2001年9月11日のテロ事件から10年、アメリカでは各地でさまざまな追悼行事が開催されたり、各種メディアがこの10年を振り返る特集をしたりしています。私は2011年9月11日には、普段と同じように車を運転して大学に向かうときのラジオを聞いて、なにかただごとではない事態のようだけれども、なにがなんだかよくわからない、という状態で大学に着き、その日だんだんと状況を理解するようになったのでした。初めはなにがなんだかよくわからないけれども、徐々にわかってくるにつれて、顔が青くなって胃にずっしりと重いものが入ったような気持ちになるのは、東日本大震災のときに再び経験しました。当時の映像を見ると、そのときの感覚が生々しくよみがえってきて、世界貿易センターからは遠く離れたハワイにいても、胸が苦しくなる思いでした。
さて、話変わって、先ほど、私が大学院6年間を過ごしたブラウン大学の現総長、ルース・シモンズ氏が、今年度をもって総長のポストを辞任する意向を明らかにしたとの発表がありました。シモンズ氏は、2001年に、アイビー・リーグ大学の総長になった初の黒人となって話題となりました。当時ブラウン大学では、学生新聞が、保守の評論家デイヴィッド・ホロウィッツ氏が黒人奴隷の子孫への補償に反対する広告記事を掲載したことで大論争のさなかにあり、そんななかで彼女が黒人女性であるということはさらに話題性を呼びました。就任してすぐ、シモンズ総長は、「奴隷制と正義に関する委員会」を設立し、1764年の設立以来、大学設立にかかわった人物たちが奴隷貿易で財を成したという事実を含め、ブラウンがどのように奴隷制にかかわってきたかの歴史を徹底的に調査する任務を与えました。私の知り合いもこの委員会に入っていましたが、当然ながらこの調査と報告書の作成はなかなか大変な作業だったようです。
以後11年間、ブラウン大学は、シモンズ総長のもと、学部生のためのneed-blind admission(奨学金の必要性の有無に関係なく、優秀な学生を入学させ、必要な学生に奨学金を与えること。日本の入試のシステムから考えると意味がよくわからないかも知れませんが、学費が年間5万ドルを超えるアメリカの私立大学の入学審査は非常に複雑で、人種などのアイデンティティ・ポリティクスに加えて、優秀だけれども奨学金をもらえなければ入学できないという学生の扱いはとてもややこしくなります)の確立、教員のための研究環境の充実、医学部の強化など、さまざまな取り組みにおいて成果をあげてきました。などというと、まるで私はブラウンの広報部の人間のようですが、私自身はシモンズ総長下のブラウンを経験していないし、特に大学の宣伝をするつもりもないのですが、ブラウンでの6年間は私の人間形成にとても大きな役割を果たしたと思っているので、愛着もあり、なんだか、「シモンズ総長、おつかれさまでした!」と言いたい気分。
ハーヴァードの現総長ドルー・ギルピン・ファウスト氏を初め、アメリカのエリート大学に女性の総長も増えてきました。女性であればいいというわけではもちろんありませんが、大学生の過半数が女性である現代、大学界のリーダーシップに女性がそれなりの数で存在することはやはり必要。ちなみに、私の所属するハワイ大学のアメリカ研究学部では、今年度初めて、女性の教員が過半数を占めるようになりました。1997年に私が入ったときは、白人のおじさん(おじいさん)たちの中に私がひとりぴょこんと入った状態だったので、その頃と比べると、実に長い道のりを来たものだなあと感慨深いです。新人の採用を含め、職場環境をよりよいものにするように、ビジョンをもって粘り強く努力を続けることの重要さを実感。