2007年の金融危機以来とくに、アメリカの大学では、政府の教育予算が大きく削られた州立・市立大学でも、また寄付や基金がかなり減少した私立大学でも、財政難に苦しんでいるところがほとんどです。そんななかで、昨日のニューヨーク・タイムズに載って話題になっているのが、ニューヨークのブルームバーグ市長が、母校のジョンズ・ホプキンス大学に3億5千万ドルの寄付をすると発表したこと。これまでの40年間にブルームバーグ氏が同大学に寄付した額は、これを含めるとなんと11億ドルになるとのこと。ひょえ〜。
マサチューセッツで育ったブルームバーグ氏は、高校生のときは、成績もそれほどよくなく、大きな野心を抱いているわけでもない、普通の青年だったのだが、アルバイト先の会社の社長がジョンズ・ホプキンスの卒業生で、その人物に同大学に応募することを強く勧められ、運よく合格してしまったとのこと。小さな町の生活に退屈していたブルームバーグ青年は、荘重な建物の並ぶキャンパスで、世界のリーダーを目指している若者たちが、さまざまな思想を論じている大学の空気に魅了され、成績も優秀で、さまざまなキャンパス活動においてリーダーシップをとる人物へとめきめき成長していった。そうやって自分の意識や知力を育ててくれた母校への感謝の念を表すために、卒業の翌年に5ドルを寄付したのに始まって、ブルームバーグ氏の財力が膨らむにつれ、氏の母校への寄付もどんどん増えていった。氏の寄付に支えられた同大学は、ここ数十年のあいだに、大学の知名度やランキング、教授陣や学生を集める力、キャンパス施設など、すべてにおいて飛躍的な成長をしてきた、とのこと。とくに、政策にかかわる公衆衛生の分野に興味をもったブルームバーグ氏は、公衆衛生関連の研究増進に多額の寄付をしてきた、とのことです。
医学など以外の分野では、ジョンズ・ホプキンス大学は日本ではそれほど知名度が高くないかもしれませんが、政治学や歴史学などにおいてもたいへん伝統と定評のある、名門大学です。ちなみに、ジョンズ・ホプキンズ出版局もたいへん立派な学術出版局で、私の分野の学術誌、American QuarterlyそしてJournal of Asian American Studiesはともに同出版局が刊行しています。
それにしても、11億ドルはすごい。これは、個人が存命中に教育機関に寄付した額としては、アメリカ史上最大のもので、ロックフェラー、カーネギー、メロン、そして現代においてはビル・ゲイツやウオーレン・バフェットと並ぶフィランソロピストとしてブルームバーグ氏が名を残すことは間違いありません。氏は、自分の財産250億ドルを死ぬ前にすべて寄付すると宣言しており、そのための財団を設立してもいます。
アメリカではフィランソロピーが第三セクターといわれるくらい経済において大きな影響力をもっている国なので、財産のある人たちには是非ともこのような形で寄付をしていただきたい。そして、大学への寄付は、その大学の教授や学生だけでなく、研究や教育の成果を通じて長期的には社会全体へのメリットをもたらすので、おおいに結構。ブルームバーグ氏にも拍手だけれど、卒業生のなかにこれだけの愛校心を育んだジョンズ・ホプキンス大学に拍手を送りたい気持ちにもなります。
それと同時に、財政難に苦しむ州立大学に勤めるものとしては、こういった形で名門私立大学の財産が増大することで、裕福な私立大学と、一般の州立・市立大学の格差がますます拡大していく、ということに一種の苛立ちを感じることも確かです。実際、私立大学と公立大学のあいだには、さまざまな意味で雲泥の違いがあります。名門私立大学で教育を受けた人と、ハワイ大学のような州立大学で教育を受けた人が、社会に出ると同じ土俵で競争しなければいけないということ自体、納得がいかないくらいです。そもそも、公立大学に通うだけでも巨額の学資ローンを抱えたり、学費を払えず進学や卒業をあきらめる若者がたくさんいるいっぽうで、ひとりの個人が250億ドルもの財産を成す社会自体に、なにか大きく歪んだものがあるようにも思えます。この記事に投稿されている読者コメントのなかにも、ブルームバーグ氏の寄付を讃える人たちがたくさんいるいっぽうで、格差社会への疑問を提示している人たちがけっこういるのが面白いです。
ハワイ大学アメリカ研究学部教授、吉原真里のブログです。『ドット・コム・ラヴァーズーーネットで出会うアメリカの女と男』(中公新書、2008年)刊行を機に、アメリカのインターネット文化や恋愛・結婚・人間関係、また、大学での仕事、ハワイでの生活、そしてアメリカ文化・社会一般についての話題を掲載することを目的に始めました。諸般の事情により、2014年春から2年半ほど投稿を中止していましたが、ドナルド•トランプ氏の大統領選当選の衝撃で長い冬眠より覚め、ブログを再開することにしました。
2013年1月27日日曜日
2013年1月25日金曜日
安倍フェローシップ・リトリート
先週末、ニューヨーク近郊のタリータウンという町で開催された、安倍フェローシップのリトリートに参加し、その後2日間マンハッタンで過ごしてから一昨日ハワイに戻ってきました。ニューヨークは私がいるあいだに最低でマイナス10度という寒さで、ハワイの天候に身体が慣れている私にはたいへんキビしいものがありました。
