2012年8月21日火曜日

共和党の反中絶綱領

共和党のロムニー氏が副大統領候補にポール・ライアン氏を指名して以来、富裕層の所得税を減らし社会的弱者のためのさまざまなプログラムを削除するというライアン氏の極端な財政案に、リベラル派だけでなくカトリック教会などからも大いなる反発が起こっていますが、そんなさなかに、共和党の政策案にさらなる波紋を投げかけているのが、昨日のミズーリ州上院議員候補のトッド・エイキン氏の発言。中絶問題についての質問を受けて、「『正当なレイプ』の場合には、女性の身体は妊娠を拒絶するようになっている」という発言をして、たいへんな騒動を巻き起こしています。あらゆる意味で問題に満ちたこの発言を糾弾しているのは、プロ・チョイスの女性団体や民主党の政治家ばかりでなく、ロムニー氏を初めとする共和党のリーダーたちも、エイキン氏の発言を強く批判し、彼に選挙戦から降りるようプレッシャーをかけています。(この投稿の時点では、エイキン氏は引き続き選挙に出ることを表明していますが、今日の夕方までに彼が辞退しない場合には、来週の共和党全国大会を控え選挙全体に大きな影響が出るので、もしかするとじきに別の展開があるかもしれません。)

エイキン氏の発言が、大統領選そして全国の選挙にどのような影響を与えるかはまだ不明ですが、こんな騒動のさなかに、共和党の委員会は、中絶に反対する立場をさらに強化し、中絶を禁止する憲法修正を求める方針を党の綱領に盛り込む、という動きをしています。しかも、この方針には、強姦や近親相姦による妊娠についての扱いも含まれておらず、それらの扱いは各州に委ねられるべき、との立場。

経済政策が大統領選の要になるとは思いますが、中絶論争を初めとするこうした「社会問題」がアメリカの政治をかくも分断するさまは、アメリカ研究を専門とし、アメリカで20年間以上生活してきた私にも、いまだに深く困惑させられます。

2012年8月12日日曜日

タイガー・マザーの音楽教育

テキサスそしてトロントと合わせて2ヶ月近く留守にしていましたが、昨日ホノルルに戻ってきました。馴染みのない街にしばらく滞在してみると、やはりいろいろと新鮮な体験があり、刺激的でもあり興味深くもありましたが、自分の空間に帰ってくるのもやはりほっとします。ホノルルは相変わらず快適な青空。どこかからここに戻ってくるたびに、こんなに気持ちのいい場所が私の「家」なのかと、半ば信じられない気持ちにすらなります。

さて、トロントからのフライトはサンフランシスコ経由だったのですが、トロント−サンフランシスコ間の飛行機では、Kindleにダウンロードした、Battle Hymn of the Tiger Motherを読みました。5時間のフライトが到着するときにきっちり読み終わるという、見事にちょうどいい長さ。邦訳も出ているようですが、英語はきわめて平易なので、ごく普通の英語力のある人なら原著でOKのはずです。この本、昨年出版されて以来、全米のメディアでたいへんなセンセーションを巻き起こし、ベストセラーになりいくつもの言語に翻訳もされています。私はその噂を聞いたことがあるだけだったのですが、数日後に、あるフォーラムでDeconstrcting the Asian American Model Minority Mythというタイトルのレクチャーをすることになっているので、その参考に読んでみようと思ってダウンロードしました。「中国式」の子育て理念に基づいて凄まじい勢いでスパルタ教育をする教育ママの話、ということしか知らなかったのですが、読んでみると、その「スパルタ教育」の中心が、二人の娘のピアノとヴァイオリン教育なので、「タイガーよ、おまえもか」という気持ちになりました。

