さて、私の友達のお母様が『ドット・コム・ラヴァーズ』を読んで感想や質問をくださいました。なかなか面白いので、私の回答を含めて以下にご紹介します。
1 オンライン・デーティングで知り合った相手と会っているときに、過去につき合った人の話をするということに、驚いた。
これは、オンライン・デーティングに限らず、「デート」するようになった相手とはよくあることで、私だけのことではないようです。「過去にどんな相手とどんな恋愛関係をもってきたのか、それらの関係はどんな理由で終わったのか、といったことから、その人の恋愛に対する態度がかなりわかる」という理屈だと思います。30代後半にもなって、真剣な恋愛を一度もしたことがないような人はむしろ危険信号だし、かといって、過去の別離をずっと引きずってそれを今の関係に持ち込むような人も困るし、恋愛において同じようなパターンを繰り返しているとすればそれにはなにかの意味があるだろうし、など、話を聞くほうとしてもいろんな思いがありますが、過去の恋愛にまったく触れないことのほうが不自然だという考えは、一般的なようです。
2 オンライン・デーティングで知り合った人とお洒落なレストランなどに行く場合の会計は、割り勘なのか、それともどちらかが払うのか?そういったことに関する決まりや合意はオンライン・デーティングをする人たちのあいだにあるのか?
デートでは男性のほうが払うのが礼儀、という観念は日本同様アメリカでもかなり一般的です。だから、たいていは、男性のほうが払う意思表示をします。そこで女性のほうが、「いいです、払います」という意思表示をするのも礼儀のひとつです。そこで実際に割り勘にする場合もあれば、女性に少なめの額をもらう場合もあれば、「いいよ、いいよ」と言って男性が払う場合もあります。そのあたりは、男性のお財布状況と感性によるでしょうが、普通は、男性は、自分が相手のぶんも払えないようなお店には初めから連れて行かないでしょう。経済的に自立していて「自分のことは自分でする」という女性が比較的多いアメリカでも、このあたりの感覚は割と伝統的と言えます。ですから、いわゆる「タダ飯ねらい」でデートに出かける女性も存在します。ただし、「デート」からステディな関係に移行してからは、女性のほうが男性よりもずっと収入の多い場合などは、女性がいろいろな支払いを受け持つということは珍しくありません。
私自身は、実際につき合うようになった相手が、愛情表現のひとつとしてときどきプレゼントをくれたりご馳走してくれたりといったことはもちろん大歓迎ですし、私も相手にそうしますが、きちんと収入のある者同士の関係で、恒常的に経済関係が不均衡(つまり、いつも一人が相手のぶんを払う)な状況というのは、ふたりの関係そのものに不健全だと思うし、毎回男性に払ってもらうのは嫌なので、数回以上「デート」するようになる相手とは、たいてい割り勘にするか、あるいはおごり合いっこをするようにします。ただ、初めてのデートで、いちいちそうした交渉をするのも面倒臭いので、男性のほうがぜひ払うと言えば、ありがたくご馳走になるようにしています。
ゲイのカップルのデートの場合は、このへんがどうなっているのか、私にはよくわかりません。デートに誘ったほうが払うのかもしれないし、割り勘にするのかもしれないし、その場の雰囲気によるのかもしれません。近々、「ジェイソン」や「マイク」に聞いて、ご報告します。
3 その場の勢いで、ロマンチックな夜を過ごすことになった場合、シャワーは浴びるのか?
