2013年6月10日月曜日

阪田知樹くんインタビュー

第14回クライバーン・コンクール終了の翌日、これまでコンクールを連日追ってきた人たちは、なんだか放心状態のまま今日一日を過ごしているのではないでしょうか。私も、会場で生演奏を共に経験した人たちだけでなく、ピアノ仲間たちとフェースブックでのチャットを通して、あの演奏はどうだったの、この人はどうだったのと、ほとんどリアルタイムで密な意見交換をしていたので、急にそれがなくなって、少しほっとしたような(いくらなんでも、音楽業界の人間でもないのに、あれ以上毎日ピアノ音楽ばかり聴き続けていたら、ちょっと気が変になりそうです)、でもやはり寂しいような、不思議な気持ちです。

さて、このコンクール最年少の出場者で見事本選進出を果たした阪田知樹くんに、先ほどインタビューをすることができました。昨日最後の本番そして結果発表があったばかりなのに、今日も写真撮影やインタビューなどが何時間も入って、演奏が終わってもなお忙しい日が続いているそうです。疲れがたまっているはずなのに、とても気持ちよくインタビューに応じてくださって、感謝しています。以下、インタビューを一部抜粋してご紹介します。

吉原:最後の演奏と結果発表から一晩たって、今の気分はどうですか。
阪田:やりとげた、という気持ちです。こんな大きな舞台で本選まで行けたということで、自分にとっては大きな収穫でしたし、もちろんとても光栄なことでもありました。そして、自分が持ってきたレパートリーを全部弾けたのでとてもよかったです。また、アメリカの聴衆はとても反応がよく、自分がよく弾けたと思うとみなさんが本当にそれに応じた反応をしてくださるので、気持ちよく演奏できました。もちろん、完璧な演奏ができたわけではありませんが、自分としてはいい結果だったと思っています。
吉原:今回このコンクールに出ることにしたのはなぜですか。数ある国際コンクールのなかでも、クライバーンを選んだのはなぜですか。
阪田:そうですね、今回はクライバーンとエリザベート妃コンクールが重なっていたので、どっちにしようか、両方出してみようかなどと考えていたのですが、決めるにあたってまず、自分の演目が、アメリカとベルギーのどちらに合うか、ということを考えました。それから、僕はこれまでアメリカに行ったことがなく、自分が好きなピアニストがアメリカで活躍しているので、そのアメリカに行ってみたかった、というのもあります。2009年に辻井伸行さんが優勝したときの様子をテレビで見て、バス・ホールの大きさに驚いて、あんな大きな舞台で演奏してみたい、といった憧れももっていました。
吉原:去年の浜松のコンクールでの演奏を聴いた人によると、そのときから半年しかたっていないとは思えないほどの上達ぶりだ、ということでしたが、このコンクールの準備のためには具体的にはどんなことをしてきましたか。
阪田:とくに普段の練習と変わった準備はしていないのですが、演奏に対する姿勢が変わってきた、というのはあると思います。前は、とにかく上手く弾こう、ということしか考えていなかったのが、だんだん、自分でしかできない演奏をしよう、と思うようになりました。今回のコンクールだと、予選のリサイタルはそれぞれ45分間弾くわけですが、その45分間のあいだに、聴いている人を退屈させない責任が自分にあるんだ、と思うようになりました。そして自分だからこそできる演奏を、最大限提供する、ということを心がけるようになりました。
吉原:香港でのオーディションに合格して、ここに来ることが決まってからは、どんな気持ちでしたか。
阪田:僕は、オーディションやコンクールでも、それほど結果を気にしないたちなので、あまり気にかけていなかったのですが、出場が決まると、ネット上でも名前が発表されるので、周りの人たちからの注目が増えました。
吉原:それをプレッシャーに感じましたか。
阪田:僕は30人の中に入って、予選で45分のリサイタルを2回弾かせてもらえるだけでも大きな収穫だと思っていたので、あまりプレッシャーとは思っていませんでした。初めてアメリカに来て、最年少の19歳でもあるので、とくにプレッシャーを負う必要もなく、とにかく楽しまなければ損だと思ってのぞみました。
