2011年9月28日水曜日

エドワード・サイード没後8年

現代におけるもっとも重要な知識人のひとりと言って間違いないエドワード・サイード氏が亡くなって8年が経ちます。


サイード氏が長年白血病と闘っていたことは知っていましたが、2003年から2004年にかけてサバティカルをニューヨークで過ごし、コロンビア大学で客員研究員をしていた私は、そのあいだに一度でも講演を聴く機会があればと思っていたのですが、私がニューヨークに到着してまもなくサイード氏逝去のニュースを読みとても残念でした。アメリカのオリエンタリズムについての研究で学者としてのスタートをした私にとって、『オリエンタリズム』を初めとするサイード氏の一連の著作、そしてパレスチナ問題を中心にした活発で勇気ある言論活動は、なにものにも代えがたいインスピレーションとなってきました。20代前半に『オリエンタリズム』に出会っていなかったら今私は学者になっていなかっただろう(大学院に入るまで『オリエンタリズム』を読んでいなかったということ自体、いかに不真面目な学部生であったかということを露呈していますが)といっても過言ではありません。また、オリエンタリズムをはじめとするカルチュラル・スタディーズの道に入り、ピアノをせっせと練習して西洋文化に傾倒していた過去の自分に折り合いをつける術を探っていた頃、サイード氏が西洋音楽にも精通し音楽評論家としても活発な執筆活動をしていることを知ったときの妙な安心感も忘れられません。


そして、博士論文を書き始めた頃、友達と一緒にニューヨークまで車に乗ってメトロポリタンオペラを観に行ったときに、ロビーでサイード氏の姿を見たときの興奮。こんな機会はまたとないからと、緊張しながら勇気を振り絞って近づいていき自己紹介すると、サイード氏はとても温かく接してくださり、私の論文についてかなり具体的な質問までしてくださりました。(このエピソードについては、もしかしたら以前の投稿でも書いたことがあったかもしれませんが、ご勘弁ください。)本当に立派な人というのは、どんな相手にでも丁寧に温かく接するものだと実感し、オペラ以上(その夜観たオペラがいったいなんだったのかすら覚えていない)に感動して帰ってきたのを鮮明に覚えています。


Jadaliyyaという、アラブ研究のオンライン雑誌に掲載された、サイード氏追悼の文章がなかなか素晴らしいのでご紹介しておきます。執筆者は、ニューヨーク市立大学で文学を教えているAnthony Alessandrini氏。私がオペラのときに経験したのと同様のエピソードから垣間みられるサイード氏の人間性とともに、サイード氏の研究や言論活動全般に通じる精神性や姿勢について洞察した、とてもいい文章だと思います。「連帯のための大小の活動を続けながらつねに批評を忘れず、辛抱強い分析を欠かさず、しかし愚かさに対しては忍耐を示さず、公的知識人として社会に向き合いながら、ときには節制をとりはらった激発を表す」、というサイード氏の姿勢から学ぼう、という文章。なんと素晴らしい追悼文でしょう。パレスチナ国連加盟申請という情勢のなか、考えさせられることが多いです。