さてさて、仕事のミーティングの際に、編集者のかたに「こんなのありますよ」と見せていただいて、私があまりにも物欲しげにするのでそのまま頂いて帰ってきてしまった(同じ話がニューヨークでもあった...私の物欲しげな表情は効果的みたい)、できたてホヤホヤの新刊が、『バイエルの謎: 日本文化になったピアノ教則本』これは、タイトルを見ただけで、「あ!」と叫んでしまうくらい、私にとっては「この本を誰かに書いてもらいたかった」的な本。
日本でピアノを少しでもかじった人ならまず誰でも知っている「バイエル」という名。たいていの人はピアノはバイエルから始めた、というくらい一般化しているバイエルの入門ピアノ教則本。私自身も、バイエルをやりました。で、私は、バイエルというのは、ドイツの大御所で、ハノンやチェルニーと同じくらい、ピアノにおいては世界で一般的なものなのだとてっきり思っていたのですが、アメリカではBeyerという名は薬の名前ならともかくピアノに関係する名前としては聞いたことがないし、去年のコンクールのときに、ドイツで何十年もピアノの世界に浸っている人物に聞いてみても、そんな名前は聞いたことがない、というのでびっくり。いったいどういうことなんだ、と不思議に思っていたのですが、この本を読むと、バイエルの「謎」は、単に「日本でやたらと有名で、日本の外ではやたらと無名なバイエルとは、いったい何者か」ということにとどまらず、次々に「?」が出てくることがわかります。
たとえば、バイエルのピアノ教則本は、いきなり連弾で始まり、しかも一番と二番はいきなり変奏曲。でも変奏曲はこの二曲だけ。曲の番号のつけかたも不規則で、番号がついていない曲もある。そして、きわめて多作な編曲家であったらしいバイエルの作品のなかで、編曲でなくオリジナルに作曲された作品はこの教則本だけ。版も多種多様な版が乱立。日本では、単なる「バイエル・ピアノ教則本」だけでなく、「子どものバイエル」「いろおんぷばいえる」「バイエルであそぼう」「バイエルによる女声合唱曲集」などなど、あらゆるバリエーションがひとつの「バイエル文化」を形成するまでになっている。いったいバイエルとは何者で、どのようにして教則本が作られ、どのようにしてそれが日本にもたらされ、ここまでの普及に至ったのか?という謎を解こうと、著者の安田寛氏が何年にもわたり、ドイツやらアメリカやらに調査旅行を重ね、一歩一歩バイエルに近づいていく。その過程でじわじわと解明されていくさまざまな「謎」の中身ももちろんたいへん興味深い(たとえば、番号のついている曲とついていない曲の関係や、日本で絶対音感教育普及のなかでバイエルの「静かにした手」が「和音を押さえる手」に読み替えられた経緯、そして本の終盤で明らかにされる、教則本が連弾の変奏曲で始まっていることの意味や、百六という番号付きの曲数の意味などは、読んでいて、「おー!」と思わず拍手したくなります)けれど、それと同じくらい、その謎を解明していくプロセスの物語が面白い。研究者の勘を頼りに資料を調べ、調べても調べてもさっぱりわからないことに出くわし、また、飛行機に乗ってはるばる調査に出かけて行ったにもかかわらず期待していた情報が見つからないこともある。勝手もわからず言葉もじゅうぶんに通じない外国の街で、十九世紀やそれ以前の資料を文書館や教会で探し出そうとするその苦労たるや、なんだかインディアナ・ジョーンズあるいはシャーロック・ホームズみたいで、途中、「安田さん、頑張ってください!」と応援したくなる。バイエル自体にとくに興味がなくても、単なる読み物として楽しめる語り口になっています。学者というのはこんな苦労をして歴史や文化の意味を探るのかと、一般読者がわかってくれるだけでも、意義があるというもの。せっかくこういう本の構成になっているので、ネタバレにならないよう、本の最後で明かされるバイエルの謎についてはここでは書きませんが、読み終わると、それまでは単なる子供が音と鍵盤の関係を覚えるための機械的な練習曲だと思っていた「バイエル」が、十九世紀のヨーロッパ文化を表すまさに「音楽」として頭のなかで響いてくるところがスゴい。
『バイエルの謎』というこのタイトル、シンプルにして非常に的確。本当に謎が解け、すっきりしますので、ぜひ読んでみてください。(本をくださったKさん、ありがとうございました!)ついでに、実家のアルバムから出てきた、バイエルを弾いていた(と思われる)頃の私の写真を掲載します。