2013年9月7日土曜日

ハーバード・ビジネス・スクールのジェンダー格差是正実験

日本のメディアや日本の友達のフェースブック投稿を見ていると、2020年オリンピックの東京開催の決定で国じゅうが大興奮しているのがよく伝わってきます。日本にいない私は、この決定に至るまでの経緯もフォローしておらず、日本に一時帰国中にオリンピック誘致活動についてのニュースを見たり読んだりしたときには、「日本が今すべきこととしてもっと大事がことが他にたくさんあるんじゃないだろうか」と疑問をもっていました。なので、海を隔てた場所からこの決定のニュースを見ると、「ほんまかいな」というくらいの気持ちで、そしてまた、オリンピックが今の日本のリソースを注入する対象として本当に正しいのか、という点については依然として疑問を抱くのが正直なところです。が、決定したからには、経済的なことだけでなく、あらゆる意味で、日本の元気につながること、そして、これを機に、日本がより世界に開かれた国になること、原発危機の処理問題を含めて、世界諸国のリーダーたちと共同でグローバルな問題に取り組んでいく国になっていくことを、願ってやみません。

さて、まるで違った話題ですが、今日のニューヨーク・タイムズの教育欄に掲載されている長文の記事がとても興味深いです。ここ2年間ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)で実施されてきた、ジェンダー格差是正のための実験的な試みを扱ったもの。私はちょうど、フェースブックの最高責任執行者で、最近大きく話題になっている『LEAN IN(リーン・イン) 女性、仕事、リーダーへの意欲』の著者、シェリル・サンドバーグについての文章を書いていたところなので、なおさら興味深く読みました。

アメリカのビジネス・スクールのなかでもHBSは、すでにビジネス界で経験を積み、世界的大企業の幹部と血縁関係にある、といった学生たちを世界各地から集め、また経営のリーダー的立場に送り込む、トップの学校のひとつ。そのHBSでは、男女が同レベルの成績で入学しても、卒業までの2年間で女性が明らかに遅れをとる。また、教員側も、女性の教員が圧倒的に少なく、採用された女性教員でもテニュア(終身雇用権)をとらずに去っていくケースが非常に多い。というパターンがずっと続いてきた。実際のビジネスの世界でも、トップ企業の幹部には女性が非常に少なく、政治・法曹・学術などの分野と比較しても、男女格差が大きいことがかねてから指摘されてきていました。ハーバード大学初の女性総長となったDrew Gilpin Faust氏は、HBSのトップに新しい人物を採用し、彼の指揮のもとHBSは意識的そして徹底的にジェンダー格差是正に取り組んできた、とのこと。

その、意識的そして徹底的な取り組みというのが、まさに学校生活の各側面にわたる多岐なもの。ビジネス・スクールの授業では(ビジネス・スクールに限らずアメリカの大学ではたいていそうですが)、試験などの点数だけでなく、授業中のディスカッションなどにどれだけ積極的そして効果的に貢献したか、といった参加点が、成績の大きな部分を占める。そうしたなかで、多くの場合、女子学生は男子学生よりも発言に消極的であったり、また、実際に発言してもそれを教員に正当に評価されなかったりする。そうした問題を是正するため、女子学生には、授業での手の挙げかたや身のこなしかたに始まって、男性と同じ土俵で競争するための基本スキルを教え込む。また、無意識の性的バイアスによって教員が女子学生の発言を正当に評価しない、ということを避けるために、授業には速記者をつけ、学生の発言やディスカッションをすべて記録し、客観的な成績評価をする。ビジネス・スクールの教育の根幹と言われてきた、ケース・スタディ法すらも見直し、カリキュラム自体を改革する。学生がグループ単位で作業する課題については、グループ構成から勉強法まで、学校側が細かく手を入れる。テニュア取得前の女性教員には、授業観察を含めた個人コーチングをする。また、大学の外での社交が、学校での成績やその後のビジネス界での成功に大きく影響することから、キャンパス外のプライベートな社交において女性が不利な立場におかれることのないよう、学校が意識的な施策をする。などなど。

こうした努力の結果、ここ2年間で、HBSの女性学生の成績は目に見えて上がり、ジェンダーにかんする男性学生の意識も変わり、学校生活についての学生の満足度も高まり、おおむねこの「実験」は成功しているものの、こうした実験の成果が、卒業生が実業界に出てから長期的にどういった形で現れるのかは、もちろん未知数。また、なかには、なにかにつけてジェンダー問題を取り上げる学校のありかたに疑問をはさむ学生もいなくはない。けれども、こうやって正面からそして徹底的にジェンダー問題に取り組むことによって、もともと学校が意図したものとは違った、ビジネス・スクールそして経済界全体に流れる他のさまざまな規範や文化(財力や人脈、服装や体型などで、人間関係が決定され、そうした人間関係が学校そして仕事での成績につながる、といったこと)が問題視されるようになり、そうした問題を学生たちが堂々と議論できる空気が形成された、というのは、とても大きな意義のあることだと思います。また、ハーバードのようなトップの学校がこうした実験に取り組むことで、他の学校やビジネス界にも波及効果をもたらす可能性もあるでしょう。こうした実験的な取り組みは、とくに初期の段階では抵抗や失敗ももちろんあるでしょうが、試行錯誤を重ねながら理想に向かって取り組みを続けていくことで、長期的には重要な変革をもたらすはず。ともかくは、こうした実験をする勇気と実行力をもつHBSに、拍手。