子供に学業成績を初めとしてつねに最高のものを要求し、「子供にとって最良のものは子供よりも親のほうがわかっている」という信念のもとに、著者が「西洋式」と対比させて「中国式」とよぶ徹底したスパルタ教育を、子供がよちよち歩きの頃から大学に入学するまで施す。アメリカの一般のミドルクラスの子供たちが普通にやるようなこと(playdateやsleepover)は一切させず、鈴木メソッドで習い始めたピアノとヴァイオリンを、旅行中も含め決して休むことなく、毎日6時間も練習させる。毎週のレッスンに加えて、コンクールやオーディションの前には、日々の練習の指導のためにも別の先生を雇い、なんと一日数回もお金を払って家に来てもらうほか、数日間のオーディション旅行にも、その先生とボーイフレンドのぶんまでお金を払って付き添ってもらう。旅行に出かけるときには、子供がピアノの練習ができるよう、ホテルにあるピアノを使わせてもらったり、ピアノを使わせてくれる街の施設を探して、毎日観光の前に数時間練習に通う。娘にいいヴァイオリンを買い与えるために、著者は自分の年金を解除してしまう。などなど。その苦労実って、娘はカーネギーホールでリサイタルをするまでに至り、また、ブタペストで姉妹のコンサートも開催させる。けれど、とくに下の娘が反抗期に入ると、母娘のあいだに激しい葛藤があり、それまで積もってきた娘の憤懣は、モスクワ旅行中に爆発する...

私も子供のとき、ここまでではないけれどもかなり熱心にピアノをやっていたこともあり、またクラシック音楽についての研究もしてきているので、この様子はじゅうぶん想像できるのですが、ここでは、イェール大学ロースクールの教授である両親の財力と人脈が、普通の教育ママに一回りも二回りも輪をかけた凄まじさを可能にしているといえます。ある程度のレベルまで楽器を習う子供はたくさんいるなかで、子供自身が音楽の深みや楽しみを理解し、「お稽古」の次元から「音楽」の次元へ移行するところまでいけるかどうかの多くは、そうした理解の手助けをしてくれ、しかも必要な技術をきちんと身に付けさせてくれる先生に出会えるかにかかっている。そして、そうした先生に習うには、単純にお金がかかる。この二人の娘が、すぐれた音楽的感性と、目的に向かって集中力と持続力をもって修行する能力をもっているのは確かだけれども、この家庭にこれだけの財力と、いわゆる「文化資本」がなければ、二人の音楽はここまで伸びなかった可能性はじゅうぶんあるでしょう。

著者が「中国式」と「西洋式」と二項対立的に描写する子育ての記述には、あまりにも単純なステレオタイプがあちこちに見られ(著者は「中国」と「西洋」というのは必ずしも土地や人種を指しているのではなく、「中国式」の子育てをするアメリカ人もたくさんいるし、「西洋式」の子育てをしている中国人もたくさんいると指摘してはいますが)、また、教育方針についても、共感する部分もあるけれど異を唱えたくなる箇所もいろいろあるのですが、私が個人的に興味を覚えたのは、二人の娘だけでなく、母親である著者が、音楽というものを理解し鑑賞するようになる、その過程。著者は、自らの親も大学教授という家庭で育ち、ユダヤ系の夫も法学者で、文化資本が豊かな環境であることは確かですが、この本を読むと、著者自身にはクラシック音楽についての深い知識や理解がもともとあったわけではないことが明らか。むしろ、子供に音楽をやらせようとするアジア人・アジア系アメリカ人の親の多くと同様に、子供にピアノやヴァイオリンをやらせようというその動機の根底には、クラシック音楽は洗練された西洋文化を象徴しており、それを身につけることは社会的・文化的上昇を意味している、という信念がある。たいていの親は、そうした動機からせっせと子供に音楽をやらせるというところで終わるのでしょうが、そこはさすが教育程度の高い著者だけあって、子供のレッスンや練習の監督をしながら、子供と並行して自分も、それぞれの楽曲の表す精神や情感、そしてそうした精神や情感を表現するために使われている具体的な音楽的要素とそれが要求する演奏技術を、徐々に理解し、音楽を自分の人生の一部としていく。これは、この本の主なポイントではないのだけれども、その過程に私は素直な感動を覚えました。

