ホノルルに戻ってきてからとてつもない時差ぼけに悩まされていて、やっと夜に眠れるようになったと思ったら、明日の夜にはテキサスに向けて出発します。ハワイでの10日間にやらなければいけないことがたくさんあり、私の留守中にマンションを借りてくれる人のために部屋を掃除もしなければいけないのに、まるで準備ができておらず、本当に明日出発できるのだろうかと不安が膨らみます。
忙しい理由のひとつは、ただ今ホノルルで開催中の、アロハ国際ピアノフェスティバルというイベントの一部の企画運営のお手伝いをしていたからです。このフェスティバルは、ハワイ育ちで日米のそれぞれで演奏活動をしているピアニスト、リサ・ナカミチさんが運営しているもので、今年が7年目。子供から大学レベルまでのピアノを学ぶ生徒たちのためのコンクールや、マスタークラス、ゲストアーティストによるコンサートなど、盛りだくさんな一週間のイベントなのですが、私は去年のテキサスでのアマチュアコンクールの経験から、このフェスティバルにも大人のアマチュア部門を作ったらいいのではと思いつき、リサさんと知り合った際に提案してみたところ、自分が企画運営をすることに(本業の大学の仕事でもそうですが、なにかいいことを思いついた場合には、それを自分で遂行する意思がなければ提案すべきではないのです:))。とはいえ、今年は計画を始めた時期が遅すぎて、大勢の参加者を集めての本格的なイベントはできないのがわかっていたので、とりあえずはトライアルとして、数人の参加者による一日だけのプログラムを開催しました。エネルギッシュでもあり繊細でもあり独創的でもある演奏をするSara Buechnerによるマスタークラスに加え、コンクールの入賞者によるコンサートでもアマチュア参加者が演奏。ふだん定期的なレッスンを受けたり、人前で演奏したりする機会や時間はないけれども、ピアノを愛する気持ちは誰にも負けない、という大人たちに、こうした場を提供するのはとても意味のあることだし、実際に参加者もとても喜んでくれて、提案した甲斐がありました。なにより、こういう場でピアノを通じて生まれる新しい人間関係が素晴らしいのであります。今回のアマチュアプログラムは昨日でおしまいですが、フェスティバル自体はこれから1週間続きますので、ホノルル在住のかたはぜひコンサートやマスタークラスをのぞきに行ってみてください。来年からは、アマチュアのコンクールも含む(とはいっても、クライバーンのアマチュアコンクールのよなものとは違った趣向にするつもり)もっと大きなイベントを企画するつもりですので、ピアノ愛好家のかたは、ハワイでのバケーションを兼ねて是非ご参加ください。詳しいことが決まり次第またこのブログでも宣伝いたします。
ちなみに、このフェスティバルのコンクールの高校生部門では、カリフォルニアのJessie Wangさんと、去年このブログで紹介したミネソタでのPiano-e-competitionで4位に入賞した尾崎未空さんが優勝しました。未空さんとはパーティなどでもおしゃべりしましたが、まだ高校2年生なのにひとりでハワイにやってきて、積極的にゲストアーティストや他の参加者と交流している姿は、おおいに頼もしく、こうやってどんどん世界に出ていろいろな刺激を受けていけば、骨太のいい演奏家に成長していくことと思います。こういう若い人たちに触れられるのも、こうしたイベントに関わる喜びのひとつ。
と、企画運営の喜びをちらりと味わったところで、今度は自分が参加者としての楽しみを満喫するため、テキサスに出かけてきます。これについては、むこうに着いてからまたご報告します。
ハワイ大学アメリカ研究学部教授、吉原真里のブログです。『ドット・コム・ラヴァーズーーネットで出会うアメリカの女と男』(中公新書、2008年)刊行を機に、アメリカのインターネット文化や恋愛・結婚・人間関係、また、大学での仕事、ハワイでの生活、そしてアメリカ文化・社会一般についての話題を掲載することを目的に始めました。諸般の事情により、2014年春から2年半ほど投稿を中止していましたが、ドナルド•トランプ氏の大統領選当選の衝撃で長い冬眠より覚め、ブログを再開することにしました。
2012年6月18日月曜日
2012年6月4日月曜日
ヨルム・ソン ピアノ・リサイタル6/26(火)
兵庫の親戚を訪ねてから、週末は名古屋で学会に出て、東京に戻ってきました。私は日本ではほとんど学会に出席しないのですが、行くたびに、アメリカと発表のスタイルにあまりに違いがあるので面食らうことしきり。アメリカだって、ぼそぼそだらだら話す発表者ももちろんいるのですが、日本で私が困惑するのが、「レジュメ」と「パワポ」。なぜにああやたらめったらと文字を詰め込んだものを配布したり画面表示したりするのか。あんなものを配られたら、聴衆はどうしたって皆じーっと下を向いて文字を追わずにはいられないし、そうすると肝心の発表を聴くことに集中できない。でも、集中して聴いてみても、レジュメに書かれていることを補足したり明確にしたりするようなことは言われていないことが多い。だったら口答発表などせずに、論文なりなんなりの形で発表すれば済むことなのでは?それに、初めから与えられた時間が決まっているのに、なぜその時間内におさまる発表を準備せずに、いつまでもだらだらと要旨不明のことを話し続けるのか?聴衆になにかを伝えるという意思があまりにも欠如していて、私などはイライラを通り越して憤慨してしまうことも。など、人の発表に文句ばかりつけておいて、自分の発表はどうだったかと言われると、別にたいしたことはしていないのですが、少なくとも時間内にはおさまるようにまとめ、聴衆の顔を見て語りかけるようには心がけました!
