2012年2月29日水曜日

Soyeon Lee 人と音楽

ちょっと投稿が遅くなりましたが、先週末は、ハワイ諸島を演奏ツアーしているピアニストSoyeon Leeのリサイタルがハワイ大学であったので、いそいそと出かけてきました。その日の昼にはふたりでランチをし、リサイタル終了後はふたりで飲みに行くという、私にとってもこの上ない贅沢な一日でした。


私が初めてSoyeon Leeに出会ったのは、ニューヨークでMusicians from a Different Shoreのための取材をしている2003年の秋でした。当時彼女はジュリアードのアーティスト・ディプロマ課程に在籍中で、ジュリアードのピアノ専攻のなかでもっとも優秀な学生に与えられるWilliam Petscheck Awardを受賞しました。賞の一部としてリンカーン・センターのアリス・タリー・ホールで演奏会をしたときに私も聴きに行きましたが、瑞々しさと鮮やかな音色に満ちた、聴衆にエネルギーを与えるような演奏でした。


私がインタビューした数多くの音楽家のなかでも、彼女がとくに印象的だったのは、彼女の視点や洞察が、多くの同世代のピアニストとはひと味違っていたことです。「もっとも尊敬する音楽家は誰ですか」という質問に対して、たいていのピアニストは、バッハとかショパンとかいった作曲家や、グレン・グルドやアルゲリッチや内田光子などといった演奏家を挙げたのに対して、Soyeonは間髪入れず「ビートルズ」と答えたところにもそれは表れていました(ちなみに彼女の妹は、韓国のポップ歌手)。また、インタビューの最中に自分のことを「フェミニスト」だと明言し、性や人種と音楽のかかわりについて、通りいっぺんでない、しっかりとした考えをもっていて、話していてとても面白い相手でした。そして、2009年のテキサスでのクライバーン・コンクールの出場者リストに彼女の名があるのを見て私はとても嬉しく、コンクールの最中にも練習の合間にインタビューをさせてもらいました。コンクールで聴いた演奏は、5年前に聴いた彼女の音楽と比べると、あきらかに熟成した、内省的で繊細な部分が感じられ、自分のあらゆるものを聴衆にさらけ出すリスクをとっている演奏でした。残念ながらこのコンクールでは予選を通過しませんでしたが、翌年にはWalter Naumburg Competitionで見事優勝を果たし、今回のハワイでの演奏もその賞の一環でした。


今回の演目は、バルトークのルーマニア民族舞曲、シューマンのダヴィド同盟舞曲集、アルベニスのイベリア組曲第一巻、そしてリスト編のグノーの『ファウスト』よりワルツという、舞曲ぞろいのプログラム。いや〜、すごい演奏でした。彼女の演奏には、実に気持ちのいい歯切れやリズムがあり、それと同時に、たくさんの聴衆のなかでも自分ひとりにそっと語りかけてくれているかのような親密さが感じられ、そしてまた、最後のリストは、座って聴いているだけで、人生なにも不可能なことはないというような気持ちにさせられるエネルギーと高揚感があり、私は、プログラムが終わった瞬間、もう一度初めから全曲聴きたい、できることなら他の島(彼女はホノルルの後、カウアイ島、ハワイ島、マウイ島をまわっています)についていってまた聴きたい、と思ったほどでした。とくに何十もの音の色が見事な層を成して編み上げられたシューマンは素晴らしく、私のピアノの先生は、「あのシューマンは、僕は死ぬ日までずっと忘れない」と言っていました。


というわけで、演奏も素晴らしいですが、今回再会して、ふたりでいろいろなおしゃべりをして、私はさらに人間としての彼女の大ファンになりました。2009年に会ったときから、私生活においてもいろいろと変化のあった彼女なのですが、そうしたひとつひとつの経験がきちんと血となり肉となって人間的な厚みと深みにつながっているし、自分のキャリアだけでなく、クラシック音楽全体のありかたについて、とても冷静でかつ真摯な態度で接している。そして、音楽を超えて実に広くいろいろなことに積極的な興味をもっているし、人に対する接し方もそれを表している。そして明るい。私は彼女と一緒に時間を過ごし、彼女の演奏を聴いたことで、自分が幸せな気持ちになり、エネルギーをもらい、多くのことを学んだと感じました。また自分も、そういう人間でありたいとも思いました。ハワイの他の島を演奏してまわったあと、再び数日間だけホノルルに戻ってきてマスタークラスをする予定ですが、そのときに私もレッスンをしていただく約束になり、ワクワクドキドキしながら練習に励む毎日です。


彼女の生い立ちや考えなどは、Musicians from a Different Shoreおよび『ヴァンクライバーン 国際ピアノコンクール』を参照していただけばよいですが、せっかくですので是非彼女の演奏を聴いていただきたいです。彼女のウェブサイトでもいくつか演奏が聴けますが、CDもありますのでぜひどうぞ。『ヴァンクライバーン 国際ピアノコンクール』に入っているバッハ=ブゾーニのシャコンヌは大変おすすめです。私は自分がコンクールの準備のためこの曲を練習しているときに、いろいろなピアニストによるこの曲の演奏を聴きましたが、私はやたらマッチョな演奏よりも、彼女の内省的で深みのある演奏のほうが好きで、何度も繰り返し聴きました。