先の投稿で言及したミシガン旅行中に、友達数人と話していたときに、「自分が子供のときに一生懸命ピアノをやっていたことは、自分の仕事や人生にどんな影響を与えたと思うか」という質問をされました。これについては、前からいろいろと考えてきたのですが、私の答は、「音楽を真剣に勉強することで、ひとつのことについてある程度の力を身につけるのがいかに大変なことかを年少の頃から理解した。それによって、他のことについても、それをきちんとやるのはとても大変なことで、長年の真剣な努力が必要に違いない、という前提のもとに取り組むようになり、謙虚さと努力の姿勢が身に付いたと思う」というものです。私は、子供にあれやこれやと習い事をさせることを必ずしもよいことだとは思わないのですが、この点においては、なんであれ、ひとつのことを(それも、ある程度のレベルまで行くには十年も二十年もかかるような難しいことを)真剣に子供にやらせる、それも、単に「楽しんでやる」というのではなく、真剣にやらせるのは、よいことだとも思います。この本に登場する下の娘は、そこまで一生懸命やっていたヴァイオリンを途中でやめてしまうのですが、「その後」についての記述を読むと、あれだけ真剣にヴァイオリンをやったからこそ、さまざまな能力や感性が身に付き、彼女の人生が豊かになったのも明らか。そうした意味で、「音楽教育」とはなにか、「文化資本を身につける」とはどういうことか、「子供に最大限の可能性を与える」とはどういうことか、考えさせられました。

それにしても、著者がこの本を書いていたときには、Musicians from a Different Shoreはもう刊行されていたのだから、学者ならもうちょっと調べて脚注に入れておいてくれてもよさそうなものなのに(苦笑)。





2012年8月7日火曜日

Interlochen Summer Arts Camp訪問

この週末はカナダが三連休だったので(といっても私はここで働いているわけではないので、間接的にしか関係ないのですが)、国境を超えてミシガンまでドライブしてきました。途中ちょっと寄り道をしながらですが、目的地まで約8時間のドライブ。徐々に植物や風景が変化するのがなかなか面白く、いつかやってみたいと思っていた北米大陸横断ドライブ旅行を早くやりたいと思いました。

今回の旅行の目的は、私の親友(『ドット・コム・ラヴァーズ』に出てくる「マイク」)が夏のあいだ滞在しているInterlochen Center for the Artsを訪れることでした。このセンターはいろいろな側面があるのですが、主なものは、音楽・ダンス・美術・映画・演劇・文芸などといった芸術を専門にする全寮制の高校と、同じさまざまな芸術分野で1週間から6週間までさまざまなプログラムがある、サマーキャンプ。私の友達の音楽家も、また、Musicians from a Different Shoreのリサーチ中にインタビューをした人たちのなかにも、この高校を卒業した、あるいは夏のキャンプに行ったことがある、という人たちがたくさんいます。「マイク」はここの高校の卒業生であるだけでなく、ここしばらく毎夏キャンプでクラリネットを教えているので、私は前からいろいろと話は聞いていたのですが、実際に行ったのは今回が初めて。で、行ってみると、話を聞いて想像していたものよりはるかに規模が大きくレベルも高く、すっかり圧倒されました。なにしろ、このミシガン北西部のまさに森のなかにある学校、高校生のため(夏期キャンプは小学3年生の「ジュニア」レベルから高校生レベルまでのプログラムがある)のものとは思えない施設の充実ぶり。ホールから練習室から図書館からなにから、私の大学なんかよりずっと立派。世界中からオーディションを経てやってくる生徒のレベルも、待遇面でそれほど素晴らしいとは言えないけれど生徒のレベルや態度とキャンプの理念や雰囲気に惹かれて毎年教えにくる教師陣のレベルも、そして各プログラムの指導理念も課程内容も、毎日のように開催される生徒や教師陣やゲストアーティストによる公演の内容も、とにかくすごい。もちろん、こういう場所に参加するためには、生徒の能力だけでなく、相当のお金が必要で、ある程度の奨学金も提供されるものの、親にまったく財力がない生徒には参加はまず無理。それでも、才能やポテンシャルのある生徒には、財力にかかわらずこうした場所での刺激とガイダンスが経験できるよう、学校側は奨学金を可能にするためのさまざまな資金集め策を講じているらしいです。真のエリート教育とはどういうものか、考えさせられる訪問でした。

