イギリスで生まれ、育った家庭は決して裕福ではなかったにもかかわらず、息子に教育を与えるという母親の強い意志によって私立校からオックスフォードのBalliol Collegeに進学し、ベトナム戦争反対運動などにかかわるようになって急速に左翼政治に傾倒。卒業後ジャーナリストとしてさまざまな新聞や雑誌に記事や評論を書きながら、イギリスの文壇のMartin AmisやJulian Barnes、Ian McEwanなどと親交を深め、パーティで派手に遊ぶことが好きなことでも知られるようになります。1981年にアメリカに渡りアメリカ国籍を取得し、The Nation、New York Review of Books、Vanity Fairそしてオンライン雑誌のSlateなどといったメディアで、ありとあらゆる話題をカバー。アメリカの対中米政策、トルコ=キプロス関係、北アイルランド紛争、ダルフール紛争などの現地取材による長文記事から、ユーモアに溢れた軽いエッセイ、そしてマザーテレサを痛烈に批判して物議をかもしたThe Missionary Position
とにかく、それぞれの文章の鋭さと深さ、そして超人的としか言いようがない執筆スピードには、まったくもって圧倒されます。タバコや酒をこよなく愛し、昼間から酒を飲みながら仕事をすることでも有名でしたが、「自分にとって一番大事なのは書くことだ。書くことの足しになること—そして、議論や会話を盛り上げたり長引かせたり深めたりするのに足しになること—だったら(酒でもなんでも)自分にとっては意味のあること」と公言し、がんと診断された後もライフスタイルを変えなかったとのこと。Hitch 22