2009年10月27日火曜日

11/7(土)名倉誠人マリンバ・リサイタル

ここ二、三日で東京は急に寒くなり、ハワイの気候に身体が慣れている私は寒くてたまらず、また、アメリカ東海岸のとても寒いところに住んでいたときにも、家のなかはセントラルヒーティングでぽかぽかと暖かかったのに、日本の家は風がスコスコだしセントラルヒーティングはないし(それにいくらなんだって暖房を入れるにはまだ早いですし)で、毛布を身体に巻いてがたがた言っていましたが、今日は気持ちいい秋晴れでほっとしました。

今日は宣伝です。11/7(土)に、私の友達のマリンバ奏者、名倉誠人さんのリサイタルが、代々木の白寿ホールであります。名倉さんとは、私がニューヨークで過ごした一年間に仲良しになり、一緒に飲み食いを楽しむほか、音楽や芸術についての真剣な話を聞かせていただいたり、CDのレコーディングのお手伝いをさせていただいたりしました。私の著書Musicians from a Different Shore: Asians and Asian Americans in Classical Musicには、名倉さんのインタビューの抜粋を大きく入れさせていただいています。名倉さんに出会うまで、私はマリンバという楽器にはまるで馴染みがなかったのですが、初めて名倉さんの演奏を聴いたとき、マリンバという楽器を生んだ樹や森の感触が伝わってくるような温かい音色に、音楽っていうのは有機的なものなんだなあということを改めて知らされ、衝撃的な思いをしたのを覚えています。今回のリサイタルも、「森と木と音楽II」というタイトルがついていて、そうしたテーマが全体を貫いているようです。名倉さんの音楽は、とても繊細で優しい音であると同時に、芸術音楽というものは、呑気にだらっと座ってバックグラウンド・ミュージックのように流しているのでなく、聴くほうも集中して真面目に向き合うものであるということを促すものでもあります。(その点で、以前紹介した岡田暁生さんの『音楽の聴き方』で書かれていることに通じる部分が多いです。)普段から名倉さんが演奏するのは、現代の作曲家に委嘱した新作が多く、作曲家たちと名倉さんの気迫がぶつかり合いながら、新しい創造に関わっている、そのプロセスに、名倉さんの演奏を通じて触れることができるのも、実に幸運なことです。今回のリサイタルでも、作品のほとんどがなんと世界初演です。作曲家のうちふたり、長田原(「おさだもと」と読みます)さんとKenji Bunchさんも、Musicians from a Different Shoreでかなり大きく取り上げています。

世界初演の音楽に触れられる機会は、そうあるものではないですし、刺激的な新曲の素晴らしい演奏が聴けることは間違いないので、ご都合のつくかたは是非どうぞ。小学校中学年以上くらいでじっと静かに座っていられる年齢だったら、お子さんにも楽しめる音楽だと思います。演奏会前には作曲家を交えたトークもあります。ニューヨークなどでは、リサイタルの後に聴衆が演奏家(や現代曲のときは作曲家)とロビーで気軽に話をできるように設定されていることが多く、そのぶん音楽活動が身近に感じられるのですが、今回のトークもそうした主旨でしょうから、是非積極的に参加して、質問などしてみてください。いらした方は、会場で私を見つけて声をかけてくだされば、私が喜んで名倉さんや長田さん、Kenji Bunchさんにご紹介します。

チケットの情報などは
こちら、またはミリオンコンサート協会へどうぞ。今ならまだチケットが手に入るそうです。来られないかたは、名倉さんのCDを是非聴いてみてください。これも名倉さんのホームページから買えます。私がレコーディングをお手伝いしたのは、Triple Jumpです。素晴らしいですよ。

演奏会といえば、私は先週、紀尾井ホールであった、辻井伸行さんのリサイタルに行ってきました。辻井さんの演奏を聴くのは、クライバーン・コンクールでの彼の優勝に居合わせたとき以来初めてでした。こちらは、ベートーベンの「悲愴」と「熱情」に始まって後半はすべてショパンという、実にオーソドックスなプログラム。私としては、辻井さんのように、今なら演奏会をやればすぐに完売になる演奏家にこそ、現代曲を初めとしてあまり演奏されないような曲目を演奏して、聴衆を新しい音楽に触れさせてほしい、という気持ちが正直なところです。なにしろ辻井さんは、クライバーン・コンクールでは現代曲の演奏の部門でも賞をとっている(現代曲は、作曲家に委嘱された四作品の楽譜が、コンクールの数カ月前に参加者に送付され、参加者は急いで曲を選んで覚えなければいけないわけですから、楽譜が読めない辻井さんがこの部門で受賞したというのは、さらにすごいことです)のですから、その受賞曲やコンクールで演奏された他の委嘱作品を聴かせてくれたら、スタンダードなレパートリーに限られない辻井さんの音楽性の幅を日本の聴衆に知らせることができるし、作曲家にとってもいいし、現代においてクラシック音楽を演奏するということの意味を考えさせてくれるプログラムになるのではないかと思います。あるいは、同じベートーベンのソナタなら、クライバーンの準本選で彼が演奏した「ハンマークラヴィア」を聴かせてくれたらいいのではないかと思います。弾くのももちろん大変だし、聴くほうにもなかなか大変な、難解複雑な曲ですが、だからこそ辻井さんの演奏でそれを聴いてみたい、という聴衆は多いはずです。

もちろん、地方都市を含めたくさんの場所で連日本番を続けている状況で、また、クラシックにそれほど馴染みのない聴衆もいるであろう舞台で、あまり珍しいプログラムを組むのも難しいのだろうことは想像できます。演奏そのものも、技術的にはもちろんなにも文句をつけるような点はないものの、なんだかちょっと、慣れで演奏しているような印象を受けてしまったのが残念でした。クライバーンのときは、本当に一曲一曲に身体が揺さぶれるような思いがしたのですが、優勝以来モーレツなスケジュールで世界各地や日本全国をツアーして、同じような演目を演奏し続けているのですから、毎回の演奏に同じようなテンションや感動がなくても無理ないのかもしれません。ただ、クライバーン本人も、チャイコフスキー・コンクールで優勝してスーパースターとなった後、練習や休憩、ものを考える時間がとれなくなって、演奏家としてはかなり辛い時期を過ごしたことはよく知られていますので、辻井さんがそういうことにならないように、せっかく大きく花開いた可能性が頭打ちになるようなことがないようにと、願うばかりです。そうした意味で、辻井さんを見守る聴衆のほうも、「悲愴」「熱情」「月光」ばかりを彼に求めるのではなく、メッセージ性のある音楽作りを期待することが重要だと思います。(念のため付け足しておきますが、私はベートーベンの三大ソナタが嫌いなわけじゃありません。三大ソナタが頻繁に演奏されるのはやはりこれらが名曲だからで、曲そのものにはいろいろな感動があります。ただ、日本のリサイタルのチラシなどを見ていると、あまりにもこれらのソナタがたくさんのプログラムに入っているので、ちょっとげんなりした気持ちになるのです。わざわざお金を払って出かけて行ってこれを生で聴くべき理由をはっきりと知らせてくれるような演奏であれば、なにも文句はありません。)辻井さん、頑張れ!