まるで関係ないですが、昨日は新国立劇場で、平野啓一郎翻訳・宮本亜門演出の演劇『サロメ』を観てきました。サロメというと、妖艶で官能的な悪女、といったイメージが先行しますが、この演出では、多部未華子が演じるサロメは若くて清純無垢なヒロインとなっています。舞台セットも真っ白。なんとも新鮮で斬新な解釈となっていて、なかなか面白かったです。今回の日本滞在では、飲み会その他の予定が詰まり過ぎていて、コンサートや劇などを観に行く時間がなく、これが唯一の観劇でしたが、やはり行ってよかった。
さて、今朝の日経新聞に広告が載っていたのですが、ピアニストのヨルム・ソンの来日公演が今月末にあります。『ヴァンクライバーン 国際ピアノコンクール』
で詳しく紹介した通り、彼女は2009年のクライバーン・コンクールで迫力と表現力に満ちた演奏をし、辻井伸行さんとハオチェン・チャンに次いで2位を獲得。去年のチャイコフスキー・コンクールでも2位に入賞。とにかくものすごく幅のある音楽性とスタミナの持ち主で、末永く聴衆に語りかける芸術家としてキャリアを築いていくことと思います。私は今週ハワイに戻ってしまうので残念ながら行けませんが(私が今月後半に参加するテキサスでのピアノ・フェスティバルでも彼女は演奏するのですが、私が参加する時期と重ならず残念)、都合のつくかたは是非とも聴きに行ってみてください。今日の時点でまだチケットが残っているそうです。これを聴かないのはもったいない!
まるで関係ないですが、昨日は新国立劇場で、平野啓一郎翻訳・宮本亜門演出の演劇『サロメ』を観てきました。サロメというと、妖艶で官能的な悪女、といったイメージが先行しますが、この演出では、多部未華子が演じるサロメは若くて清純無垢なヒロインとなっています。舞台セットも真っ白。なんとも新鮮で斬新な解釈となっていて、なかなか面白かったです。今回の日本滞在では、飲み会その他の予定が詰まり過ぎていて、コンサートや劇などを観に行く時間がなく、これが唯一の観劇でしたが、やはり行ってよかった。
さて、今朝の日経新聞に広告が載っていたのですが、ピアニストのヨルム・ソンの来日公演が今月末にあります。『ヴァンクライバーン 国際ピアノコンクール』
2012年5月29日火曜日
解けた『バイエルの謎』
日本に到着してから二週間、見事なまでに毎日予定が詰まり、慌ただしいことこの上ない日々を送っています。仕事関係のミーティングをしたり、二十五年ぶりの高校の同窓会でおおいに盛り上がったり(なんと三次会がお開きになったのは午前三時半。ホントに四十代か?という元気ぶり)、その高校時代に「英語の神様」として畏怖され敬愛されていた名物先生のお宅を訪ねたり、防災訓練をしたり、スカイツリーに人混みを見物に行ったり、と盛りだくさんで刺激たっぷりです。連夜飲み会が続くので、せっかくここ九ヶ月のブートキャンプ通いで減った体重の半分近くが、九日間で戻ってしまった!トホホ。
さてさて、仕事のミーティングの際に、編集者のかたに「こんなのありますよ」と見せていただいて、私があまりにも物欲しげにするのでそのまま頂いて帰ってきてしまった(同じ話がニューヨークでもあった...私の物欲しげな表情は効果的みたい)、できたてホヤホヤの新刊が、『バイエルの謎: 日本文化になったピアノ教則本』
これは、タイトルを見ただけで、「あ!」と叫んでしまうくらい、私にとっては「この本を誰かに書いてもらいたかった」的な本。
日本でピアノを少しでもかじった人ならまず誰でも知っている「バイエル」という名。たいていの人はピアノはバイエルから始めた、というくらい一般化しているバイエルの入門ピアノ教則本。私自身も、バイエルをやりました。で、私は、バイエルというのは、ドイツの大御所で、ハノンやチェルニーと同じくらい、ピアノにおいては世界で一般的なものなのだとてっきり思っていたのですが、アメリカではBeyerという名は薬の名前ならともかくピアノに関係する名前としては聞いたことがないし、去年のコンクールのときに、ドイツで何十年もピアノの世界に浸っている人物に聞いてみても、そんな名前は聞いたことがない、というのでびっくり。いったいどういうことなんだ、と不思議に思っていたのですが、この本を読むと、バイエルの「謎」は、単に「日本でやたらと有名で、日本の外ではやたらと無名なバイエルとは、いったい何者か」ということにとどまらず、次々に「?」が出てくることがわかります。
たとえば、バイエルのピアノ教則本は、いきなり連弾で始まり、しかも一番と二番はいきなり変奏曲。でも変奏曲はこの二曲だけ。曲の番号のつけかたも不規則で、番号がついていない曲もある。そして、きわめて多作な編曲家であったらしいバイエルの作品のなかで、編曲でなくオリジナルに作曲された作品はこの教則本だけ。版も多種多様な版が乱立。日本では、単なる「バイエル・ピアノ教則本」だけでなく、「子どものバイエル」「いろおんぷばいえる」「バイエルであそぼう」「バイエルによる女声合唱曲集」などなど、あらゆるバリエーションがひとつの「バイエル文化」を形成するまでになっている。いったいバイエルとは何者で、どのようにして教則本が作られ、どのようにしてそれが日本にもたらされ、ここまでの普及に至ったのか?という謎を解こうと、著者の安田寛氏が何年にもわたり、ドイツやらアメリカやらに調査旅行を重ね、一歩一歩バイエルに近づいていく。