2009年8月23日日曜日

「ヴァギナ・モノローグス」

8月13日の投稿で紹介した、「ヴァギナ・モノローグス」の公演を俳優座劇場で観てきました。いろいろな意味で考えさせられること、感じることが多く、行ってとてもよかったと思いました。内容については前の投稿で説明したので繰り返しませんが、今回の公演は、大橋ひろえさんが設立したサインアートプロジェクト・アジアンという、手話を芸術的パフォーマンスとして発展させるグループが主催したもので、6人の役者さんが手話と朗読でモノローグを演じるという、非常に面白い企画でした。私は、もともと英語で作られたこの作品(といっても、イヴ・エンスラーがインタビューをした女性は英語圏の人ばかりではないですが)がどのように日本語に翻訳されるのか、その翻訳の過程でなにが失われなにが新たに生まれるのか、ということにとても興味ばありました。初めの数分間は、とくにユーモアの感覚が効果的に伝わっていないようで、「うーむ、やっぱりこれを日本語でやるのには無理があるのかしらん」などと思っていましたが、そうした印象は少しするとまったく消え、脚本の翻訳(英語を日本語にするということだけでなく、日本や日本語という文脈のなかでこの作品がとりあげるテーマを扱うためにオリジナルに書き足された部分も含めて)も、役者さんたちの演技も、とても素晴らしかったと思いました。また、私は手話のパフォーマンスというものを観たのは初めてだったので、それもとても興味深く、感動的なものでした。この作品のテーマのひとつは、言葉のもつパワー。身体の一部を指す「ヴァギナ」という単語が、女性たちによって中立的で描写的な単語として「普通に」使われることは少なく、さまざまなニックネームや隠語を使って表現されるという状況のもつ抑圧性(そして自由)が、いろいろなモノローグで表現されているのですが、そうした健常者の言語文化は、耳の聞こえない人たちの文化や手話の世界ではどのようになっているのだろうか、同じような恥じらいやためらいがあるのだろうか、あるとすればそれはどのように表現されるのだろうか、といったことに興味をもちました。(知っている人がいたら教えてください。)

それにしても、パフォーマンスそのもの以外で私がとても印象的だったのは、日本の観客のおとなしいこと!初めから終わりまで相当な刺激と衝撃に満ちた作品であるにもかかわらず、聴衆はしーんとして観ていて、声をあげて笑っているのは場内で私だけ、みたいな状況も何度もあって、びっくりしました。もちろん、観客にはろうのかたも少なくなかったので、声をあげたり音を出したりというのとは別の形で自分たちの反応を表現していた人たちもいたのですが、おそらく観客のマジョリティは耳の聞こえる人たちだったでしょうから、それを考えるとやはり相当静かな聴衆だったと思います。アメリカでこの作品が上演されるときには、聴衆が笑ったり泣いたり緊張したりといった反応がとても直に伝わってくるのですが、こうした反応の違いも面白いものです。

女性にとってはいろいろな意味で感動が大きい作品ですが、男性にこそ観てほしい作品でもあるので、けっこう男性の観客が多かったのには、好印象を受けました。放送禁止用語のために公演の宣伝が制約されたということですが、これは高校や大学のキャンパスとか公民館とか老人ホームとかといった、いろんな場所で公演されるといい作品です。日本語の公演もDVDになるといいのになと思います。

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