さて、このリトリート(日本語でいえばまあ「合宿」です)、予想以上に有意義で楽しかったので紹介しておきます。まず、安倍フェローシップとは、アメリカの社会科学評議会(Social Science Research Council)と日本の国際交流基金日米センター(The Japan Foundation Center for Global Partnership)が共同運営している研究助成プログラムで、「現代の地球的な政策課題で、国際的な調査研究の増進を目的」としているものです。研究者のための奨学金と、ジャーナリストのための短期研究取材の助成があります。私は、研究奨学金をいただいて、2010〜2011年度のサバティカルに合わせて、半年間をハワイおよびアメリカ本土で、残りの半年を東京で研究調査をして過ごしました。芸術文化をめぐる政治経済、とくに文化政策および芸術支援のメカニズムをめぐる日米比較、というのが私の研究プロジェクトです。ちょうど調査の最中に東日本大震災があり、あらゆる状況が変わってしまったので、当初の調査予定は大幅に変更することになりましたが、この奨学金のおかげでふだん大学の仕事をしなければできない、いろいろな形のデータ収集をすることができました。こういうフェローシップは、とくに研究資金が世の中にあまり存在しない文系の研究者にとっては本当にありがたいものです。
基本的にこのフェローシップは個人の研究者のための奨学金なのですが、受給の条件として、フェローシップをもらっている年またはその後数年以内に、このリトリートに参加する、というものがあります。3日間にわたって、研究者とジャーナリスト合わせて十数人のフェローが合宿をし、それぞれの研究プロジェクトについて議論する、というもの。たいへん優雅でありながら、歩いては簡単に外に遊びには行けないような環境(なにしろ今回の開催地は寒いし、ちょっと人里離れたリゾートのようなところ)で缶詰にされるので、嫌でも他のフェローたちと交流をしなければいけないようになっているのです。
このリトリートが有意義だったことの理由の第一はまず、他分野の人たちとの議論と交流。このフェローシップは基本的に社会科学を中心にしたものなので、私はディシプリン的にはかなりアウトサイダーで、果して他分野の人たちと話がかみ合うかどうか、私がやろうとしていることを他の人たちがじゅうぶんに理解してくれるかどうか、他の人たちのプロジェクトに自分が意味のあるコメントをできるかどうか、けっこう不安でいっぱいだったのですが、この他分野交流、たいへん面白かったです。私がコメントを担当したのは、人口統計学の専門家と、物理学や建築学の専門家のプロジェクト。逆に私のプロジェクトについてコメントをしたのは、virtual water(この概念も私は今回初めて知りました)と食糧輸出入を専門とする政治学者と、コミュニケーション学の専門家。というふうに、本当に学際的な会話で、ふだん自分が属している「アメリカ研究」が「学際的」だと思っていた私には、自分がふだんいかに同じような理論的枠組や言語を共有している人たちとばかり交流しているのか、認識しました。このリトリートがなければ決して自分が読むことはなかっただろうけれど、読んだり聞いたりしてみると実に興味深い、という種類のプロジェクトに触れることができたし、他分野の人たちと話をするには、自分のやっていることを平易でわかりやすい言葉で伝えることを強いられるので、とてもいい知的エクササイズでした。
また、ジャーナリストと研究者が一緒に議論する、というのもとても素晴らしかった。今回参加したジャーナリストは、日本人新聞記者一名、テレビ・新聞・雑誌などのさまざまなメディアで仕事をするアメリカ人のジャーナリスト三名でしたが、この人たちの優秀なことといったら、申し訳ないけれど私がこれまでに接してきた日本のジャーナリストたちの多く(全員とは言ってませんよ!)とは比べものになりませんでした。ジャーナリストが高度な調査能力をもっているのは当然としても、研究者顔負けの分析能力、そして研究の意義をわかりやすい言葉で伝える力には、学ぶところが多かったし、人間的にも非常に魅力的な人たちばかりで、彼らと知り合えたのは本当によかった。
さらに、このリトリートの特徴は、社会科学評議会そして日米センターのスタッフが、単に裏方として事務的な作業にあたっているだけでなく、実際の知的な議論にフェローたちと一緒に参加する、ということ。関連分野について専門知識をもち、長年知的な国際交流に携わってきた人たちだけあって、とても鋭いコメントをしたり、フェローにとって有益な情報や人脈をもっていたりして、リトリートに大きな貢献をしてくれました。また、過去のフェローや、関連分野のベテラン専門家が、各セッションのモデレータ−兼メンターを務めてくださるのですが、偶然にも私のグループのモデレーターは、松田武先生でした。かつてこのブログで、松田先生の著書をあれこれ評したのを、ご本人が読んで、批判的なコメントも多かったにもかかわらずきわめてポジティブに受け止めてくださり、学会でお会いしたときにとても温かく接してくださったのですが、今回のリトリートでさらに親しくなることができて、とても楽しかったです。温かい人柄が、いつもニコニコ顔の表情と関西風ユーモアによく表れていて、一緒にいて幸せな気分になる人物です。
安倍フェローシップ、こういうわけでよいことづくめですので、関連分野の研究者およびジャーナリストには大変おすすめです。
リトリートでおおいに刺激を受けたので、リトリートのあと基本的には遊びのつもりで行ったマンハッタンでは、半日間New York Public Library for the Performing Artsでリサーチをしました。また、メトロポリタンオペラで、信じられないくらい安い値段で信じられないくらい前のほうのいい席で、私の大好きなJuan Diego Flores主演のLe Comte Oryを観ることもでき、寒さにもかかわらず幸せ気分いっぱいでした。というわけで、暖かいハワイに戻ってきたところで、再び仕事全開です。