2013年8月25日日曜日

リー・ダニエルスの『The Butler』

今週28日は、マーティン・ルーサー・キングJr牧師が「I Have a Dream」で知られる歴史的な演説をし、公民権運動の大きな節目となったワシントン大行進の50周年。今週末はワシントンで記念イベントが行われ、各メディアでも、ここ50年間でアメリカの人種関係がどれだけ前進したか・していないか、といった特集をしています。

その50周年に合わせて公開となった、リー・ダニエルス監督の映画『The Butler』を観てきました。奴隷制廃止から50年以上たっても白人の暴力と搾取のもと南部の綿農場でシェアクロッパーとして働く黒人の両親のもとで生まれ、少年時に母親が暴行され父親が殺害されるのを目撃した主人公が、南部を逃れ、使用人としての修行を受け、やがてはホワイトハウスの執事にまで登りつめる。アイゼンハワー政権(実存の人物がホワイトハウスで務め始めたのはトルーマン政権からだったらしいですが、映画ではアイゼンハワー政権という設定になっている)からレーガン政権までの30年間、公民権運動やベトナム戦争の激動の時代を通じて、ホワイトハウスで大統領およびその家族やスタッフに仕えた実存の人物の生涯を描きながら、戦後アメリカの人種関係の歴史を追う大河ドラマです。

ハリウッド的な映画づくりになっているといえばもちろんその通りで、文句をつけようと思えばいくらでもつけられるでしょうが、全体としてはよくできた映画だと思いました。公民権運動というものがどれだけ危険に満ちたもので、運動に身を投じた人々がどんな覚悟で運動に参加していたか、ということも描かれているし、50年代から80年代までの公民権の拡大が、決して一直線のものではなく、それぞれの大統領の公民権問題へのかかわりかたも、単純なイデオロギーで整理ができるものではなかった、ということがよくわかります。そして、物語の中心となっているのが、ホワイトハウスの執事としての役割を徹底的に務めることを黒人として、また一個人としての誇りとしている主人公と、キング牧師の非暴力抵抗から武力行使も辞さないブラック・パンサー党の活動まで、平等と正義を求める運動に身を投じる長男とのあいだの葛藤。それぞれが自分の信じる形で黒人の地位向上を追求していながら、双方のあいだの溝はどんどんと深まっていく。親子やきょうだい同士でこうした分裂を経験した黒人の家族はじっさいに非常に多かったことと思います。(黒人だけでなく、第二次大戦中の強制収容を経験した日系人たちのなかにも、「日系アメリカ人として生きるとはどういうことか」をめぐって親子で大きな対立を経験した家族はとても多かったのです。)この父子関係を通じてアメリカの人種問題の複雑さが巧みに描かれています。また、2008年にオバマ大統領が当選したということが、黒人にとってどういう意味をもっていたか、ということも改めて考えさせられます。主人公を演じるフォレスト・ウィテカーと、彼の妻を演じるオプラ・ウィンフリーの演技が素晴らしい。

日本でいつ公開になるのか今のところ不明ですが、観る価値おおいにありですので、公開になったらぜひどうぞ。

2013年8月6日火曜日

デジタル時代の史料収集

まる2ヶ月もご無沙汰いたしました。この夏(日本だと学校もまだ夏休みが始まって間もない時期ですが、こちらではすでに夏は終盤、ハワイの公立学校ではすでに新学期が始まっています)はとりわけ忙しく、テキサスで1ヶ月を過ごした後、ホノルルでアロハ国際ピアノ・フェスティバルのアマチュア部門の企画運営のお手伝いをし(こじんまりとしながらとてもいいイベントとなりました。来年はさらに充実したイベントにするつもりですので、年齢・レベルを問わずふるってご参加ください)、その後すぐ日本で10日間を過ごし、そして2日間だけハワイに戻って、今度はワシントンDCとボストンで3週間のリサーチをし、1週間前にハワイに帰ってきました。どれもとても充実した素晴らしい時間でしたが、いろいろな時間帯を行ったり来たりしながらいろいろな意味で刺激を受け続けると、さすがに体力を消耗します。