吉原:2009年の辻井さんの優勝の話が出ましたが、そのときコンクールの様子を追っていましたか。
阪田:2009年には僕はまだ高1で、国際コンクールに自分が出るなんてことは考えたこともなかったので、辻井さんのことも、テレビで結果を見て知ったくらいでした。ですから、今回自分が出ることになっても、辻井さんの優勝のことをとくに意識するということはありませんでした。
吉原:クライバーン・コンクールについては毎回ドキュメンタリー映画が制作されていますが、そういうものを見たことはありましたか。
阪田:自分がこのコンクールを受けることが決まってからDVDを見ました。そして、出場が決まると、東京まで取材の人が来たりしたのでびっくりしました。
吉原:今回のコンクールに出場するにあたって、自分の目標はなんでしたか。
阪田:とにかく自分らしい演奏をする、ということだけ考えていました。ですから、本選まで行って、その6人のなかに自分がいることが信じられない、という気持ちでした。他の人たちと比べて引け目を感じるということではありません。これまでも、いろいろな立派な先生たちの前で弾く機会をいただいて、よいと言われていたので、ファイナルに残ったほかの人と比べて自分が劣っているとか、そういうことは感じないのですが、それより、以前の自分との違いに驚いた、ということです。ここ数年、年々自分がまるで違う位置にいる、ということを実感しています。高1のときに国内のコンクールに出て、その翌年高2のときにヨーロッパに行き、そして高3のときにまた海外のコンクールに出たりコンサートをしたりするようになり、大学に入ってここに来る、というふうに進んできて、変に背伸びすることなく自分が成長してこられたと思っています。
吉原:そうして着実に大きな世界の舞台に立つようになって、そうした経験が自分の音楽の糧になっていると感じますか。
阪田:そうですね。やはり、舞台に出て聴衆の前で弾く経験の回数が、演奏に対する態度に表れるようになっていると思います。
吉原:阪田くんにとって、ヴァン・クライバーンとはどういう存在ですか。
阪田:クライバーンのCDは子供のときからよく聴いていました。そして、クライバーンの演奏は、音楽への気持ちがとてもよく伝わる演奏だとずっと感じていました。単に上手いだけでなく、本当にやりたくて音楽をやっている、暖かみのある音楽だと思います。数年前に、彼がチャイコフスキー・コンクールで優勝したときのCDを買ったのですが、そのとき、チャイコフスキーの1番とラフマニノフの3番の順で弾いたあと、委嘱の新曲をアンコールで弾いているのですが、それを聴くと、彼が熱狂的に支持された理由がわかった気がします。彼でしかできないスター性をもっていた人だと思います。
吉原:ヴァン・クライバーンといえばチャイコフスキー1番、と多くの人が思っているなかで、チャイコフスキーの1番を選ぶのはとても勇気のある選択だと思いましたが、この作品を選んだ理由はなんですか。
阪田:そうですね、やはり、バス・ホールでのクライバーン・コンクールでチャイコフスキーを弾いてみたい、そういう気持ちはあったのですが、自分が、24歳とか28歳とかだったら、こわくてそんなことはできなかったと思います。でも本当に、この場所でチャイコフスキーの1番を弾くのは、大変なことなので、ファイナルに出ると決まったとき、正直言って、嬉しいと同時にこわい気持ちにもなりました。チャイコフスキーはこれまでオーケストラと演奏したこともなかったですし。でも、本番では吹っ切れて、19歳の自分だからできること、自分だからこそできるチャイコフスキーを弾こう、という気持ちでのぞみました。
吉原:初めてこの曲をオーケストラと演奏したということですが、リハーサル、そして本番についての、自己評価はどうですか。
