今日からちょうど50年前に、ハワイはアメリカ合衆国の50番目の州となりました。50周年を記念して、ホノルルのコンベンション・センターでは州の公式イベントが行われ、ハワイの主要メディアでも、「ハワイ州50年間の歩み」といったような企画がたくさんなされています。
ハワイを州にしようという動きは、そのずっと前からありましたが、第二次大戦でのハワイ出身の兵士たちの功績(442部隊とよばれる主に日系人兵士たち)や戦後の人口増加と経済成長などによってその動きに加速がかかり、1959年に実現しました。州になることによって、アメリカ市民としてのハワイ住民の法的・政治的権利が拡大し、本土の人々と対等な「アメリカ人」として扱われるようになったことを歓迎する人々は多く、日系人をはじめとする地元リーダーたちが州議会を支配するようになったいわゆる「民主党革命」とも平行して、ハワイ州の到来を肯定的にとらえる人々はもちろん多数います。しかし、そのいっぽうで、そもそも欧米勢力によるハワイの植民地化からハワイ王朝が1893年に不法に転覆された歴史に強い異議を唱える人々も現在でも少なくありません。先住ハワイ人を中心とするそうした人々は、米国帝国主義の歴史を掘り起こし、また1959年にハワイが州となることにも異議を唱えた人々が多数いたという事実を明らかにし、50周年を無批判に祝うことに抗議の意を示してきています。50周年の日に向けて一年ほど前からこうした声はさまざまな場であがっていましたが(ハワイ大学でも、statehoodの歴史を批判的に検討する、といったイベントがあちこちで行われてきました)、今日の公式記念式典に合わせて、反対派は抗議集会・行進を行い、300人ほどの人が集まりました(ただし、この300人という数字は、Honolulu Advertiserの記事によるもので、こうした数字は、記者の見方によって、実際よりも大きくなったり小さくなったりするということを認識しておかなくてはいけません)。
現在のハワイでこうした動きがあるということは、アメリカの主要メディアでも報道されることがまずありません。今日のニューヨーク・タイムズには、こともあろうにPaul Therouxによるハワイの歴史についての論説が掲載されています。Paul Therouxは、太平洋諸島やアジアなどを題材にした紀行文や冒険小説で知られた作家で、ここ20年間はハワイ在住ですが、彼の視点や語りは滑稽なほど典型的にコロニアリスト的なもので、この文章にもそうしたトーンが顕われています。ニューヨーク・タイムズも、どうせハワイ州50周年についての論説を載せるのなら、先住ハワイ人あるいはそうでなくてもハワイ出身の知識人(Therouxは「ハワイにはpublic intellectualが存在しない」などと書いていますが、そんなことはありません)の声を載せればよいのに、Therouxがハワイの専門家であるかのようにとりあげられてしまうあたりが、全国メディアの限界です。でも、この論説に多くの人がよせているコメントも面白いので、それも合わせて読んでみてください。