2ヶ月のあいだに体験したこと、たくさん書きたいことがありすぎて困るので、今日はあえて本業にかかわる話題にしておきます。5月にテキサスのオースティンにあるジョンソン大統領図書館で1週間リサーチをしたことは以前書きましたが、それと同じプロジェクトで、ワシントンの議会図書館で2週間(本当はメリーランドにある国立公文書館にも行く予定だったのですが、時間が足りずに今回は断念)、およびボストンのケネディ大統領図書館で1週間史料集めをしてきました。議会図書館には以前にも何度も行ったことがあるのですが、この巨大な図書館、同じ図書館のなかでも部によってまったく違った文化があるのが面白い。Law Libraryと、Manuscript Reading Roomと、Performing Arts Reading Roomでは、そこで調べものをしている人たちの服装やふるまいがまるで違い、スタッフの人柄も違い、おまけに、資料をとりよせるための請求書の記入の仕方や資料を見るときのルールまで違う。Science, Technology, and Business Divisionや、American Folklife Centerや、Motion Picture & Television Reading Roomに行ったら、またそれぞれ全然違った雰囲気なんだろうなあと想像。そしてまた、世界各地の資料が集まったこの図書館で働いているスタッフ、そして調べものをしに通う人たちは、きわめて多様な人々で、お昼に食堂に行くと、実にいろいろな言語がまわりから聞こえてきます。この図書館内の文化を文化人類学的に観察したら、それだけでじゅうぶん面白い研究ができそう。そしてまた、ケネディ大統領図書館は、ジョンソン大統領図書館とはまた全然違った雰囲気で、ケネディ大統領が愛したボストン湾の海が目の前のガラスの巨大な窓一面に広がる、物理的にとても気持ちのいい資料室。たいてい研究図書館の資料室というのは窓がないものですが、こんな空間もありうるんだなあと、妙に感心しました。

さて、博士論文の研究をしているときから、いわゆる一次史料(とくに歴史的な文書)を調べるという作業はしてきたのですが、この夏のリサーチでは、研究者として改めて多くのことを学びました。

当たり前のことですが、一口に「史料」といっても、研究の性質によって史料のありかたはまるで違う、ということ。私がこれまで主にやってきたのは、いわゆる「文化史」。今回のプロジェクトも、「文化史」には違いないのですが、広義の「文化ポリティクス」ではなく、政府の活動そのものを調べる、という点では、これまで私がやってきた研究とは性質がずいぶんと異なります。しかも、博士論文転じて初の著書となったEmbracing the East: White Women and American Orientalismや、2作目のMusicians from a Different Shore: Asians and Asian Americans in Classical Musicの歴史分析の部分で扱ったのは、19世紀後半から20世紀半ばくらいまでの時代だったのに対して、今回のプロジェクトで調べているのは、1960年代から1970年代にかけての冷戦期。これらの違いが、リサーチという行為に実際的にどんなことを意味するかというと、ごくごく基本的な次元で、目の前に存在する資料の量が圧倒的に違う。私がこれまでやってきた種類の文化史では、具体的なトピックにもよりますが、一般的には、「なんとかコレクション」とか「だれそれペーパーズ」などといったまとまった史料が存在するわけではなく、いろいろなところから違った種類の史料を引っかき集めて、自分でそうした史料同士の関係を導き出し、論を生み出す、というのが主な作業。そうした探偵のような作業にこそ、難しさもあれば面白さもあるのですが、いったいどこに行ってなにを見れば自分が探しているものに関連する史料が見つかるのかわからず、なにも見つからないままどんどん時間が過ぎていくこともよくある。それに対して、議会であれホワイトハウスであれ、政府にかかわるものに関しては、とにかく「もう結構です」と言いたくなるほどの量の資料が存在する。ごくちょっとしたことをめぐっても、政府機関内のいろいろな人たちのあいだで、何十という書類のやりとりがある。しかもこの時代の書類は、当然ながらすべて紙の書類。もちろん、政府の活動がこうしてきちんと記録に残されているのは正しいことなのですが、調べる人間にとっては、頭を抱えたくなる量の紙が目の前に出てくることになります。

前の投稿でも書いたように、今回は初めてiPadで文書のデジタル写真を撮りまくるという方法を使ったのですが、限られた時間内で大量の史料を集め持ち帰る、というためにはたしかに有効ですが、この「少しでも関連のありそうなものはとにかく撮っておく」というやりかただと、せっかくの史料を自分で処理しきれなくなってしまうという可能性が大。資料がないよりはあったほうがいいに決まっていますが、この一夏だけでiPadに7,000枚以上集まってしまった写真を、果たしてこれからどのように整理して、いかに調理するか、考えただけでも頭が痛いです。分析という頭を使う作業に至る前に、まずはiPadにひたすらズラ〜ッと並んでいる写真を整理して、PDFに変換して、タグなりコメントなりをつけながら、なんらかのデータベースに入力しなければ、史料として使いものにならない。ほかの研究者はどうやってこういう作業をやっているのか、フェースブックなどで体験談を集めているのですが(いい知恵やテクのある人は、ぜひ教えてください)、こういうものはやはり、研究の性質によって、また人によって、やりかたはさまざまで、「このソフトを使ってこうやればよい」というひとつの解決策があるわけではなさそう。トホホ。ともかくは、いっぱいになってしまったDropboxの容量を増やし、iCloudの容量も増やし、古くなって遅くなってきたパソコンを買い替え、外付けのハードディスクを買い、せっかく集めた史料が消えてしまわないようにすることから始めましたが、さて、大変なのはこれから。とくに歴史研究の分野においては、史料収集がデジタル化されて、調査という作業の性質がかなり根本的に変わっているような気がしますが、果たしてこれによって本当に研究が促進されているのかどうか、たいへん興味のあるところです。学会などでも、こうしたプラクティカルなことにかんするセッションやワークショップをもっとやってほしいなあ...

