これは、内容においても、形式においても、きらきらした宝物のような小説です。実にさまざまな感情を呼び起こし、いろいろなことに思いを巡らせてくれると同時に、小説の構成とか文章の技巧にも拍手を送りたくなる作品なのです。子供期から思春期にはいっていく四人(五人?)の男女の、複雑で素直で滑稽な感情や行動や関係が、とても優しく描かれています。自分が好きなことや人を発見して、スポンジのような勢いで旺盛に知識を吸収していく道筋と、恋心や性欲や友情や愛情といったものを、回り道してケガや傷を作りながら少しずつ育んでいく、その過程の物語が、とても愛おしいです。無垢な子供の心を美化して描くというような生易しいものではありません。周りに認めてもらったり仲間に入れてもらったりしたい気持ちと、周りへの優越感や競争心や支配意欲がないまぜになった、思春期ならではの心理もとてもよく捉えられています。そして、物語の後のそれぞれの人生について読者の想像のかきたてかたが、またとてもよいです。
私は、登場人物のそれぞれに、自分の一部を見るような気持ちがします。自分の子供時代・思春期のいろんなことが思い出されて、気恥ずかしくもなるし、切なくもなるし、その頃の自分に会って「よしよし」と頭をなでてあげたくもなります。また、それからの人生のなかで手に入れたり失ったりしてきたものを、その頃の時間を共有した友達と一緒に、裏山に穴を掘ってしまいに行きたい気持ちにもなります。私は、同世代の友達の子供が中学受験の前後だったりするので、今の日本の(これは都心特有の現象なのでしょうか?)私にはちょっと異様に思える受験事情について聞くにつけ、「そんなに受験受験っていうより、子供の成長過程にとってはもっと大事なことがあるんじゃないのかなあ」と、おそらく自分が日本で子供を育てていないからこそ呑気に思っているのですが、この小説は、そうした、「子供の成長過程にとって大事なこと」を伝えてくれます。自分に子供がいたら、この小説の登場人物たちのような子供時代や思春期を送ってほしいと思います。
山田詠美というと、「官能」とかいった単語がよく使われて、ちょっと誤ったイメージを抱いている人が多いような気がします。『学問』についても、宣伝には「この上なく官能的な言葉で紡がれた」などという文句が使われていますが、うーん、宣伝文句とはいえ、なんだかちょっと違うと思います。たしかに「性への目覚め」はひとつのテーマではあるけれど、それはとてもまっすぐで懸命で健全なものです。性欲と知識欲、性への目覚めと学問への目覚めが重なり合って描かれているところに、私は強い共感を覚えました。
ちなみに、山田詠美さんが選考委員のひとりでもある芥川賞を受賞した磯崎憲一郎『終の住処』