その過程でじわじわと解明されていくさまざまな「謎」の中身ももちろんたいへん興味深い(たとえば、番号のついている曲とついていない曲の関係や、日本で絶対音感教育普及のなかでバイエルの「静かにした手」が「和音を押さえる手」に読み替えられた経緯、そして本の終盤で明らかにされる、教則本が連弾の変奏曲で始まっていることの意味や、百六という番号付きの曲数の意味などは、読んでいて、「おー!」と思わず拍手したくなります)けれど、それと同じくらい、その謎を解明していくプロセスの物語が面白い。研究者の勘を頼りに資料を調べ、調べても調べてもさっぱりわからないことに出くわし、また、飛行機に乗ってはるばる調査に出かけて行ったにもかかわらず期待していた情報が見つからないこともある。勝手もわからず言葉もじゅうぶんに通じない外国の街で、十九世紀やそれ以前の資料を文書館や教会で探し出そうとするその苦労たるや、なんだかインディアナ・ジョーンズあるいはシャーロック・ホームズみたいで、途中、「安田さん、頑張ってください!」と応援したくなる。バイエル自体にとくに興味がなくても、単なる読み物として楽しめる語り口になっています。学者というのはこんな苦労をして歴史や文化の意味を探るのかと、一般読者がわかってくれるだけでも、意義があるというもの。せっかくこういう本の構成になっているので、ネタバレにならないよう、本の最後で明かされるバイエルの謎についてはここでは書きませんが、読み終わると、それまでは単なる子供が音と鍵盤の関係を覚えるための機械的な練習曲だと思っていた「バイエル」が、十九世紀のヨーロッパ文化を表すまさに「音楽」として頭のなかで響いてくるところがスゴい。
『バイエルの謎』というこのタイトル、シンプルにして非常に的確。本当に謎が解け、すっきりしますので、ぜひ読んでみてください。(本をくださったKさん、ありがとうございました!)ついでに、実家のアルバムから出てきた、バイエルを弾いていた(と思われる)頃の私の写真を掲載します。
さてさて、仕事のミーティングの際に、編集者のかたに「こんなのありますよ」と見せていただいて、私があまりにも物欲しげにするのでそのまま頂いて帰ってきてしまった(同じ話がニューヨークでもあった...私の物欲しげな表情は効果的みたい)、できたてホヤホヤの新刊が、『バイエルの謎: 日本文化になったピアノ教則本』
日本でピアノを少しでもかじった人ならまず誰でも知っている「バイエル」という名。たいていの人はピアノはバイエルから始めた、というくらい一般化しているバイエルの入門ピアノ教則本。私自身も、バイエルをやりました。で、私は、バイエルというのは、ドイツの大御所で、ハノンやチェルニーと同じくらい、ピアノにおいては世界で一般的なものなのだとてっきり思っていたのですが、アメリカではBeyerという名は薬の名前ならともかくピアノに関係する名前としては聞いたことがないし、去年のコンクールのときに、ドイツで何十年もピアノの世界に浸っている人物に聞いてみても、そんな名前は聞いたことがない、というのでびっくり。いったいどういうことなんだ、と不思議に思っていたのですが、この本を読むと、バイエルの「謎」は、単に「日本でやたらと有名で、日本の外ではやたらと無名なバイエルとは、いったい何者か」ということにとどまらず、次々に「?」が出てくることがわかります。
たとえば、バイエルのピアノ教則本は、いきなり連弾で始まり、しかも一番と二番はいきなり変奏曲。でも変奏曲はこの二曲だけ。曲の番号のつけかたも不規則で、番号がついていない曲もある。そして、きわめて多作な編曲家であったらしいバイエルの作品のなかで、編曲でなくオリジナルに作曲された作品はこの教則本だけ。版も多種多様な版が乱立。日本では、単なる「バイエル・ピアノ教則本」だけでなく、「子どものバイエル」「いろおんぷばいえる」「バイエルであそぼう」「バイエルによる女声合唱曲集」などなど、あらゆるバリエーションがひとつの「バイエル文化」を形成するまでになっている。いったいバイエルとは何者で、どのようにして教則本が作られ、どのようにしてそれが日本にもたらされ、ここまでの普及に至ったのか?という謎を解こうと、著者の安田寛氏が何年にもわたり、ドイツやらアメリカやらに調査旅行を重ね、一歩一歩バイエルに近づいていく。その過程でじわじわと解明されていくさまざまな「謎」の中身ももちろんたいへん興味深い(たとえば、番号のついている曲とついていない曲の関係や、日本で絶対音感教育普及のなかでバイエルの「静かにした手」が「和音を押さえる手」に読み替えられた経緯、そして本の終盤で明らかにされる、教則本が連弾の変奏曲で始まっていることの意味や、百六という番号付きの曲数の意味などは、読んでいて、「おー!」と思わず拍手したくなります)けれど、それと同じくらい、その謎を解明していくプロセスの物語が面白い。研究者の勘を頼りに資料を調べ、調べても調べてもさっぱりわからないことに出くわし、また、飛行機に乗ってはるばる調査に出かけて行ったにもかかわらず期待していた情報が見つからないこともある。勝手もわからず言葉もじゅうぶんに通じない外国の街で、十九世紀やそれ以前の資料を文書館や教会で探し出そうとするその苦労たるや、なんだかインディアナ・ジョーンズあるいはシャーロック・ホームズみたいで、途中、「安田さん、頑張ってください!」と応援したくなる。バイエル自体にとくに興味がなくても、単なる読み物として楽しめる語り口になっています。学者というのはこんな苦労をして歴史や文化の意味を探るのかと、一般読者がわかってくれるだけでも、意義があるというもの。せっかくこういう本の構成になっているので、ネタバレにならないよう、本の最後で明かされるバイエルの謎についてはここでは書きませんが、読み終わると、それまでは単なる子供が音と鍵盤の関係を覚えるための機械的な練習曲だと思っていた「バイエル」が、十九世紀のヨーロッパ文化を表すまさに「音楽」として頭のなかで響いてくるところがスゴい。