とはいうものの、今回は、もともと探していたものとはほとんどまったく関係のないところで、心臓が止まるかと思うような史料を発見し、研究者としてはこんな出会いは一生に一度できれば大きな御の字、というような体験もしました。これについては、実際の分析や執筆が進むまで内緒にしておきますが、研究というのは、95%は(私の性格にまるで合わない)地味で地道な作業でありながら、残りの5%は、眠ることも忘れてしまうような本当に興奮に満ちたものである、ということを改めて実感するリサーチの夏でありました。

2013年6月10日月曜日

阪田知樹くんインタビュー

第14回クライバーン・コンクール終了の翌日、これまでコンクールを連日追ってきた人たちは、なんだか放心状態のまま今日一日を過ごしているのではないでしょうか。私も、会場で生演奏を共に経験した人たちだけでなく、ピアノ仲間たちとフェースブックでのチャットを通して、あの演奏はどうだったの、この人はどうだったのと、ほとんどリアルタイムで密な意見交換をしていたので、急にそれがなくなって、少しほっとしたような(いくらなんでも、音楽業界の人間でもないのに、あれ以上毎日ピアノ音楽ばかり聴き続けていたら、ちょっと気が変になりそうです)、でもやはり寂しいような、不思議な気持ちです。

さて、このコンクール最年少の出場者で見事本選進出を果たした阪田知樹くんに、先ほどインタビューをすることができました。昨日最後の本番そして結果発表があったばかりなのに、今日も写真撮影やインタビューなどが何時間も入って、演奏が終わってもなお忙しい日が続いているそうです。疲れがたまっているはずなのに、とても気持ちよくインタビューに応じてくださって、感謝しています。以下、インタビューを一部抜粋してご紹介します。