私は、初めはこの質問の意味がよくわからなかったのですが(質問の意味がよくわからないということ自体、こういったことについての私の感覚がかなりアメリカンであることの印なのかも知れません)、要は、セックスの前にシャワーを浴びるのかということだそうです。日本の感覚では、特に初めての相手とそういうことになるときは、汗など落として清潔にして臨みたいし、それが相手に対する礼儀でもある、ということなのでしょう。
こうしたことは、個人の好みによる部分が大きいでしょうが、私の経験では、アメリカでは概して、その場のノリでベッドに入ることになる場合は、やはりその場のノリを維持することが大事なので、普通はそのままベッドに入ります。その途中でシャワーが入ると、自分がシャワーを浴びたり、相手がシャワーから出てくるのを待っていたりするあいだに、「今日セックスをするのはよくないかもしれない」などと冷静な声が頭をよぎったりして、いざという場になってぎこちないことになるようなこともあるんじゃないでしょうか。(もちろん、それならやめておいたほうがいい、ということもあるでしょうが。)セックスが済んだあとには、汗もかくし、シャワーを浴びることは多いですが(二人で一緒にシャワーに入ることもある)、ホットな雰囲気のままそのまま寝てしまうこともあります。アメリカの人はたいてい朝シャワーを浴びるので、夜を一緒に過ごすなら、シャワーは朝浴びることが多いです。
最後の質問は、実に面白い質問ですね。どうでもいいことのようでいて、実は、こうした些細なことに、文化的感覚の違いというものが一番よく顕われるものかもしれません。
ところで、話は変わりますが、ここ数日間、すっかりFacebookにはまっています。これは最近日本語でもできるようになったSNSサイトで、友達数人から「招待」が送られてきたので少し前にアカウントを作ったのですが、初めはほとんど使っていませんでした。ところが、いったん始めると、「友達」の「友達ネットワーク」から、何年も連絡が途絶えていた自分の友達が何人も見つかったりして、けっこう面白いし、多くの人に同時に近況報告などができるので、便利なことも沢山あります。だから、つい次々といろんな友達のプロフィールをチェックしてしまい、メッセージを送ったり写真をアップロードしたりしているうちに、あっという間に何時間もたってしまいます。既にメールを中心に毎日の生活がまわっているような状態で、メールに費やす時間をもっと制限しないとまるで仕事がはかどらない、と思っているそばから、もっと耽溺しやすいFacebookにはまってしまいました。
日本滞在中、『ドット・コム・ラヴァーズ』について講演したときに、日本とアメリカでのネット文化の違いについての質問やコメントを、おもに若い学生さんたちから多く受けました。日本では、ミクシーなどのSNSサイトを使っている人は多いけれども、本名や顔写真を載せている人はまずいないのに対して、Facebookを初めとするアメリカの同類サイトでは、ほとんどの人は本名を使い、顔写真を含む個人情報をたくさん載せている、とのことです。私は日本のSNSサイトを使ったことがないのでわかりませんが、確かにFacebookではたいてい皆、本名を使っています。だからこそ友人知人を検索できるし、また、本名を使わないのであれば、なんのためにネットワーキングをするのかわからない、という理屈だと思います。このあたりの違いは、インターネットという媒体への感覚と態度、そしてネット上の行動規範(ネットに載せるものへのアカウンタビリティを含め)をめぐる文化的な差異によるものが大きいのでしょう。もちろん、アメリカでも、ネット上の個人情報を悪用した犯罪などは存在しますが、一般的には、日本の多くの人が警戒するほどの危険は感じられません。また、たとえば、日本では、大学教授のメールアドレスを調べるのにはかなりの苦労がいりますが、アメリカでは、ごく基本的なネット検索をすれば、大学に教員として所属する人のメールアドレスは数分以内で出てきますし、そうでないと日常的な仕事に大変な支障をきたします。こうしたことからも、ネット文化の違いが感じられますね。
Facebookは、はまると時間がどんどん吸い取られるということの他にも、社会文化現象として特有のものがあると思います。手書きの手紙を郵便で送るという文化から、メール文化に移行して、物理的な距離をへだてたコミュニケーションのありかたはとても大きく変わったことを、外国に住んでいると特に実感しますが、Facebookのような媒体は、そうした短縮コミュニケーションをさらにずっと先の段階に移行させます。こうしたサイトで人が交換するメッセージは、普通のメールの文章よりもずっと短いですし、また、「メッセージ」ですらなく、キスマークとかバラの花束などのいろんなアイコンを送り合うだけの、言葉なしの「コミュニケーション」が、こうしたサイトでは主流のようです。本当にコミュニケーションが促進されているのだか、それとも単に我々を怠慢にしているのかは、大きな疑問だと思います。それに比べて、オンライン・デーティングでは、少なくとも、言葉を使って自分を表現し、相手とコミュニケーションをするということが出会いの核となっているので、同じネット上の交際といってもだいぶ種類が違うように私には思えます。
それでは、また。