2013年6月1日土曜日

クライバーン・コンクール準本選第1日目

さてさて、今日から準本選です。準本選では、各出場者は60分のソロリサイタルと、Brentano Quartetとピアノ五重奏の共演をします。ソロリサイタルには、このコンクールのために委嘱された作品一曲も含められます。前回のコンクールでは、数曲の委嘱作品のうち一曲を各出場者が選べるようになっていましたが、今回は全員が指定された一曲、Christopher Theofanidisによる「Birichino」を弾くようになっています。今日ソロを演奏したのは、Claire Huangci、Nikita Mndoyants、そして阪田知樹くんの3人。そして、Beatrice Rana、Nikita Abrosimov、Vadym Kholodenkoが室内楽を演奏しました。

まずは、委嘱作品について。誰も聴いたことのない新しい作品を短期間のあいだに準備して演奏するというのは、出演者にとってはハードルが高いですが、コンクールの課題としてはとてもいいと思います。いろいろな録音を聴くなかで自分の演奏を作っていくのと違って、楽譜だけを頼りに、作曲者が意図したことを解読し、自分の解釈を演奏しなくてはいけないというのは、音楽家として非常に重要な側面を試される課題です。

数日前の誕生日に、横に座っているジェリーさんが、売店で売っているこの曲の楽譜を買ってプレゼントしてくれたので、私は楽譜を見ながら聴いたのですが、今日ソロリサイタルをした3人による、この曲の演奏は、それぞれがまるで違う曲のようでした。最初のClaire Huangciの演奏を聴くかぎりは、楽譜を目で追いながら聴いても、なにがなんだかよくわからない、よくわからないのは、曲がそういう曲だからなのか、それとも演奏がよくないからなのかも、判断がつかない。少なくとも、せっかく楽譜は手に入ったけれども、自分で弾いてみたいとは思わないなあ、という感想をもちました。それに対して、ふたりめNikita Mndoyantsの演奏では、リズムが利き、曲の輪郭がずっと明確で、ダイナミックでエキサイティングな曲に聴こえました。そして、3人目の阪田知樹くんの演奏は、2番目の演奏ともずいぶん違う解釈だけれど、なかなか説得力のある面白いものでした。どの演奏が作曲家が意図したものにもっとも近いのかは、楽譜をもっとじっくり読んでみないことにはわかりませんし、文学や絵画や彫刻と同じように、音楽作品も、いったん作者の手を離れれば、それを受けとる側がどのように解釈するかは作者のコントロールの及ぶところではないとも言えます。でも、残り9人の準本選出場者が、この曲をどんなふうに演奏するのかを聴くのは楽しみです。

次に、それ以外のソロ演奏についていえば、Claire Huangciの演奏は、とくに悪い点はなにもなかったけれど、自分がわざわざお金を払って彼女の演奏を聴きに行くかどうかと訊かれれば、うーん、行かないような気がする、という感じの演奏。Nikita Mndoyantsは、予選のときにも思いましたが、とにかくピアノという楽器、とくに彼が選んだニューヨーク・スタインウェイ(楽器の選択については、また後日書きます)を美しく鳴らすことが上手な人だなあと感じました。ムソルグスキーの「展覧会の絵」は、私はとくに好きな作品ではないのですが、彼の演奏はなかなかよく、フォルティッシモの大きな和音でも音がきれいなままなのがよかった。そして、楽しみにしていた阪田知樹くんの演奏は、ラフマニノフのソナタで、和音や内声部に気を配りすぎて、ラフマニノフならではの長く流れるラインがいまひとつな印象があり、身体の芯から興奮を感じた予選のときの演奏ほどは感動しなかったけれども、鳥肌がたつほどよいところもたくさんありました。

