2012年7月20日金曜日

オザケンの語る原発・核兵器

オザケンこと小沢健二クン(赤の他人ではあるのですが、大学の後輩で一時期柴田元幸先生の小人数の授業に一緒に出ていたことがあるので、今でも頭のなかでつい「クン」と呼んでしまうのです)が、原発と核兵器の関係について第二次大戦以後の歴史をふまえて書いた文章を、フェースブックで何人かの人がシェアしているので読みました。もとは去年書かれたもので、知る人はもう前から知っていていたのでしょうが、議論の輪を広げるためにこのたび(「ネット公開によせて」の文章をみると、今日公開されたもののよう)ネット公開となり、てきめんに拡散されているようです。大学のときから、頭脳明晰でかつ謙虚な、とても感じのいい青年でしたが、この文章も、情報も論理も語り口も、とても納得がいくものです。また、内容もそうですが、ネット上でこうした形で公開して議論の輪を広げるという選択にも賛成なので、拡散に貢献させていただくため、ここにリンクしておきます。(このリンクのページの下の「ダウンロード」の部分をクリックすると文章が読めます。)


アメリカにおけるエネルギーとしての原子力と核兵器としての原子力の関係については、私の友達でも研究している人がいて、もう少ししたら論文あるいは本の形になると思うので、完成しだいここでも紹介させていただきます。

2012年7月19日木曜日

ケベックいろいろ

5日間ケベックを旅行して、昨夜トロントに戻ってきました。カナダでゆっくり時間を過ごすのは今回が初めてなので、トロントでもいろいろ発見があって面白いのですが、フランス系の歴史をもつケベックはやはりトロントとは全然違って、たいへん興味深い5日間でした。宿はモントリオールでしたが、毎日モントリオールから車で1~2時間の距離のところで開催されている音楽祭でピアノリサイタルを聴きに通っていたため、都会のモントリオールとは別のケベックの様子も垣間みることができました。モントリオールは、古い伝統と新しい文化、フランス系とイギリス系と世界の他の地域からの移民とイロコイ先住民などの歴史が混じった都会で、英語でもまあやっていけるのですが、一歩モントリオールを出ると、フランス語しか通じないという人たちがたくさん。当たり前といえば当たり前なのですが、そういう基本的なことも、やはり実際にその土地に行ってみてこそ実感が湧くものです。ケベックのナショナリズムというものを、ちゃんと勉強してみようと思いました。ついでに、大学のときに結構せっせと勉強したにもかかわらず、きれいさっぱり忘れてしまったフランス語を、またやってみようかとも思いました。


で、今回行ったのは、Le Festival de Lanaudiereと、Festival Orfordというふたつの音楽祭。Le Festival Lanaudiereのほうは、Jolietteというきれいな名前の町にある屋外シアターを中心に、近郊の小さな町(「町」らしきものも見えないほど家がまばらなエリアもありましたが)の教会などで、約一ヶ月のあいだほぼ毎日コンサートがあります。私たちは、その屋外シアター(マサチューセッツにあるタングルウッドをひとまわりこじんまりさせたような雰囲気のところ)で行われた、ケベック出身のピアニストAlain Lefèvreによる、カナダ人作曲家François Dompierreの新作24 Préludesの世界初演を聴きました。ケベックのピアニストによる世界初演ということもあり、今年のこの音楽祭のなかで一番チケットの売り上げがよいコンサートだったらしく、聴衆にはたいへんな熱気で迎えられていました。それから、同じ音楽祭の一環で、それぞれ別の小さな町の教会で行われた、Beneditto Lupo(1989年のクライバーン・コンクールで3位入賞したイタリア人ピアニスト)のリサイタルと、最近日本でも演奏しているロシア人のAlexander Melnikovのリサイタルに行きました。演奏もそれぞれ素晴らしかったけれど、周りになにもないような小さな町の教会を、音楽に対する感性の高い聴衆でいっぱいにする音楽祭の運営に脱帽。それから、モントリオールから南東に2時間近く行ったMt Orfordという山間部(冬はスキーリゾートらしい。近くには聖ベネディクト派教会の修道院もあり、見学ついでにそこで作っているワインやチョコレートも買ってきました)にある芸術センターで開催されている、Festival Orfordでは、まだ20歳という若手イタリア人ピアニスト(前述のBeneditto Lupoに師事していたそうですが、今はドイツのハノーヴァー音楽院在籍中)Beatrice Ranaのリサイタルを聴きました。彼女の解釈はちょっと変わっている部分も多いのだけれど、20歳とは思えない成熟した独自の声をもっていて驚愕。ちなみにこのFestival Orfordは、コンサートだけでなく若手音楽家のための夏期プログラムでもあり、他の楽器の学生による演奏も少し聴くことができました。


