2009年12月31日木曜日

2009年の終わりに

18年ぶりの日本での年越しです。大晦日は雑用と原稿書きで過ごしましたが、2009年が終わる寸前になって原稿の一章を書き上げられたのは気分がいいです。1年の初めの364日間もこのくらい生産的だとよかったのですが、ま、いいか。

個人的には、2009年は、クライバーン・コンクールを見学したことと、夏以降を日本で過ごしたということが最大の収穫でした。クライバーン・コンクールについてはこのブログでたくさん報告しましたし、今それについての本を書いているところなので、ここでは繰り返しません。

1991年に渡米して以来、私は毎年夏に日本に帰ってきてはいるのですが、数週間の滞在と実際に住んで生活するのとでは、当然ながら経験することや感じることがまるっきり違います。今回日本に住んでみて、本当に驚くことが多く、逆カルチャーショックの連続の半年間でした。今は、インターネットや各種メディアの発達で物理的にも心理的にも日米の距離感はかなり縮小され、日本にいなくても日本のいろいろな情報は入ってくるものの、やはり住んでみないとまったくわからないことというのはたくさんあるんだということを再確認しました。

日本に来て一番驚いたのは、とにかく暗い、ということ。景気が悪いのはわかっていましたし、経済状況に関していえば失業率が10パーセントを超えたアメリカのほうが悪い側面もたくさんありますが(ちなみにハワイ大学では、大学側と教員労働組合の契約交渉が破綻し、教員は2010年1月から6.667%の給与削減を一方的に申し渡されました。とほほ)、社会全体の雰囲気としては、日本のほうがずっと暗い印象を受けます。これは、高齢化、少子化がかなり大きな要因なのではないかと思います。

社会全体の雰囲気が暗いことと関連して、日常的な人間関係のありかたが日米で大きく違うのにもかなり衝撃を受けています。もちろん、地域や人によって人間関係のありかたは様々でしょうが、私が観察する限りでは、日本では人と人とのあいだの敷居がずいぶんと高いように思います。他人同士が会話をするということがまずないし、バスや電車のなかはほとんどいつもしーんとしているし、知人や友達同士でも、気軽にものを頼み合ったりすることが少ない。家族同士のつき合いというのが少ないのは、友達が遠く離れたところに住んでいる場合が多いとか、人を家族ごとよべるような大きな家に住んでいる人が少ないといった、プラクティカルな理由もあるにせよ、それを抜きにして考えても、なんだか日本の家族はそれぞれとても閉じた生活を送っているように見えます。

日本のメディアの薄っぺらさにも衝撃を受けました。民放テレビのくだらなさはまったくもって信じがたいですし、新聞や雑誌が物理的にも内容的にも薄っぺらいのにも驚愕です。そして、これだけたくさんの本が世に出ていながら、読み応えのある、きちんとした情報と分析にもとづいた深い考察は本当に少ない。本をまったく読まないという人が増えているという事態は、本を書く人間としては実に困ったものですが、読者の動向を嘆く以前に、まずは言論界のほうがもっとしっかりしないといけないと思います。私はなんでもアメリカのほうがいいなどと言うつもりはこれっぽっちもありませんが、ジャーナリズムや言論界の質に関していえば、トップを見れば日米の差は歴然としています。そんなことを言われるのは納得がいかないと思う人は、騙されたと思って、とにもかくにも、ニューヨーク・タイムズやウオール・ストリート・ジャーナルといった新聞、そしてニューヨーカーといった雑誌をしばらく読んでみてください。日本の一般市民がこうした外のメディアに日常的に触れることなく、日本のテレビや新聞だけから情報を得て生活しているということが、どれだけオソロしいことか、わかっていただけるといいのですが。

そして、日本の教育のありかたについても、大いに悲観せずにはいられません。中等教育までのことは、専門でもないし、自分の子供もいないので、人の話を聞いてしかわかりませんが、それでも、日本の受験のありかたも、学校教育のありかたも、根本的に変わらないと、日本はこれからの時代に経済的にも精神的にも強く生きて行ける若者を育てることはできないのではないかと思います。そして大学に関していえば、もっとひどい。せっかくせっせと受験勉強をして大学に入ってきた、知的好奇心はそれなりにある若者も、大学教育がこれでは、たいていの人は学問に興味をもたないまま終わってしまうし、学問以外の実学についても、今の大学が有益な教育を行っているとはとても思えない。大学は「高等教育」を行う場であるということを大学の経営者側も教員も思い出して(というか、教育という点に関しては、日本のたいていの大学はこれまでまったく真剣に考えてこなかったと思うので、思い出すというよりは、学んで、といったほうが正しいかもしれません)、なにをどのように教えるべきかという基本的な議論からし直し、体系が整ったら、今の10倍くらい大学生に勉強させるべきです。それでついて来られない学生は落第させればよい。でも、教えるほうが本気になって教育に取り組めば、少なくとも過半数の学生は必死の思いをしてでもついて来るものだと、私は信じています。

などと書くと、日本について文句ばっかり言っているように見えるかも知れませんが、日本の暮らしには素晴らしいこともたくさんあります。社会の仕組みや組織のありかたには大いに問題はあっても、その中にいる個々の人たちは、感動的なまでの責任感と勤労倫理をもって良心的に動いている(だからこそ、これだけ時間通りに電車も宅急便もくるのです!)し、学生のなかにも、こちらが見習いたくなるような立派な意識をもって真面目に勉強している人もいます。人の役に立とうとか、世の中をよくしようと思っている人はたくさんいます。日本が経済的にも政治的にも文化的にも力強く立派な国になれる素質はじゅうぶんあると思いますが、いろいろなことが今のままだと、10年20年のあいだではそう大きくは変わらないかもしれませんが、50年のあいだにはやはり日本は静かに衰退していくような気がします。政権が変わって、いくつかのいい動きも確実に見られますので、国民のほうも、絶望せず、気を抜かずに、きちんと自分の頭でものを考えて社会づくりをしていきましょう!

2009年あと10分となりました。今年1年、このブログをフォローしてくださったみなさま、どうもありがとうございました。面白くて、ものを考えるきっかけになるような話題を提供しつづけて行けるよう、今後も心がけます。来年が、みなさんにとって、より明るい1年になりますように。

1 件のコメント:

murakami さんのコメント...

●前半の「社会」について
江戸時代から連鎖的に、現代にまで引きずってしまった鎖国政策が齎した時代背景があるのかも知れませんね

●後半の「教育」について
見事な考察で、とてもいいですね。
これに、一歩踏み込んでみますが、高学歴を手にしたが
周囲皆が高学歴で特に「目指す目標も無く(主体性が無い)」勉強が出来る成績優秀な人たちをこれから、どのようにして軌道修正させるのか、ここに、着眼するべきではないかとも考えます。

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ではまた。