そのいっぽうの室内楽。これは本当に面白いものです。なにしろ一週間ソロのピアノばかり聴きっぱなしだったので、弦楽の響きを聴くだけで音が毛穴にしみこむような感動をおぼえました。前回のコンクールと同じで、シューマン、ブラームス、ドヴォルジャーク、フランクのピアノ五重奏の四曲のうち一曲を選ぶ、というのが課題ですが、今日演奏した3人は、それぞれがシューマン、ドヴォルジャーク、フランクと別々の作品を選んだので、違う曲が聴けたのも聴衆にとってはよかった。Beatrice Ranaのシューマンは、音質やバランスのとりかたなどはとてもよかったけれど、とくに第一楽章のきれいなメロディーの部分などは、ちょっとテンポが遅すぎて、もうちょっと前に進んでほしい、と感じましたが、これは彼女のリードが足りないからなのか、それともカルテットのテンポに彼女が合わせていたからなのかは、私にはわかりませんでした。次のNikita Abrosimovのドヴォルジャークは、とくに第二楽章のテンポが遅すぎ、また最終楽章の軽やかな部分もいまひとつな印象。それに対して、今日最後にフランクを演奏したVadym Kholodenkoは素晴らしかった。前回のコンクールでフランクを選んだのは、いろいろな意味で物議をかもしたEvgeni Bozhanovだけでしたが、今回もフランクを選んだのは彼ひとり。そして、彼の演奏は、有無を言わさず、ソロ・室内楽合わせて、今日のなかで群を抜いて素晴らしいものでした。シューマンとドヴォルジャークを演奏したカルテットとは同じ人とは思えないほど、弦もノリノリで、曲全体がエキサイティングなものでした。私は室内楽の知識が限りなく少ないので、あくまで演奏を聴いての印象ですが、このフランクの曲は、ピアニストにとっては技術的にはかなり難しいけれど、ピアノが弦をリードする、という意味では、シューマンやドヴォルジャークよりもやりやすいのではないかと感じました。でもそれは、Kholodenkoの演奏が格別よかったからそう感じたのかもしれません。とにかく、今日の室内楽を聴いて、私の同伴者は「今回のコンクールではKholodenkoが優勝する」と言い切っているくらいです(この「同伴者」は、私とは比べものにならないくらい音楽のことがわかっている人なので、彼の言うことに注目する価値はじゅうぶんありです)。

というわけで、予選とはひと味もふた味も違った展開のある準本選。たいへん面白いです。

カウボーイと文化の街 フォート・ワース

予選と準本選の中日である昨日は、聴衆にとっては休みの日でした。さすがに一週間朝から晩までリサイタルを聴きっぱなしは疲れたので、寝坊してから、髪を切ったり(知らないところで、しかもアメリカで、髪を切るのはたいへん心配なのですが、ハワイに戻るまで待っていられない状態だったので、滞在先の近くの美容院に行ってみましたが、結果は意外に満足いくものでした)ペディキュアをしてもらったりして、ゆっくりと午後を過ごしました。前から感じていたのですが、テキサスの女性、とくにクライバーン・コンクールに足を運ぶような女性はそうですが、それ以外に街で見かける多くの女性も、たいへんきれいな外見をしています。「きれいな外見」というのは、洋服やアクセサリーにかなりお金がかかっていて、髪もばっちり決まっているし、お化粧をたっぷりしている。長年アメリカで暮らしていると、日本に行くたびに都会の女性がきちんとした身なりをしているので自分がずいぶんみすぼらしく思えるのですが、それと同じような感覚をテキサスでも感じます。もし自分がハワイからテキサスに引っ越すことがあったら、住居費を相当節約できるぶん、身なりを整えるのにお金がかかりそうな気がします。

夕方からは、Historic Stockyards、つまり家畜収容所として歴史的に機能してきたエリアに出かけ、ステーキを食べてきました。フォート・ワースに来たのは今回が5回目でありながら、Stockyardsに行ったのは今回が初めてでした。フォート・ワースが、もともと放牧業の中継地点として発展してきた街であることは拙著で説明しましたが、クライバーン・コンクールが開催されているダウンタウンのバス・ホールや美術館の並ぶエリアにいると、その事実は少ししか実感しません。が、Stockyardsに行ってみると、そのエリアに車で入った途端、思わず「お〜!」と声を出してしまうくらい、まさにカウボーイの街で、まるで西部劇の世界。百年くらい前の雰囲気がそのまま残っている。今でも年間通して毎週ロデオが開催されているらしく(ぜひとも行ってみたい)、「そうだ、ここはテキサスだったんだ」ということを思い出させてくれます。拙著でフォート・ワースが自称The City of Cowboys and Culture、つまり「カウボーイと文化の街」であることも書きましたが、こうしたカウボーイの街で、クライバーン・コンクールのようなイベントが世界的なものに成長してきたことの面白さが、Stockyardsに行くとさらにわかります。ちなみに、ステーキ屋さんでは、ステーキの他に、物珍しさで、Rabbit-Rattlesnake Sausage、つまりウサギとガラガラヘビのソーセージなるものを食べてみましたが、普通のソーセージとそう変わらない味でした。




