2011年1月2日日曜日

自分をよくしてくれる結婚がよい結婚 & Young@Heart

あけましておめでとうございます。ハワイは日本より19時間遅れて2011年に入りました。大晦日の夜は眺めのいい丘の上のテラスのある家に住んでいる友達のところで花火を見、元旦は友達(『ドット・コム・ラヴァーズ』に出てくる「ジェイソン」のボーイフレンドで、彼は「ローカル」の日系人です)が毎年作ってくれるお雑煮を食べながらのパーティをし、その後でたまったカロリーを少しでも消費するためジョギングに行きました。お正月に青空のもとをジョギングできる気候は実にありがたいものです。

さて、昨日から今日にかけて、ニューヨーク・タイムズの「もっともeメールされている記事」の一位になっているのがこの記事。以前にも何度も投稿しているように、ニューヨーク・タイムズには、この手の、恋愛や結婚についての記事がかなり頻繁に掲載されるのですが、今回のタイトルは、The Happy Marriage Is the "Me" Marriage、訳せば「幸せな結婚とは『私のための』結婚」といったところでしょうか。単に長続きする結婚というのではなく、お互いに満たされた幸せな結婚、いうなれば「精神的に持続可能な結婚」というのは、要は、ふたりのそれぞれが、相手から得るものが多く、その結婚によって自分の世界が広がり自分がよりよい人間になっていると感じられる結婚である、というのが主旨。結婚生活をうまく続けていくには、自分の要求は抑えて家庭のニーズや相手の都合を優先させるのが重要、と考える人が多いけれども、ここで紹介されている研究によると、実際に満たされた結婚生活を長期間続ける人というのは、相手やその相手との関係によって、自分が新しいことに出会ったり、視野が広がったり、自分の目標達成に近づいたり、自分がよりよい人間になったりしていると感じられる人、だということ。要は、相手が自分のことをきちんと理解して自分をさらに高めてくれ、さらには、自分も相手にとってそういう存在であると感じられる関係が、「持続可能な関係」だということです。自分の結婚がどのくらい「持続可能」であるかを自己評価するためのクイズまでついています。

当たり前のようでいて、なかなか考えさせられます。日本に出発に向けて家を片づけている最中に、友達にもらった手紙が詰まった箱が何箱も出てきたのですが、そんなことをしている場合ではないと思いつつもつい開けて手紙を読んでしまう。今では通信はメールばかりになってしまいましたが、便せんに手書きの手紙をせっせと書いて郵便で送っていた時代もあったのだ(そして、私の大学院時代は、勉強が苦しくもあり孤独でもあり娯楽が乏しかったこともあって、実にたくさん手紙を書いていました)ということだけでも感慨深いのですが、いろいろな友達の手紙の内容がこれまた濃厚で新鮮。なにも考えずちゃらちゃらしたバブル期に成人してしまったことに悔いも多いのですが、これらの手紙を読むと、私たちは私たちなりに(というか、私自身はともかく、少なくとも私に手紙をくれた友達は)一生懸命ひたむきに仕事や勉強や恋愛に取り組んでいたんだなあということがわかって、なんだか妙に感心。そして、大学院時代のボーイフレンドにもらった手紙を入れた特別の箱というのがあり、私は引っ越しや掃除をするたびにその箱を開けては手紙を読み返し、おいおいと涙してしまうのですが、今回もそれをやってしまいました(引っ越し前にそんなことをしている場合ではまったくないのですが...)。苦しい時期を共に過ごして、苦労も喜びも共有し、また、若いときらしく、自分の良いところも悪いところもさらけ出し合ったつき合いだったからこそ、絆が強くもあり、深く傷つけ合うこともあった関係だったのだということを、20年近くたってあらためて認識します。あの頃の自分の恋愛は、お互いの良いところを引き出して高め合う関係でもあったけれど、それと同時に、お互いの一番醜い部分を引き出してしまう関係でもあったと思います。その後自分が経験した恋愛のなかには、なぜだかわからないけれど自分の嫌な部分ばかり出てしまうような関係もあったので(年齢と経験を重ねるにつれ、さすがにそういう関係には早めに終止符を打つことを学びました)、それと比べればいい関係だったと思いますが、お互いを高め合う関係を継続的に培っていくのには、やはり大きな努力が必要。そういう努力が続けられるふたりが、満足度の高い実りある関係を維持できるのでしょう。

さて、関係ないですが、私が2011年に最初に観た映画(といっても、映画自体は2007年のものでDVDで観たのですが)は、Young@Heart。これは日本でもDVDが手に入るので、是非とも観ていただきたい。マサチューセッツのノースハンプトンという大学街周辺で活動を続ける高齢者コーラスを追ったドキュメンタリーなのですが、高齢者コーラスだからといって、教会の聖歌隊(に同時に入っているメンバーもいますが)や、日本の典型的なママさんコーラスのようなものを想像してはいけません。平均年齢80歳のこのグループが歌うのは、なんと、ジミー・ヘンドリックスや、ボブ・ディラン、ジェイムス・ブラウン、ソニック・ユースなどのロック・ミュージックばかり。音楽監督を務めるのは、いかにもノースハンプトンに住んでいそうな現代のヒッピー風のお兄さん(年齢的にはおじさんですが)で、歌詞を覚えられなかったりリズムをつかめないおじいさんおばあさんには容赦なく厳しい言葉をビシバシと投げかける。身体的に無理なことはもちろんさせないと同時に、舞台上でのパフォーマンスに恥じないレベルの曲作りを要求し続ける。おじいさんおばあさんたちも、訳の分からない大音量の曲に最初は戸惑いながらも、練習を続けているうちに曲の本質を見事にとらえて、身体ごとグルーヴィーな歌声をあげる。なにしろ80代のメンバーが多いグループなので、長年仲間に愛されてきたメンバーが活動の途中で入院したり亡くなったりすることももちろんあるのですが、そうした仲間に哀悼の気持ちを捧げながらリハーサルや演奏を続ける彼らの声や表情には、深みはあるけれども感傷はなく、コンサートもけっしてセンチなお涙ちょうだい的なものではない。なにしろパンク・ロックをおじいさんおばあさんがやるのですから、目が点になるやら思わず大笑いしてしまうやらなのですが、それと同時に、このおじいさんおばあさんたちの声を通してあらためて歌詞を聞いてみると、これまで抱いていた曲のイメージとはまるで違った意味合いに気づかされて、はっとする。音楽的に、こうしたロックの曲のほうが意外にも老人が歌うには向いていることが多い、ということにも気づきますが、それ意外にも、人生の表も裏も経験してきたであろう高齢者たちが、社会や人生や恋人や友に向かって、きれいごとでないまっすぐなメッセージを投げかけるには、「普通の」高齢者が慣れ親しんでいるような音楽よりも敢えてロックだという、音楽監督の選択に、思わず脱帽。地元の音楽ホールでのコンサートの他にも、刑務所での慰問コンサートやヨーロッパ・ツアーにまで出かけてしまうおじいさんおばあさんのエネルギーに、笑いと涙と勇気をもらえますので、是非観てみてください。