2009年3月14日土曜日

コロンビア大学新学長

オバマ大統領の母校でもあるニューヨークの名門コロンビア大学(私はサバティカルでニューヨークにいた一年間、コロンビアに所属をもらってひとつ授業を教えていました)のdeanに、Michele Moody-Adamsという52歳の黒人女性の哲学者が選ばれました。アメリカと日本では大学の組織構造が違うのでdeanという単語は訳しにくいのですが、ここではdean of Columbia Collegeですから、すなわち、総合研究大学としてのコロンビア大学のなかの学部生教育の部分を管轄する部分の学長です。コロンビアではこのポジションに黒人が任命されるのは初めてのことです。Moody-Adams氏は、ウェルズリー、オックスフォード、ハーヴァードで教育を受け、ヒュームについて博士論文を書き、道徳哲学・倫理学の専門家で研究者として立派な業績をあげながら、大学の運営者としても功績をあげている女性です。ここしばらくは、コーネル大学の学部生教育の担当を管轄するポジションに就いていました。この件に関するニューヨーク・タイムズの記事はこちら、コロンビア大学による発表はこちら

コロンビア大学はあらゆる分野で世界に誇る研究・教育を行っている名門大学ですが(ちなみに数年前には、イランのアフマディネジャド大統領に講演を主催して、学内外でたいへんな議論を巻き起こしました)、なかでも有名なのが、日本の大学の一般教養課程に相当する、Core Curriculumをよばれるプログラムです。たいていどこの大学にもこうした基礎教養のカリキュラムはありますが(ちなみにブラウン大学にはそうした必須のカリキュラムがないのが特徴です。各学生の独創性と主体性に任せたより自由なカリキュラム、というのがブラウンの自慢で、これが好きでブラウンに来る学生が多いです。ただし、ある程度の学力と幅広い知的好奇心と主体性を備えた学生が集まってくる大学だからこそ成立する制度でもあります)、コロンビアでは、全学共通のシラバス(日本の大学で「シラバス」制度をとり始めたところもありますが、アメリカでいうところの「シラバス」とはまるで違うことが多いようです。要は授業要項ですが、授業の全体内容だけでなく、毎回の授業の課題を細かく指定してある、何頁にもなる書類です)にもとづいて、一年生と二年生全員が通年二年間、二十人ほどの小人数の授業で毎週四時間ずつ、西洋文明・思想の基礎を作っている古典を読んで議論する、という徹底したカリキュラムが特徴です。コロンビアのウェブサイトで、現在使われているシラバスを見ることができますが、それによると、一年生用の「人文」の授業は、ホメロスやソフォクレス、ツキディデスに始まって、創世記・ヨブ記、ダンテ、ボッカチオなどを経由して、シェークスピア、ジェーン・オースティン、ドストエフスキー、ヴァージニア・ウルフまで。二年生用の「現代文明」(なぜこの授業に「現代」という単語がついているのかは不明)は、プラトン・アリストテレスに始まって、旧・新約聖書、コーラン、そしてマキャヴェリ、ホッブズ、ロック、ルソーを経由し、スミス、カント、トクヴィル、ヘーゲル、マルクス、ダーウィン、ニーチェ、デュボイス、フロイト、ボーヴォワール。これをまだ二十歳にならない学生に毎週毎週読ませるのですから、その理念の高さにはまったくもって頭が下がります。『日本語が亡びるとき』のなかで水村美苗さんが、国語教育においては、生徒がわかってもわからなくてもとにかく近代日本文学の名作を次々に読ませることを提唱していますが、それを西洋文明・文学・思想全般に広げたものです。しかも、テキストの選択は変わっているとはいえ、この基本カリキュラムは、二十世紀前半からコロンビア大学でずっと継承されてきたものだというのですから、こうした形の「伝統」というもののすごさを感じます。教えるほうもたいへんです。私のブラウン時代の同級生のひとりが、今コロンビアの英文学部で教えていますが、人文系の教授はみな、自分の専門とかけはなれていてもプラトン・アリストテレスからなにから教えなくてはいけないので、十代の学生と一緒に自分も勉強し直しで、ヒーヒー言っているとのことでした。教えるほうがヒーヒー言っているのですから、当然学生のほうはもっとたいへんです。『ドット・コム・ラヴァーズ』の最後に出てくる「ジェフ」は学部はコロンビア出身なのですが、くらくらになりそうな思いをしながら毎週難解な古典を読み教授や同級生と議論を重ねるというこのカリキュラムが、オハイオから出てきた青年にとってどれだけ刺激的だったかということを、何度も語っていました。あの経験をしただけでもコロンビアに行った意味があったと言っていました。知的好奇心と吸収力に満ちた若者にこうした教育をすることが、どれほど素晴らしいことか。そして、バブル末期に日本の大学に行って、ちゃらちゃらと遊んでばかりいた自分の大学生活を振り返ると、なんと哀しくなることか。自分の馬鹿さを大学や先生がたのせいにするつもりはないですが、それでも、それなりに知的好奇心は旺盛で勉強する気はあって大学に入った自分は、きちんと設定と材料と方向性を与えてもらっていたら、それなりには勉強しただろうにとは思います。嗚呼。

もちろん、極端に西洋文明・思想に偏ったこのカリキュラムの内容自体には、とくに若い世代の教授からは批判もあり、現代の社会や文化をより反映したシラバスに作り替えていくべきだという議論もさかんにあります。Moody-Adams氏も、このCore Curriculumはコロンビアの学部教育の根幹をなす誇りであると同時に、西洋以外の文明・思想もとりこんでいくこと、また、自然科学も教養課程の必須カリキュラムにより積極的にとりいれることを提唱しています。