テキサスにはもう何度も来ているのでそう驚かなくなりましたが、最初に来たときに新鮮だったのが、地元の男性はごく日常的にカウボーイ・ハットを被る、という事実。別に、ウェスタンをテーマにした特別なイベントに行くときでなくても、街やレストランで、きちんとした男性が、普通にカウボーイ・ハットを被り、カウボーイ・ブーツを履いている。ビジネスマンが、スーツにカウボーイ・ハット、という姿でいることもあるし、たいへんオシャレなレストランに、ウェスタンの服装とカウボーイ・ハットの男性が何人もいる。そうか、この土地ではこれが普通の格好なんだ、ハワイでは地元の人が日常的にアロハシャツを着る(アロハシャツにもいろいろありますが、ハワイではアロハシャツは正装なので、仕事にはもちろん、結婚式やお葬式にもアロハシャツを着ていくのはごく普通)のと同じようなものなんだろう、と納得。それにしても、テキサスでは、そのへんのいわゆる「場末」の雰囲気のハンバーガー屋さんなどに、きちんとしたスーツ姿のビジネスマンが昼間やってきて、ハンバーガーとビールというランチをとっていたりするのが、私にはなんとも面白いです。

さて、拙著で、クライバーン財団が、音楽ファンだけでなく街全体の誇りとしてクライバーン・コンクールを育んできたことを強調しましたが、今回も、このコンクールの存在は街のいろんなところで感じられます。ダウンタウンにはクライバーン・コンクールの垂れ幕が各所で見られるし、街のバス停のベンチもコンクールの広告になっている。バス・ホール近くのレストランに行くと、ウェイターが「今のところ誰が有望だと思いますか?」などと話しかけてくる、といった次第。


今日から準本選。午前中から始まった予選と違って、演奏は午後1時半からで、午後の部と夜の部のあいだにも3時間近い休憩があるし、ソロと室内楽の演奏が交互にあるので、聴衆にとってはだいぶ楽になります。夜には阪田知樹くんのソロのリサイタルもありますので、ぜひウェブ中継をごらんください。

2013年5月30日木曜日

第14回ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール 準本選進出者発表!

今日の午後で残り6人の2回目の予選演奏が終わり、1時間半の待ち時間を経て、いよいよ準本選に進出する出演者が発表されました。もったいぶっても仕方ないので、結果から先に報告すると、30人の出場者のうち、準本選に進むことが決まった12人は以下のとおりです。

Nikita Abrosimov
Sean Chen
Alexey Chernov
Alessandro Deljavan
Fei-Fei Dong
Jayson Gillham
Claire Huangci
Vadym Kholodenko
Nikolay Khozyainov
Nikita Mndoyants
Beatrice Rana
Tomoki Sakata


昨晩の私の予想のうち、準本選に残らなかったのはひとり(Yekwon Sunwoo。彼が残らなかったのは本当に不思議です)だけなので、おおむね私の判断は当たっていたようです。阪田くんが残ったのは本当に嬉しい。発表の後で阪田くんのお母さんと少しお話しましたが、「本当に活き活きとして、伸びやかな素晴らしい演奏でした」と言ったら、「今回は本人も楽しんで演奏できているようです」とおっしゃっていました。Alessandro Deljavanに「あんなにエキサイティングなショパンのエチュードは聴いたことがない」とお祝いを言ったら、私の手をじっと握って「ありがとう」と言っていましたが、たしかにかなり変わった人物ではあるけれど、相手にかかわらず人の目をちゃんと見て話をする人だなあという印象。

逆に、「この人は準本選には行かないだろう」と思っていたのに進出したのはひとりだけ(Claire Huangci。2回目の演奏はとてもよかったけれど、彼女の1回目の演奏と比べたら、ずっといい演奏をした人が何人もいたと思いました)。あとは、とくに驚かない結果でした。Steven Linをもう見られないのは実に残念ですが(笑)、結果発表のあと「あなたの大ファンです」といって一緒に写真を撮ってもらったので、Deljavanの写真とともに載せておきます。Luca Burattoが残らなかったのも残念。



もちろん、準本選進出かなわなかった出演者たちはみな大きく落胆しているはずですが、さすがこのコンクールに出るようなレベルの人たちはみな他にたくさんのコンクールで経験を積んできているし、審査にはいろいろな要素が絡んでいて、ここで落選したからといって音楽家として劣っているわけでは必ずしもない、ということをちゃんとわかっているのでしょう、目に見えて落胆や悲しみや怒りを顔に出している人はいませんでした。これぞプロというものです。

