2011年7月4日月曜日

浮気ありの幸せな結婚生活?

前にご案内したとおり、7月2日(土)に、アマチュア・クライバーン参加者5名によるコンサート、「ピアノ・マラソン in 東京」を開催しました。おかげさまで多くのかたに来ていただいて、楽しい会となりました。司会をしたワタクシが言うのもなんですが、ただ演奏があるだけでなく、このコンクールに出場を決めたきっかけや、いざフォート・ワースに行ってみて一番驚いたことなど、出演者に一言ずつ話してもらうというコーナーを設けて、パーソナル・タッチがあったのもよかったと思います。肝心のピアノも、皆コンクールを経て一皮むけた(?)感あり、5人それぞれのキャラクターがよく表れたいい演奏だったと思います。私自身の演奏は、小さなミスはたくさんあったものの、大惨事は免れ、一応自分が表現しようとしている精神にはおおむね忠実だったと思います。自分としてはまあ70点くらいの評価。本番を繰り返すにつれて、やはりいろいろなことを自分なりに学習するものです。来ていただいた皆様から、企業メセナ協会が立ち上げた、東日本大震災 芸術・文化による復興支援ファンドへの募金を集めたのですが、アマチュア5人の演奏で集めたにしては上出来といえる額が集まり、さっそく昨日「アマチュア・クライバーン参加者主催コンサート有志」の名で寄付を振り込んできました。ご協力いただいた皆様、どうもありがとうございました。

さて、まるで関係ないですが、先週末のニューヨーク・タイムズ・マガジンに掲載された記事がたいへん興味深い。タイトルはMarried, with Infidelities、つまり、「既婚、浮気つき」。結婚したら配偶者以外とは性的関係をもたないという一夫一婦制(ただしここでは同性関係についても論じられているので、一夫一夫、または一婦一婦の場合もあり)の原理が、幸せで末永い結婚生活を維持していくのに果たしてどれだけ現実的か、との問いかけをするもの。性や恋愛・結婚についてのアドバイス・コラムで著名なDan Savageの論を中心に、結婚した男女それぞれにとってのセックスの意味や、結婚生活における性生活の位置づけ、性的に満足するということはどういうことかなど、なかなか多面的にとりあげていて、いろいろ考えさせられます。結婚生活においては、性的快楽自体に至上の意味があるというわけではないが、性的満足は二人の関係のひとつの指標ではあるがゆえに、セックスは大事に考えるべき。そして、長期的に幸せな関係を続けていくためには、セックスにおいてお互いが「GGG = Good, Giving, Game」、すなわち、「上手で、相手に尽くして、いろいろなことにオープンである」、ということが大事。ふたりのうちのどちらかが、ある行為に興味があるのだったら、もうひとりは前向きにそれを楽しむ姿勢がなければいけない。相手の欲求にどうしても自分が応じられないというのであれば、そしてその欲求を満たすことがその相手の性的満足度に大きな意味をもっているのであれば、相手がそれを他の人間と満たすことを許容することが、結果的には結婚生活にプラスになる可能性もある、と。ただし、あらゆるフェティッシュをなんでもかんでも配偶者以外の相手と満たせばいいというわけではもちろんない。自分の欲求をどれだけ相手に正直に話すか、そして相手の欲求に対する自分の反応をどれだけ正直に伝えるか、ということは、お互いにとって相当にハードルの高い課題には違いない。また、配偶者以外の相手となんらかの関係をもったことが、結婚生活を円満にする場合もあるけれど、それが深い亀裂の始まりとなるケースも多々ある。一夫一婦制でない関係を上手く維持していくには、一夫一婦制を維持していくのと少なくとも同じくらいの努力が必要で、浮気を正当化するために安易に選ぶ道ではない、と。

私は結婚していないので、これにかんして自分がどう感じるかは、理屈でしかわかりませんが、もっとも考えさせられるのは、セックスそのもののことよりも、「配偶者が自分の欲求をつねに100%満たしてくれると考えるのは非現実的」という前提。性的欲求だけでなく、知的欲求、感情的欲求、ライフスタイルについての欲求など、人はいろいろなものを求めるけれど、どんなに深く愛し合っている者同士でも、それらの欲求をすべていつもお互いが満たすということはちょっと無理。それでも、その人との人生を大事にしていこうと思うならば、自分の欲求を結婚生活の外で満たすことで、配偶者への不満をためないようにする、というのは、理にかなっている気もします。頭のなかではいろいろと相手に求める条件のリストがあっても、実際に好きになる相手はその条件のごくわずかしか満たしていない人物であったりするわけで、それなら、他の条件は別のところで満たせばよい、と。ただし、ことがセックスとなると、たんに肉体的欲求の満足というわけにはいかず、本人にとっても相手にとってもいろいろと複雑な感情が伴いがちなので、そうもプラクティカルに解決できないことが多いのでしょうが。

ともかく、なかなか面白いので、長文ですが頑張って読み通す価値ありです。