私にとってはバケーションでしたが、同行人(正確には私のほうが「同行人」ですが)にとっては仕事の出張。で、その仕事関係のランチやディナーに私もくっついて行った(日本ではそういうことはまずないでしょうが、こちらではそうした仕事上の社交の場に配偶者や「デート」が参加するのは普通)おかげで、ケベックの人たちに会ってお話することができました。考えてみたら、私はケベックの人というのにこれまで会ったことがなかった(と思う)ので、彼らの言語感覚(今回私がお話したのは、みなフランス系のケベック人ですが、仕事の関係上、英仏バイリンガルな人たちばかり)もそうですが、いろいろなお話が面白かったです。音楽祭の芸術監督をしている男性は、「ケベックの人間としては、オンタリオを含むカナダの他の地域に行くよりも、バッファロやボストンやニューヨークなんかのアメリカの東海岸の都市に行くほうが居心地がよい」と言っていました。もちろんケベックの人たちみながそう感じるわけではないでしょうが、カナダという国のなかでのケベックの位置づけ、他の地域のカナダ人がケベックをどう捉えているか(とケベックの人たちが感じているか)を、ちょっと垣間みさせてくれるコメントではあります。ピアノの技術者をしている男性のガールフレンドで、建築現場の監督をしているという人にも会いました。その人は、スタイル抜群のセクシーな美人で、雰囲気としては彼女自身がピアノ関係の仕事かしらんと思うような女性なのですが、きいてみると彼女はピアノにはまったく関係がなく、子供の頃からおてんばで外で動き回ったり手足を使って物事をするのが好きだったので、この仕事につくようになったそうです。さすがに女性の建築現場監督というのは珍しく、ケベック全体でも女性で彼女と同じ立場にいるのは他にひとりしかいないそうですが、毎日何十人もの男性に指示を出しながら、現場をとりしきっているらしい。カッコいい。そして、音楽祭の運営者や、ピアノの調律師といった人たちと何人もお話をしましたが、そういう人たちがどういう経緯でその仕事をするようになって、その仕事のどういう側面を楽しいと思うのか、その仕事においてはどんな苦労があるのか、そうした話を聞くのが私にはとっても面白い。


モントリオールでは、考古学・歴史博物館と、モントリオールやカナダの歴史を専門にするMcCord Museumに行って、モントリオールの歴史をちょっと勉強しましたが、アメリカの隣国であり、歴史的にもさまざまな接点があるにもかかわらず、カナダのことを自分がいかになにも知らないかということを、しみじみ認識。勉強しなくっちゃ〜。



2012年7月3日火曜日

PianoTexas 2012

テキサスで12日間過ごした後、昨日トロントにやってきました。テキサスにいるあいだにその興奮を伝えたかったのですが、滞在場所のインターネット環境が悪く、まとまった文章を書ける状況ではなかったので、投稿は断念していました。