Interlochen訪問に加え、「マイク」の案内でミシガンのこのエリア周辺をあちこち見て回り、これまでデトロイトにちらりと学会で行ったことがあるだけで、まるで馴染みのなかったミシガンに少し触れることができました。大きな湖の他にも、こんなにたくさんの大小の湖がミシガンにあるということも、そしてこのエリアがこんなに美しいということも、私はまるで知りませんでした。ミシガンというと、デトロイトを初めとする都市が国産自動車産業の衰退により経済的に廃退し、治安も悪化し、とにかく暗い、というイメージがあり、たしかにマイケル・ムーアの映画で知られるフリントの街を車で通ると、見事なまでにその前後の街より高速道路の状態が悪い。今回は高速道路で通り過ぎる以上のことをする時間がなかったので、いずれまたちゃんと訪れてみたいと思いますが、そのマイケル・ムーアが監督・主催する映画祭が、私たちが滞在したTraverse Cityで開催中でした。このTraverse Cityも、なかなか感じのいい街で、観光するにも住むにも快適そう(ただし、今回は夏の訪問だったからよいけれど、冬の寒さを想像すると、ハワイに身体が慣れている私は、考えただけで頭が凍る)。というわけで、大変楽しい旅でした。



トロント滞在も残りあとわずかとなってきてしまい、ここにいるあいだにやっておくべきことをちゃんと仕上げられるかどうかの正念場です。日本はたいへんな暑さだとほうぼうから聞いていますが、日本のみなさま、どうぞ熱中症にお気をつけて。

2012年8月3日金曜日

ジュリアード、中国に進出

私は相変わらずトロントに滞在中です。カナダにいるばかりか、今の滞在先にはテレビがない(いや、正確に言うとテレビはあるのですが、ケーブルが入っていないので、DVDは観られるけどテレビ番組はまるで受信できない)ので、オリンピックが見られず、テレビのあるバーでちょろりと見たり、ネットで結果を見るだけなので、なでしこの頑張りぶりも目撃することができず残念。今週末はカナダは3連休なので、国境を超えるドライブをして(ヨーロッパの鉄道旅行ならしたことありますが、車で国境を超えるのは生まれて初めてなので楽しみ)ちょっとミシガンまで行ってきます。


さて、本当はもうちょっと完成に近づいてからここに書くべきなのでしょうが、自分を奮い立たせるためにも公表してしまうと、私のこの夏の第一の課題は、拙著Musicians from a Different Shore: Asians and Asian Americans in Classical Musicの和訳をすることです。出版社との話はもうずいぶん前からまとまっていて、訳しさえすれば出していただけるのですが、あれやこれやで遅くなっていました。自分で書いたものを自分の母語にするのだから、そう難しいことはなかろうとタカをくくっていたら、この作業、予想をはるかに超えて難しく、アメリカのおもにアカデミックな読者を想定して英語で書いたものを、一般の日本読者に向けて訳すということの難しさをしみじみと実感。理論的な概念や用語、論の運びかたといったものがとことんアメリカのアカデミアのものになっている、という実際的なことに加えて、そもそもの自分の問題設定のしかたや、前提としている認識が、いかにアメリカ中心的なものかとひしひしと感じています。でもまあ、この本を日本の読者に読んでもらうことにはじゅうぶん意味があると思うので、せっせと原稿に手を入れ(なにしろ著者本人が訳すのだから、書き足したり削除したり順番を変えたりするのは好き勝手にできる)、なるべく読みやすい文章にしようと頑張っております。