2012年5月18日金曜日
中国のオンライン・デーティング
バタバタと学期末の採点その他の仕事を終え、13日(日)にはホノルルでちょっとしたピアノリサイタルをし(やれやれ)、一昨日日本に一時帰国しました。今回は初めて、羽田着のハワイアン航空で帰ってきてみたのですが、これは大変気に入りました。搭乗までのプロセスも、ユナイテッド航空やデルタ航空などより落ち着いているし(JALはほとんど、ANAは一度も乗ったことがないので比較できません)、機体が新しくてピカピカだし、サービスもいいし、羽田着なので都内への移動は便利だし(ただし夜遅めの時間に到着なので、羽田から遠くに行く人にはちょっと不便かも。今回は私は大森の実家に滞在なので、空港からタクシーに乗りました)、これからは毎回これにしようかしらん。
昨日は、運転免許の更新に行ったり新しくメガネを作りに行ったり(『ドット・コム・ラヴァーズ』
の読者にはわかっていただけるでしょうが、友達に紹介してもらった大井町のお店で「セクシーでファンキーでかつ『なめんなよ』効果のあるメガネ」を見つけました)しましたが、いやー、やはり日本は、なにごともテキパキとした国だなあとあらためて実感。このテキパキ力に、骨太の政治力と多様性を尊ぶ精神が加われば、コワいものなしの素晴らしい国になるに違いない!
それとはまるで無関係の話題ですが、飛行機のなかで読んだ数週間前の『ニューヨーカー』誌に、中国のオンライン・デーティングについてのなかなか興味深い記事があります。そのタイトル、まさに、The Love Business。(有料購読者以外は全文が読めないようになっていますが、有料でこの記事だけ単独で読むこともできますので、興味のあるかたはどうぞ。)Gong Haiyanという女性が始めた、Jiayuanというオンライン・デーティング・サービスに焦点を当て、現代中国の恋愛・結婚事情を描写したものなのですが、さすが中国、なにごともそのスケールが違うのが面白い。まず、このサービスを始めたGong Haiyanという人物に興味がそそられる。湖南省の山間部の農村出身で、この記事によれば美人でもなければ社交的でもない彼女は、大学院時代に、まだ駆け出し段階のあるオンライン・デーティング・サービスに登録し、12人の男性を選んだものの、ひとつも返事がなく、会社に文句を言ったところ、「あなたのような不細工な女性がそんな高レベルの男性を追いかけたってムリに決まっています」との返事がきたという。この対応に憤慨して、自分の身近にいる人たちを使って自分のオンライン・デーティング・サービスを始めたという。中国でインターネット業界で活躍している他の人たちとは違い、コンピューターの専門知識をもっているわけでも、英語に堪能なわけでも、男性でもない彼女が、こうした分野に出て行くだけでもじゅうぶん感心なことだが、やがてあるソフト開発者(この人物は後にこのサイトで出会った相手と結婚したという)の投資を手に入れ、サービスを拡大するにつれ、オンライン・デーティングの需要の大きさが明らかになっていったという。一日に2千人近くの新規メンバーがサイトに登録し、2006年には登録者が百万人、そして2011にはそれが五千六百万人(!)にまで拡大し、業界では中国最大のサービスとなった。
この記事によれば、オンライン・デーティングのアメリカと中国での最大の相違は、その基本理念にある。アメリカでは、オンライン・デーティングは自分の伴侶となる可能性のある相手との出会いをなるべく広げるのが目的なのに対して、人口13億の中国では、オンライン・デーティングの目的はその反対に、自分の条件に合った相手を絞り込むことにあるという。北京では約40万人の男性登録者がいる。それを、ある23歳の女性は、血液型、身長、星座などの条件を次々に入力してようやく83人まで絞り込んだという。Jiayuanの登録メンバーが答える53の質問には、顔の形のタイプやら、性格を描写する択一式リストがあり、これがなんとも面白い。こうしたサービスの普及にともない、オンライン・デーティングでの成功の秘訣を伝授するような人物やサービスも登場しているという。そうしたアドバイスには、「立派な車の隣で自慢げにポーズをとって写真をとっているような男性には要注意」「最初のデートのときは、女性にとって便利な場所に男性が足を運ぶべき」「男性の四大アクセサリー(腕時計、携帯電話、ベルト、靴)に注目すべし」「お店で払い終わったときに、大事に領収書をしまいこむ男性には要注意」などが含まれる。
あるとき、創設者のGongの目に、ある33歳の研究者のプロフィールが目に止まり、「身長1.62メートル、容姿は平均以上、大学院卒」という条件があげられているのを見て、自分はひとつも当てはまらないと思ったものの、返事をすることにし、「あなたのプロフィールは書き方がいまひとつです。あなたの挙げている条件に合う女性がいたとしても、そんなに要求の多い男性はごめんだと敬遠すると思います」といって、プロフィールの書き方をアドバイスしてあげることにしたという。プロフィールにいろいろ手直しを加えているうちに、彼の条件に合う女性は自分の周りに4人いることに気づき、そのうちのひとりが自分だったという。そうしてふたりはつきあい始め、2度目のデートで彼がプロポーズし、ふたりは自転車に二人乗りして結婚の手続きをしにいったという、微笑ましい話も。