クライバーン・コンクールのあるフォート・ワースのテキサス・クリスチャン大学で開催される、PianoTexas International Academy & Festivalというイベントに参加していたのですが、夏のテキサスの気温(なにしろ40度になることもある猛暑)にもかかわらず、天国に来たかと思うような素晴らしい日々でした。ウェブサイトを見ていただければわかりますが、PianoTexasとは1981年にクライバーン・コンクールと提携した形で創設されて以来毎年開催されているピアノフェスティバル。もとは若手ピアニストのためのプログラムだったのですが、1990年代からは大学や個人スタジオで教えるピアノ教師のためのプログラムと、私のようなアマチュアのためのプログラムが加えられました。さすがクライバーン・コンクールが開催される街の大学だけあって、テキサス・クリスチャン大学のピアノ科はたいへん充実していて、錚々たる教授陣がそろっているのですが、大学の教授に加えて、世界各地からゲスト・アーティストが招待され、演奏に加えマスタークラスや個人レッスンをしてくださる。今年は、伝説ともいえるPaul Badura-SkodaやLeon Fleisher、そして海老彰子さんがゲストアーティストでした。こうした人たちのマスタークラスを見ていると、「マスター」という単語の意味がしみじみと感じられます。真に深く幅広い知識をもち、あらゆる試行錯誤を経てさまざまな技術を身に付け、つねにより優れたものを志すと同時に、作曲家や作品への底知れぬ畏敬の念を抱き続け、芸術を次世代に伝えようと惜しみなく指導にあたる彼らは、顔つきから人間性がにじみ出ているのです。芸術家は往々にして独りよがりの暴君であるといったイメージがありますが、真に優れた芸術家は、謙虚でもありジェネラスでもあるのだ、と改めて感じさせられました。


プロの演奏家を目指す若手のピアニストたちがこうしたベテランの指導を集中的に受けるようなイベントは世界各地に存在しますが、アマチュアにもこれだけ充実したプログラムを提供してくれるところは他にないだろうと思います。素晴らしいピアニストたちに指導を受けられるだけでなく、普通だったらアマチュアが触る機会がないような立派な楽器(スポンサーとなっているメーカーが楽器を提供してくれるので、スタインウェイの他に、ベーゼンドルファー、ベクシュタイン、ヤマハ、カワイなどの超一流の演奏用ピアノを弾かせてもらえます)をちゃんとしたホールで弾かせてもらえるというのもすごい。私は、1989年のクライバーン・コンクールの優勝者であるJose Feghaliにマスタークラスでシューベルトの即興曲作品142第3番を指導していただいたほか(あー緊張した)、John OwingとGloria Linに個人レッスン、そしてさらに追加でPianoTexasの運営者であるTamas Ungarにレッスンをしていただきました。今回取り組んだのは、スクリアビンの左手のための前奏曲と夜想曲作品9、およびラフマニノフの楽興の時作品16の第1番と6番。ここ1年くらい練習してきて、5月のリサイタルでも演奏した曲なのですが、うーむ、まーだまだ肝心なことができていないことを実感。


ソロの他に、今年初めての試みとして、室内楽のセッションもあり、アメリカ各地から参加している若手の弦楽奏者たちと一緒に室内楽のリハーサル、マスタークラスを経てコンサートで演奏する、というオプションも設けられました。私は室内楽をほとんどやったことがないので、是非この機会にと思って、前から一度弾いてみたいと思っていたシューマンのピアノ四重奏作品47の第3楽章をやりました。いくらなんでも一度も弦楽器を合わせたことのないままテキサスに行くのもなんだと思って、ホノルル出発前に、ハワイ・シンフォニー・オーケストラの団員(ヴァイオリンはコンサートマスター、ヴィオラは首席、チェロは数年前に亡くなったホノルルで伝説的に素晴らしいピアノ指導者の娘でベテランのチェリストだったので、私なぞにはもったいないような顔ぶれ)の友達に頼んで合わせてもらったのですが、これがあまりにも刺激的で目ならぬ耳からウロコが落ちるような経験でした。今回は、初めて顔を合わせる人と一緒に、きわめて限られた準備時間で演奏にもっていかなければいけないというチャレンジがありましたが、それはそれで大変面白く、ソロとはまったく違う種類の音感の使い方を学び、おおいに勉強になると同時に楽しい経験をしました。室内楽の他に、歌曲の伴奏のセッションもあり、今回のPianoTexasはシューベルトがテーマだったので、若手の歌手たちによるシューベルト歌曲をたくさん堪能することができました。私は正直言って、シューベルトはあんまり好きではないなあと思っていたのですが、歌曲と室内楽をじっくり聴いてからピアノ曲を聴いたり弾いたりすると、今までどうもよくわからなかったことがずいぶんと合点がいくようになり、シューベルトも悪くないなあと思うようになりました(と、いかにも素人的なコメント)。


