2012年4月18日水曜日

文学賞の経済学

今日のニューヨーク・タイムズで「もっともメールされている記事」になっているのが、私が大好きで以前このブログでも言及したことのある小説家Ann Patchettの論説。今年のピュリツアー賞が先日発表になったのですが、フィクション部門で「受賞者なし」となったことに異論を唱えている文章です。


昨年、最新小説State of Wonderを発表したAnn Patchettですが、自分の作品に賞が与えられなかったことに抗議しているわけではありません。この論説のなかでも、昨年刊行された小説のなかで彼女自身がたいへん高く評価している作品がいくつも具体的に挙げられ、彼女が賞の審査員であればそのうちのどれかに喜んで賞をあげたであろうことが示されています。これだけ素晴らしい作品がありながら受賞者なしというのは、審査員たちがコンセンサスに到達できなかったからであろうが、一般の読者はおそらくはそうは解釈せず、「2011年はいい小説が生まれなかった年なのだ」という理解をするだろう。ただでも人々の書籍離れが進み、出版業界や書店業界が苦しい思いをしているなかで、優れた作品が多々あるにもかかわらず賞を出さないというのは、納得がいかない。ピュリツアー賞のような権威のある賞の受賞作はテレビやラジオで取り上げられ、巷の話題となる。小説を読むことで、読者は自分以外の人物の生活や人生を想像することでより広い世界への共感を育み、複雑な物語の筋をずっと追うことで頭を使い、しばらくの時間にわたってひとり静かに思索する。現代の社会においてそうした小説はますます重要であるにもかかわらず、小説が「巷の話題となる」ことが少ない現代、一般の人々の文学への関心を高めるのにこうした賞は重要な役割を果たしているのだから、審査員同士の葛藤などで安易に「受賞者なし」などという結果を出さないでほしい、という主旨。


私は今ちょうど、The Economy of Prestige: Prizes, Awards, and the Circulation of Cultural Valueという本を読んでいる最中なので、この文章はとりわけ興味深いです。この研究は、第二次大戦後、世界中で文学・映画・美術・音楽などでありとあらゆる賞が与えられるようになった現象を分析しているものです。文学者であるJames English氏が、文化史だけでなく、あえて社会学や経済学の視点から文学賞を扱っているのがとても斬新。『ヴァンクライバーン 国際ピアノコンクール』の取材以来、音楽の世界におけるコンクールの意味や役割を考えている私にとっては、たいへん面白く、わくわくしながら読んでいます。ピュリツアー賞や影響力のある文学賞も例に取り上げられ、賞の運営者と出版業界、審査員と作家たちといった複雑な関係が綿密に分析されています。文学賞が文学という芸術分野の自律した価値観を反映するためには、賞の審査員や運営者たちは出版業界から独立した立場でなくてはいけないでしょうが、それと同時に、賞には、それが対象とする文化分野そのものを讃えることで地位を高めようとするという目的もある。文学賞(そして文学以外のさまざまな文化賞)というものがもつ経済効果だけでなく象徴資本や文化的役割が、具体的にどのように機能するかを、たくさんの事例にもとづいてさまざまな視点からとらえられていて、とても興味深いです。研究書でありながら文章はきわめて平易で読みやすいのも見事。関心のあるかたはご一読を。