中国の不動産バブルや一人っ子政策などが、恋愛や結婚のありかたに様々な変化をもたらしている中国。現代のジェンダー観や人生観と、インターネットが媒介する市場関係が、どんなふうに相互に作用しているのかを、垣間みさせてくれる記事で、なかなか面白いです。
昨日は、運転免許の更新に行ったり新しくメガネを作りに行ったり(『ドット・コム・ラヴァーズ』
それとはまるで無関係の話題ですが、飛行機のなかで読んだ数週間前の『ニューヨーカー』誌に、中国のオンライン・デーティングについてのなかなか興味深い記事があります。そのタイトル、まさに、The Love Business。(有料購読者以外は全文が読めないようになっていますが、有料でこの記事だけ単独で読むこともできますので、興味のあるかたはどうぞ。)Gong Haiyanという女性が始めた、Jiayuanというオンライン・デーティング・サービスに焦点を当て、現代中国の恋愛・結婚事情を描写したものなのですが、さすが中国、なにごともそのスケールが違うのが面白い。まず、このサービスを始めたGong Haiyanという人物に興味がそそられる。湖南省の山間部の農村出身で、この記事によれば美人でもなければ社交的でもない彼女は、大学院時代に、まだ駆け出し段階のあるオンライン・デーティング・サービスに登録し、12人の男性を選んだものの、ひとつも返事がなく、会社に文句を言ったところ、「あなたのような不細工な女性がそんな高レベルの男性を追いかけたってムリに決まっています」との返事がきたという。この対応に憤慨して、自分の身近にいる人たちを使って自分のオンライン・デーティング・サービスを始めたという。中国でインターネット業界で活躍している他の人たちとは違い、コンピューターの専門知識をもっているわけでも、英語に堪能なわけでも、男性でもない彼女が、こうした分野に出て行くだけでもじゅうぶん感心なことだが、やがてあるソフト開発者(この人物は後にこのサイトで出会った相手と結婚したという)の投資を手に入れ、サービスを拡大するにつれ、オンライン・デーティングの需要の大きさが明らかになっていったという。一日に2千人近くの新規メンバーがサイトに登録し、2006年には登録者が百万人、そして2011にはそれが五千六百万人(!)にまで拡大し、業界では中国最大のサービスとなった。
この記事によれば、オンライン・デーティングのアメリカと中国での最大の相違は、その基本理念にある。アメリカでは、オンライン・デーティングは自分の伴侶となる可能性のある相手との出会いをなるべく広げるのが目的なのに対して、人口13億の中国では、オンライン・デーティングの目的はその反対に、自分の条件に合った相手を絞り込むことにあるという。北京では約40万人の男性登録者がいる。それを、ある23歳の女性は、血液型、身長、星座などの条件を次々に入力してようやく83人まで絞り込んだという。Jiayuanの登録メンバーが答える53の質問には、顔の形のタイプやら、性格を描写する択一式リストがあり、これがなんとも面白い。こうしたサービスの普及にともない、オンライン・デーティングでの成功の秘訣を伝授するような人物やサービスも登場しているという。そうしたアドバイスには、「立派な車の隣で自慢げにポーズをとって写真をとっているような男性には要注意」「最初のデートのときは、女性にとって便利な場所に男性が足を運ぶべき」「男性の四大アクセサリー(腕時計、携帯電話、ベルト、靴)に注目すべし」「お店で払い終わったときに、大事に領収書をしまいこむ男性には要注意」などが含まれる。
あるとき、創設者のGongの目に、ある33歳の研究者のプロフィールが目に止まり、「身長1.62メートル、容姿は平均以上、大学院卒」という条件があげられているのを見て、自分はひとつも当てはまらないと思ったものの、返事をすることにし、「あなたのプロフィールは書き方がいまひとつです。あなたの挙げている条件に合う女性がいたとしても、そんなに要求の多い男性はごめんだと敬遠すると思います」といって、プロフィールの書き方をアドバイスしてあげることにしたという。プロフィールにいろいろ手直しを加えているうちに、彼の条件に合う女性は自分の周りに4人いることに気づき、そのうちのひとりが自分だったという。そうしてふたりはつきあい始め、2度目のデートで彼がプロポーズし、ふたりは自転車に二人乗りして結婚の手続きをしにいったという、微笑ましい話も。
中国の不動産バブルや一人っ子政策などが、恋愛や結婚のありかたに様々な変化をもたらしている中国。現代のジェンダー観や人生観と、インターネットが媒介する市場関係が、どんなふうに相互に作用しているのかを、垣間みさせてくれる記事で、なかなか面白いです。
2012年5月8日火曜日
ワーグナーの夢
昨日、『Wagner's Dream』という映画を観てきました。いや〜、すごかった。