阪田:リハーサルの1回めは、本選進出が決まった後眠れなかったので、とにかく体力的にきつく、なにがなんだかわからない状態でのリハーサルでした。2回めはまあうまくいったと思います。本番では、もっといい演奏ができたと思うのですが、悔いが残るような思いもありません。今回のコンクールでは、予選の2回のリサイタルも、準本選でも、比較的どれも上手くいったと思っていますし、モーツァルトも自分では満足のいく演奏ができました。チャイコフスキーについては、自分はやはりまだまだですが、クライバーンがチャイコフスキー・コンクールで優勝したときは20代半ばだったわけですから、自分はその年齢に達するまでまだ何年もあることだし(笑)、これからたくさん勉強しようと思っています。
吉原:このコンクールの過程で一番難しかったことはなんですか。
阪田:僕は今回が国際コンクールに出るのは4回目で、本選まで進んだのは初めてです。初めて本選まで進むコンクールとしては、ヘビーなコンクールだったと思います。やはり、本選まで精神力・体力を保ち続けるのが大変でした。本選まで行くと、ホストファミリーの家まで取材が来ます。1曲目のモーツァルトの準備をしているときにも来ましたが、2曲目のチャイコフスキーのときには、取材で3時間も時間をとられ、練習の時間がとれず、また、ホストファミリーの家とコンクール会場との往復でも、時間がけっこうとられるので、思うように練習ができなかったのが辛かったです。
吉原:4年後もまたこのコンクールに出ようと思いますか。
阪田:いやあ、思わないですね。コンクールに絶対、という結果はありません。審査員や聴衆によっても反応は違うし、自分のコンディションによっても演奏の結果は全然違うので、今回本選まで行ったからといって、次回もまた同じようにいくとは限りません。でも、ホストファミリーをはじめ、テキサスの人たちは本当にみな温かくていい人たちで、この土地で過ごすのは楽しいので、コンクールではなく、コンサートといった形で演奏をしにここに戻ってこれたらいいな、と思っています。
吉原:自分が好きなピアニストでアメリカで活躍している人が多い、との話でしたが、好きなピアニストはたとえばどんな人たちですか。
阪田:僕は、今生きていない人たちが好きなんです。(笑)ヨセフ・ホフマンとかいった人たちが好きです。僕が持っているCDに、ホフマンのメトロポリタン歌劇場ライブ、という2枚組のCDがあるのですが、そのCDのジャケットの写真が、メトロポリタン歌劇場を舞台側から満員の客席に向かって写したもので、舞台に一台ピアノが置いてある、というものなんです。そのジャケットを見て、僕もいつかこれをやりたい、と思いました。(笑)
吉原:そうして、実際にバス・ホールの大きな舞台に立って満員の客席を見てみて、どうでしたか。
阪田:そうですね、やはり嬉しかったです。
吉原:予選のリサイタルにあったアルベニスの「トリアナ」は、私も最近勉強したんですが、とても難しい曲ですよね。インターネットで見つけた阪田くんの少し前の演奏と比べると、今回の演奏は信じられないくらい進歩していたと思いましたが、どうですか。
阪田:アルベニスは、去年、大学1年生の5月に、デビュッシー生誕200周年記念コンサートというイベントで弾いたんです。デビュッシーのエチュード第1巻と、ベルグのソナタと、アルベニスを弾きました。そのとき初めてアルベニスを弾いたんですが、あの曲は慣れるまでにずいぶん時間がかかりました。あの曲は、いろんな色合いがあって楽しいし、かつちょっとエキゾチックなところがあって、本当に素晴らしい曲だと思うので、それを聴衆とシェアしたかったんです。自分の好きな曲が弾けてよかったです。

阪田くんの聡明さ、そして彼がコンクールに正しい姿勢でのぞんでいることがよくわかる、インタビューでした。本選に進出し上位3位に入らなかった阪田くんを含む3人には、賞金1万ドルに加え、今後3年間にわたり各地でのコンサートのマネージメントがつきます。プロのピアニストとしての演奏の機会が増え、また、さらなる勉強の時間も確保することができて、変な言い方ですが、阪田くんのような若い音楽家にとっては最善の結果となったのではないでしょうか。このコンクールを踏み台にして世界の舞台にはばたき、さらにどんどんと豊かな音楽性を身につけて、阪田くんらしい音楽を披露し続けてくれることを楽しみにしています。

ちなみに、彼が言及しているホフマンのCDとは、こちらですね。