さて、このリトリート(日本語でいえばまあ「合宿」です)、予想以上に有意義で楽しかったので紹介しておきます。まず、安倍フェローシップとは、アメリカの社会科学評議会(Social Science Research Council)と日本の国際交流基金日米センター(The Japan Foundation Center for Global Partnership)が共同運営している研究助成プログラムで、「現代の地球的な政策課題で、国際的な調査研究の増進を目的」としているものです。研究者のための奨学金と、ジャーナリストのための短期研究取材の助成があります。私は、研究奨学金をいただいて、2010〜2011年度のサバティカルに合わせて、半年間をハワイおよびアメリカ本土で、残りの半年を東京で研究調査をして過ごしました。芸術文化をめぐる政治経済、とくに文化政策および芸術支援のメカニズムをめぐる日米比較、というのが私の研究プロジェクトです。ちょうど調査の最中に東日本大震災があり、あらゆる状況が変わってしまったので、当初の調査予定は大幅に変更することになりましたが、この奨学金のおかげでふだん大学の仕事をしなければできない、いろいろな形のデータ収集をすることができました。こういうフェローシップは、とくに研究資金が世の中にあまり存在しない文系の研究者にとっては本当にありがたいものです。
基本的にこのフェローシップは個人の研究者のための奨学金なのですが、受給の条件として、フェローシップをもらっている年またはその後数年以内に、このリトリートに参加する、というものがあります。3日間にわたって、研究者とジャーナリスト合わせて十数人のフェローが合宿をし、それぞれの研究プロジェクトについて議論する、というもの。たいへん優雅でありながら、歩いては簡単に外に遊びには行けないような環境(なにしろ今回の開催地は寒いし、ちょっと人里離れたリゾートのようなところ)で缶詰にされるので、嫌でも他のフェローたちと交流をしなければいけないようになっているのです。
このリトリートが有意義だったことの理由の第一はまず、他分野の人たちとの議論と交流。このフェローシップは基本的に社会科学を中心にしたものなので、私はディシプリン的にはかなりアウトサイダーで、果して他分野の人たちと話がかみ合うかどうか、私がやろうとしていることを他の人たちがじゅうぶんに理解してくれるかどうか、他の人たちのプロジェクトに自分が意味のあるコメントをできるかどうか、けっこう不安でいっぱいだったのですが、この他分野交流、たいへん面白かったです。私がコメントを担当したのは、人口統計学の専門家と、物理学や建築学の専門家のプロジェクト。逆に私のプロジェクトについてコメントをしたのは、virtual water(この概念も私は今回初めて知りました)と食糧輸出入を専門とする政治学者と、コミュニケーション学の専門家。というふうに、本当に学際的な会話で、ふだん自分が属している「アメリカ研究」が「学際的」だと思っていた私には、自分がふだんいかに同じような理論的枠組や言語を共有している人たちとばかり交流しているのか、認識しました。このリトリートがなければ決して自分が読むことはなかっただろうけれど、読んだり聞いたりしてみると実に興味深い、という種類のプロジェクトに触れることができたし、他分野の人たちと話をするには、自分のやっていることを平易でわかりやすい言葉で伝えることを強いられるので、とてもいい知的エクササイズでした。
また、ジャーナリストと研究者が一緒に議論する、というのもとても素晴らしかった。今回参加したジャーナリストは、日本人新聞記者一名、テレビ・新聞・雑誌などのさまざまなメディアで仕事をするアメリカ人のジャーナリスト三名でしたが、この人たちの優秀なことといったら、申し訳ないけれど私がこれまでに接してきた日本のジャーナリストたちの多く(全員とは言ってませんよ!)とは比べものになりませんでした。ジャーナリストが高度な調査能力をもっているのは当然としても、研究者顔負けの分析能力、そして研究の意義をわかりやすい言葉で伝える力には、学ぶところが多かったし、人間的にも非常に魅力的な人たちばかりで、彼らと知り合えたのは本当によかった。
さらに、このリトリートの特徴は、社会科学評議会そして日米センターのスタッフが、単に裏方として事務的な作業にあたっているだけでなく、実際の知的な議論にフェローたちと一緒に参加する、ということ。関連分野について専門知識をもち、長年知的な国際交流に携わってきた人たちだけあって、とても鋭いコメントをしたり、フェローにとって有益な情報や人脈をもっていたりして、リトリートに大きな貢献をしてくれました。また、過去のフェローや、関連分野のベテラン専門家が、各セッションのモデレータ−兼メンターを務めてくださるのですが、偶然にも私のグループのモデレーターは、松田武先生でした。かつてこのブログで、松田先生の著書をあれこれ評したのを、ご本人が読んで、批判的なコメントも多かったにもかかわらずきわめてポジティブに受け止めてくださり、学会でお会いしたときにとても温かく接してくださったのですが、今回のリトリートでさらに親しくなることができて、とても楽しかったです。温かい人柄が、いつもニコニコ顔の表情と関西風ユーモアによく表れていて、一緒にいて幸せな気分になる人物です。
安倍フェローシップ、こういうわけでよいことづくめですので、関連分野の研究者およびジャーナリストには大変おすすめです。
リトリートでおおいに刺激を受けたので、リトリートのあと基本的には遊びのつもりで行ったマンハッタンでは、半日間New York Public Library for the Performing Artsでリサーチをしました。また、メトロポリタンオペラで、信じられないくらい安い値段で信じられないくらい前のほうのいい席で、私の大好きなJuan Diego Flores主演のLe Comte Oryを観ることもでき、寒さにもかかわらず幸せ気分いっぱいでした。というわけで、暖かいハワイに戻ってきたところで、再び仕事全開です。