これは、あらゆるオペラのなかでも超傑作とされているワーグナーの『ニーベルングの指輪』全4部の、メトロポリタン歌劇場での新しいプロダクションの様子を追ったドキュメンタリー。監督はSusan Froemkeで、私が大好き(映画館でみてあまりにもよかったので、このあいだニューヨークに行ったときにメトロポリタン歌劇場のギフトショップでDVDを買いました)なドキュメンタリー『The Audition』の監督でもある人。
メトロポリタンでは20年間にわたり『指輪』の新しい演出はなされていなかったところに、演出家Robert Lepageが抜擢され、国境を超えたプロダクションチームが、ワーグナーの壮大な構想を実現するために実に6年間をかけて取り組んだ、芸術的・技術的な大挑戦。私は第一部の『ラインの黄金』が映画でのライブビューイングで上映されたものを観に行きましたが、たしかに斬新なプロダクションに感心すると同時に、あまりにもセットがすごいのでそちらに気を取られて音楽に集中できないな〜、などと思っていたのですが、このドキュメンタリーを観て、いやはや、あのプロダクションにかけられた、尋常でない技術や知恵や情熱をかいま見、素直に感動しました。ひとつのオペラのプロダクションに、Robert Lepageやメトロポリタン歌劇場の総支配人であるPeter Gelbのみならず、巨大なセットを作る大工さんやその移動の方法を考える技術者、スタントマン、衣装スタッフ、そしてもちろん、宙にぶら下がったり動くセットをよじ上ったり滑り降りたりしながら歌わなければいけない歌手たちの、何年にもわたる思いと労力が込められているのをみると、畏れ多い気持ちになります。そして、複雑な技術がたくさんあるからこその、本番でのハプニングもあり、6年間の努力がオープニング当日にすべて実を結ばなかった落胆を考えると、観ているこちらまでスタッフとともに悔しい気持ちになり、また、次の公演のときにちゃんとうまくいくかどうかと、こちらも手に汗握る思い。そして、並んでチケットをとり、斬新なプロダクションについて、むきになってあれこれ論評するオペラファンや、雨のなか合羽を着て何時間も座ってリンカーンセンターの広場やタイムズスクエアのスクリーンでの放映に見入る人たちの姿にも、なんだかじーんとくる。莫大な赤字を抱えていると伝えられるメトロポリタン歌劇場ですが、そのなかで芸術にこれだけ惜しみなく人力・資力・技術を投入する勇気のある人たちと組織が世の中に存在して、本当によかったと、心から思わせてくれます。私はとくに『指輪』にも詳しくないし、観るにもなかなか体力を必要とするのでちょっと躊躇していましたが、機会があったらぜひ全4作、メトロポリタンで生の上演を観てみたいと思いました。この映画、日本で上映される予定があるかどうかわかりませんが、機会があったらぜひぜひどうぞ。
これは、あらゆるオペラのなかでも超傑作とされているワーグナーの『ニーベルングの指輪』全4部の、メトロポリタン歌劇場での新しいプロダクションの様子を追ったドキュメンタリー。監督はSusan Froemkeで、私が大好き(映画館でみてあまりにもよかったので、このあいだニューヨークに行ったときにメトロポリタン歌劇場のギフトショップでDVDを買いました)なドキュメンタリー『The Audition』の監督でもある人。
メトロポリタンでは20年間にわたり『指輪』の新しい演出はなされていなかったところに、演出家Robert Lepageが抜擢され、国境を超えたプロダクションチームが、ワーグナーの壮大な構想を実現するために実に6年間をかけて取り組んだ、芸術的・技術的な大挑戦。私は第一部の『ラインの黄金』が映画でのライブビューイングで上映されたものを観に行きましたが、たしかに斬新なプロダクションに感心すると同時に、あまりにもセットがすごいのでそちらに気を取られて音楽に集中できないな〜、などと思っていたのですが、このドキュメンタリーを観て、いやはや、あのプロダクションにかけられた、尋常でない技術や知恵や情熱をかいま見、素直に感動しました。ひとつのオペラのプロダクションに、Robert Lepageやメトロポリタン歌劇場の総支配人であるPeter Gelbのみならず、巨大なセットを作る大工さんやその移動の方法を考える技術者、スタントマン、衣装スタッフ、そしてもちろん、宙にぶら下がったり動くセットをよじ上ったり滑り降りたりしながら歌わなければいけない歌手たちの、何年にもわたる思いと労力が込められているのをみると、畏れ多い気持ちになります。そして、複雑な技術がたくさんあるからこその、本番でのハプニングもあり、6年間の努力がオープニング当日にすべて実を結ばなかった落胆を考えると、観ているこちらまでスタッフとともに悔しい気持ちになり、また、次の公演のときにちゃんとうまくいくかどうかと、こちらも手に汗握る思い。そして、並んでチケットをとり、斬新なプロダクションについて、むきになってあれこれ論評するオペラファンや、雨のなか合羽を着て何時間も座ってリンカーンセンターの広場やタイムズスクエアのスクリーンでの放映に見入る人たちの姿にも、なんだかじーんとくる。莫大な赤字を抱えていると伝えられるメトロポリタン歌劇場ですが、そのなかで芸術にこれだけ惜しみなく人力・資力・技術を投入する勇気のある人たちと組織が世の中に存在して、本当によかったと、心から思わせてくれます。私はとくに『指輪』にも詳しくないし、観るにもなかなか体力を必要とするのでちょっと躊躇していましたが、機会があったらぜひ全4作、メトロポリタンで生の上演を観てみたいと思いました。この映画、日本で上映される予定があるかどうかわかりませんが、機会があったらぜひぜひどうぞ。