私の著書は、クラシック音楽界で活躍するアジア人・アジア系アメリカ人にとって、西洋音楽をするということとアジア人であるということがどのように関係しているか(またはしていないか)、という問題を扱ったものですが、この本のためのリサーチをしたのは主に2003−2004年、ニューヨークでのこと(『ドット・コム・ラヴァーズ』を読んだ人は、私がニューヨークで「デート」ばかりしていたかの印象をもっているかもしれませんが、ちゃんと研究をしていたんです)。それから10年近くたって、クラシック音楽でのアジア人の位置はますます明らかになっています。見事な技術と芸術性をもつ若いアジア人音楽家が次々と出てきているし、国際コンクールなどでの中国・韓国の勢いがすごい。そんななか、「ついにこういう時代になったか」と思わずため息をついてしまったのが、このニュース。「タイム」誌にもこの話題についての記事が載っています。音楽家養成では世界の最高峰のひとつであるニューヨークのジュリアード音楽院が、中国に進出、天津音楽学校と提携して音楽院を設立する、とのことです。最新のデータによると(拙著の翻訳にあたり、ジュリアードの事務に問い合わせたのですが、見事な素早さで新しいデータを送ってくれました。そんなところに妙に感心)、現在のジュリアードに在籍する音楽専攻の学生647人のうち、留学生は195人。その出身国の内訳は、韓国59人、カナダ39人、中国38人(ちなみに日本は6人)。全体の規模はジュリアードよりずっと小さいけれど、少数精鋭で知られているフィラデルフィアのカーティス音楽院は、全165人の学生のうち留学生が72人で、うち中国からが21人、韓国からが17人、カナダからが10人、台湾からが5人(ちなみに日本は3人)。私が6月に参加したピアノ・テキサスの若手音楽家のプログラムでも、驚くべき数の参加者が中国出身でした。中国では、オリンピックの選手養成と同じように、凄まじい特訓を経て次世代の音楽家が教育されているので、アメリカでのクラシック音楽人口の減少を考えると、本当にクラシック音楽の将来を担うのは東アジア、とくに中国なのではと思わずにはいられませんが、そうしたなかで、ジュリアードがニューヨークの外に初の拠点を置く先が天津というのには、「うーむ、やはり」。高校生までの年齢の生徒たちのためのプログラム(ジュリアードのプレ・カレッジに準ずるものでしょう)と、大学レベルの音楽院課程を設置する計画のよう。そして、中国の才能ある音楽家たちを集めて天津の街の文化生活に貢献するだけでなく、東アジアで唯一、ニューヨークのジュリアードの入学審査のオーディションの受験会場ともなるらしい。うーむ、なんともすごい。


私が本のためのリサーチ中にインタビューをした音楽家たちも、9年の歳月を経て、それぞれキャリアそして人生の新しい段階に入っているのは当然ですが、クラシック音楽界自体も、次のフェーズに入りつつあるような気がします。頑張って早く翻訳を出さなければ!

2012年7月20日金曜日

オザケンの語る原発・核兵器

オザケンこと小沢健二クン(赤の他人ではあるのですが、大学の後輩で一時期柴田元幸先生の小人数の授業に一緒に出ていたことがあるので、今でも頭のなかでつい「クン」と呼んでしまうのです)が、原発と核兵器の関係について第二次大戦以後の歴史をふまえて書いた文章を、フェースブックで何人かの人がシェアしているので読みました。もとは去年書かれたもので、知る人はもう前から知っていていたのでしょうが、議論の輪を広げるためにこのたび(「ネット公開によせて」の文章をみると、今日公開されたもののよう)ネット公開となり、てきめんに拡散されているようです。大学のときから、頭脳明晰でかつ謙虚な、とても感じのいい青年でしたが、この文章も、情報も論理も語り口も、とても納得がいくものです。また、内容もそうですが、ネット上でこうした形で公開して議論の輪を広げるという選択にも賛成なので、拡散に貢献させていただくため、ここにリンクしておきます。(このリンクのページの下の「ダウンロード」の部分をクリックすると文章が読めます。)


アメリカにおけるエネルギーとしての原子力と核兵器としての原子力の関係については、私の友達でも研究している人がいて、もう少ししたら論文あるいは本の形になると思うので、完成しだいここでも紹介させていただきます。

2012年7月19日木曜日

ケベックいろいろ

5日間ケベックを旅行して、昨夜トロントに戻ってきました。カナダでゆっくり時間を過ごすのは今回が初めてなので、トロントでもいろいろ発見があって面白いのですが、フランス系の歴史をもつケベックはやはりトロントとは全然違って、たいへん興味深い5日間でした。宿はモントリオールでしたが、毎日モントリオールから車で1~2時間の距離のところで開催されている音楽祭でピアノリサイタルを聴きに通っていたため、都会のモントリオールとは別のケベックの様子も垣間みることができました。モントリオールは、古い伝統と新しい文化、フランス系とイギリス系と世界の他の地域からの移民とイロコイ先住民などの歴史が混じった都会で、英語でもまあやっていけるのですが、一歩モントリオールを出ると、フランス語しか通じないという人たちがたくさん。当たり前といえば当たり前なのですが、そういう基本的なことも、やはり実際にその土地に行ってみてこそ実感が湧くものです。ケベックのナショナリズムというものを、ちゃんと勉強してみようと思いました。ついでに、大学のときに結構せっせと勉強したにもかかわらず、きれいさっぱり忘れてしまったフランス語を、またやってみようかとも思いました。