2009年のコンクールのときは、結果発表までの時間に、出演者はみな控え室で卓球をしたりしながら待っていて、発表が始まるとホストファミリーや聴衆に混じって客席に座っていたのですが、今回は発表の形式が少し変わり、発表の時間が午後7時とあらかじめ指定され、クライバーン財団の理事長の挨拶の後、財団長が30人の出場者の名前を呼び、全員が舞台に出てコンクール参加の賞状を受け取りました。そして、30人が出そろったところで、会場に集まった聴衆全員が総立ちで、1週間すべてをかけて自分たちの音楽を披露してくれた出場者たちに、大きな拍手を何分間もと思われる長い時間送りました。若い芸術家たちに心からの拍手を送るこの会場の空気に、私はじーんとして涙ぐんでしまいました。



これまで1週間、午前11時から午後10時過ぎまで演奏を聴きっぱなしで、他のことはなにもできない状態でしたが、明日は聴衆にとっては一日お休み。ただし、準本選進出者は、室内楽のリハーサルなどが詰まっているし、もちろんこれからの演奏の準備をしなければいけないので、喜んだり休んだりしている場合ではありません。でも、少しは休んで、2日後からまた自分たちの演奏を存分に聴かせてくれることを期待しています。準本選の演奏スケジュールはこちらで見られます。

2013年5月29日水曜日

予選第2段階3日目

さて、予選第2段階も後半に入りました。今日は、1回目の演奏で度肝を抜かれたAlessandro DeljavanとFei-Fei Dongの両方の演奏があり、私はおおいに注目していたのですが、これがなかなか、「こうだった」と言い切れない複雑な結果になりました。こういうことがあるからこそ、やはり予選が2段階あるというのは面白いです。

Alessandro Deljavanは、モーツアルトの、グルックの「愚かな民が思うには」による変奏曲K455と、シューマンの幻想曲作品17と、シューベルトのディアベリのワルツによる変奏曲D718の3曲。予想通り、最初のモーツアルトから、アーティキュレーションやヴォイシングがきわめて個性的な演奏。私はとてもよいと思ったけれど、私の同伴者は、「ちょっとやり過ぎで、ラインが途切れることがあるから、マイナスに判断されるんじゃないか」と言っていました。そして2曲めは、狂気におかされ精神病院に隔離されたシューマンと同様、Deljavan自身が精神病院に入ってしまうんじゃないかと思わせるような様相の演奏で、ある意味作品にふさわしいとも言えるけれど、ついて行けないかも、と感じないこともない。楽章の途中で拍手をする聴衆がいたかたわら、シューマンからシューベルトのあいだには拍手を許さず休みなくそのまま移行。全体として、まさに浮き世の常識人とは別の世界に生きている芸術家の演奏、という感じで、はたしてこういう人が審査員にどう評価されるかはとても興味の湧くところです。これだけの人が準本選に進まないということはありえないと思うけれど、はたして本選に残るのか、はたまた入賞するのか。こういう人が優勝するということはまずないと思いますが、彼が3位以内に入賞したら、私はクライバーンの審査員にあらたな尊敬を抱くでしょう。

ちなみに、Deljavanのことを個人的に知っている私の友達によると、彼は舞台の外でも、きわめて独特な人物で、実際かなり複雑な精神をもった人のようです。いったん舞台に出れば、あれだけ自分独自の声をもって、コンクールの常識などはおかまいなしの個性的な演奏を堂々とするにもかかわらず、自分の演奏にはとても悲観的で、はるばるヨーロッパからフォートワースまでやってきておきながら、コンクールが始まる前のオープニング・ディナーのときになって、「僕はまるでだめだ、棄権しようかと思ってる」と不安いっぱいの表情で言っていたそうです。自分の声を究極まで追求しようという姿勢と、自分の演奏についての不安が、頭や心のなかでものすごい勢いで渦巻いているのでしょう。芸術家というのは本当にたいへんだなあ。。。

