2011年3月30日水曜日

Jonathan Franzen, "Freedom"

昨年刊行されたJonathan Franzenの小説、Freedomをやっと読み終えました。震災発生前にキンドルで購入して、なかなか面白く途中まで読んでいたのですが、震災が起こってからは、寝る前に手に取って読み始めても、鬱な気持ちが一段と滅入るし、まるで感情移入することができず、しばらく放ってありました。でも、くだらないとか面白くないとかいうわけではないので、ともかく最後まで読もうと、数日前から頑張ってやっと読了(けっこう長い)。

Jonathan Franzenは、2001年のThe Correctionsがたいへん評判になり、National Book Awardを受賞したりピュリツアー賞の最終候補となったりしました。また、オプラ・ウィンフリーの読書クラブに作品が選ばれながらもそのことについて複雑な心境を表し、ウィンフリーが番組出演の招待を取り消したことから大騒動になり、そのことがさらに知名度を高める結果となりました。今では『タイム』誌の表紙に顔写真が載る(作家が同誌の表紙を飾ったのはスティーヴン・キング以来)ほど商業的アピールも博し、今では国民的小説家としての位置づけをされています。私は今まで彼の作品を読んだことがなかったのですが、まあ現代アメリカでもっとも偉大な小説家のひとりとされている人の作品がどんなものだか、一度くらい読んでおいても損はなかろうというくらいの気持ちで新作Freedomを読みました。

私の個人的な総合評価は、10点満点で8点くらいといったところ。読み応えはじゅうぶんあり、考えさせられたり刺激されたりするポイントはたくさん。ミネソタの中産階級の男女の家庭ドラマを中心に、小説だからこそ描ける文化や時代の固有性を、冷徹にまた面白可笑しく捉えながら、政治や道徳やイデオロギーや愛といった大きく普遍的な問題に正面から体当たりしていく作品。その壮大さにおいては、Joyce Carol OatesやPhilip Rothに通じるところもあります。タイトルの「自由」は、親や家族からの自由であったり、表現の自由であったり、正義を追求する自由であったり、自らの幸せを追求する自由であったり、自己の利益や権利を守るために他人を排除する自由であったりする。そして、そのどれひとつをとっても、必ずその自由の犠牲となるものがあり、それぞれの登場人物は、ときにクールに、ときに不器用に、そうした葛藤と格闘していく。読者のなかには、著者がすべての登場人物に対して冷たく侮蔑的な視線を投げかけているという批判をする人もいるようです(他の作品においても、Franzenは上から目線のエリート主義者だとか、結局はアッパーミドルクラスの結構な悩みをごちゃごちゃと述べ立てているだけとかいう批判もあります)が、私はそうは感じませんでした。とくに主人公のひとりであるPattyの思春期から50代までの変遷や葛藤や成長には、著者の愛情が感じられます。作品中二カ所、彼女がセラピー目的で書いた自伝という設定の文章があるのですが、自伝であるにもかかわらず三人称で書かれたこの文章のぎこちなさと、執拗に繰り返されるagreeableという単語、自分や周囲の人間の描きかたなどから、欠陥ある自分との距離のとりかた、そしてその自分への落とし前のつけかたを探っているさまが痛々しいまでにわかります。もっとも、描かれている人や物事の固有性がリアルだからこそ普遍性が強調される作品であるがゆえに、その固有性(たとえば、ミネソタという場所の文化とか、アメリカの大学の文化、とくに日本でいうところの「体育会系」文化とか、現代アメリカの左派の文化とか)を感覚として理解できない読者にはいまいち意味がわからないことも多いかもしれませんが、多くの小説というのはそういうものでしょう。文章にかんしては、思わず暗記したくなるような珠のような表現がたくさんあります。

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