というふうに、自分自身のピアノの理解やスキル向上にはとてもよいプログラムなのですが、なんといっても一番素晴らしいのが、こうした場で育まれる仲間との絆。アマチュアプログラムに参加する人たちのレベルには結構幅があり、プロの演奏家にもまったくひけをとらないレベルの人もいれば、私のような純粋なアマチュアレベルの人もいるし、技術的には初級の上から中級の下といった人もいる。ベートーベンのピアノコンチェルトを堂々と弾く人もいれば、楽譜と鍵盤を必死に見ながらショパンのマズルカを弾く人もいる。けれど、スキルのレベルとは無関係に、なにしろピアノが好きで、どうしてもこの曲を自分なりに弾けるようになりたい、という気持ちはみな共通。その演奏から、それぞれの人生が垣間みられる。そして、コンクールと違って、演奏に誰かが優劣をつけられるわけではないので、参加者全員がよりリラックスしてお互いの音楽に心を開き、ちょっとくらいミスがあろうがなんだろうが、その人が伝えようとしていることをみんな熱心に受け止める。人のタイプも実に多様で、大きな身体をした、いかにもビールを飲みながらフットボールを見ていそうな男性が、緊張しながら一生懸命にドビュッシーのアラベスクを弾いたり、アメリカ人のステレオタイプを絵に描いたようなおおらかな男性が繊細なブラームスの間奏曲を弾いたり、これまた大きな身体をした年配の男性ふたりが椅子を並べてシューベルトのファンタジーの連弾をしたりしているのを見ると、「ああ、音楽というのはこういうものだった」と胸が熱くなります。なにしろあらゆる意味で素晴らしいプログラムですので、アマチュアピアノ愛好家のかたは、ぜひ来年以降の参加をご検討ください。


というわけで、興奮と刺激と感動に満ちた11日間が終わってしまって淋しいことこの上ないのですが、心機一転、これから8月上旬までトロントに滞在し、夏のあいだに仕上げなければいけない仕事を片付けます。

2012年6月18日月曜日

アロハ国際ピアノフェスティバル ただ今開催中

ホノルルに戻ってきてからとてつもない時差ぼけに悩まされていて、やっと夜に眠れるようになったと思ったら、明日の夜にはテキサスに向けて出発します。ハワイでの10日間にやらなければいけないことがたくさんあり、私の留守中にマンションを借りてくれる人のために部屋を掃除もしなければいけないのに、まるで準備ができておらず、本当に明日出発できるのだろうかと不安が膨らみます。