いっぽう、Fei-Fei Dongは、スカルラッティのソナタ2曲とドビュッシーのダンス、そしてリストのロ短調ソナタ。スカルラッティは、1回目の演奏のときと同じ、きわめて強い声があってとてもよかった。ドビュッシーは、数カ所ちょっとしたミスがあったけれど、全体としては、リズムが利いた、はっきりしていて明るい演奏でした。そして、すでに何人かの出演者が演奏している(2009年のコンクールでは、この曲を演奏した人がたしか5人いました)リストのソナタ。ファウスト伝説にもとづいた(他にもいろいろと解釈はあるそうですが、ファウストがもっとも一般的)この大きなソナタ、技術的な困難もともかくとして、表面的に物語を追って感情をつけることはそう難しくなくても、作品の根底にある精神性をきちんと理解して表現することはたいへん難しい。そうしたことを、彼女の演奏がどれだけ実現していたのかは、専門的な知識のない私には判断できませんでした(私の周りには、「彼女はちゃんと理解しないで弾いている」と言っている人もいました)が、情熱的な演奏で聴衆に訴えかけるという点では、群を抜いていました。なにしろ、彼女の直前の演奏が、Sean Chenの、ベートーヴェンの「ハンマークラヴィアー」ソナタ一本(2009年に辻井伸行さんが準本選で演奏した曲。あまりにも難解で、演奏がよかったのか悪かったのか私には判断できない)という順番だったので、難解かつ長大な一曲を45分近く座って聴いたばかりの一般聴衆にとっては、彼女の演目そして演奏は、たいへんわかりやすいものでした。はたして審査員がそれをどう評価するかは、明日のお楽しみ。

他に今日の演奏のなかでとてもよかったのが、韓国のYekwon Sunwoo。1回目の演奏もよかったですが、今日はさらに光って、しっかりとした骨太でクリーンな、非のつけどころのない演奏でした。準本選進出はほぼ間違いないと思います。

明日、残り6人の演奏があった後、審査員の評価が集計され、準本選に進む12人が発表されます。その集計にどのくらい時間がかかるのか(同位の人がいる場合は、その人たちについて審査員が投票しなおす)はまったく不明。出演者はもちろんですが、聴衆もドキドキです。まだ演奏し終わっていない6人がいるので、きちんとした予想はできませんが、明日の演奏と審査発表のあいだにブログを更新する時間があるとは思えないので、今の時点での私のまったく主観的な予想をあえて書いておくならば、私が準本選進出間違いないと思うのは、
Alessandro Deljavan
Fei-Fei Dong
Beatrice Rana
Tomoki Sakata
Yekwon Sunwoo
の5人。さらに、個人的な好みとしてはLuca Burattoの演奏も、派手ではないけれど、偽りのない誠実ないい音楽で、彼の人格が表れていると思いました(今日ホールのロビーに彼がいたので、そのむね伝えておきましたが、とても感じのいい青年でした)。それから、Steven Linも、とにかくその笑顔をもっと見たいので一票入れておきます(笑)。残りは、私にはなんとも言えないなあ、という感じです。

ところで、拙著で、このコンクールでのメディアの役割について書きましたが、今回も、ドキュメンタリー映画そしてウェブキャストのクルーが、始終出演者たちを追っている上に、2009年以上の数の報道関係者が集まっています。そのいっぽうで、そうしたカメラが出演者たちにもたらす負担をなるべく減らす工夫がされているのが感じられます。前回は、舞台上数カ所そしてピアノそのものの先端や横端に取り付けられたカメラに加えて、ピアノの頭上にぶら下げられた大きなカメラが演奏の最中360度まわっていたのですが、今回は、舞台上には、客席から向かって右端と、ピアノの斜め後ろに、黒いカバーで覆われたカメラが設置されているだけ(私は前から4列目の真ん中に座っているにもかかわらず、2日目までこれらのカメラの存在に気づきませんでした)で、ピアノ自体にはカメラがついているようには見えない。客席前列の鍵盤側にカメラマンがひとり。そして、前回同様、ピアノの頭上に吊られた移動カメラはありますが、演奏者の視界には入らない角度にしか移動しないようになっている。これらはやはり、出演者の集中をなるべく妨げないようにとの配慮からきているのだと思います。それでも、広報やマーケティングを得意とするクライバーン・コンクールなので、ウェブキャストや映画その他のためのインタビューなどで出演者はけっこう忙しいらしいので、私は今のところ、邪魔にならないようにインタビューの依頼は控えているところです。




では、明日の残りの演奏、そして準本選進出者発表をお楽しみに!