2013年1月2日水曜日
ベアテ・シロタ・ゴードンと占領期の日本女性
あけましておめでとうございます。ハワイで新年を迎えるのも1998年以来ほぼ毎年のことになりますが、今回初めて年越しの瞬間をワイキキで過ごしました。友達の家で夕食をご馳走になったあと、しばらくワイキキを散歩していたのですが、あまりの人混みに疲れ、12時を待たずに家に帰ろうという途中にお腹が空いて、年越しそばのかわりにラーメンを食べているあいだに(そのあたりにラーメン屋がすぐ見つかるところがハワイのよいところ)12時近くになったので、ついでにワイキキの路上で花火見物をしてきました。
さて、ベアテ・シロタ・ゴードンさん逝去のニュースは、日本のメディアのほうがアメリカよりも2日間ほど早く報道していました。諏訪根自子さん逝去の報道は、アメリカのほうが数日早かったのに対して、今回は逆のパターン。このあたりの違いの背景に私は興味があるのですが、それはそれとして、シロタ・ゴードンさんの生涯は、日本国憲法の起草のほかにも、ピアニストであった父親レオ・シオタの日本の音楽界における位置づけや、彼女自身1950年代以降ニューヨークのジャパン・ソサイエティで率いたさまざまな文化交流という点からも、私にはたいへん興味深いものです。
ニューヨーク・タイムズに掲載された彼女の訃報・追悼文がこちら。アメリカではシロタ・ゴードンさんのことを知っている人はごくわずか(日本でも彼女が憲法起草にかかわっていたことが知られたのは比較的最近のこと)でしょうし、たしかに、法律の専門家でもない22歳のアメリカ国籍の女性が日本国憲法の起草にかかわり、両性の平等をうたう憲法24条を執筆したというのは、きわめて特異で興味深い歴史ではあります。また、訃報・追悼文という文章の性質上、こうした内容になるのはやむをえないのかも知れません。が、アメリカ=アジア関係史・ジェンダー研究に携わるものとしては、まるで彼女がひとりで日本女性の権利拡大をもたらしたかのような書き方にはちょっと疑問が。日本でも戦前からさまざまな日本人の知識人や活動家による女性運動の歴史があったのだし、また、憲法24条によって日本社会で性の平等が実現したわけでもない。また、占領という状況下での日本の性をめぐる力学には、単なる女性の権利拡大というだけでは片付けられない複雑な冷戦の政治学があったということを、私のハワイ大学の同僚(私と同じ年にハワイ大学で仕事を始めた人です)である小碇美玲さんの著書
もあきらかにしています。この機会に、よかったら読んでみてください。
さて、ベアテ・シロタ・ゴードンさん逝去のニュースは、日本のメディアのほうがアメリカよりも2日間ほど早く報道していました。諏訪根自子さん逝去の報道は、アメリカのほうが数日早かったのに対して、今回は逆のパターン。このあたりの違いの背景に私は興味があるのですが、それはそれとして、シロタ・ゴードンさんの生涯は、日本国憲法の起草のほかにも、ピアニストであった父親レオ・シオタの日本の音楽界における位置づけや、彼女自身1950年代以降ニューヨークのジャパン・ソサイエティで率いたさまざまな文化交流という点からも、私にはたいへん興味深いものです。
ニューヨーク・タイムズに掲載された彼女の訃報・追悼文がこちら。アメリカではシロタ・ゴードンさんのことを知っている人はごくわずか(日本でも彼女が憲法起草にかかわっていたことが知られたのは比較的最近のこと)でしょうし、たしかに、法律の専門家でもない22歳のアメリカ国籍の女性が日本国憲法の起草にかかわり、両性の平等をうたう憲法24条を執筆したというのは、きわめて特異で興味深い歴史ではあります。また、訃報・追悼文という文章の性質上、こうした内容になるのはやむをえないのかも知れません。が、アメリカ=アジア関係史・ジェンダー研究に携わるものとしては、まるで彼女がひとりで日本女性の権利拡大をもたらしたかのような書き方にはちょっと疑問が。日本でも戦前からさまざまな日本人の知識人や活動家による女性運動の歴史があったのだし、また、憲法24条によって日本社会で性の平等が実現したわけでもない。また、占領という状況下での日本の性をめぐる力学には、単なる女性の権利拡大というだけでは片付けられない複雑な冷戦の政治学があったということを、私のハワイ大学の同僚(私と同じ年にハワイ大学で仕事を始めた人です)である小碇美玲さんの著書
2012年12月17日月曜日
ダニエル・イノウエ上院議員逝去
いろんなことがあっていつにも増して忙しかった学期末の数週間が過ぎ、先ほど採点を終え、今学期の大学関連の業務はもうちょびっとで終わります。ここ数日間は、コネチカットの小学校での銃乱射事件で言葉を失うほどの衝撃を受け、「なんだって自分はわざわざこの国に住んでいるんだろう」と思っているさなかに、日本の選挙の結果を知り、こちらについてもウームと唸る状態。
国家の状況に取り組むにしても、とりあえず目の前にある自分の仕事をきちんとしなければ、と気分を切り替えて自分の執筆に集中しようと思っているさなかに、ハワイのダニエル・イノウエ上院議員逝去のニュースが入ってきました。88歳とはいえ、そんなに健康状態が悪かったとはまるで知らず、突然のニュースだったので、びっくりしました。