忙しい理由のひとつは、ただ今ホノルルで開催中の、アロハ国際ピアノフェスティバルというイベントの一部の企画運営のお手伝いをしていたからです。このフェスティバルは、ハワイ育ちで日米のそれぞれで演奏活動をしているピアニスト、リサ・ナカミチさんが運営しているもので、今年が7年目。子供から大学レベルまでのピアノを学ぶ生徒たちのためのコンクールや、マスタークラス、ゲストアーティストによるコンサートなど、盛りだくさんな一週間のイベントなのですが、私は去年のテキサスでのアマチュアコンクールの経験から、このフェスティバルにも大人のアマチュア部門を作ったらいいのではと思いつき、リサさんと知り合った際に提案してみたところ、自分が企画運営をすることに(本業の大学の仕事でもそうですが、なにかいいことを思いついた場合には、それを自分で遂行する意思がなければ提案すべきではないのです:))。とはいえ、今年は計画を始めた時期が遅すぎて、大勢の参加者を集めての本格的なイベントはできないのがわかっていたので、とりあえずはトライアルとして、数人の参加者による一日だけのプログラムを開催しました。エネルギッシュでもあり繊細でもあり独創的でもある演奏をするSara Buechnerによるマスタークラスに加え、コンクールの入賞者によるコンサートでもアマチュア参加者が演奏。ふだん定期的なレッスンを受けたり、人前で演奏したりする機会や時間はないけれども、ピアノを愛する気持ちは誰にも負けない、という大人たちに、こうした場を提供するのはとても意味のあることだし、実際に参加者もとても喜んでくれて、提案した甲斐がありました。なにより、こういう場でピアノを通じて生まれる新しい人間関係が素晴らしいのであります。今回のアマチュアプログラムは昨日でおしまいですが、フェスティバル自体はこれから1週間続きますので、ホノルル在住のかたはぜひコンサートやマスタークラスをのぞきに行ってみてください。来年からは、アマチュアのコンクールも含む(とはいっても、クライバーンのアマチュアコンクールのよなものとは違った趣向にするつもり)もっと大きなイベントを企画するつもりですので、ピアノ愛好家のかたは、ハワイでのバケーションを兼ねて是非ご参加ください。詳しいことが決まり次第またこのブログでも宣伝いたします。


ちなみに、このフェスティバルのコンクールの高校生部門では、カリフォルニアのJessie Wangさんと、去年このブログで紹介したミネソタでのPiano-e-competitionで4位に入賞した尾崎未空さんが優勝しました。未空さんとはパーティなどでもおしゃべりしましたが、まだ高校2年生なのにひとりでハワイにやってきて、積極的にゲストアーティストや他の参加者と交流している姿は、おおいに頼もしく、こうやってどんどん世界に出ていろいろな刺激を受けていけば、骨太のいい演奏家に成長していくことと思います。こういう若い人たちに触れられるのも、こうしたイベントに関わる喜びのひとつ。




と、企画運営の喜びをちらりと味わったところで、今度は自分が参加者としての楽しみを満喫するため、テキサスに出かけてきます。これについては、むこうに着いてからまたご報告します。

2012年6月4日月曜日

ヨルム・ソン ピアノ・リサイタル6/26(火)

兵庫の親戚を訪ねてから、週末は名古屋で学会に出て、東京に戻ってきました。私は日本ではほとんど学会に出席しないのですが、行くたびに、アメリカと発表のスタイルにあまりに違いがあるので面食らうことしきり。アメリカだって、ぼそぼそだらだら話す発表者ももちろんいるのですが、日本で私が困惑するのが、「レジュメ」と「パワポ」。なぜにああやたらめったらと文字を詰め込んだものを配布したり画面表示したりするのか。あんなものを配られたら、聴衆はどうしたって皆じーっと下を向いて文字を追わずにはいられないし、そうすると肝心の発表を聴くことに集中できない。でも、集中して聴いてみても、レジュメに書かれていることを補足したり明確にしたりするようなことは言われていないことが多い。だったら口答発表などせずに、論文なりなんなりの形で発表すれば済むことなのでは?それに、初めから与えられた時間が決まっているのに、なぜその時間内におさまる発表を準備せずに、いつまでもだらだらと要旨不明のことを話し続けるのか?聴衆になにかを伝えるという意思があまりにも欠如していて、私などはイライラを通り越して憤慨してしまうことも。など、人の発表に文句ばかりつけておいて、自分の発表はどうだったかと言われると、別にたいしたことはしていないのですが、少なくとも時間内にはおさまるようにまとめ、聴衆の顔を見て語りかけるようには心がけました!