2013年5月28日火曜日

予選第2段階2日目

宣伝するようなことでもないですが、今日(テキサスでももう夜中を過ぎてしまったので正確には昨日ですが)28日はワタクシの誕生日でした。一日じゅう生の音楽に浸り、自分にはなんの縁もないはずだったテキサスのフォートワースの街で、昼も夜も夜中もたくさんの友達にお祝いをしてもらって、幸せな一日でした。世界から選りすぐられて集まってきた、自分の半分(以下)の年齢の若者たちが、芸術に生涯を捧げ、コンクールで自分のすべてをさらけ出しているのを舞台の目の前で一日じゅう見ていると、とても刺激が多いと同時に、謙虚な気持ちにさせられます。

夜中過ぎに帰ってきたのでもうすぐ寝ますが、今日の報告の目玉は、阪田知樹くんの2回目の演奏。私だけでなく、会場の聴衆がみんな、終わったとたん、瞬発的に立ち上がって「ブラボー!」と声をあげて拍手してしまうくらい、素晴らしい演奏でした。準本選進出は間違いなし、これは本選進出もかなり有望で、もしかしたら3位以内に入賞するかもしれない、と思わせる出来でした。プログラミングもとてもよかった。最初のモーツアルトは、音にも解釈にも、けがれがなく、とてもクリーンで、清らかな演奏。「こういうふうに弾くのが深い演奏だ」といったわざとらしさやいやらしさがなく、きわめてまっすぐでピュアな音に心が洗われる気持ちがしました。そして、次のアルベニスの「イベリア」第2巻が最高でした。この3曲めの「トリアナ」を私も演奏したばかり(これがもう、難しいのなんのって。。。)なので楽しみにしていたのですが、昨日の夜ネットで見つけた阪田くんの演奏は、いくら10代の青年だからといっても、いくらなんでもこの曲に必要な色気、そしてその色気を出すための間の緩急がなさすぎだろう(私に言われちゃあおしまいですが)と、感心しなかったのですが、今日の演奏は、同じ人物の演奏とはまるで思えないほど、フレージングも呼吸も彩りも豊かで、心から感動しました。いくつか音のミスはあったけれど、全体の流れが素晴らしく、音のミスなどはまるで問題にならない。最後の「エフゲニ・オネイギン」の編曲も、キャラクターがよく出ていて、とてもよかった。ベートーベンやブラームスのソナタといった作品で深遠さを表現するのももちろん重要だけれど、こうした作品で自分の音楽性を表現するのも立派な音楽的行為。前にも書きましたが、変な背伸びをせず、自分の音楽を素直に演奏する姿勢が、聴衆にまっすぐ伝わってきました。ブラボー!

さらに、今日最後に演奏したウクライナのVadym Kholodenkoもかなりよかったです。すでにもう何人かが「ペトルシュカ」を演奏していますが、そのなかではもっとも説得力がある演奏でした。

全体としては、今日演奏した9人は、1回目の演奏と比べてずっとよかったとかずっと悪かったという人はなく、おおむね1回目の印象を確認した、という感じでした。Lindsay Garritsonは、ショパンのバラードの後半でミスをしてから、ガタガタと崩れ、最後のリストではもう自暴自棄になったような、必要以上のスピードと音量で突っ走る、といった結果になって、気の毒でした。その30倍くらい低い次元で、私自身そうした状況には非常に共感できる(ミスをすると、あせる。あせると、他の箇所も不安になる。不安になると、その部分が早く終わってほしいので、急いで駆け抜けようとして、必要な区切りをつけずに先を急ぐ。急ぐと、音符だけで頭がいっぱいで、フレージングや音色がおろそかになり、全体がどんどんと崩れていく)のですが、やはりこういう場では、ミスをしても動揺せず、鉄の精神をもって音楽の全体性を貫かなければいけないのだなあと、あらためて実感。本番にすべてがかかっている演奏というのは、本当に大変です。

他にもいろいろ書きたいことはありますが、また後日。明日もまる一日予選が続きます。

2013年5月27日月曜日

予選第2段階スタート

今日の午前の3人のコンサートで、出場者30人全員が1回目の演奏を終え、午後からは予選の第2段階、つまり2回目のソロリサイタルが始まりました。1回目と同じ順番で演奏するので、今日で6人の出場者が2回の演奏を終えたことになります。予選で2回のリサイタルをするというのは、これまでのコンクールと大きく違う点ですが、今日の6人の演奏を聴くと、この2回目のリサイタルがあることのメリットが実感されました。1回目よりもずっといい演奏をした人もいれば、1回目と比べるとそうでもなかった、という人もいるし、1回目いまひとつで、今回もやはりいまひとつ、という人もいる。また、1回目も素晴らしかったけれど2回目でさらにその実力が確証された、という人もいる。こうやって2回めの演奏を総合して評価すれば、各ピアニストの力量がより正確に判断できる、という理屈は間違ってはいないと思います。

