2010年7月2日金曜日

ミッドライフ・クライシスの女性が読むべし 角田光代『対岸の彼女』

ふだん日本に住んでいないので、小川洋子『博士の愛した数式 』にしても川上弘美『センセイの鞄 』にしても、ずいぶん遅れて読んでいるのですが、その流れで、角田光代『対岸の彼女 』を昨日の夜から今日にかけて一気に読みました。(途中、台所のガスレンジのカバーを洗剤につけ、お風呂掃除をしました。(笑)このことの意味は、小説を読めば分かります。)読み終わると同時に、身体も頭も心も布団になだれ込みたいような感覚に襲われると同時に、親しい女友達にすぐさま「読んだ?」とメールしないではいられませんでした。涙を誘う小説がいい小説とは限らないのは言うまでもありませんが、この本にかんしては、最後の百ページくらいはしゃくりあげて泣きながら読みました(布団になだれ込みたくなったのは脱水症状もあったのかもしれません)。

いろんな読み方ができ、いろんなことを考えさせられる小説ですが、なにしろ私はミッドライフ・クライシスについてのコラムを書いている最中、しかもその「友情編」の稿を数日前に書き上げたばかりなので(ちなみに「仕事編」は7/7、「友情編」は7/14に掲載予定です。またこのブログでお知らせします)、中年の女性同士の関係についていろいろ考えていたところで、とても強い思い入れをもって読みました。そのコラムでも書いているのですが、『セックス・アンド・ザ・シティ2』のつまらなさの一因は、女性たちそれぞれが自らの問題にきちんと向き合っていない、ということの他にも、これまでのSATCシリーズの要だった4人のあいだの友情が形骸化している、ということがあると思います。子どものいる人いない人、結婚している人していない人、仕事をしている人していない人、そういった相違で、女性の生活はとくに中年期に入るととても大きな差が出てくる。そうした違いを超えるだけの結びつきがある場合には、中年期に入ってこそ女同士の友情はありがたみが増すいっぽうで、生活の違いは価値観や社会観の相違も表し、親愛の情だけでは超えられない溝ができてくることもある。そうしたことを、私自身この年齢になって(小説の登場人物は私よりちょっと年下ですが)、しかも日本で久しぶりに生活してみて、感じることが多いので、田村小夜子と楢橋葵のあいだの、発見・すれ違い・思い込み・受け入れといった、喜びとねじれの両方を含んだ関係にはたいへん感情移入しました。生きかたや求めているものやライフスタイルが違う者同士が本音でつき合っていくためには、お互いの想像力と、自分にも相手にもまっすぐに向き合う姿勢と覚悟が必要なんだなあと教えられました。

私がこの一年間日本で暮らしてよかったことのひとつは、親しい女友達との関係を再確認できたことです。もっとも親しい友達とは、ふだん遠くに住んでまったく違う生活をしていてもやはり結びついていると感じられるのですが、やはり近くにいてより日常的なやりとりを繰り返して、一緒にものごとを見たり体験したりするからこそできる結びつきというのはあります。とくに今の時期に、自分にとって一番大事な相手とそういう時間をもてたことは、ほんとうによかった。というわけで、ここは公共の場を使って大事な女友達にメッセージです。アイシテルよーん!