吉原:最後の演奏と結果発表から一晩たって、今の気分はどうですか。
阪田:やりとげた、という気持ちです。こんな大きな舞台で本選まで行けたということで、自分にとっては大きな収穫でしたし、もちろんとても光栄なことでもありました。そして、自分が持ってきたレパートリーを全部弾けたのでとてもよかったです。また、アメリカの聴衆はとても反応がよく、自分がよく弾けたと思うとみなさんが本当にそれに応じた反応をしてくださるので、気持ちよく演奏できました。もちろん、完璧な演奏ができたわけではありませんが、自分としてはいい結果だったと思っています。
吉原:今回このコンクールに出ることにしたのはなぜですか。数ある国際コンクールのなかでも、クライバーンを選んだのはなぜですか。
阪田:そうですね、今回はクライバーンとエリザベート妃コンクールが重なっていたので、どっちにしようか、両方出してみようかなどと考えていたのですが、決めるにあたってまず、自分の演目が、アメリカとベルギーのどちらに合うか、ということを考えました。それから、僕はこれまでアメリカに行ったことがなく、自分が好きなピアニストがアメリカで活躍しているので、そのアメリカに行ってみたかった、というのもあります。2009年に辻井伸行さんが優勝したときの様子をテレビで見て、バス・ホールの大きさに驚いて、あんな大きな舞台で演奏してみたい、といった憧れももっていました。
吉原:去年の浜松のコンクールでの演奏を聴いた人によると、そのときから半年しかたっていないとは思えないほどの上達ぶりだ、ということでしたが、このコンクールの準備のためには具体的にはどんなことをしてきましたか。
阪田:とくに普段の練習と変わった準備はしていないのですが、演奏に対する姿勢が変わってきた、というのはあると思います。前は、とにかく上手く弾こう、ということしか考えていなかったのが、だんだん、自分でしかできない演奏をしよう、と思うようになりました。今回のコンクールだと、予選のリサイタルはそれぞれ45分間弾くわけですが、その45分間のあいだに、聴いている人を退屈させない責任が自分にあるんだ、と思うようになりました。そして自分だからこそできる演奏を、最大限提供する、ということを心がけるようになりました。
吉原:香港でのオーディションに合格して、ここに来ることが決まってからは、どんな気持ちでしたか。
阪田:僕は、オーディションやコンクールでも、それほど結果を気にしないたちなので、あまり気にかけていなかったのですが、出場が決まると、ネット上でも名前が発表されるので、周りの人たちからの注目が増えました。
吉原:それをプレッシャーに感じましたか。
阪田:僕は30人の中に入って、予選で45分のリサイタルを2回弾かせてもらえるだけでも大きな収穫だと思っていたので、あまりプレッシャーとは思っていませんでした。初めてアメリカに来て、最年少の19歳でもあるので、とくにプレッシャーを負う必要もなく、とにかく楽しまなければ損だと思ってのぞみました。
吉原:2009年の辻井さんの優勝の話が出ましたが、そのときコンクールの様子を追っていましたか。
阪田:2009年には僕はまだ高1で、国際コンクールに自分が出るなんてことは考えたこともなかったので、辻井さんのことも、テレビで結果を見て知ったくらいでした。ですから、今回自分が出ることになっても、辻井さんの優勝のことをとくに意識するということはありませんでした。
吉原:クライバーン・コンクールについては毎回ドキュメンタリー映画が制作されていますが、そういうものを見たことはありましたか。
阪田:自分がこのコンクールを受けることが決まってからDVDを見ました。そして、出場が決まると、東京まで取材の人が来たりしたのでびっくりしました。
吉原:今回のコンクールに出場するにあたって、自分の目標はなんでしたか。
阪田:とにかく自分らしい演奏をする、ということだけ考えていました。ですから、本選まで行って、その6人のなかに自分がいることが信じられない、という気持ちでした。他の人たちと比べて引け目を感じるということではありません。これまでも、いろいろな立派な先生たちの前で弾く機会をいただいて、よいと言われていたので、ファイナルに残ったほかの人と比べて自分が劣っているとか、そういうことは感じないのですが、それより、以前の自分との違いに驚いた、ということです。ここ数年、年々自分がまるで違う位置にいる、ということを実感しています。高1のときに国内のコンクールに出て、その翌年高2のときにヨーロッパに行き、そして高3のときにまた海外のコンクールに出たりコンサートをしたりするようになり、大学に入ってここに来る、というふうに進んできて、変に背伸びすることなく自分が成長してこられたと思っています。
吉原:そうして着実に大きな世界の舞台に立つようになって、そうした経験が自分の音楽の糧になっていると感じますか。
阪田:そうですね。やはり、舞台に出て聴衆の前で弾く経験の回数が、演奏に対する態度に表れるようになっていると思います。
吉原:阪田くんにとって、ヴァン・クライバーンとはどういう存在ですか。
阪田:クライバーンのCDは子供のときからよく聴いていました。そして、クライバーンの演奏は、音楽への気持ちがとてもよく伝わる演奏だとずっと感じていました。単に上手いだけでなく、本当にやりたくて音楽をやっている、暖かみのある音楽だと思います。数年前に、彼がチャイコフスキー・コンクールで優勝したときのCDを買ったのですが、そのとき、チャイコフスキーの1番とラフマニノフの3番の順で弾いたあと、委嘱の新曲をアンコールで弾いているのですが、それを聴くと、彼が熱狂的に支持された理由がわかった気がします。彼でしかできないスター性をもっていた人だと思います。
吉原:ヴァン・クライバーンといえばチャイコフスキー1番、と多くの人が思っているなかで、チャイコフスキーの1番を選ぶのはとても勇気のある選択だと思いましたが、この作品を選んだ理由はなんですか。
阪田:そうですね、やはり、バス・ホールでのクライバーン・コンクールでチャイコフスキーを弾いてみたい、そういう気持ちはあったのですが、自分が、24歳とか28歳とかだったら、こわくてそんなことはできなかったと思います。でも本当に、この場所でチャイコフスキーの1番を弾くのは、大変なことなので、ファイナルに出ると決まったとき、正直言って、嬉しいと同時にこわい気持ちにもなりました。チャイコフスキーはこれまでオーケストラと演奏したこともなかったですし。でも、本番では吹っ切れて、19歳の自分だからできること、自分だからこそできるチャイコフスキーを弾こう、という気持ちでのぞみました。
吉原:初めてこの曲をオーケストラと演奏したということですが、リハーサル、そして本番についての、自己評価はどうですか。
阪田:リハーサルの1回めは、本選進出が決まった後眠れなかったので、とにかく体力的にきつく、なにがなんだかわからない状態でのリハーサルでした。2回めはまあうまくいったと思います。本番では、もっといい演奏ができたと思うのですが、悔いが残るような思いもありません。今回のコンクールでは、予選の2回のリサイタルも、準本選でも、比較的どれも上手くいったと思っていますし、モーツァルトも自分では満足のいく演奏ができました。チャイコフスキーについては、自分はやはりまだまだですが、クライバーンがチャイコフスキー・コンクールで優勝したときは20代半ばだったわけですから、自分はその年齢に達するまでまだ何年もあることだし(笑)、これからたくさん勉強しようと思っています。
吉原:このコンクールの過程で一番難しかったことはなんですか。
阪田:僕は今回が国際コンクールに出るのは4回目で、本選まで進んだのは初めてです。初めて本選まで進むコンクールとしては、ヘビーなコンクールだったと思います。やはり、本選まで精神力・体力を保ち続けるのが大変でした。本選まで行くと、ホストファミリーの家まで取材が来ます。1曲目のモーツァルトの準備をしているときにも来ましたが、2曲目のチャイコフスキーのときには、取材で3時間も時間をとられ、練習の時間がとれず、また、ホストファミリーの家とコンクール会場との往復でも、時間がけっこうとられるので、思うように練習ができなかったのが辛かったです。
吉原:4年後もまたこのコンクールに出ようと思いますか。
阪田:いやあ、思わないですね。コンクールに絶対、という結果はありません。審査員や聴衆によっても反応は違うし、自分のコンディションによっても演奏の結果は全然違うので、今回本選まで行ったからといって、次回もまた同じようにいくとは限りません。でも、ホストファミリーをはじめ、テキサスの人たちは本当にみな温かくていい人たちで、この土地で過ごすのは楽しいので、コンクールではなく、コンサートといった形で演奏をしにここに戻ってこれたらいいな、と思っています。
吉原:自分が好きなピアニストでアメリカで活躍している人が多い、との話でしたが、好きなピアニストはたとえばどんな人たちですか。
阪田:僕は、今生きていない人たちが好きなんです。(笑)ヨセフ・ホフマンとかいった人たちが好きです。僕が持っているCDに、ホフマンのメトロポリタン歌劇場ライブ、という2枚組のCDがあるのですが、そのCDのジャケットの写真が、メトロポリタン歌劇場を舞台側から満員の客席に向かって写したもので、舞台に一台ピアノが置いてある、というものなんです。そのジャケットを見て、僕もいつかこれをやりたい、と思いました。(笑)
吉原:そうして、実際にバス・ホールの大きな舞台に立って満員の客席を見てみて、どうでしたか。
阪田:そうですね、やはり嬉しかったです。
吉原:予選のリサイタルにあったアルベニスの「トリアナ」は、私も最近勉強したんですが、とても難しい曲ですよね。インターネットで見つけた阪田くんの少し前の演奏と比べると、今回の演奏は信じられないくらい進歩していたと思いましたが、どうですか。
阪田:アルベニスは、去年、大学1年生の5月に、デビュッシー生誕200周年記念コンサートというイベントで弾いたんです。デビュッシーのエチュード第1巻と、ベルグのソナタと、アルベニスを弾きました。そのとき初めてアルベニスを弾いたんですが、あの曲は慣れるまでにずいぶん時間がかかりました。あの曲は、いろんな色合いがあって楽しいし、かつちょっとエキゾチックなところがあって、本当に素晴らしい曲だと思うので、それを聴衆とシェアしたかったんです。自分の好きな曲が弾けてよかったです。

