ピアノ界の伝説的人物、ヴァン・クライバーン氏がアメリカ時間の今日27日朝、テキサス州フォート・ワース近郊の自宅で亡くなったとの発表がありました。 末期の骨がんとの診断されたとの昨年報道されたので、余命はそう長くないだろうとは予想されていましたが、やはりとても悲しいニュースです。クライバーン氏の1958年のチャイコフスキー・コンクール優勝を讃えて1962年に開始されたヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール。辻井伸行さんの優勝によって日本でもおおいに話題になりましたが、そのコンクールはちょうど50周年を迎え、今年の5月から6月にかけては第14回コンクールが開催されます。そのオーディションがちょうど数日前に終わり、3月5日にはコンクールに出場する30名の顔ぶれが発表されるところです。コンクールでクライバーン氏の姿が見られないのは、出場者にとっても聴衆にとってもとても残念なことです。 拙著『ヴァンクライバーン 国際ピアノコンクール 市民が育む芸術イヴェント』で書いたように、クライバーン氏が冷戦さなかのチャイコフスキー・コンクールで優勝したことの意義は、音楽界をこえた広い世界で非常に大きなものでした。エルビス・プレスリーにも負けない人気を集め、国民的・そして国際的なスターとなったクライバーン氏のその後のピアニストとしてのキャリアは、けっして平坦なものとは言えず、しばらくすると彼は演奏の表舞台からはおおむね姿を消したものの、政治家や芸能界とのつながりを通じて、ピアノそして芸術が世界にもたらすものの意味を広く人々に伝えるという、重要な役割を果たしました。私はちょうど今、文化政策や芸術支援にかんする研究をしているのですが、連邦政府が直接芸術活動に関与しないというアメリカの「伝統的」流れを変えて、1965年にNational Endowment for the Artsが設立されたり、1971年にワシントンのJohn F. Kennedy Center for the Performing Artsの舞台が幕を開けたり、といった形でアメリカの文化政策が展開されていくなかでも、クライバーン氏はさまざまな役割を果たしていました。そしてなにより、(これは彼の功績を讃えてフォート・ワース地域の人々が始めたもので、クライバーン氏本人は運営にはかかわっていませんが)クライバーン・コンクールによって、数々のピアニストたちが演奏家としてのキャリアの一歩を踏み出したり、地域コミュニティのプライドやバイタリティが促進されたりもし、そうした意味でもクライバーン氏の残した遺産はとても大きいです。 また、これもクライバーン氏が直接かかわったものではないですが、クライバーン財団が主催する、アマチュア・ピアノ・コンクール。私は光栄にも2011年に参加することができ、そこでの出会いや体験は、いろいろな意味で自分の人生を変えるものでした。出場者ひとりひとりと優しく握手をして言葉をかけてくださったクライバーン氏の笑顔は、せっせと練習を積んでテキサスまで出かけていった我々にとって最高のプレゼントとなりました。思い出に写真を掲載しておきます。
米国議会では、移民法改正の一部として、非合法移民にも合法移民になるための機会を与え、いずれはグリーンカードも取得できるようにする、という法案が議論されていますが、そうしたなかで、私の勤務するハワイ大学で、非合法移民で、一定の条件を満たす学生には、州民向けの授業料を提供する、という決定が理事会でなされました。カリフォルニアやニューヨークを初めとする他の12の州ではすでに同様の方針が施行されています。 アメリカの州立大学では、州の住民に教育の機会を提供するのが使命、という原理で、州の住民(「州の住民」の基準は州によって異なります)の授業料は州外からの学生よりもかなり低額に設定されています。ハワイ大学では、州外の学生の年間授業料は約2万2千ドルなのに対して、州民の学生は約9千ドルと、倍以上の違いがあります。これまで、非合法移民の学生は、「州民」としての基準を満たさないとして、州外の学生の授業料が課されてきました。しかし、たいていの非合法移民の学生は、自らの意思で「非合法移民」になったわけではなく、子供のときに親などに連れられてアメリカにやってきて、何年もアメリカで生活し、学校に通い、英語を学び、自分と家族のためになんとか安定した生活力を身につけようと一生懸命勉強しようと大学にやってきている若者。そして、そうした若者たちの多くは、州外学生向けの授業料がまかなえないために、大学進学をあきらめる場合が多い。そうしたなかで、移民たちの経済的・社会的上昇を可能にするもっとも重要な要素として機能する大学が、このような経済的な負担をこれらの学生に課しているのは理不尽である、との判断で、授業料の適用方針が変更された次第です。現在在籍中の学生でこの決定によって授業料が大幅に減額となるのは10人にも満たないけれども、長期的には、この変更によって大学進学が可能になる学生の数は300人ほどにもなるとの予測。 「大学として絶対的に正しいことをしたまで」と理事は発言していますが、この記事で言及されていないのは、この決定にいたるまでのプロセス。この理事会で全会一致で支持されたこの案は、理事会の内部から出てきたものではなく、Unruly Immigrants: Rights, Activism, And Transnational South Asian Politics in the United Statesという南アジア系の移民たちのトランスナショナルな社会運動についての研究の著者で、私の仲良しでもあるMonisha Das Gupta率いる、エスニック・スタディーズ学部の教授陣や学生たちが、この案を作成し、大学じゅうをまわって署名を集め、さまざまな委員会での審議を経て今回の理事会までもっていった、という経緯。私のクラスにも、この署名運動をリードしている学生ふたりがプレゼンテーションをしにやってきて、私の学生たちと活発なディスカッションをして、署名をたくさん集めていきました。教授が、若者に大学教育の機会を与えるためのこうした運動に献身し、このような具体的な成果をあげるのも本当に立派なことだと頭が下がりますが、学部生たちがこうした活動に一生懸命にかかわる姿を見るのも、心を打たれます。こうやって確実な成果があがることで、彼らは社会運動の意義をあらたな形で理解することでしょう。パチパチ。