まるで関係ないですが、昨日は新国立劇場で、平野啓一郎翻訳・宮本亜門演出の演劇『サロメ』を観てきました。サロメというと、妖艶で官能的な悪女、といったイメージが先行しますが、この演出では、多部未華子が演じるサロメは若くて清純無垢なヒロインとなっています。舞台セットも真っ白。なんとも新鮮で斬新な解釈となっていて、なかなか面白かったです。今回の日本滞在では、飲み会その他の予定が詰まり過ぎていて、コンサートや劇などを観に行く時間がなく、これが唯一の観劇でしたが、やはり行ってよかった。


さて、今朝の日経新聞に広告が載っていたのですが、ピアニストのヨルム・ソンの来日公演が今月末にあります。『ヴァンクライバーン 国際ピアノコンクール』で詳しく紹介した通り、彼女は2009年のクライバーン・コンクールで迫力と表現力に満ちた演奏をし、辻井伸行さんとハオチェン・チャンに次いで2位を獲得。去年のチャイコフスキー・コンクールでも2位に入賞。とにかくものすごく幅のある音楽性とスタミナの持ち主で、末永く聴衆に語りかける芸術家としてキャリアを築いていくことと思います。私は今週ハワイに戻ってしまうので残念ながら行けませんが(私が今月後半に参加するテキサスでのピアノ・フェスティバルでも彼女は演奏するのですが、私が参加する時期と重ならず残念)、都合のつくかたは是非とも聴きに行ってみてください。今日の時点でまだチケットが残っているそうです。これを聴かないのはもったいない!

2012年5月29日火曜日

解けた『バイエルの謎』

日本に到着してから二週間、見事なまでに毎日予定が詰まり、慌ただしいことこの上ない日々を送っています。仕事関係のミーティングをしたり、二十五年ぶりの高校の同窓会でおおいに盛り上がったり(なんと三次会がお開きになったのは午前三時半。ホントに四十代か?という元気ぶり)、その高校時代に「英語の神様」として畏怖され敬愛されていた名物先生のお宅を訪ねたり、防災訓練をしたり、スカイツリーに人混みを見物に行ったり、と盛りだくさんで刺激たっぷりです。連夜飲み会が続くので、せっかくここ九ヶ月のブートキャンプ通いで減った体重の半分近くが、九日間で戻ってしまった!トホホ。


さてさて、仕事のミーティングの際に、編集者のかたに「こんなのありますよ」と見せていただいて、私があまりにも物欲しげにするのでそのまま頂いて帰ってきてしまった(同じ話がニューヨークでもあった...私の物欲しげな表情は効果的みたい)、できたてホヤホヤの新刊が、『バイエルの謎: 日本文化になったピアノ教則本』これは、タイトルを見ただけで、「あ!」と叫んでしまうくらい、私にとっては「この本を誰かに書いてもらいたかった」的な本。


日本でピアノを少しでもかじった人ならまず誰でも知っている「バイエル」という名。たいていの人はピアノはバイエルから始めた、というくらい一般化しているバイエルの入門ピアノ教則本。私自身も、バイエルをやりました。で、私は、バイエルというのは、ドイツの大御所で、ハノンやチェルニーと同じくらい、ピアノにおいては世界で一般的なものなのだとてっきり思っていたのですが、アメリカではBeyerという名は薬の名前ならともかくピアノに関係する名前としては聞いたことがないし、去年のコンクールのときに、ドイツで何十年もピアノの世界に浸っている人物に聞いてみても、そんな名前は聞いたことがない、というのでびっくり。いったいどういうことなんだ、と不思議に思っていたのですが、この本を読むと、バイエルの「謎」は、単に「日本でやたらと有名で、日本の外ではやたらと無名なバイエルとは、いったい何者か」ということにとどまらず、次々に「?」が出てくることがわかります。