ダニエル・イノウエ議員は、上院でも勤務年数最長のベテラン中のベテラン議員でした。日系移民そして日系二世がアメリカ西海岸(および一部の人はハワイでも)で強制収容されるなか、日系人ばかりの442部隊(戦争中もっとも功績の多かった部隊のひとつ)に入隊し、イタリア戦線で負傷し右腕を失いました。軍の病院で治療・リハビリを受けた後ハワイに戻ってハワイ大学を卒業し、ワシントンのジョージ・ワシントン大学で法律を学んでから、1954年に多くの日系人が当選したいわゆるハワイの「民主党革命」といわれる大きな変化の流れのなかで、政治家としての道を歩み始め、ハワイが1959年に州としての地位を獲得するとともに、連邦議員としてのキャリアを築き始めました。その後、地元ハワイにさまざまな資金をもたらすと同時に、ウオーターゲート事件やイラン=コントラ事件の調査、公民権推進や貧困対策、先住民文化の保護などに大きな貢献を果たし、レーガン政権中の1988年には戦時中強制収容された日系人に謝罪と補償をする法案を、さらに1993年には、1893年にハワイ王国がアメリカ政府によって不当に転覆させられたことについてクリントン大統領が謝罪する法案を実現させるのに決定的な役割を果たしました。日系人、アジア系アメリカ人、非白人の政治家としてまさにパイオニアの存在であるばかりでなく、ベテラン上院議員として党を超えたきわめて強力な政治力をもっていたイノウエ氏。おりしも、もうひとりのハワイからの上院議員のアカカ氏が引退して、メイジー・ヒロノ氏にバトンタッチするところ。今後のワシントンにおけるハワイの位置づけがたいへん気になるところです。
報道によると、イノウエ氏の最期の言葉は、「Aloha」だったそうです。なんと素敵なお別れの言葉でしょうか。こちらからも、Aloha, Senator Inouye。いろいろな新聞の報道もなかなか興味深いので、よかったら読み比べてみてください。
ハワイの地元新聞はこちら。
ニューヨーク・タイムズはこちら。
ウオール・ストリート・ジャーナルはこちら。
日本版もできると最近発表されたハッフィントン・ポストはこちら。
国家の状況に取り組むにしても、とりあえず目の前にある自分の仕事をきちんとしなければ、と気分を切り替えて自分の執筆に集中しようと思っているさなかに、ハワイのダニエル・イノウエ上院議員逝去のニュースが入ってきました。88歳とはいえ、そんなに健康状態が悪かったとはまるで知らず、突然のニュースだったので、びっくりしました。
ダニエル・イノウエ議員は、上院でも勤務年数最長のベテラン中のベテラン議員でした。日系移民そして日系二世がアメリカ西海岸(および一部の人はハワイでも)で強制収容されるなか、日系人ばかりの442部隊(戦争中もっとも功績の多かった部隊のひとつ)に入隊し、イタリア戦線で負傷し右腕を失いました。軍の病院で治療・リハビリを受けた後ハワイに戻ってハワイ大学を卒業し、ワシントンのジョージ・ワシントン大学で法律を学んでから、1954年に多くの日系人が当選したいわゆるハワイの「民主党革命」といわれる大きな変化の流れのなかで、政治家としての道を歩み始め、ハワイが1959年に州としての地位を獲得するとともに、連邦議員としてのキャリアを築き始めました。その後、地元ハワイにさまざまな資金をもたらすと同時に、ウオーターゲート事件やイラン=コントラ事件の調査、公民権推進や貧困対策、先住民文化の保護などに大きな貢献を果たし、レーガン政権中の1988年には戦時中強制収容された日系人に謝罪と補償をする法案を、さらに1993年には、1893年にハワイ王国がアメリカ政府によって不当に転覆させられたことについてクリントン大統領が謝罪する法案を実現させるのに決定的な役割を果たしました。日系人、アジア系アメリカ人、非白人の政治家としてまさにパイオニアの存在であるばかりでなく、ベテラン上院議員として党を超えたきわめて強力な政治力をもっていたイノウエ氏。おりしも、もうひとりのハワイからの上院議員のアカカ氏が引退して、メイジー・ヒロノ氏にバトンタッチするところ。今後のワシントンにおけるハワイの位置づけがたいへん気になるところです。
報道によると、イノウエ氏の最期の言葉は、「Aloha」だったそうです。なんと素敵なお別れの言葉でしょうか。こちらからも、Aloha, Senator Inouye。いろいろな新聞の報道もなかなか興味深いので、よかったら読み比べてみてください。
ハワイの地元新聞はこちら。
ニューヨーク・タイムズはこちら。
ウオール・ストリート・ジャーナルはこちら。
日本版もできると最近発表されたハッフィントン・ポストはこちら。
2012年11月22日木曜日
Nayan Shah, _Stranger Intimacy_
こちらは今日はサンクスギビング。私は人生においてすでに22回(かな?)もサンクスギビングをアメリカで過ごしているにもかかわらず、いまだに一度も七面鳥を自分で焼いたことがないという驚異的な事実。なにしろ一人暮らしでは、いったんあんな鳥をオーブンで焼いてしまったら残り一生七面鳥ばかり食べることになるのではいうくらい大きいし、いつも人の家に出かけて行ってご馳走をいただくばかりで、たまには自分がホストしようかと思っても、人をよぶ前にまず練習で焼いてみなければと思うとなんとも面倒で、ついついよばれるがままに出かけて行ってしまうのです。今朝はせっかくの休みなのに早く目が覚めてしまったので、早朝ジョギングで400カロリー弱消費してきたものの、これから三つのパーティをはしごするので、400カロリーくらいではどうにも太刀打ちできない模様。
さて、先週は学会でプエルトリコに行ってきました。初めてだったので楽しみでしたが、学会の仕事と、私の学部で新任教員を採用するための一次面接を学会中ずっとやっていたので、観光はまるでできずに終わってしまいました。食事のときにちょっとサン・ホアンの旧市街をまわって、スペイン植民の歴史と現地の暮らしが興味深い形で混じり合っている様子がなんとも面白そうだったので、またいずれゆっくり行ってみたいです。