で、今回行ったのは、Le Festival de Lanaudiereと、Festival Orfordというふたつの音楽祭。Le Festival Lanaudiereのほうは、Jolietteというきれいな名前の町にある屋外シアターを中心に、近郊の小さな町(「町」らしきものも見えないほど家がまばらなエリアもありましたが)の教会などで、約一ヶ月のあいだほぼ毎日コンサートがあります。私たちは、その屋外シアター(マサチューセッツにあるタングルウッドをひとまわりこじんまりさせたような雰囲気のところ)で行われた、ケベック出身のピアニストAlain Lefèvreによる、カナダ人作曲家François Dompierreの新作24 Préludesの世界初演を聴きました。ケベックのピアニストによる世界初演ということもあり、今年のこの音楽祭のなかで一番チケットの売り上げがよいコンサートだったらしく、聴衆にはたいへんな熱気で迎えられていました。それから、同じ音楽祭の一環で、それぞれ別の小さな町の教会で行われた、Beneditto Lupo(1989年のクライバーン・コンクールで3位入賞したイタリア人ピアニスト)のリサイタルと、最近日本でも演奏しているロシア人のAlexander Melnikovのリサイタルに行きました。演奏もそれぞれ素晴らしかったけれど、周りになにもないような小さな町の教会を、音楽に対する感性の高い聴衆でいっぱいにする音楽祭の運営に脱帽。それから、モントリオールから南東に2時間近く行ったMt Orfordという山間部(冬はスキーリゾートらしい。近くには聖ベネディクト派教会の修道院もあり、見学ついでにそこで作っているワインやチョコレートも買ってきました)にある芸術センターで開催されている、Festival Orfordでは、まだ20歳という若手イタリア人ピアニスト(前述のBeneditto Lupoに師事していたそうですが、今はドイツのハノーヴァー音楽院在籍中)Beatrice Ranaのリサイタルを聴きました。彼女の解釈はちょっと変わっている部分も多いのだけれど、20歳とは思えない成熟した独自の声をもっていて驚愕。ちなみにこのFestival Orfordは、コンサートだけでなく若手音楽家のための夏期プログラムでもあり、他の楽器の学生による演奏も少し聴くことができました。


私にとってはバケーションでしたが、同行人(正確には私のほうが「同行人」ですが)にとっては仕事の出張。で、その仕事関係のランチやディナーに私もくっついて行った(日本ではそういうことはまずないでしょうが、こちらではそうした仕事上の社交の場に配偶者や「デート」が参加するのは普通)おかげで、ケベックの人たちに会ってお話することができました。考えてみたら、私はケベックの人というのにこれまで会ったことがなかった(と思う)ので、彼らの言語感覚(今回私がお話したのは、みなフランス系のケベック人ですが、仕事の関係上、英仏バイリンガルな人たちばかり)もそうですが、いろいろなお話が面白かったです。音楽祭の芸術監督をしている男性は、「ケベックの人間としては、オンタリオを含むカナダの他の地域に行くよりも、バッファロやボストンやニューヨークなんかのアメリカの東海岸の都市に行くほうが居心地がよい」と言っていました。もちろんケベックの人たちみながそう感じるわけではないでしょうが、カナダという国のなかでのケベックの位置づけ、他の地域のカナダ人がケベックをどう捉えているか(とケベックの人たちが感じているか)を、ちょっと垣間みさせてくれるコメントではあります。ピアノの技術者をしている男性のガールフレンドで、建築現場の監督をしているという人にも会いました。その人は、スタイル抜群のセクシーな美人で、雰囲気としては彼女自身がピアノ関係の仕事かしらんと思うような女性なのですが、きいてみると彼女はピアノにはまったく関係がなく、子供の頃からおてんばで外で動き回ったり手足を使って物事をするのが好きだったので、この仕事につくようになったそうです。さすがに女性の建築現場監督というのは珍しく、ケベック全体でも女性で彼女と同じ立場にいるのは他にひとりしかいないそうですが、毎日何十人もの男性に指示を出しながら、現場をとりしきっているらしい。カッコいい。そして、音楽祭の運営者や、ピアノの調律師といった人たちと何人もお話をしましたが、そういう人たちがどういう経緯でその仕事をするようになって、その仕事のどういう側面を楽しいと思うのか、その仕事においてはどんな苦労があるのか、そうした話を聞くのが私にはとっても面白い。