阪田くんの聡明さ、そして彼がコンクールに正しい姿勢でのぞんでいることがよくわかる、インタビューでした。本選に進出し上位3位に入らなかった阪田くんを含む3人には、賞金1万ドルに加え、今後3年間にわたり各地でのコンサートのマネージメントがつきます。プロのピアニストとしての演奏の機会が増え、また、さらなる勉強の時間も確保することができて、変な言い方ですが、阪田くんのような若い音楽家にとっては最善の結果となったのではないでしょうか。このコンクールを踏み台にして世界の舞台にはばたき、さらにどんどんと豊かな音楽性を身につけて、阪田くんらしい音楽を披露し続けてくれることを楽しみにしています。

ちなみに、彼が言及しているホフマンのCDとは、こちらですね。








2013年6月9日日曜日

第14回ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール結果発表!

2週間半の宴が終わり、第14回クライバーン・コンクールの結果が発表となりました。結果は以下の通りです。

1位:Vadym Kholodenko (ウクライナ)
2位:Beatrice Rana (イタリア)
3位:Sean Chen (アメリカ)

今日のVadym Kholodenko, 阪田知樹くん、Sean Chenのコンチェルト演奏を聴いた後では、この通りの結果になるかな、と思っていました。個人的にはKholodenkoよりもRanaのほうが音楽的な幅を披露してくれたと思いましたが、彼が1位の座を獲得するのにはなんの異存もない、というほど、今日の彼のモーツァルトは素晴らしかったし、なんといっても一昨日のプロコフィエフの衝撃は忘れられません。また、Beatrice Ranaが今後真の意味での芸術家として長いキャリアを築いていくことは確信しています。

そして、3位入賞は果たせなかったけれど、阪田知樹くん、本当によくやった!と心からの大拍手です。このクライバーン・コンクールに最年少の19歳として出場して、世界の人々の頭のなかでヴァン・クライバーン氏と結びついているチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を堂々と披露するのですから、それだけですごい!しかも、今回本選に残った6人のうち、チャイコフスキーを演奏したのは彼ひとり。オーケストラとのアンサンブルがちょっと不足していた箇所はあったものの(でもこれはすべてが阪田くんの責任とはとてもいえない。オケだけの部分でも、明らかに管楽器とティンパニが大きくずれていた箇所があって、ちょっとぎょっとしました)、あらゆるピアノ協奏曲のなかでももっとも難しいといわれるあの大曲を、立派にオケと会場じゅうに響かせて、多くの聴衆の心に訴える演奏だったと思います。入賞者の演奏と比べれば、全体的な出来は不足する部分はもちろんあったけれど、私は会場で聴きながらなんだかじーんとして涙ぐんでしまいました。

結果発表の後、閉会ガラ・パーティに出席し、なぜか出場者や審査員その他のVIPもすべて帰った後の一番最後まで会場に残って、いろんな人たちと楽しいおしゃべりをして帰ってきました。2009年同様、コンクールまるごと会場で生で聴くことができたのは、本当に素晴らしい体験でした。それぞれの出場者が自分の内にあるすべてをさらけ出して自らの音楽を披露してくれたことが最大の感動であることはもちろんですが、それに加えて、そうした若い音楽家たちを熱心にサポートする人々のありかたに、あらためて感動を覚えました。素人が、お金を払ってピアノ・コンクールを聴きにきて、あの演奏はどうだったの、それに比べてこの演奏はどうだったの、本当の芸術家はあの人だのこの人だのと、真剣に議論する姿。こういう場があるからこそ、クラシック音楽に未来があるというものです。

感じることはたくさんあり、また後ほど書きますが、とりあえず今晩は、出場者すべて、そしてクライバーン氏亡きあとのこのコンクールを立派に運営したクライバーン財団の人々、さらにこの芸術の祭典をサポートするすべての人々に、ブラボー!