ハワイとプエルトリコは、まさにアメリカ領の西から東の端同士で、飛行機乗り継ぎ2回を含め片道20時間もかかります。時差も6時間。40代の身体にはなかなかツラい。その長旅の友としたのが、最近カリフォルニア大学サンディエゴ校から南カリフォルニア大学に移ってアメリカ研究・エスニシティ学部の学部長となったNayan ShahのStranger Intimacy: Contesting Race, Sexuality, and the Law in the North American West
。彼の前著Contagious Divides: Epidemics and Race in San Francisco's Chinatown
さて、先週は学会でプエルトリコに行ってきました。初めてだったので楽しみでしたが、学会の仕事と、私の学部で新任教員を採用するための一次面接を学会中ずっとやっていたので、観光はまるでできずに終わってしまいました。食事のときにちょっとサン・ホアンの旧市街をまわって、スペイン植民の歴史と現地の暮らしが興味深い形で混じり合っている様子がなんとも面白そうだったので、またいずれゆっくり行ってみたいです。
ハワイとプエルトリコは、まさにアメリカ領の西から東の端同士で、飛行機乗り継ぎ2回を含め片道20時間もかかります。時差も6時間。40代の身体にはなかなかツラい。その長旅の友としたのが、最近カリフォルニア大学サンディエゴ校から南カリフォルニア大学に移ってアメリカ研究・エスニシティ学部の学部長となったNayan ShahのStranger Intimacy: Contesting Race, Sexuality, and the Law in the North American West
も面白かったけれど、それにも増してこれはものすごい渾身の力作。狭く暗い座席で小さな光をもとに本を読むのは疲れるわ、疲れと時差で眠いわで、本当は飛行機では寝たかったのだけれど(そして実際に何時間かは寝もしたけれど)、読み始めたらあまりにも面白いのでついつい先を読み進めてしまい、往復の旅でほぼ読み終わり、ハワイに戻ってきてから結論を読みました。
この本は、20世紀初頭に南アジアからアメリカそしてカナダの西海岸に渡った労働者たちが、同胞の仲間たちそして白人や多人種の人々と、さまざまな形の親密な関係を築いていく過程において、彼らの人種や性にどのような意味付けがなされていったか、そしてそれらの意味付けが彼らの市民権をどう形作っていったかを、緻密な調査によって明らかにするもの。まず第一に、そのリサーチがすごい。裁判や移民局の記録やら、結婚や離婚の記録やらをくまなく調べ尽くし、南アジア出身の労働者たちの住生活、性生活、労働生活などを鮮明に描きだす。それなりにアジア系アメリカ研究は勉強してきているつもりの私も、まるで知らなかったという類いの話がもりだくさんで、単に「お話」の次元でもワクワクします。これらの労働者たちは、同胞の労働者たちとの共同生活のみならず、自分のもとで働く白人の労働者や、自分よりもずっと年下の少年(「青年」かな)、あるいは街で出会った白人の男性などと、性行為を含むさまざまな親密な関係を築き、移動性の高い労働形態そして同胞の女性との結婚を困難にする移民法の現実のなかで、自分たちなりの共同体そして「家族」を形成していきます。そのいっぽうで、20世紀が進むにつれてどんどんと強固になる二項対立的な性の定義とヘテロノーマティヴな「結婚」や「家庭」の概念が、そうした移民たちの生活や人間関係を排除し、あからさまな人種差別に変わって性と家庭の規範がこうした移民たちの市民権や財力を剥奪する道具となっていきます。その歴史的な流れを、実に多様な「家族」たちの物語を通じて見事に分析し理論化するShahの研究者そして執筆者としての手腕に、唸るばかり。ちょうど一昨日大学院の授業でMary LuiのThe Chinatown Trunk Mystery: Murder, Miscegenation, & Other Dangerous Encounters in Turn-of-the-Century New York City
を使ったばかりなのですが、いろいろな意味でLuiの本と一緒にして読むとさらに理解が深まり、アイデアも広がります。歴史研究の醍醐味を感じさせてくれ、アメリカ研究・人種研究・セクシュアリティ研究をする人には必読の一冊です。プエルトリコの学会でShahに5秒ほど会ったのだけれど、その時点ではまだ読んでいる途中で感動を伝えられなかったので、後でメールで賛辞を送るつもりです。
では、七面鳥第一弾のブランチを食べに出かけてきます。
2012年11月7日水曜日
選挙あれこれ
昨日は朝一番で投票に行ってから、結果が出るまでの数時間は仕事をしようと一応コンピューターに向かったものの気が気でなく、インターネットで選挙情報ばかりチェックする状態で結局ほとんどなにも達成しないままに終わり、夕方からは我が家に友達が集まってみんなでテレビを見ながらの「Four More Years Party」をしました。オハイオ州のおかげで意外に早く結果が出て、CNNがオバマ再選を宣言した時点でシャンペンを一本あけ、ロムニー氏が敗北宣言をした時点でもう一本あけ、オバマ大統領の再選スピーチの時点でもう一本。みんな、たぶん大丈夫だろうと思いながらも、万が一のことになったらどうしようという不安も抱えていたので、仲間とともにこのときを共有するのはとても心強く、(これは結果がよかったからですが)楽しいものです。我が家に限らず、私のまわりでは各地で選挙ウオッチングパーティが行われていましたが、このように選挙の結果をみんなで一緒に見守る、という文化は、やはりなんだかんだいって政治というものへの期待や希望が健在だからこそのものではないでしょうか。日本では、立候補している人が自分の身内や友達ならば、その人を囲んで選挙結果を見守るということはするでしょうが、そうでない一般の人たちがこのような「選挙パーティ」をして、シャンペンをあけたり冷や汗や涙を流す、という光景はあまり想像できないのでは。