モントリオールでは、考古学・歴史博物館と、モントリオールやカナダの歴史を専門にするMcCord Museumに行って、モントリオールの歴史をちょっと勉強しましたが、アメリカの隣国であり、歴史的にもさまざまな接点があるにもかかわらず、カナダのことを自分がいかになにも知らないかということを、しみじみ認識。勉強しなくっちゃ〜。



2012年7月3日火曜日

PianoTexas 2012

テキサスで12日間過ごした後、昨日トロントにやってきました。テキサスにいるあいだにその興奮を伝えたかったのですが、滞在場所のインターネット環境が悪く、まとまった文章を書ける状況ではなかったので、投稿は断念していました。


クライバーン・コンクールのあるフォート・ワースのテキサス・クリスチャン大学で開催される、PianoTexas International Academy & Festivalというイベントに参加していたのですが、夏のテキサスの気温(なにしろ40度になることもある猛暑)にもかかわらず、天国に来たかと思うような素晴らしい日々でした。ウェブサイトを見ていただければわかりますが、PianoTexasとは1981年にクライバーン・コンクールと提携した形で創設されて以来毎年開催されているピアノフェスティバル。もとは若手ピアニストのためのプログラムだったのですが、1990年代からは大学や個人スタジオで教えるピアノ教師のためのプログラムと、私のようなアマチュアのためのプログラムが加えられました。さすがクライバーン・コンクールが開催される街の大学だけあって、テキサス・クリスチャン大学のピアノ科はたいへん充実していて、錚々たる教授陣がそろっているのですが、大学の教授に加えて、世界各地からゲスト・アーティストが招待され、演奏に加えマスタークラスや個人レッスンをしてくださる。今年は、伝説ともいえるPaul Badura-SkodaやLeon Fleisher、そして海老彰子さんがゲストアーティストでした。こうした人たちのマスタークラスを見ていると、「マスター」という単語の意味がしみじみと感じられます。真に深く幅広い知識をもち、あらゆる試行錯誤を経てさまざまな技術を身に付け、つねにより優れたものを志すと同時に、作曲家や作品への底知れぬ畏敬の念を抱き続け、芸術を次世代に伝えようと惜しみなく指導にあたる彼らは、顔つきから人間性がにじみ出ているのです。芸術家は往々にして独りよがりの暴君であるといったイメージがありますが、真に優れた芸術家は、謙虚でもありジェネラスでもあるのだ、と改めて感じさせられました。


プロの演奏家を目指す若手のピアニストたちがこうしたベテランの指導を集中的に受けるようなイベントは世界各地に存在しますが、アマチュアにもこれだけ充実したプログラムを提供してくれるところは他にないだろうと思います。素晴らしいピアニストたちに指導を受けられるだけでなく、普通だったらアマチュアが触る機会がないような立派な楽器(スポンサーとなっているメーカーが楽器を提供してくれるので、スタインウェイの他に、ベーゼンドルファー、ベクシュタイン、ヤマハ、カワイなどの超一流の演奏用ピアノを弾かせてもらえます)をちゃんとしたホールで弾かせてもらえるというのもすごい。私は、1989年のクライバーン・コンクールの優勝者であるJose Feghaliにマスタークラスでシューベルトの即興曲作品142第3番を指導していただいたほか(あー緊張した)、John OwingとGloria Linに個人レッスン、そしてさらに追加でPianoTexasの運営者であるTamas Ungarにレッスンをしていただきました。今回取り組んだのは、スクリアビンの左手のための前奏曲と夜想曲作品9、およびラフマニノフの楽興の時作品16の第1番と6番。ここ1年くらい練習してきて、5月のリサイタルでも演奏した曲なのですが、うーむ、まーだまだ肝心なことができていないことを実感。