たとえば、バイエルのピアノ教則本は、いきなり連弾で始まり、しかも一番と二番はいきなり変奏曲。でも変奏曲はこの二曲だけ。曲の番号のつけかたも不規則で、番号がついていない曲もある。そして、きわめて多作な編曲家であったらしいバイエルの作品のなかで、編曲でなくオリジナルに作曲された作品はこの教則本だけ。版も多種多様な版が乱立。日本では、単なる「バイエル・ピアノ教則本」だけでなく、「子どものバイエル」「いろおんぷばいえる」「バイエルであそぼう」「バイエルによる女声合唱曲集」などなど、あらゆるバリエーションがひとつの「バイエル文化」を形成するまでになっている。いったいバイエルとは何者で、どのようにして教則本が作られ、どのようにしてそれが日本にもたらされ、ここまでの普及に至ったのか?という謎を解こうと、著者の安田寛氏が何年にもわたり、ドイツやらアメリカやらに調査旅行を重ね、一歩一歩バイエルに近づいていく。その過程でじわじわと解明されていくさまざまな「謎」の中身ももちろんたいへん興味深い(たとえば、番号のついている曲とついていない曲の関係や、日本で絶対音感教育普及のなかでバイエルの「静かにした手」が「和音を押さえる手」に読み替えられた経緯、そして本の終盤で明らかにされる、教則本が連弾の変奏曲で始まっていることの意味や、百六という番号付きの曲数の意味などは、読んでいて、「おー!」と思わず拍手したくなります)けれど、それと同じくらい、その謎を解明していくプロセスの物語が面白い。研究者の勘を頼りに資料を調べ、調べても調べてもさっぱりわからないことに出くわし、また、飛行機に乗ってはるばる調査に出かけて行ったにもかかわらず期待していた情報が見つからないこともある。勝手もわからず言葉もじゅうぶんに通じない外国の街で、十九世紀やそれ以前の資料を文書館や教会で探し出そうとするその苦労たるや、なんだかインディアナ・ジョーンズあるいはシャーロック・ホームズみたいで、途中、「安田さん、頑張ってください!」と応援したくなる。バイエル自体にとくに興味がなくても、単なる読み物として楽しめる語り口になっています。学者というのはこんな苦労をして歴史や文化の意味を探るのかと、一般読者がわかってくれるだけでも、意義があるというもの。せっかくこういう本の構成になっているので、ネタバレにならないよう、本の最後で明かされるバイエルの謎についてはここでは書きませんが、読み終わると、それまでは単なる子供が音と鍵盤の関係を覚えるための機械的な練習曲だと思っていた「バイエル」が、十九世紀のヨーロッパ文化を表すまさに「音楽」として頭のなかで響いてくるところがスゴい。


『バイエルの謎』というこのタイトル、シンプルにして非常に的確。本当に謎が解け、すっきりしますので、ぜひ読んでみてください。(本をくださったKさん、ありがとうございました!)ついでに、実家のアルバムから出てきた、バイエルを弾いていた(と思われる)頃の私の写真を掲載します。




2012年5月18日金曜日

中国のオンライン・デーティング

バタバタと学期末の採点その他の仕事を終え、13日(日)にはホノルルでちょっとしたピアノリサイタルをし(やれやれ)、一昨日日本に一時帰国しました。今回は初めて、羽田着のハワイアン航空で帰ってきてみたのですが、これは大変気に入りました。搭乗までのプロセスも、ユナイテッド航空やデルタ航空などより落ち着いているし(JALはほとんど、ANAは一度も乗ったことがないので比較できません)、機体が新しくてピカピカだし、サービスもいいし、羽田着なので都内への移動は便利だし(ただし夜遅めの時間に到着なので、羽田から遠くに行く人にはちょっと不便かも。今回は私は大森の実家に滞在なので、空港からタクシーに乗りました)、これからは毎回これにしようかしらん。


昨日は、運転免許の更新に行ったり新しくメガネを作りに行ったり(『ドット・コム・ラヴァーズ』の読者にはわかっていただけるでしょうが、友達に紹介してもらった大井町のお店で「セクシーでファンキーでかつ『なめんなよ』効果のあるメガネ」を見つけました)しましたが、いやー、やはり日本は、なにごともテキパキとした国だなあとあらためて実感。このテキパキ力に、骨太の政治力と多様性を尊ぶ精神が加われば、コワいものなしの素晴らしい国になるに違いない!