さて、オバマ大統領の再選には本当にほっとしたものの、議会の関係はほとんど変化していないし、実際の投票数をみても、オバマ氏の大勝とはとてもいえないのが事実。オバマ大統領の勝利演説も、2008年の夢と希望に満ちたものとは種を異にするもので、現実の困難を前にした、実に厳粛でsoberingなものでした。「私はみなさんから多くのことを学び、みなさんの力でよりよい大統領になりました」という一言がさすが。(それにしても、チェルシー・クリントンのときもそうでしたが、オバマ大統領のふたりの娘、驚くほど大きくなったなあと、テレビを見ながらみんなで驚嘆しました。)
オバマ大統領再選については日本でもいくらでも報道されているでしょうから、選挙にかんするそれ以外の話題をいくつかご紹介します。
まず、ワタクシのお膝元ハワイでは、引退を表明したアカカ上院議員の後任ポストに、民主党のMazie Hirono下院議員と共和党のLinda Lingle元州知事が出馬していましたが、圧倒多数でHirono氏が当選しました。福島生まれで、8歳のときに母親とともにハワイに移民してきた彼女は、アジア人女性としては初の上院議員、また日本生まれの初の上院議員となります。また、ハワイ選出の下院議員には、日系のColleen Hanabusa氏とサモア生まれでヒンズー教徒のTulsi Gabbard氏のふたりの女性が当選。これによって、Daniel Inouye氏を含む4人のハワイ選出の上下両院の議員の全員が非白人、4人中3人が女性となります。また、ホノルル市では、もうずっと前から議論されている高架鉄道による公共交通網が市長選の争点となっているのですが、現行案に強く反対しているBen Cayetano元州知事はあっけなく落選(Cayetano氏は知事時代に公立教育への支援があまりにひどく、ハワイ大学および公立学校の教員がストライキをする事態になり、私も「ピケットキャプテン」をつとめた経験があるので、私もCayetano氏には投票せず)し、Kirk Caldwell氏が当選しました。
Mazie Hirono氏だけでなく、マサチューセッツ州のElizabeth Warren氏、同性愛者であることを公表している初の上院議員となるウィスコンシン州のTammy Baldwin氏などの当選によって、上院には史上最高の20人の女性議員が入ることが確定しています。下院でも現在の73人を上回る77人の女性議員が確定。レイプや中絶をめぐる共和党議員候補の極端な発言や、雇用における性差別にかんするロムニー氏の態度が大問題となっていましたが、これらの女性の当選は、政治におけるいわゆる「ガラスの天井」を打ち破るのに確かな一歩となっていると思います。
また、メイン州とメリーランド州では、同性婚を合法化する住民投票が通過し、住民投票によって同性婚が合法化される初のケースとなりました(これまで同性婚が合法化された州では、議会での立法または司法の判決による合法化でした)。これも、徐々にアメリカ国民の意識が変化していることの明るい印だと思います。
さらに、コロラド州とワシントン州では、娯楽目的でのマリファナの使用が合法化もされました。
というわけで、経済においても政治においてもけっして楽観するような状況ではないものの、悲観のあまりカナダに移住するような事態でもなく、「よし、頑張ろう」と気を引き締める、というのが今の現実。ともかく選挙で気が散ることはなくなったので、自分もアメリカも、平常心を取り戻してさまざまな仕事に集中せねば。ともかく、記念に、先日アラモアナ・ショッピングセンターで見つけたオバマグッズの写真を載せておきます。
さて、オバマ大統領の再選には本当にほっとしたものの、議会の関係はほとんど変化していないし、実際の投票数をみても、オバマ氏の大勝とはとてもいえないのが事実。オバマ大統領の勝利演説も、2008年の夢と希望に満ちたものとは種を異にするもので、現実の困難を前にした、実に厳粛でsoberingなものでした。「私はみなさんから多くのことを学び、みなさんの力でよりよい大統領になりました」という一言がさすが。(それにしても、チェルシー・クリントンのときもそうでしたが、オバマ大統領のふたりの娘、驚くほど大きくなったなあと、テレビを見ながらみんなで驚嘆しました。)
オバマ大統領再選については日本でもいくらでも報道されているでしょうから、選挙にかんするそれ以外の話題をいくつかご紹介します。
まず、ワタクシのお膝元ハワイでは、引退を表明したアカカ上院議員の後任ポストに、民主党のMazie Hirono下院議員と共和党のLinda Lingle元州知事が出馬していましたが、圧倒多数でHirono氏が当選しました。福島生まれで、8歳のときに母親とともにハワイに移民してきた彼女は、アジア人女性としては初の上院議員、また日本生まれの初の上院議員となります。また、ハワイ選出の下院議員には、日系のColleen Hanabusa氏とサモア生まれでヒンズー教徒のTulsi Gabbard氏のふたりの女性が当選。これによって、Daniel Inouye氏を含む4人のハワイ選出の上下両院の議員の全員が非白人、4人中3人が女性となります。また、ホノルル市では、もうずっと前から議論されている高架鉄道による公共交通網が市長選の争点となっているのですが、現行案に強く反対しているBen Cayetano元州知事はあっけなく落選(Cayetano氏は知事時代に公立教育への支援があまりにひどく、ハワイ大学および公立学校の教員がストライキをする事態になり、私も「ピケットキャプテン」をつとめた経験があるので、私もCayetano氏には投票せず)し、Kirk Caldwell氏が当選しました。
