2011年12月16日金曜日

Christopher Hitchens逝去

以前にもこのブログでちらりと言及したことのあるジャーナリスト・評論家のChristopher Hitchens氏が昨日亡くなりました。昨年、回想録のHitch 22の宣伝ツアー中に食道がんと診断され、以後がんとの闘いについても、そして他のあらゆる時事問題についても、雑誌やテレビで精力的に論じ続け、最期まで目をみはるような勢いで生きた人物でした。享年62歳。


イギリスで生まれ、育った家庭は決して裕福ではなかったにもかかわらず、息子に教育を与えるという母親の強い意志によって私立校からオックスフォードのBalliol Collegeに進学し、ベトナム戦争反対運動などにかかわるようになって急速に左翼政治に傾倒。卒業後ジャーナリストとしてさまざまな新聞や雑誌に記事や評論を書きながら、イギリスの文壇のMartin AmisやJulian Barnes、Ian McEwanなどと親交を深め、パーティで派手に遊ぶことが好きなことでも知られるようになります。1981年にアメリカに渡りアメリカ国籍を取得し、The NationNew York Review of BooksVanity Fairそしてオンライン雑誌のSlateなどといったメディアで、ありとあらゆる話題をカバー。アメリカの対中米政策、トルコ=キプロス関係、北アイルランド紛争、ダルフール紛争などの現地取材による長文記事から、ユーモアに溢れた軽いエッセイ、そしてマザーテレサを痛烈に批判して物議をかもしたThe Missionary Positionや宗教を正面から捉え無神論を展開したGod Is Not Greatなどの著書多数。イスラム過激派批判の立場から、アメリカの対イラク戦争を支持したことでも話題を呼びました。


とにかく、それぞれの文章の鋭さと深さ、そして超人的としか言いようがない執筆スピードには、まったくもって圧倒されます。タバコや酒をこよなく愛し、昼間から酒を飲みながら仕事をすることでも有名でしたが、「自分にとって一番大事なのは書くことだ。書くことの足しになること—そして、議論や会話を盛り上げたり長引かせたり深めたりするのに足しになること—だったら(酒でもなんでも)自分にとっては意味のあること」と公言し、がんと診断された後もライフスタイルを変えなかったとのこと。Hitch 22には、自分の死について、「僕は死を受動的に受け入れるのではなくて、能動的に『やりたい』と思っている。死が自分にやってきたときに、その目を正面からじっと見て、その瞬間になにかをしていたいと思っている」と書いています。友人に囲まれた最期だったそうですが、この言葉、スティーヴ・ジョブズの妹モナ・シンプソンの追悼文に描かれたジョブズ氏の最期に通じるものがあります。合掌。