2011年9月5日月曜日

アメリカ国家建設と小説の興隆

本日はアメリカはLabor Dayの休日ですが、その名の通りせっせと労働に勤しんでおります。


明日は学部の授業に加えて大学院のゼミのある日なので、その準備に忙しいのですが(アメリカの大学院の人文系の授業では、毎週一冊本を読んで論じるのが普通なので、学生も大変ですが、教えるほうも、すべての本をちゃんと読み直して準備をしようと思うとかなり大変)、今週の課題はCathy DavidsonのRevolution And The Word: The Rise Of The Novel In America。アメリカ建国初期に興隆した「小説」をジャンルとして分析し、この時期に小説というものが誰によってどのようにして書かれ、どのような仕組みで流通し、誰によってどのように読まれたのか、という社会史的な考察と、実際に多くの読者に読まれた作品が当時どのような「意味」を持っていたのかを脱構築的な手法を使って検討したもの。もとは1986年に出版されたものですが、今読んでも、というか、今読むとなおのこと、興奮する内容。18世紀後半から19世紀初頭にかけての「読者」がどのようにして小説を読みなにを感じ取っていたのかを、現存する本の余白に書かれたメモや人の日記や手紙を手がかりに探っていく手法はまさに探偵のようで、それを辿っていくだけでもワクワクするし、さまざまな政治思想や建国の理想と相容れないさまざまな社会の現実が入り混ざった混乱の時期に、なぜ小説というジャンルが育っていったのか、感傷小説やピカレスク小説、ゴシック小説など、いわゆる「高尚な」「純文学」のカテゴリーにはあまり入れられることのない小説が、この時期に興隆し「小説」というジャンル、そして「小説家」という職業を生み出していったのはなぜなのか、テキストそのものの内外から多角的に分析するそのさまは、読みながら「おー!」と拍手したくなる素晴らしさ。アメリカ史やアメリカ文学史に馴染みのない人には厳しいかもしれませんが、水村美苗さんの『日本語が亡びるとき』で論じられていることと重なる部分が多く、イギリスからの独立を果たした建国初期のアメリカと、明治大正期の日本における「国民文学」としての小説の歴史を考えるととても興味深いです。


私はこの本は大学院生のときに読んで以来、実に20年ぶりに読み返しましたが、私はこの本を読んで、「アメリカ研究という学問がこういうものなのだったら、これを職業にしてもよい」と興奮したのを思い出しました。当時読んだのは1986年版でしたが、2004年に再版されるにあたって著者があらたに書いた序文が、これまたすごい。自らの過去の研究をふりかえってこのように位置づけられるのは本当に立派。Cathy Davidsonは、今ではデジタル知を含む新しい時代の「知」のありかたを研究して、現在は新著のNow You See It(こちらは私はまだ未読)のプロモーションで全国を駆け回っていますが、アメリカ建国初期の小説とデジタル時代の知とはずいぶんかけ離れたトピックのようでありながら、実はおおいにつながっているということが、Revolution And The Wordをじっくり読むとよくわかります。この本はアメリカ研究の分野では「古典」の一部となっているものですが、こうした本をあらためて読み返すのは、アメリカ研究の学説史を概説する大学院の授業(興味のあるかたは、こちらのシラバスをご覧ください)を教えているおかげ。ときどきこうして古典を読み返すと、以前に読んだときにはじゅうぶん理解していなかったことがわかったり、新たな発見があったりして、とてもよいものです。