Mazie Hirono氏だけでなく、マサチューセッツ州のElizabeth Warren氏、同性愛者であることを公表している初の上院議員となるウィスコンシン州のTammy Baldwin氏などの当選によって、上院には史上最高の20人の女性議員が入ることが確定しています。下院でも現在の73人を上回る77人の女性議員が確定。レイプや中絶をめぐる共和党議員候補の極端な発言や、雇用における性差別にかんするロムニー氏の態度が大問題となっていましたが、これらの女性の当選は、政治におけるいわゆる「ガラスの天井」を打ち破るのに確かな一歩となっていると思います。
また、メイン州とメリーランド州では、同性婚を合法化する住民投票が通過し、住民投票によって同性婚が合法化される初のケースとなりました(これまで同性婚が合法化された州では、議会での立法または司法の判決による合法化でした)。これも、徐々にアメリカ国民の意識が変化していることの明るい印だと思います。
さらに、コロラド州とワシントン州では、娯楽目的でのマリファナの使用が合法化もされました。
というわけで、経済においても政治においてもけっして楽観するような状況ではないものの、悲観のあまりカナダに移住するような事態でもなく、「よし、頑張ろう」と気を引き締める、というのが今の現実。ともかく選挙で気が散ることはなくなったので、自分もアメリカも、平常心を取り戻してさまざまな仕事に集中せねば。ともかく、記念に、先日アラモアナ・ショッピングセンターで見つけたオバマグッズの写真を載せておきます。
2012年11月5日月曜日
Diana Vreeland: The Eye Has to Travel
もちろん日本でも報道はされているのでしょうが、フェースブックの投稿などを見るかぎり、先週アメリカ東海岸をおそったハリケーンへの日本の人々の反応はかなり鈍いというか、その深刻度が日本にはあまり伝わっていないようだという印象を受けますが、どうなのでしょうか。マンハッタンを含む広域で何百万人もの人が何日間も停電・洪水のなかで過ごし、被害者の数や家屋などの物理的破損・経済的損害も相当なものですが、ウオール・ストリートやニューヨークの地下鉄・トンネルなどが停止してしまうということの心理的打撃はかなり大きいのではないかと思います。
そして、明日はいよいよ選挙。一時はどうなるかと寿命が縮まる思いでしたが、ハリケーンへの対応によってオバマ大統領の再選見込みは助けられているような感触。それでも、もしもロムニー氏に転んでしまったら、最高裁判事の任命など、長期的に非常に大きなインパクトが予想されます。今回は時間がなくてあまり選挙戦に参加できていないのですが、明日は2008年同様、友達と集まって選挙の結果を見守る予定です。
さて、それとはまるで関係ないのですが、今週末に観た映画がたいへん面白かったのでご紹介。Diana Vreeland: The Eye Has to Travelという映画で、20世紀のアメリカ文化においてもっとも影響力をもった女性のひとりとされる、Diana Vreeland (1903-1989)の生涯と仕事と人となりを追ったドキュメンタリーです。
Diana Vreelandは、『ハーパース・バザー』誌のファッション欄担当の編集者を長年務めた後、『ヴォーグ』誌の編集長として、ファッション界の女王の座を占めた人物。『ヴォーグ』誌のポストを失った後は、メトロポリタン美術館の衣装研究所のディレクターとして、メトロポリタン史上初めて存命中のデザイナーを扱った展示を開催したり、美術とファッション・風俗の境界に挑戦を挑むような企画を次々と立ち上げて話題を呼びました。このメトロポリタンの職についたのは、彼女が70歳を迎えた後だったというのだから、そのバイタリティとクリエイティヴィティに脱帽。ファッションや写真を芸術の域まで高め、ジャクリン・ケネディのファッション・アドバイザーをつとめ、ツイッギーやシェールをデビューさせ、標準的な美人とはいえない女性たちの個性を前面的に押し出してその魅力を伝え、奇抜な構想でふんだんに予算を使ったファッション写真を次々に世に出していった彼女。読者が最初のページから最後のページまで順に通して筋を追うのではなく、あちこちに目を飛ばしながら瞬間的・断片的な新鮮さ・面白さをつかむという雑誌という媒体の特性をぞんぶんに活かして、雑誌そのものの価値を高めたという功績も。
映画はまさにその雑誌のような編集になっていて、何十年ものあいだに彼女がテレビ番組などでさまざまなジャーナリストたちと行ったインタビューの数々を切り貼りすることで構成されている。ゆえに、ひとつのテーマが徐々に展開されるとか、筋道だった物語があるとかいうわけではなく、話のなかには謎に包まれたままのこともあるのですが、それはそれでむしろ面白い。なにより魅力的なのが、Vreelandの人柄です。子供の頃は、妹と比べると容姿が悪いとして母親に可愛がられなかった、という彼女。映画にも登場する何人もの人がいうように、たしかに古典的な美人ではないかもしれない(とはいえ、とくに若い頃の写真をみると、ものすごーい美人のように私には見えますが)けれど、確固とした自分をもち、言いたいことを強くもち、それを堂々と人々に伝え、好奇心旺盛で偏見や因習にとらわれず、面白いことにはなんでも飛びついていく、その姿には、とてもインスパイアされます。いろんな意味でハチャメチャな人物なのですが、ハチャメチャのなにが悪い、と思わせてくれるような魅力と確信が彼女にはあります。日本で公開予定があるかどうかわかりませんが、機会のあるかたは是非観てみてください。
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