2012年4月29日日曜日
別れの儀式
ニューヨーク・タイムズのサイトで、「あなたにおススメの記事」のナンバー1になっているのが、「別れの儀式」についての記事。この記事、全読者のなかで「もっともメールされている記事」のトップ10にすら入っていないのに、私には一押しでおススメされているというあたりが、なんとも複雑な気分(笑)。それはまあともかくとして、記事の内容は、私はとても共感するものであります。
要は、最近、離婚するカップルがなんらかの別れの儀式を行うことが増えている、ということ。たいていのカップルは、結婚するときには、人生を共にすることを誓う儀礼や式典をする。だったら、離婚をするときにも、その誓いから自らを解放し、結婚生活の過程で共有してきたものを讃え記念し、それに終止符を打ち、人生の新方向の第一歩を踏み出す儀式があってもしかるべし。恨みつらみや怒りをずるずると引きずっているよりも、こうした儀式を行うことで、気持ちに整理をつけることができ、プラスのものをプラスとして捉えることができる。もちろん、別れの悲しみを儀式が減らしてくれるわけではないが、いろいろな意味でひとつの節目をつけることにはなる。
カップルによっては、それぞれが反対側から万里の長城に登り、歩いて中間地点で会い、抱擁しあってから、再び別の道を行く、といった壮大な儀式をする人もいれば、ふたりで暮らしたアパートの真ん中でふたりの思い出を語り合い、お互いの幸せを願いあって別れる、といったシンプルな終止符をつける人もいる。儀式は必ずしもふたりでする必要はない。ある女性の場合は、何年も前に済んだ離婚を今でも引きずっている自分に気づき、気持ちにけりをつけるために、自分で派手な離婚パーティを開催し、ナイトクラブを借りて、親族や友達の見守るなか、ドレスを着て会場の真ん中に歩み出て、旧姓を取り戻す誓いの言葉を述べると、母親が彼女に指輪をはめて、「家族のあなたへの愛情は、いつまでも終わることがないのよ」と言ったという。笑いや涙や拍手や音楽やダンスに満ちた、明るい別れのパーティ。なんとも素晴らしい(なんだかいかにも私がやりそうなことだ〜:))。
別れる本人たちの気持ちの整理にも儀式はプラスの意味をもつけれど、とくに子供がいるカップルにとっては、こうした儀式は重要だという。両親の離婚によって混乱・困惑している子供にとって、こうした儀式を経ることは、両親の歴史や選択を理解し受け入れる機会となる。親は、儀式の場で、離婚後も子供たちはそれぞれの親にとって一番重要な存在だということを改めて子供に伝えることができる。とのこと。
私は以前から、こういう儀式があればいいのにと思っていました。離婚だけでなく、恋人同士が別れる場合でも、(私自身を含め)こういった儀式に救われる男女は多いのではないかと思っていました。もちろん、別れの状況によっては、とてもそんな儀式をする気にはなれない、という人たちも多いでしょうが、きちんとした話し合いを経てお互いの合意のもとで別れる場合には、こうした儀式は、悲しいながらも美しく重要な節目になり、気持ちの整理に役に立つのでは。また、ふたりと親しくしてきた家族や友人たちにとっても、儀式はプラスなような気がします。最近、私が親しいカップルのいくつかが別離をしているのですが、そうした場合、友達にとっては、傷ついている本人たちへの気持ちももちろんですが、カップルとしての二人との関係が消滅してしまう悲しみも大きい。ふたりの結婚を祝い、結婚生活のあれこれを共有してくれた周りの人たちに、感謝と挨拶の気持ちを表すという意味でも、こうした儀式はあってもよい気がします。私に商才があったら、別れの儀式やパーティをコーディネートするビジネスを始めるかも。
要は、最近、離婚するカップルがなんらかの別れの儀式を行うことが増えている、ということ。たいていのカップルは、結婚するときには、人生を共にすることを誓う儀礼や式典をする。だったら、離婚をするときにも、その誓いから自らを解放し、結婚生活の過程で共有してきたものを讃え記念し、それに終止符を打ち、人生の新方向の第一歩を踏み出す儀式があってもしかるべし。恨みつらみや怒りをずるずると引きずっているよりも、こうした儀式を行うことで、気持ちに整理をつけることができ、プラスのものをプラスとして捉えることができる。もちろん、別れの悲しみを儀式が減らしてくれるわけではないが、いろいろな意味でひとつの節目をつけることにはなる。
カップルによっては、それぞれが反対側から万里の長城に登り、歩いて中間地点で会い、抱擁しあってから、再び別の道を行く、といった壮大な儀式をする人もいれば、ふたりで暮らしたアパートの真ん中でふたりの思い出を語り合い、お互いの幸せを願いあって別れる、といったシンプルな終止符をつける人もいる。儀式は必ずしもふたりでする必要はない。ある女性の場合は、何年も前に済んだ離婚を今でも引きずっている自分に気づき、気持ちにけりをつけるために、自分で派手な離婚パーティを開催し、ナイトクラブを借りて、親族や友達の見守るなか、ドレスを着て会場の真ん中に歩み出て、旧姓を取り戻す誓いの言葉を述べると、母親が彼女に指輪をはめて、「家族のあなたへの愛情は、いつまでも終わることがないのよ」と言ったという。笑いや涙や拍手や音楽やダンスに満ちた、明るい別れのパーティ。なんとも素晴らしい(なんだかいかにも私がやりそうなことだ〜:))。