2013年6月8日土曜日

第14回クライバーン・コンクール、いよいよ大詰め

本日は本選第3日め、本選出演者6人のうち3人の2回目のコンチェルトの演奏がありました。明日の午後、残りの3人の演奏があり、その後まもなく結果が発表になります。今日と明日は満員御礼だそうで、ホールも美しく着飾った人たちでいっぱいになり、たいへん盛り上がった雰囲気です。ホール前には、例年話題のピンクのキャデラック(拙著をご参照ください)も登場。明日は結果発表の後で、クロージング・ガラ・パーティがあるので、今日よりさらに、タキシードやイブニング・ドレス姿の人たちが増えるはず。

今日演奏したのは、Nikita Mndoyants, Fei-Fei Dong, Beatrice Ranaの3人。それぞれ、モーツァルト第20番、ベートーヴェン第4番、プロコフィエフ第2番を演奏しました。

Mndoyantsのモーツァルトは、全体としてよくまとまっていて、彼のプロコフィエフの演奏よりずっとよい出来でした。彼が演奏したカデンツアは、私は聴いたことのないものでしたが、次々に変調する、ロマン派以降の音楽のような、不思議なカデンツアでした。Fei-Fei Dongのベートーヴェンは、一昨日のラフマニノフと同様、とてもよい箇所もあったけれど、無理をして弾いているように聴こえる部分や、やたらと叩きつけているように聴こえる部分や、テンポの変化が不自然に感じられる部分があって、ばらつきのある演奏でした。彼女は、予選第1回のリサイタルが一番よかったので、もちろん実力は存分にあるはずですが、他の演目と比べるとコンチェルトの準備がやや不足していたのに加えて、コンクール途中でスタミナが切れてきたのかもしれません。彼女は、準本選の演奏が一番最後で、その夜遅くに本選進出が決まり、興奮もさめやらぬまま、翌日朝一番でオーケストラとのリハーサルをしなければいけなかったので、疲れてもまあ当然でしょう。彼女が3位以内に入賞することはないと思いますが、これをステップに、さらに高いレベルに上がる音楽家となってくれることを期待します。

そして、今日のスターはBeatrice Rana。一昨日Mndoyantsが弾いたのと同じプロコフィエフの第2番でしたが、これはもう明らかに彼女の演奏のほうが数段も上でした。昨日のKholodenkoのプロコフィエフ第3番とどちらがよかったかというと、2番と3番では作品の性質がかなり違うので、これは比較がなかなか難しい。Kholodenkoのほうが、火花の散るような切れと激しさがあったのは確かだけれど、それは演奏よりも曲による部分が大きいかもしれません。2番のほうが、ダークな音楽性があって、Ranaは単なる迫力だけではない、コントロールされたなかに深い芸術性を表現していたと思います。彼女は、顔や身体を大きく動かして演奏するピアニストとは違って、演奏中もかなりクールな表情を保つ人ですが、だからこそ、彼女の微妙な表情に、深い次元での音楽的理解が表れているように思います。聴衆も、昨日のKholodenkoの演奏の後と同じくらい熱く長い拍手をしていました。演奏中はコントロールのきいた表情をしている彼女も、終わってからはとても嬉しそうな笑顔をしていました。コンサート終了後、楽屋口に会いに行きましたが、多くのファンが集まっているなかでも、ひとりひとりに丁寧に話をする、とても感じのいい女性です。


まだ明日の3人の演奏が残っているのでなんとも言えませんが、巷では、優勝はKholodenkoかRanaだろう、という説が一般的。私もそれは間違いないだろうと思います。ふたりのうちどちらが1位になるか(前回は、ハオチェン・チャンと辻井伸行さんが1位を分けましたが、1位をふたりが分けるというのは、いろいろな意味で不都合なので、今後は1位をふたりが分ける、ということは絶対にしない方針だそうです)は、うーむ、難しい。Kholodenkoの室内楽や昨日のプロコフィエフは、文句を言わせず群を抜いて素晴らしかったけれど、コンクール全体を通して考えると、私はRanaのほうが幅広い音楽性を披露したような気がします。というわけで、とりあえず、今の時点での私の予測としては、1位Beatrice Rana、2位Vadym Kholodenko、そして3位がSean Chenまたは阪田知樹くん、といったところ。はてさて、どうなるでしょうか。

