アメリカは、今週はイリノイ州知事の汚職発覚事件で大騒ぎでした。
ただ今発売中の『新潮』(私の連載の載っている『新潮45』ではなくて文芸誌の『新潮』のほうです)に、水村美苗さんとミューズ・アソシエイツの梅田望夫さんの対談が載っています。水村さんの『日本語が亡びるとき』発売当初から、梅田さんはブログでこの本をとても賞賛していて、そのことがアマゾンでしばらく1位という素晴らしい売れ行きの一因でもあったそうです。
私は水村さんと同様に(と言ったら水村さんに失礼かも知れませんが、ご本人もそう言っているのでよしとしましょう)まったくのテク音痴で、コンピューターの知識も使い方も周りの人たちと比べたら数年ぶんくらい遅れています。メールとサーチエンジンとスカイプなど、自分の仕事と人間関係に必要だったり役立ったりするアプリケーションの使い方は覚えるけれど、それがいったいどういう理屈と構造で動いているのかなどということは、まったくわからないし、正直なところあまりわかりたいとも思っていません。授業でパワーポイントを使うようになったのもなんと今年になってからだし、こうやってブログを書いてちゃんと人に読まれているらしいということも、自分としてはものすごい快挙のように思っているくらいで、ITの世界がどうなっているかということは、ドがつく素人の消費者としての視点しかもっていません。それでも、(実は水村さんのつながりで)梅田さんや小飼弾さんなどのお仕事についても知ることになり、また、自分がオンライン・デーティングについての本を書いたり自分でブログをやるようになったりして、媒体としてのインターネットということについても少し考えるようになりました。ごく最近、梅田さんの『ウェブ進化論 』も読みました。というわけで、私にはこの対談はとくに興味深く、なるほどなるほど、と思って読みました。先日投稿した、私の『日本語が亡びるとき』の読みが間違っていなかったということも確認できて安心しました。
水村さんの著書での核である日本近代文学論とは話が違いますが、この対談にも出てくる、インターネットを舞台とする言論活動のコンテンツの日米での差は、私もずいぶん前から感じていることです。インターネットのテクノロジーにかけては、日本はアメリカに決して負けていない、いやむしろアメリカより進んでいるくらいなのでしょうが、私のような一般消費者が目にするウェブサイトの内容にかけては、日本はアメリカよりだいぶ遅れていると日頃から感じています。たとえば、新聞ひとつにとってもそうです。今や、アメリカの主要な新聞(ホノルル・アドヴァタイザーのような地域紙でも)はどこでも、紙の新聞に載っている記事はまるごとすべて、それどころか、紙の新聞では見られない映像やブログ、関連記事へのリンクなども含めて、無料でネットで見られるようになっています。こんなことをしたらさぞかし紙の新聞を買う人がいなくなるだろうと思いますが、それでも敢えてこのように情報を世界に公開することのほうが長期的に新聞社にとっても世の中にとってもよいと、経営者がIT革命の初期に判断して、オンラインでの広告収入などに財源をうまく移行したのでしょう。(とはいえ、最近もシカゴの大手新聞が倒産を発表したばかりですから、どこもその移行に成功しているわけではないのでしょう。)紙の活字文化に愛着がある私のような人間は、オンライン版と紙の新聞の両方を使っていますが、完全にオンライン版に移行している人はとても多いし、私がおばあさんになる頃にはもう紙の新聞は存在しないかも知れません。それでも、新聞社は、(長期の調査にもとづいた、日本の新聞にはまず見られない長文の記事を含め)質の高いジャーナリズムを提供し続け、オンライン環境を巧みに利用すれば、新たな形の報道・言論活動に進化できると信じているのでしょう。ニューヨーク・タイムズしかり、ウォール・ストリート・ジャーナルしかり(ウォール・ストリート・ジャーナルは、メディア帝王のルーパート・マードックの支配下に入って以来、テレビを初めとする他のメディアとの連携もよりしやすくなったので、よりいっそう画像などが充実しています。)。これらの新聞を見たことがない人は、だまされたと思って、ちょっと見てみてください。それにくらべて、日本の新聞のオンライン版などは、せいぜい数段落、ともするとほんの数行の記事しか出てこないし、オンラインでは見られないものもたくさんあります。(私は書評が一番読みたいのに、オンラインでは読めない!)もちろん、宣伝のために各種の企業が作っているサイトは、デザイン面でも内容面でも素晴らしいものがたくさんありますが、それは当たり前のことで、公共性・公開性をより真剣に考えるべきなのは報道機関などのメディアでしょう。アメリカでも、出版社などはやはり、情報や活字のデジタル化の加速にかなりの危機感を抱いていますが、それでも、インターネットを自分たちの産業にうまく利用しようという積極的な意欲と工夫は、日本の出版社などよりずっと進んでいると思います。大学のウェブサイトをとっても、日本の大学のサイトは、概して情報量がとても少ないです。(日本の大学に勤める教授のメールアドレスを探すのがどんなに面倒なことか!)この対談で、水村さんと梅田さんは、この状況を、「パブリックな精神」の違いとして話していますが、せっかくテクノロジーがこれだけ発達しているのだから、それを有意義に活用していくようなコンテンツの刷新も目指したらいいんじゃないかと思います。