2010年7月15日木曜日

アメリカの中絶医療の現状

今週のニューヨーク・タイムズ・マガジンに、The New Abortion Providers、つまり新時代の中絶施行者、というタイトルの長文記事があります。たいへん読み応えのある記事で、アメリカ女性史の授業で中絶問題を扱う私も、知らなかったこと、驚いたことがたくさんあり、とても勉強になりました。今後このトピックを授業で扱うときはこの記事をリーディングの一部にしようかと思います。

1973年の連邦最高裁のRoe v. Wade判決で中絶が合法化されてからも、それまで非合法におこなわれていた中絶には暗いイメージが伴い、社会的保守派からの抗議もあって、多くの医師は中絶処置をおこないたがらなかった。医療のメインストリームが中絶から距離を置こうとするなかで、中絶合法化の実現に大きな役割を果たしたフェミニストの活動家たちが、中絶を必要としている女性たちが安全な処置を受けられるよう、全国各地に専門のクリニックを設置し、無機的で冷たいイメージの病院とは違った、温かい雰囲気のなかで処置が受けられる設備やサービスを提供した。そして、それまでは非合法で危険(きちんとした知識や技術をもたないにもかかわらず、金目当てに闇の中絶をおこなう医師も少なくなかった)な中絶で命を落としたり大きな傷を負ったりする女性が多かったのに対し、女性医師やスタッフが温かくサポートするなかで安全な中絶処置を受けられるようになった。ここまでは一般的に理解されていることですが、この記事で扱われているのは、その中絶処置を提供する医師そして医療機関の事情。

アメリカは州によって法律も文化も大きく差がありますが、全体的に見て、中絶合法化以後も、社会的にも、そして医療の現場でも、中絶はメインストリーム化したとはとうてい言えず、全国で中絶処置を提供している医師のオフィスは1982年の700から2005年には367とほぼ半減している。年間におこなわれる中絶処置の数は、1970年代からほぼ120−130万でほぼ安定しており、女性の三人に一人が45歳までに一度は中絶をする。都市部では、産婦人科の門を叩くか、かかりつけの内科医に紹介してもらえばたいてい中絶処置を受けられるが、全米の女性のうち三分の一が住んでいる87%の郡では、中絶施行者を見つけることができない。現在おこなわれている中絶処置のうち、医師のオフィスでおこなわれるのはほんの2%、病院でおこなわれるのは5%ほどで、残りはすべて専門のクリニックでおこなわれている。医師が中絶を支持するということは、自らがその処置を提供するということではなく、患者をクリニックに紹介するということを意味する、という驚くべき事実。

この背景には、Operation Rescueなどといった中絶反対団体による抗議運動や、中絶をおこなう医師に対する脅迫や殺害まで起こる社会的風潮もありますが、そのほかにも、医療の現場において中絶がメインストリームと考えられてこなかった、という現実もあるとのことです。アメリカ医学会は、中絶処置のケアのための標準を設定してこなかったし、医学部のカリキュラムにも中絶は入っていなかった。1990年代に若い医学部の学生たちがそうした状況を憂え、医学部の授業や研修医のトレーニングの過程で中絶についてのきちんとした教育を受けられるよう、医学会や政府に働きかけた。その結果、現在では、産婦人科の研修プログラムの約半数が中絶のトレーニングを必須とし、さらに約40パーセントが選択制でトレーニングを受けられるようにしている。(ウォ—レン・バフェットの財団が、中絶を医学教育の一部にするための資金を多額に提供しているらしいです。これも私は初めて知りました。)こうして、医学教育そして医療の現場において中絶をメインストリーム化することによって、中絶というのは医師がおこなう処置の一部であるという認識を、医療の現場においても社会的にも広める効果があるものの、医療の最先端にいる医師たちが普段の勤務先の病院や自分のクリニックから定期的に時間をとって、各地のクリニックに足を運んで中絶をおこなう、という状況を維持するのは困難である。中絶を必要としている女性たちが、心身ともに安全な環境で中絶を受けられるようにするためには、医学教育においても、医療の現場においても、保険制度においても、中絶がよりメインストリーム化することが必要だ、とのこと。(ここではごくかいつまんで説明しましたが、実際はもっとさまざまな情報や視点があって非常に興味深い記事ですので、時間と意思のある人はもとの記事を読んでください。)

宗教、倫理、法律、性、医療などが複雑に絡み合った、アメリカにおける中絶をめぐる議論、そして殺人にいたるまでの感情は、日本人にはなかなか理解しにくいものがありますが、実際のところ中絶問題は、アメリカの政治を大きく動かすこともある大きな社会問題のひとつです。中絶に反対するキリスト教右派の狂信的な主張や行動というだけでなく、医療の現場におけるプラクティカルな問題も大きな要素としてあるのだなあと、考えさせられます。

3 件のコメント:

hayaya さんのコメント...

45才までの女性で3人に1人が経験するとは、驚きです。子供を産める状況にないのであれば、避妊すべきと思いますが・・・。文化的にそうできない何かがあるのかなと感じます。吉原先生、いかがでしょうか?

Mari Yoshihara 吉原真里 さんのコメント...

産める状況にないのであれば避妊すべきというのは、もちろんその通りですし、大人の無責任による妊娠が少なくないことも事実です。性をめぐる文化が背景の一部としてあることも間違いありません。そのいっぽうで、中絶を受ける女性の事情(性暴力や近親相姦などによる妊娠はもちろんですが、それ以外にも)は実に多様なので、文化という漠然としたカテゴリーではじゅうぶんな理解や分析はできないとも思います。
優生保護法が成立してしばらくのあいだ、日本では中絶が世界的にも多く「中絶大国」といわれていたくらいで、現在でも年間の中絶数の出生比はアメリカと比べてそう低くはありません。それぞれの社会において望まれない妊娠が起きる要因は、宗教・法律・性文化・経済などさまざまなので、それぞれを具体的に検討することが大事だと思います。

payapaya さんのコメント...

日本の中絶数がそんなに多いとは、知りませんでした。また、中絶の要因が、さまざまであり、簡単には結論づけられないとうことですね。うーん、深い。私も弱い人間の1人として、その場の勢いと感情で、避妊せずに突っ走ってしまうのはわかります。臆病なので、そうならずにすんでいますが・・・。