今日2回目の演奏をした6人のうち、1回目よりよかったのは、Claire HuangciとScipione Sangiovanni。Huangciは、1回目は音の鳴りがいまひとつだったのに対して、今回は演目と楽器そして本人の音楽的なキャラクターがよく合って、前回よりずっといい演奏でした。Sangiovanniのベートーベンはやや重たすぎる印象はあったものの、彼も1回目より説得力のある演奏でした。

それに対して、Steven Linの演奏は、ハイドンはよかったけれど、ショパンは日本食に中華料理のソースをかけたような、ちょっと濃すぎる感あり。そして、最後のリストの「ドン・ジオヴァンニの回想」は、やたらめったら音が多い曲の超絶技性は見事に実現していたものの、アクロバティックな要素を超えた音楽の深みはあまり感じられず、途中からは音色もちょっと一面的だった印象を受けました。疲れが出てきたのかもしれません。(あれだけの音を弾けば、そりゃ疲れもするわさ、というような曲です。)1回目の演奏と比べると、切れ味も少し欠けたような気もしました。が、前回も書いたように、なにしろ彼はルックスがとにかくキュート。笑顔がたまらない。彼の笑顔を私たちが見られるためだけにでも、準本選に彼を進めてほしい、と思うくらい。隣に座っている女性とも、後ろの列に座っている女性とも、振り向き合っては「He's so cute!!!」と何度も言ってしまうくらいの、本当に信じられないようなキュートな容姿で、後ろの女性は、「女性の出場者に花束を渡す男性ファンがいるんだから、女性が彼に花束をあげたっていいわよね?準本選に彼が進んだら、私花束を持って来ようと思う」と張り切っています。ヴァン・クライバーン氏がチャイコフスキー・コンクールで優勝したときも、ソ連の女性たちがたくさん花やらプレゼントやらを彼に差し出したのだから、Steven Linに花束をあげて悪いはずはないわよね、と周りの席の人たちのあいだで盛り上がっていました。

1回目、繊細さはあるけれど迫力にいまひとつ欠ける、と思ったMarcin Koziakの今回の演奏は、ベートーベンはパワーがなさすぎ、ブラームスは逆にパワーばかりで音質がよくない、と思いました。また、ダラス出身で地元ファンが多いAlex McDonaldの1回目の演奏は、私は悪いところはないけれどもとりわけ心を打つようなものでもないなあと思ったのですが、今回は、1回目より全体として出来はよいけれども、やはりとりわけ芸術性を感じるものでもない、という印象。

そして、今日のスターはなんといってもBeatrice Rana。1回目の演奏もとてもよかったけれど、今回はそれよりさらに光って、「これは準本選進出間違いなし、本選にもほぼ間違いなし、入賞の可能性も大」という評価を確実にしました。ラヴェルの「夜のガスパール」はここ3日間ですでに何回も演奏されていますが、断然彼女の演奏が一番よかった。音色の彩りの豊かさ、音の層の重なり具合、多くの部分からなる曲全体の整合性、どれをとっても申し分なし。そして最後のバルトークの「戸外にて」がなんといってもすごかった。曲に馴染みのない聴衆にとってはともすると聴きにくい作品であるにもかかわらず、技巧と構想と演出で、みごとに曲の面白さを伝えていました。演奏後の彼女の表情も、1回目のときよりも明るかったので、本人も満足のいく演奏だったのでしょう。

というわけで、予選の2段階めはまだまだこれから。意外な展開がみられるかもしれません。他にもいろいろ書きたいことがあるのですが、今日は演奏のあとクライバーン財団の人たちと一杯飲んでから帰ってきたので、他の話題はまた後日にとっておくことにして、もう寝ます。

2013年5月26日日曜日

予選3日目

クライバーン・コンクール、今日もさらに9人の出演者がコンサートをしました。ここまでレベルが高い人たちばかり30人近くの演奏を立て続けに聴いていると、素晴らしく上手、というだけでは印象に残りません。実際のところ、すでに10人くらいは頭のなかでごっちゃになっていて、誰がどうだったのだかよく思い出せなくなっています。そうしたなかでも、人と一線を画しキラリと光る特別ななにかを伝える演奏をする人は、決して忘れない。

