2011年11月17日木曜日

アメリカ性教育の最前線

現在ニューヨーク・タイムズで「もっともメールされている記事」リストのトップにあるのが、今週の日曜版に掲載される(オンラインでは日曜に先立って掲載されている)、Teaching Good Sexという長文記事。なかなか考えさせられます。フィラデルフィアの裕福な地域にあるクエーカー系の私立高校で、3年生の選択科目として開講されている、Sexuality and Societyという名の性教育のカリキュラムを詳しく取り上げたものです。


中絶や同性婚などとを含む性をめぐる社会制度や価値観が激しい政治的議論となるアメリカでは、性教育の是非やそのありかたも、右派と左派を分離するトピックのひとつ。「学校で性教育をするならば禁欲を提唱するカリキュラムにするべきだ」という説から、「禁欲を前提としながらも、『どうしても』や『万が一』の場合に備えて避妊や性病の予防についての基礎知識は与えるべきだ」という説、そして、「ティーンエイジャーの大半が性行為をする現在、性についての正確な知識を与え、若者たちに健全な性意識を身につけさせるためには、包括的な性教育が必要」という説までさまざま。性教育を提唱する運動は、20世紀初頭にハーヴァード大学総長のチャールズ・エリオットなどを含む知識人たちに始まる長い歴史がある。1960年代から1970年代のフェミニズムその他の流れのなかで性を肯定的にとらえ正確な知識を与えるカリキュラムが各地で考案・施行されたものの、1980年代の保守の台頭によって性教育が政治問題化してからは、多くの学区では「包括的な性教育」は、ティーンエイジャーの性行為を悪とし禁欲を前提としたカリキュラムにとってかわった。そのなかで、この学校で開講されているような授業はアメリカ全国でもきわめて例外的、とのこと。(短いながらもちゃんとこうした歴史的視点をふまえているところが、さすがニューヨーク・タイムズのエラいところ。)


この授業を担当しているAl Vernacchio先生は、大学進学に向けたハイレベルの学業と社会的責任の倫理教育の両方を誇るこの学校で、1998年以来英語(つまり「国語」)の教師として非常に尊敬されている人物。学業面での指導業績が見事なため、Vernacchio先生の性教育の授業についても生徒の親からはなんの反論も出たことがない、とのこと。この授業では、避妊や性病といった「スタンダード」なトピックから、男女の身体、同性愛、恋愛、健全な性のありかた、性行為をめぐる感情的側面、オーガズム、(女性も含む)射精、オーラルセックス、ポルノなど、あらゆる話題がカバーされる。男女の性器をアップで写した写真を何十枚も見せ、人間の身体は人それぞれであるという事実を感覚的に理解させ、自分や他人の身体について「普通」とか「普通じゃない」とかいった見方をしないようにする、といったことも。


Vernacchio氏は、12歳くらいのときに自分がゲイであることに気づき始めたものの、同性愛を罪とするような文化のなかで、自分の性的指向や性全般について話ができるような環境はなく、ひたすら本を読んで性について勉強した、とのこと。現在では、17年来のパートナーと関係をもっている。子供のときから人前で話す能力を皆に買われていた彼は、たいていの人がオープンに話すのをためらう性についても、「話す能力を神様に与えられた」というくらい、高校生相手に率直で真摯に話す腕前をもっているとのこと。授業では、生徒が自分のパーソナルなことについて先生に話すことはまったく義務づけてはおらず、そうした相談をしにくる生徒もいれば、そうでない生徒もいる。でも、一学期を通じてこれだけ性にまつわるあらゆるトピックを授業で扱えば、生徒は性についての自分の考えや感情を率直に口にすることが普通となり、性行為についてきちんとした知識にもとづいて自分なりの決断や判断ができるようになる、との基本理念。


生徒の信頼を勝ち取り、効果的にこのような授業を教えられる人物は、そうゴロゴロとはいないかも知れませんが、その理念は、正しいだろうと思います。日本でも、こうしたカリキュラムがあったらいいのにと強く思います。(私が中高生の頃は、「男女交際禁止」などという校則がある学校がけっこうたくさんありましたが、今でもそうなんでしょうか?そんなばかばかしいことを言っているひまがあったら、きちんとした性教育をするべきだと思いますが。)


ちなみに今日はアメリカ女性史の授業で、Vagina Monologues映画版を見せて(前回の授業で前半は見せたので、今日はその残り)ディスカッションをします。学生がどんなコメントをするのか、とても楽しみ。