兵庫県伊丹市にあるこの家は、私が小さ
い頃から律儀に毎年夏休み・冬休み・春休みを過ごしに行っていた家で、祖父母が生きていた頃(祖父は私が小学生の
ときに亡くなりましたが、祖母は私の大学院時代まで長生きしました)よくいとこたちと遊んだ思い出があるので、私
にとっては愛着のある家です。また、東京のせせこま
しいマンションで育った私
にとって、土地もゆったりして庭があって、洋間の応接間があり、床の間のある和室には縁側があり、敷地内の隣にはいとこの家族が住んでいる、というのは、まさに「田舎の親戚の家」で、そこに出かけていくのは子供時代の私にとってそれなりに楽しみなものでした。今考えてみれば、伊丹というのは関西の田園調布のように設計された街で(実際、駅前から住宅地にいたる様子などは、田園調布とよく似ている)、田舎でもなんでもなく、かなり大きな家の立ち並ぶ、裕福で閑静な住宅地。また、私の意識のなかでは「古い日本家屋」と記憶されていたその家も、いわゆる昭和の「文化住宅」で、実は建って五十年弱しかたっておらず、私が育った東京のコンクリートのマンションと建設時期がそう違うわけではない(そして、私がホノルルで住んでいるマンションともそれほど年齢が違わない)ことを考えると、急にありがたみが減少するような気持ちもします(アメリカでは、歴史を感じさせる古い家に住みたがる人が多いので、百年以上前に建った家に住むことはまったく珍しくありません)が、それでもまあ、私は個人的に郷愁があります。震災で崩れなかったのが不思議なくらいで、その前も後も一切改装などをしていないため、今では外から見るとお化け屋敷のような様相をなしていますが、それはそれでなんだかちょっと面白い。ただし、冬はおそろしく寒く夏はおそろしく暑いし、お風呂も台所もトイレも建ったときのままの状態なので、住むにはまったくもって適さず、ましてや叔父がひとりで一人で暮らすにはムダが多すぎる、かといって跡継ぎもいない、ということで、売却または取り壊しを検討しているわけです。部外者の私としては、せっかく今どき珍しい日本風家屋を、どこにでもあるような醜いマンションにしてしまうより、もとの家の様式を残した小さな一軒家風の記念館にでもして公開したらいいのではないかと思うのですが、それに熱意を示したのは私といとこのひとりだけでした。
記念館などという案が出るのは、私の家系はなかなか興味深いものであるらしいからです。私の祖父は、叙勲までしたなかなか著名な農学者だったのですが、その祖父は婿養子として祖母の家に入りました。祖母の家は四国などに土地をもつ地主で、男子がいなかったため祖母が婿をとることになったわけです。私は祖父母が生きている頃はもちろん、最近までそうしたことに興味がなかったので、話を聞くようになったのはここ数年のことなのですが、どうもこの祖母の家系も、祖父の家系も、なにやらたいへん面白いらしい。祖母の家系については、押し入れから家系図が書かれた巻物が出てきたのでそれを見てみましたが、なんとその始まりは、なんとかかんとかの皇子。年号が書いていないのでいったいいつのことなのか、もっとじっくり読み込んでみないとわからないのですが、その巻物の長さからして、ちょっとやそっとのものではない。誰がいつどうやって調べたのかもわからないし、にわかには信じがたいほど古いところまで遡って書かれているので、本当なのかしらんと疑ってしまうくらいですが、でっちあげにしては細かいことまでできすぎているようでもある。最後は私の祖父母の名が出てきて終わっているのですが、わざわざ婿養子をもらって家系存続に努めた努力も空しく、私の代にもその下にも家系を継ぐ男子がなく、あの長い巻物の記録はこれにて消滅してしまうのでしょうか。
そのいっぽうで、祖父の家系は、なんと、海賊の末裔らしい。かつて瀬戸内海をかけめぐっていた渡邊水軍の子孫らしいのです。しばらく前までは、四国にあった家のお蔵に、罪なき人々から略奪した財宝が保管されてあったらしい(ほんまかいな)。私がこれを知ったのはつい数年前のことで、海賊というとブラッド・ピットを思い浮かべる私は、心底仰天しました。「私の先祖は海賊だったらしい」と友達にいうと、「なるほどそう言われると納得がいく」という人が多いのですが、いったいなんのこっちゃ。それにしても、なんとかの皇子の子孫が海賊の子孫と一緒になったというのも奇妙な話ですが、さらにその子孫がハワイに住んだりカメルーンに住んだりするのも、なんだか面白い。
祖父母の古いアルバムも出てきましたが、その写真もたいへん興味深く、明治の文豪の写真に見るようなものと同じような背景やポーズ写っている祖父母の写真がたくさんあって、この人たちと自分が血がつながっているというのがとても不思議な気持ちになりました。
Gail Bernsteinという日本史家が、福島から東京や上海そしてインドネシアまで広がるある一家族の三世紀十四世代にわたる歴史を追った、Isami's House: Three Centuries of a Japanese Familyという無茶苦茶面白い本があるのですが、ここで描かれている家族の歴史、とくに第二次大戦後の坂を転げ落ちるような凋落ぶりが、私の家族とあまりにもよく似ているので、驚愕しながら読みました。十四代遡れるというのもすごいと思いましたが、こちらはなんとかの皇子までさかのぼる巻物があるのですから、その気になって研究をすれば、私自身の家系をネタにしてとても面白い歴史書または小説が書けるかもしれません。