今回のセミナーの全体テーマは、American Studies in the Global Age、「グローバル化とアメリカ研究の行方」というものでした。こうしたテーマは、ここ十年間ほど、アメリカにおけるアメリカ研究でもしきりに論じられるようになってきているので、言われるべきことはもうたいてい言われ尽くされているような気もしますが、こうしたテーマを受けて、各研究者がどのように自分のリサーチを具体的に論じるかは、結構面白い。アメリカから招待された3人の基調講演者(基調講演者3人ともがアメリカの研究者であるというあたりが、「アメリカのエラい先生のお話をみんなで聞く」という構造を表しているとも言えますが、その基調講演に対してコメントをする日本の研究者たちは、歯に衣着せず相当に批判的なコメントもしていたし、まあそれはそれでよしとしましょう)の発表もいろいろな意味で興味深かったし、遠藤泰生氏(遠藤さんは私が学部生のときに駒場で助手をしていてご自宅でクリスマスパーティをさせていただいたこともあり、また、私の留学時代にハーヴァードにいらしていたこともあってときどきボストンで遊んだりしたので、なんだか勝手に親しみを感じている)の気合の入った司会ぶりに感動。また、分科会でも、各発表が普通の学会よりもだいぶ長く、各発表にしっかりしたコメントがつき、質疑応答の時間もたっぷりあるので、けっこうじっくり議論することができて満足感が高い。私が司会をしたセッションでの発表は、Edith Whartonの小説The Age of Innocence を論じたものだったのですが、実はこの小説、私が世の中で一番好きな小説なのです。司会を私に頼んできた先生がたは、そんなことはご存知なかったはずですが、偶然にもこういうめぐり合わせになり、私は自分の好きな小説についての議論を二時間たっぷり聞けるというだけで、たいへん幸せな気分になりました。Whartonは、英米文学者をのぞいては日本ではそれほど知られていない作家(ヘンリー・ジェームズと親しかった人物で、作風も共通する部分があります)だと思いますが、なんといっても言葉の遣いかたが素晴らしいし、また、女性のオソロしさをよーくわかった作家でもありますので、よかったら是非読んでみてください。
このセミナーの残念なところは、一日目の全体会議はよいのですが、二日目の分科会のときには、「歴史社会部門」「政治・国際関係部門」「文学・文化部門」と分かれていて、自分が所属する(ことになっている)部門の分科会にしか出席できないスケジュールになっていること。私のような人間はこの三つのどれにもかかわっているし、他の部門の発表が聞きたいので悔しい。それに、私自身のことはともかくとして、せっかく「アメリカ研究」という学際的な分野のセミナーなのだから、こうしたディシプリンの枠を超えた議論を促進するようなプログラムになっていればいいのになあと思います。文学者同士が文学の話をするのなら、文学の学会でいくらでもできるわけで、それよりも、政治学者が文学の話にコメントをし、文学者が歴史家から学ぶ、といったふうになっていてこそ、アメリカ研究だと思うのですが。もちろん、自分の身体はひとつしかないので、同時進行で複数のセッションが行われるのであれば、どんなプログラムになっていてもそのうちひとつにしか行けないのですが...まあ、この点、次回からセミナーの運営をする同志社のかたたちに、提言してみましょう。