それとはまるで無関係の話題ですが、飛行機のなかで読んだ数週間前の『ニューヨーカー』誌に、中国のオンライン・デーティングについてのなかなか興味深い記事があります。そのタイトル、まさに、The Love Business。(有料購読者以外は全文が読めないようになっていますが、有料でこの記事だけ単独で読むこともできますので、興味のあるかたはどうぞ。)Gong Haiyanという女性が始めた、Jiayuanというオンライン・デーティング・サービスに焦点を当て、現代中国の恋愛・結婚事情を描写したものなのですが、さすが中国、なにごともそのスケールが違うのが面白い。まず、このサービスを始めたGong Haiyanという人物に興味がそそられる。湖南省の山間部の農村出身で、この記事によれば美人でもなければ社交的でもない彼女は、大学院時代に、まだ駆け出し段階のあるオンライン・デーティング・サービスに登録し、12人の男性を選んだものの、ひとつも返事がなく、会社に文句を言ったところ、「あなたのような不細工な女性がそんな高レベルの男性を追いかけたってムリに決まっています」との返事がきたという。この対応に憤慨して、自分の身近にいる人たちを使って自分のオンライン・デーティング・サービスを始めたという。中国でインターネット業界で活躍している他の人たちとは違い、コンピューターの専門知識をもっているわけでも、英語に堪能なわけでも、男性でもない彼女が、こうした分野に出て行くだけでもじゅうぶん感心なことだが、やがてあるソフト開発者(この人物は後にこのサイトで出会った相手と結婚したという)の投資を手に入れ、サービスを拡大するにつれ、オンライン・デーティングの需要の大きさが明らかになっていったという。一日に2千人近くの新規メンバーがサイトに登録し、2006年には登録者が百万人、そして2011にはそれが五千六百万人(!)にまで拡大し、業界では中国最大のサービスとなった。


この記事によれば、オンライン・デーティングのアメリカと中国での最大の相違は、その基本理念にある。アメリカでは、オンライン・デーティングは自分の伴侶となる可能性のある相手との出会いをなるべく広げるのが目的なのに対して、人口13億の中国では、オンライン・デーティングの目的はその反対に、自分の条件に合った相手を絞り込むことにあるという。北京では約40万人の男性登録者がいる。それを、ある23歳の女性は、血液型、身長、星座などの条件を次々に入力してようやく83人まで絞り込んだという。Jiayuanの登録メンバーが答える53の質問には、顔の形のタイプやら、性格を描写する択一式リストがあり、これがなんとも面白い。こうしたサービスの普及にともない、オンライン・デーティングでの成功の秘訣を伝授するような人物やサービスも登場しているという。そうしたアドバイスには、「立派な車の隣で自慢げにポーズをとって写真をとっているような男性には要注意」「最初のデートのときは、女性にとって便利な場所に男性が足を運ぶべき」「男性の四大アクセサリー(腕時計、携帯電話、ベルト、靴)に注目すべし」「お店で払い終わったときに、大事に領収書をしまいこむ男性には要注意」などが含まれる。


あるとき、創設者のGongの目に、ある33歳の研究者のプロフィールが目に止まり、「身長1.62メートル、容姿は平均以上、大学院卒」という条件があげられているのを見て、自分はひとつも当てはまらないと思ったものの、返事をすることにし、「あなたのプロフィールは書き方がいまひとつです。あなたの挙げている条件に合う女性がいたとしても、そんなに要求の多い男性はごめんだと敬遠すると思います」といって、プロフィールの書き方をアドバイスしてあげることにしたという。プロフィールにいろいろ手直しを加えているうちに、彼の条件に合う女性は自分の周りに4人いることに気づき、そのうちのひとりが自分だったという。そうしてふたりはつきあい始め、2度目のデートで彼がプロポーズし、ふたりは自転車に二人乗りして結婚の手続きをしにいったという、微笑ましい話も。


中国の不動産バブルや一人っ子政策などが、恋愛や結婚のありかたに様々な変化をもたらしている中国。現代のジェンダー観や人生観と、インターネットが媒介する市場関係が、どんなふうに相互に作用しているのかを、垣間みさせてくれる記事で、なかなか面白いです。