今日の9人のなかで、私にとって群を抜いていたスターは、中国出身のFei-Fei Dongでした。顔やお辞儀のしかたなどは、可愛らしく無垢で謙虚な雰囲気が漂っているのですが、いったんピアノの前に座ると、音楽の霊がのりうつったような迫力で、クレメンティでもシューマンでもショパンでも、それぞれの曲想を全身全霊で体現している。なにしろ、自分独自の声をとても強くもっている。このコンクールに出るような人は誰でも驚くほど大きな音量は出せますが、より本質的な意味での「強い声」というのはこういう音を指すんだなあと感じながら聴きました。そして、最後に演奏したリーバーマンのガーゴイルがすごかった。「すごかった」という意外に形容のしかたが思いつかないところが物書きとしては情けないのですが、その迫力といい、彩りといい、とにかくすごかった。演奏が終わってから、私が友達と夕食を食べた同じ店で、彼女がホストファミリーと一緒に食事をしているのに気づいたので、後から「素晴らしい演奏だった」と声をかけに行ったのですが、そのときの様子も、実に謙虚で地に足のついた感じで、きわめて好印象をもちました。

現在ジュリアード在籍中のSara Daneshpourの演奏も、繊細で叙情的な感性豊かでとてもよかったのですが、こうした舞台では、他の出演者と比べるといまひとつパワーに欠ける印象。もちろん、音楽というのは、いわゆる筋力的なパワーの他にもっと大事なことがたくさんあるので、詩的な音楽性を評価するなら彼女のような人が上位に入るべきですが、はたしてこういうコンクールで審査員が彼女をどう評価するかは興味のあるところです。

その他は、私にとってはとくに誰が素晴らしいということもなく、みんなたいへんご立派な演奏。でも、正直言って、3日目となると、やたらとたくさん音符の詰まった、オクターブや大きな和音が飛び回るリストやらプロコフィエフやらラフマニノフやらの曲は、もうお腹いっぱいです、と言いたくなってきます。そうしたなかで、シューベルトやらモーツアルトを気品と威厳をもって演奏してくれると、実にほっとした気分になります(私はシューベルトもモーツアルトも、聴くのも弾くのもあまり得意ではないのですが)。

拙著でも書いたように、このコンクールをホールで見にくる人たちのあいだには、なんとも特別なつながりが生まれるのですが、今回も3日目にしてすでにいろいろな人たちと面白い出会いがあります。今日の午後、私の隣に座ったアジア人の男性は、北京の中央音楽学院でチェロを学んだのち、今はフォートワース周辺でIT関係の仕事をしているという人。話しているうちに、実は彼はハワイ大学で民族音楽学の修士をとっており、私と共通の知り合いもたくさんいるということが判明。まさかフォートワースのクライバーン・コンクールの会場で、ハワイ大学の卒業生と隣の席に座るとは思いませんでした。他にも、大学でピアノを勉強したけれど演奏には生き甲斐を感じないと気づいて方向転換し、今は小学校の教師をしているという、白人アメリカ人の父親と韓国人の母親をもつ男性は、デトロイトからこのコンクールを見学するためにフォートワースに滞在中で、数週間後には、日本の教育制度について学ぶために日本に研修旅行に出かけるらしいです。また、昨日隣に座った女性は、フォートワース近くの大学の工学部の教授で、私と同様アマチュアのピアニスト。また、このエリアでピアノを教えているという人たちも聴衆のなかにはたくさんいます。でも、休憩時間の周りの人たちの会話を聞いている限りでの印象では、聴衆の過半数は、とくに音楽について専門的な知識をもっていない、まったくの素人。そういう素人が、こうしたイベントにせっせと足を運び、一生懸命耳を傾け、気に入った演奏には立って「ブラボー!」と叫びながら拍手をし、気に入らなかった演奏については自分なりにあれやこれやと文句をつける。自分の意見はなんの権威も影響力ももっていないとじゅうぶん承知の上で、あれこれうんちくを傾けることを楽しんでいる。その様子が、見ていて面白いのです。こうした一般の聴衆の反応は、審査員の評価とはまったく無関係ですが、クライバーン・コンクールがここまで立派な世界的イベントに発展してきたのは、こうした一般の人たちが、音楽に素直な興味をもち、このコンクールを街の誇りとして、世界から集まってくるトップレベルの若い芸術家たちの演奏に注目する、そうした習慣を育むことに、クライバーン財団が成功してきたからだと改めて感じます。

明日さらに3人の演奏が終わってからは、予選の第2段階、つまりもう1回のソロリサイタルが始まります。頭のなかには「ペトルシュカ」のメロディーが流れていますが、頑張って眠りにつくことにします。