明日いよいよ最後の演奏そして結果発表。ぜひともウェブキャストでごらんください。

2013年6月7日金曜日

本選第2日目、Kholodenkoのプロコフィエフに大拍手

今晩は、本選第2日目のコンチェルトの演奏がありました。今日演奏したのは、阪田知樹くん、Sean Chen、そしてVadym Kholodenkoの3人。それぞれ、モーツァルトの第20番、ベートーヴェンの第5番、そしてプロコフィエフの第3番を演奏しました。これで、本選出演者の6人全員が一通りの演奏を終え、明日と明後日でもう一本のコンチェルトの演奏をして終了となります。

今日演奏は、全体として昨晩の演奏よりもずっとレベルが高かった、というのが、演奏を聴いた人たちのあいだでの合意。私もその通りだと思います。

Alessandro Deljavanに入れこんだのと同様、阪田知樹くんにsentimental attachmentを感じるようになっている私は、今日最初の阪田くんのモーツァルトを、文字通り手に汗握りながら聴きました。(自分がかつて勉強した曲だと、聴いているだけでもさらに緊張してしまうのです。)でも、私なぞに心配される必要などまるでない、最初から最後までとてもクリーンで透明度のある、とてもいい演奏でした。予選の演奏から感じていましたが、彼の演奏はとにかく邪念がなく、気負いもなく、まっすぐで清らかで、聴いていて実にすがすがしい気持ちになります。カデンツアも堂々としてかつ気品のある演奏で、オーケストラとの相性もよく、全体的にとてもレベルが高い音楽でした。何度も言いますが、19歳で初めてこんな大舞台に出て、こんな立派な演奏ができるなんて、それだけで本当に素晴らしく、日本の若者に希望を感じてしまいます(と、いかにもオバサン的発言)。

次のSean Chenの「皇帝」もとてもよかったです。曲のタイプがまるで違うので、阪田くんの演奏とは比べにくいのですが、音に輝きがあって、この作品の特徴である堂々とした様子が、フレージングからも音量からもよく表現されていました。ちょっとしたエントリーのミスや、音階の終わりがオーケストラと合わずに最後に音を足して帳尻を合わせた箇所などはありましたが、全体としてはダイナミックでよい演奏。よくも悪くも(悪いということはとくにないかもしれませんが)、これは自分が上手いということをわかっている人の演奏だなあ、という印象。

以上2人の演奏、どちらも昨日のMndoyantsとDongの演奏と比べるとずっとよかったと思いますが、今晩の最大のスターはなんといってもVadym Kholodenko。彼は予選で弾いた「ペトルシュカ」がとてもよかったので、それと同系列(?)のプロコフィエフ第3番には聴衆の期待が集まっていたのですが、これはもう、始まって2分くらいで、「この人が優勝するに違いない」と確信するほど、他の5人とは次元の違う演奏でした。第2番と同様、この曲は私はとくに好きではないのですが、彼の演奏を聴いていると、すっかり引き込まれてしまう。この人はこの曲を弾くために生まれてきたのではないかと思われるほど、音楽との一体感がある。とにかく、リズム感が飛び抜けていて、聴いているだけですっかり乗れるし、大音量の和音の続く曲でありながら、単なる迫力だけでなく、音の彩りがきわめて豊かで、フレージングにも高度な芸術性が感じられる。この曲は単に超技巧的な曲ではなく、ピアノという楽器、そしてピアノ協奏曲という形式を讃美した芸術作品なのだということ、あらためて認識させてくれる演奏。テンポが速くリズムが変化するのでオーケストラとずれてしまう可能性がある箇所もたくさんあるのですが、本選6人のなかで、オーケストラとの呼吸も彼が一番合っていて、他の演奏と比べてオーケストラ自体が上手に聴こえる。ソリストのリードにオーケストラが乗るというのはこういうことなんだなあと、納得する思い。本当にゾクゾク、ワクワク、ビックリする演奏でした。曲が終わると同時に会場全体が立って「ブラボー!」の大拍手がやまなかったことからも、聴衆をとりこにする演奏だったことがわかります。コンサートの後、お腹が空いたので近くのお寿司屋さんで食べてから(フォート・ワースにもお寿司屋さんがあるのです)帰ってきたのですが、夜も更けた今になってから「ジムに行って運動しようか」と思ってしまうくらい、元気を与えてくれる演奏でした(でも、ビールも飲んだので、実際にジムに行くのは明日になってからにします)。

3週間近くコンクールに通って、たくさんの演奏を聴いているなかでも、とくに印象に残る、後々まで耳と心と頭のなかに残る演奏というものがありますが、今日のKholodenkoの演奏はまさにそのひとつです。他に、私がとくに素晴らしいと思ったのは、Fei-Fei Dongの予選1回目のリサイタル、Alessandro Dejavanの予選1回目のリサイタル、阪田知樹くんの予選第2回目のリサイタル、Beatrice Ranaの準本選のリサイタル、Alessandro DeljavanとVadym Kholodenkoの準本選の室内楽です。どれもオンデマンドでインターネットで見られますので、今日のKholodenkoとともに是非とも見てみてください。