私は、アダムズのオペラは、「クリングホッファーの死」の映画版(舞台で公演されたものを録画したものでなく、はじめから映画として作られたもの)を観たことがあるのと、「ドクター・アトミック」をテレビで放送しているところを数分間ちらりと観たことがあるだけなのですが、正直言って、好きかと言われると、「ウーム...」と唸ってしまう。原爆やテロリズムといった社会的テーマを現代音楽を使って舞台芸術にしているわけですから、モーツアルトやヴェルディやプッチーニのオペラを観るのとはまるで違った体験なのは当然ですが、どうも、「このセリフにこういうメロディとオーケストレーションをつけて歌うことにはどういう意味があるのかいな」という点で納得のいかない箇所が多く、違和感をおぼえてしまう。また、イタリア語やドイツ語だと初めからわからないので単に音楽として聴くけれど、英語だとなまじ聴き取れてしまう(とくにアダムズのオペラは聴き取りやすい)ので、私にとってはそれがかえって違和感を生むことにも。
などと、勝手なことを言いながらも、「ニクソン・イン・チャイナ」はテーマ的にも観てみたいと思っていた作品で、また、こういう種類の作品は生で観るよりも映画館で観たほうがむしろ楽しめたりするかもしれないという期待がありました。で、どうだったかというと、確かに、おおいに楽しみました。「このセリフにこういうメロディとオーケストレーションをつけて歌うことにはどういう意味があるのかいな」については、今回もそう感じる箇所がいくつもありましたが、アダムズの初オペラであることもあってか、現代においてオペラという形式を使ってこのテーマを舞台化するということの意味を、全身全霊で模索している、という印象を受けました。ミニマリズム的現代音楽風が急にブロードウェイ・ミュージカル風の歌になったり、また、伝統的なオペラの歌づくりの影響が明らかだったりと、部分によって多彩な音楽になっているのですが、好きかどうかはともかくとして、その芸術的な姿勢には大いに共感。歌手の人たちもたいへんよく、とくに毛沢東夫人の江青を演じるKathleen Kimの歌唱力と演技力はすごかったです。ニクソン夫人を演じるJanis Kellyも、いかにも大統領夫人という雰囲気だったし。周恩来役のRussell Braunは、どう見ても周恩来には見えなかったけれど、白人をアジア人に見せようとしてオリエンタリストで変な化粧をさせるよりはいいか。
また、ライブビューイングならではの楽しみが、幕間に見られる、歌手や指揮者、演出家とのインタビュー(幕が下りて歌手が舞台袖に歩いてくるところをすぐつかまえたり、舞台に出る直前までカメラを前にインタビューを受けるところがすごい)や、セット転換の様子。今回は、トーマス・ハンプソンがホストを務めていましたが、キャンピー(って日本語でなんて言うんでしょう?)でハイテンションなピーター・セラーズやバレエの振り付けをしたマーク・モリスもいい味出しているし、メトロポリタン・オペラという大舞台がどういうふうにしてできているのか、その様子が覗き見れるのが私にはワクワク。
「ニクソン・イン・チャイナ」のライブビューイングは明日で終わってしまいますが、今シーズンまだいくつもライブビューイングが残っていますので、是非どうぞ。私もまた行こうっと。