2010年7月25日日曜日

「在日コリアンの戦後」と先住ハワイアン教育

昨晩、NHKスペシャル「日本と朝鮮半島 第4回 解放と分断 在日コリアンの戦後」を観ました。GHQ文書や占領政策に携わった人たちの証言、当時の映像などをもとに、日本敗戦後の在日コリアンの民族運動を、とくに教育に焦点を当てて追ったもので、とても興味深く見応えのある番組でした。植民地時代に皇民化教育を受け、日本国内では参政権も与えられていた在日朝鮮人たちは、戦後、みずからの言語を取り戻し子どもたちにみずからの教育をして民族としての誇りとアイデンティティを回復しようと、コミュニティの各人がお金や労力や知恵を提供して朝鮮学校を作る。そのいっぽうで、冷戦の進行のなかで、占領期初期には積極的に日本の民主化を推し進めていたGHQの政策転換と、在日朝鮮人の扱いを決めかねていた日本政府の意向が合わさって、在日の人たちは参政権も日本国籍も剥奪され、教師や親や生徒たちの果敢な反対運動にもかかわらず、朝鮮学校は閉鎖されてしまう。その時期に学校に通った人たちの今の姿も出てきて、いろいろなことを考えさせられます。閉鎖された朝鮮学校が各種学校という扱いのもとで再開し、現在に至るまでの流れにもうちょっと時間を割いてくれたら、現代の朝鮮人学校そして在日コリアン全体の位置づけにより明確に結びつけられただろうと思いますが、それでも、日本に内在する差別と冷戦体制下のアメリカの政策の両方が語られているという点で、よい番組でした。

今日のホノルル・スター・アドヴァタイザーには、現在のハワイにおける先住ハワイアン教育と連邦政府の教育政策についての記事があり、上の番組を観たばかりだったこともあって、これもいろいろ考えさせられます。19世紀に欧米からキリスト教宣教師がやってきて、資本家たちとともに次第にハワイ王国を植民地化していくなかで、ハワイ語(そしてフラなどのさまざまな伝統ハワイ文化や生活習慣)の使用が抑圧されたり禁止されたりした結果、先住ハワイアンの人たちのなかでも、ハワイ語を母語として日常的に使用する人は現代では皆無に近くなってしまいました。しかし、1970年代から興隆してきた、ハワイアン・ルネッサンスと呼ばれる先住民運動のなかで、ハワイ語やハワイ文化を回復しようという動きが高まり、ハワイ大学でも非常にたくさんの学生がハワイ語の授業を受講するようになりました。また、ハワイ語を母語と同様に使用する世代を再び育てようということで、算数や社会などの科目もすべてハワイ語で指導する学校やプログラムも設立され、現在では、ハワイ州全体で16の公立学校がHawaiian immersion programという集中的なハワイ語の指導をおこなっており、約2千人の生徒がこれらのプログラムで学んでいます。しかし、連邦の教育省がNo Child Left Behind法(これについては『現代アメリカのキーワード 』にエントリーがありますので参照してください)のもとで課する標準テストの免除を教員たちが連邦政府に求めている、とのことです。全国共通の標準テストの成績によって生徒や学校に罰則が与えられたりすることは、先住民の言語の使用を推進する先住アメリカ言語法と相容れないものであり、また、英語で勉強をしていない生徒(全教科をハワイ語で勉強する学校では、英語の授業は5年生から始まる)に全国共通の標準テストを英語で受けさせても、生徒の学力を正確に判断できるとはいえないとして、特別な措置を要求しているわけです。連邦の教育省は、こうした学校の状況を調査中ではあるが、標準テストをめぐる扱いについての決定がいつどのような形で出されるかは不明、とのこと。

みずからの意志で移住し、法的にも文化的にもその国の市民として生きようという選択をした移民と、植民地化や戦争といった状況のもとで意に反して他国の住民となった人々の歴史や状況は一緒くたには扱えませんが、政策や多数派の意識とは別に、多民族・多文化・多言語という社会の現実があるなかで、マイノリティがみずからの言語と民族性を豊かに継承しながら、マジョリティや他のマイノリティと共存していくためには、どういった教育の形が望ましいのか、おおいに考えさせられるところです。