別れる本人たちの気持ちの整理にも儀式はプラスの意味をもつけれど、とくに子供がいるカップルにとっては、こうした儀式は重要だという。両親の離婚によって混乱・困惑している子供にとって、こうした儀式を経ることは、両親の歴史や選択を理解し受け入れる機会となる。親は、儀式の場で、離婚後も子供たちはそれぞれの親にとって一番重要な存在だということを改めて子供に伝えることができる。とのこと。
私は以前から、こういう儀式があればいいのにと思っていました。離婚だけでなく、恋人同士が別れる場合でも、(私自身を含め)こういった儀式に救われる男女は多いのではないかと思っていました。もちろん、別れの状況によっては、とてもそんな儀式をする気にはなれない、という人たちも多いでしょうが、きちんとした話し合いを経てお互いの合意のもとで別れる場合には、こうした儀式は、悲しいながらも美しく重要な節目になり、気持ちの整理に役に立つのでは。また、ふたりと親しくしてきた家族や友人たちにとっても、儀式はプラスなような気がします。最近、私が親しいカップルのいくつかが別離をしているのですが、そうした場合、友達にとっては、傷ついている本人たちへの気持ちももちろんですが、カップルとしての二人との関係が消滅してしまう悲しみも大きい。ふたりの結婚を祝い、結婚生活のあれこれを共有してくれた周りの人たちに、感謝と挨拶の気持ちを表すという意味でも、こうした儀式はあってもよい気がします。私に商才があったら、別れの儀式やパーティをコーディネートするビジネスを始めるかも。
2012年4月18日水曜日
文学賞の経済学
今日のニューヨーク・タイムズで「もっともメールされている記事」になっているのが、私が大好きで以前このブログでも言及したことのある小説家Ann Patchettの論説。今年のピュリツアー賞が先日発表になったのですが、フィクション部門で「受賞者なし」となったことに異論を唱えている文章です。
昨年、最新小説State of Wonder
を発表したAnn Patchettですが、自分の作品に賞が与えられなかったことに抗議しているわけではありません。この論説のなかでも、昨年刊行された小説のなかで彼女自身がたいへん高く評価している作品がいくつも具体的に挙げられ、彼女が賞の審査員であればそのうちのどれかに喜んで賞をあげたであろうことが示されています。これだけ素晴らしい作品がありながら受賞者なしというのは、審査員たちがコンセンサスに到達できなかったからであろうが、一般の読者はおそらくはそうは解釈せず、「2011年はいい小説が生まれなかった年なのだ」という理解をするだろう。ただでも人々の書籍離れが進み、出版業界や書店業界が苦しい思いをしているなかで、優れた作品が多々あるにもかかわらず賞を出さないというのは、納得がいかない。ピュリツアー賞のような権威のある賞の受賞作はテレビやラジオで取り上げられ、巷の話題となる。小説を読むことで、読者は自分以外の人物の生活や人生を想像することでより広い世界への共感を育み、複雑な物語の筋をずっと追うことで頭を使い、しばらくの時間にわたってひとり静かに思索する。現代の社会においてそうした小説はますます重要であるにもかかわらず、小説が「巷の話題となる」ことが少ない現代、一般の人々の文学への関心を高めるのにこうした賞は重要な役割を果たしているのだから、審査員同士の葛藤などで安易に「受賞者なし」などという結果を出さないでほしい、という主旨。
私は今ちょうど、The Economy of Prestige: Prizes, Awards, and the Circulation of Cultural Value
という本を読んでいる最中なので、この文章はとりわけ興味深いです。この研究は、第二次大戦後、世界中で文学・映画・美術・音楽などでありとあらゆる賞が与えられるようになった現象を分析しているものです。文学者であるJames English氏が、文化史だけでなく、あえて社会学や経済学の視点から文学賞を扱っているのがとても斬新。『ヴァンクライバーン 国際ピアノコンクール』
の取材以来、音楽の世界におけるコンクールの意味や役割を考えている私にとっては、たいへん面白く、わくわくしながら読んでいます。ピュリツアー賞や影響力のある文学賞も例に取り上げられ、賞の運営者と出版業界、審査員と作家たちといった複雑な関係が綿密に分析されています。文学賞が文学という芸術分野の自律した価値観を反映するためには、賞の審査員や運営者たちは出版業界から独立した立場でなくてはいけないでしょうが、それと同時に、賞には、それが対象とする文化分野そのものを讃えることで地位を高めようとするという目的もある。文学賞(そして文学以外のさまざまな文化賞)というものがもつ経済効果だけでなく象徴資本や文化的役割が、具体的にどのように機能するかを、たくさんの事例にもとづいてさまざまな視点からとらえられていて、とても興味深いです。研究書でありながら文章はきわめて平易で読みやすいのも見事。関心のあるかたはご一読を。
昨年、最新小説State of Wonder
私は今ちょうど、The Economy of Prestige: Prizes, Awards, and the Circulation of Cultural Value
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