ソロの他に、今年初めての試みとして、室内楽のセッションもあり、アメリカ各地から参加している若手の弦楽奏者たちと一緒に室内楽のリハーサル、マスタークラスを経てコンサートで演奏する、というオプションも設けられました。私は室内楽をほとんどやったことがないので、是非この機会にと思って、前から一度弾いてみたいと思っていたシューマンのピアノ四重奏作品47の第3楽章をやりました。いくらなんでも一度も弦楽器を合わせたことのないままテキサスに行くのもなんだと思って、ホノルル出発前に、ハワイ・シンフォニー・オーケストラの団員(ヴァイオリンはコンサートマスター、ヴィオラは首席、チェロは数年前に亡くなったホノルルで伝説的に素晴らしいピアノ指導者の娘でベテランのチェリストだったので、私なぞにはもったいないような顔ぶれ)の友達に頼んで合わせてもらったのですが、これがあまりにも刺激的で目ならぬ耳からウロコが落ちるような経験でした。今回は、初めて顔を合わせる人と一緒に、きわめて限られた準備時間で演奏にもっていかなければいけないというチャレンジがありましたが、それはそれで大変面白く、ソロとはまったく違う種類の音感の使い方を学び、おおいに勉強になると同時に楽しい経験をしました。室内楽の他に、歌曲の伴奏のセッションもあり、今回のPianoTexasはシューベルトがテーマだったので、若手の歌手たちによるシューベルト歌曲をたくさん堪能することができました。私は正直言って、シューベルトはあんまり好きではないなあと思っていたのですが、歌曲と室内楽をじっくり聴いてからピアノ曲を聴いたり弾いたりすると、今までどうもよくわからなかったことがずいぶんと合点がいくようになり、シューベルトも悪くないなあと思うようになりました(と、いかにも素人的なコメント)。


というふうに、自分自身のピアノの理解やスキル向上にはとてもよいプログラムなのですが、なんといっても一番素晴らしいのが、こうした場で育まれる仲間との絆。アマチュアプログラムに参加する人たちのレベルには結構幅があり、プロの演奏家にもまったくひけをとらないレベルの人もいれば、私のような純粋なアマチュアレベルの人もいるし、技術的には初級の上から中級の下といった人もいる。ベートーベンのピアノコンチェルトを堂々と弾く人もいれば、楽譜と鍵盤を必死に見ながらショパンのマズルカを弾く人もいる。けれど、スキルのレベルとは無関係に、なにしろピアノが好きで、どうしてもこの曲を自分なりに弾けるようになりたい、という気持ちはみな共通。その演奏から、それぞれの人生が垣間みられる。そして、コンクールと違って、演奏に誰かが優劣をつけられるわけではないので、参加者全員がよりリラックスしてお互いの音楽に心を開き、ちょっとくらいミスがあろうがなんだろうが、その人が伝えようとしていることをみんな熱心に受け止める。人のタイプも実に多様で、大きな身体をした、いかにもビールを飲みながらフットボールを見ていそうな男性が、緊張しながら一生懸命にドビュッシーのアラベスクを弾いたり、アメリカ人のステレオタイプを絵に描いたようなおおらかな男性が繊細なブラームスの間奏曲を弾いたり、これまた大きな身体をした年配の男性ふたりが椅子を並べてシューベルトのファンタジーの連弾をしたりしているのを見ると、「ああ、音楽というのはこういうものだった」と胸が熱くなります。なにしろあらゆる意味で素晴らしいプログラムですので、アマチュアピアノ愛好家のかたは、ぜひ来年以降の参加をご検討ください。


というわけで、興奮と刺激と感動に満ちた11日間が終わってしまって淋しいことこの上ないのですが、心機一転、これから8月上旬までトロントに滞在し、夏のあいだに仕上げなければいけない仕事を片付けます。