さて、北九州市男女参画センターというところに書評を依頼されて(依頼されたのは、「2008年または2009年に刊行されたジェンダー関係の洋書または和書」の書評ということで、なにを選んでもよかったのですが、書店でいろいろ手に取った本のうちこれが一番読み応えがありそうだったし、自分の関心とも近かったのでこれを選びました)、荻野美穂著『「家族計画」への道―近代日本の生殖をめぐる政治』
私は、アメリカの歴史や文化を専門にして、普段はアメリカに住んでいることもあって、「生殖をめぐる政治」というとまず連想するのが、現代アメリカにおける中絶をめぐる壮烈な闘いです。アメリカでは、1973年の連邦最高裁判決によって中絶が合法化された後も、キリスト教右派の政治的台頭を背景に、政治・宗教・生命倫理などが複雑に絡み合って、激しい中絶論争が続いています。pro-choiceとよばれる中絶支持派が教育程度が高くおおむね教会に通わないミドルクラス層であるのに対し、pro-lifeとよばれる中絶反対派の多くが宗教心が強く(多くは福音主義キリスト教会に所属している)「伝統的」なライフスタイルの労働者階級であることからも、この問題は社会問題のひとつとなって、とくに選挙の時期には大きな政治議論を巻き起こします。狂信的な中絶反対者のなかには暴力行為も辞さないと公言している人物もいて、ついこのあいだの5月末にはカンザス州でGeorge Tiller医師が殺害されました。
それに対してそれに対し日本では、米国よりはるか前に中絶が事実上自由化されました。女性の政治的・経済的・法的地位において米国にずいぶん劣る日本は、中絶に関してはずっと「進んでいる」ととらえることもできます。中絶そのものが政治的な議論の焦点になることがないということ自体、アメリカの人々にとってはかなり驚くことのようです。でも、この本は、生殖をめぐる日本の「常識」が、実際は明治期からのさまざまな国家政策と、それを推進あるいは批判してきた運動家たち、そして妊娠という現実に直面して自分なりの選択をしてきた女性たちのあいだでの、複雑な衝突や交渉のなかで生まれてきたものだということを明らかにしています。決して国家権力や法のみに焦点を絞らず、それらに対抗したり協力したりした団体や個人たちの声、性や妊娠をめぐる人々の日常を、多角的に鮮やかに描く、エスノグラフィックな視点や記述が新鮮でもあります。平塚らいてうなどの明治の知識人による避妊反対論、優生学に色濃く特徴づけられた避妊・中絶論争、戦後に村や企業体をベースに普及した家族計画指導、優生学思想に挑戦をつきつける障害者たちの運動、生長の家などの宗教団体による「いのちを大切にする運動」、避妊ピルをめぐる論争、水子供養「ブーム」という現象に顕われる命の言説など、私はまるで知らなかった事実がとてもたくさんあり、とても勉強になりました。アメリカとの比較という点でもとても興味深いです。著者は、ジェンダーや生殖、身体について数多くの著作がある研究者で、大阪大学を退任したばかり。20年以上にわたる研究をまとめた、厚みがあって明晰な力作で、おススメです。