読みたいものがあったので、今日の日曜日を読書に費やしました。その選択は正しかった!読み応えがあり、自分が疑問に思っていたことが解明され、表面上はまったく無関係の自分の研究ともいろいろな結びつきが発見され、とても勉強になった上に、頭だけでなく心にも響く、感動を与えてくれる本でした。
その本は、私の友人であるHokulani Aikauによる新刊ほやほや、A Chosen People, a Promised Land: Mormonism and Race in Hawai'i
。副題からも明らかなように、ハワイにおけるモルモン教を扱った研究です。ハワイに来たことのある人は、オアフ島北部にあるテーマパーク、ポリネシア文化センターが、モルモン教会によって運営されていて、センターでガイドをしたり踊りを披露したりしているのはその隣にあるブリガム・ヤング大学ハワイ校で学ぶモルモン教の学生たちであるということを知っている人も多いかもしれませんが、そのポリネシア文化センターやブリガム・ヤング大学ハワイ校のあるライエという町は、19世紀半ばから宣教師たちと先住ハワイ系の信者たちがモルモン教徒の共同生活の場として築いてきたコミュニティです。ハワイの外にも、先住ハワイ系や他のポリネシア系のモルモン教信者は数多くいて、この本の著者も、ユタ州のポリネシア系モルモン・コミュニティで育った人です。大学に進み、ハワイ植民地化の歴史やモルモン教会の人種力学などを学ぶにつれ、組織としてのモルモン教会からは離れるようになった彼女ですが、モルモン教徒としての生い立ちと、先住ハワイ系としてのアイデンティティのあいだの関係を理解しようとして取り組んだのが、この研究。彼女は現在はハワイ大学の政治学部で教えていますが、ミネソタ大学のアメリカ研究学部で博士号をとっているので、研究手法的には、私にとてもしっくりくるものです。
きわめて「アメリカ的」な宗教でありながらも、アメリカ社会においてはマージナルな位置づけにあるモルモン教会が、なぜハワイという土地でこれだけ定着しこれだけのハワイ系の人々を信者として獲得したのか。20世紀後半に至るまで、教会のポリシーとして黒人を排斥・差別してきたモルモン教会のなかで、ハワイ系の人々が「選ばれた民」と位置づけられ、ハワイのミッションではハワイ系の信者にもかなりのリーダーシップが与えられたのはなぜか。近代化の流れのなかで、ライエのコミュニティがより資本主義と観光の論理で動くようになるにつれ、教会はハワイ系の人々にとって決してよいものとはいえない方針をいくつもとるようになったにもかかわらず、ハワイ系の信者たちがそれを自主的に受け入れた(ようにみえる)のはなぜか。ポリネシア文化センターでの観光客向けに自分たちの「文化」を商品化することに、なぜ彼らは抵抗しない(ようにみえる)のか。1970年代から興隆したハワイ文化ルネッサンス運動のなかで、このような形での「文化保存」をハワイ系のモルモン教徒たちはどう考えているのか。といった問いに、歴史史料分析とエスノグラフィーを通して、ニュアンスをもって丁寧に答えている本です。
その分析の中心にあるのが、faithfulnessという概念。そしてその信仰は、教会という組織によって、人々を管理したり利用したり搾取したりする手段となる場合もある。しかし、信者たちは盲目に信仰しているのではなく、教会という組織内での人種関係や、観光という産業に内包される力学についてもじゅうぶん理解しながら、自ら選んだ信仰を通じて、自分の状況を理解する世界観を構築し、ときにはその信仰を通じて、自分たちのコミュニティやそして教会そのものをよりよいものにしようと、声を発し、行動を起こす。そうした主体性が、単なるfaithではなくfaithfulnessという単語にこめられています。
私は読みながら、このfaithfulnessという概念は、Musicians from a Different Shore
で私が言おうとしていることと結びつくなあ、などと考えていたのですが、そのコネクションを理解してくれる人はどれだけいるでしょうか?ともかく、ハワイ、人種、宗教、といったことを新たな視点から考えるには素晴らしい本です。また、ロムニー氏が大統領候補になっていることでモルモン教にもさらなる注目が集まることでしょうから、モルモン教のこういう側面も知るのも興味深いと思います。
その本は、私の友人であるHokulani Aikauによる新刊ほやほや、A Chosen People, a Promised Land: Mormonism and Race in Hawai'i
きわめて「アメリカ的」な宗教でありながらも、アメリカ社会においてはマージナルな位置づけにあるモルモン教会が、なぜハワイという土地でこれだけ定着しこれだけのハワイ系の人々を信者として獲得したのか。20世紀後半に至るまで、教会のポリシーとして黒人を排斥・差別してきたモルモン教会のなかで、ハワイ系の人々が「選ばれた民」と位置づけられ、ハワイのミッションではハワイ系の信者にもかなりのリーダーシップが与えられたのはなぜか。近代化の流れのなかで、ライエのコミュニティがより資本主義と観光の論理で動くようになるにつれ、教会はハワイ系の人々にとって決してよいものとはいえない方針をいくつもとるようになったにもかかわらず、ハワイ系の信者たちがそれを自主的に受け入れた(ようにみえる)のはなぜか。ポリネシア文化センターでの観光客向けに自分たちの「文化」を商品化することに、なぜ彼らは抵抗しない(ようにみえる)のか。1970年代から興隆したハワイ文化ルネッサンス運動のなかで、このような形での「文化保存」をハワイ系のモルモン教徒たちはどう考えているのか。といった問いに、歴史史料分析とエスノグラフィーを通して、ニュアンスをもって丁寧に答えている本です。
その分析の中心にあるのが、faithfulnessという概念。そしてその信仰は、教会という組織によって、人々を管理したり利用したり搾取したりする手段となる場合もある。しかし、信者たちは盲目に信仰しているのではなく、教会という組織内での人種関係や、観光という産業に内包される力学についてもじゅうぶん理解しながら、自ら選んだ信仰を通じて、自分の状況を理解する世界観を構築し、ときにはその信仰を通じて、自分たちのコミュニティやそして教会そのものをよりよいものにしようと、声を発し、行動を起こす。そうした主体性が、単なるfaithではなくfaithfulnessという単語にこめられています。
私は読みながら、このfaithfulnessという概念は、Musicians from a Different Shore
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