2009年8月1日土曜日

ハワイ大学フットボール・コーチの問題発言の処分

東大駒場キャンパスでの集中講義が先週いっぱいで終了し、金曜日の期末試験が終わった後には学生たちと打ち上げに行きました。ちなみに、期末試験の問題はこちら。

第一部  以下の項目のうち四つを選び、それぞれについてそれがなんであるかを説明し、その歴史的文脈とアメリカ女性史における意義を論じなさい。(各10点x4=40点)
Rosie the Riveter
The Kinsey Report
The Hyde Amendment
Our Bodies, Ourselves
This Bridge Called My Back


第二部 以下の両方の問いに答えなさい。(各15点x2=30点)

1.運動の起源、リーダーや参加者、運動の目標、運動の方法などにおいて、 女性参政権運動と第二次フェミニズムのあいだの類似点と相違点を説明しなさい。

2.いわゆる「第三次フェミニズム」とよばれる運動の活動家たちは、性(ジェンダーおよびセクシュアリティ)、人種、社会階層などの社会的カテゴリーによって規定されるアイデンティティを、加算的に考察するだけでなく、それらのintersectionalityを分析することの必要性を説いてきた。「性、人種、社会階層が相互的に構築されている」とは実際にどういうことか、具体的な例を挙げて説明しなさい。

第三部  以下の二問のうちひとつを選んで答えなさい。(30点)

1. Betty Friedan, Anne Koedt, およびAngela Davisの三人が、Vagina Monologuesの公演を観たあと対談をしたとする。それぞれが作品についてどのような感想、意見、批評を述べるか、またお互いのコメントについてどのような反応をするかを想像して、その対話を脚本形式で書きなさい。

2.映画Far from Heavenの物語は1950年代コネチカットに舞台が設定されている。25年後に舞台を設定してこの映画の続編を作るとしたら、どのような物語にするか。登場人物の状況、物語の筋などを説明しなさい。オリジナルには存在しない登場人物を導入してもよいが、Cathy, Frank, Raymond, Eleanorの四人は必ず物語に入れること。また、場所は変更してもよいが、その場合は具体的な場所を設定し、その設定が物語になんらかの意味をもつようにすること。


2週間の授業は教える私にとってとても有意義で楽しい経験でした。今の日本の若者が(などという表現を使ってしまうところに自分のオバサン度が感じられれます)きちんと自分の頭でものを考え他国の歴史や文化を真剣に学ぼうという姿勢をもっているということが、私にはとても心強く感じられました。また、この授業にはゲイとしてカム・アウトしている学生もいたのですが、彼らはとりわけ優秀でした。もともと学力はとても高い学生たちですし、そうした中で性的マイノリティであるということで、普段から嫌でも真剣に自分のアイデンティティや社会規範について深く考えざるをえないからなのでしょうが、とにかく彼らの意識や生き方に、私はとても勇気づけられました。私が学生だった頃と比べると、LGBTの学生がカム・アウトして普通に他の学生に受け入れられたり、授業などでもセクシュアリティ分析がきちんとなされたりするような環境になってきたのかしらん、とかなり嬉しくなっていたのですが、学生の話を聞いてみるとなかなかそう簡単に大学の環境というのは変わらないようで、長い道のりがありそうです。でも、辛くても面倒でも、ひとりひとりの学生や教員が、いろいろな場面で声をあげていくことが、少しずつ変化につながっていくはずなので、彼らには大きなサポートを送りたいと思います。がんばれー!

LGBTをめぐる大学の環境というトピックでいえば、ちょうど、私の普段の拠点であるハワイ大学のフットボール・コーチが、ゲイに対して差別的な発言をし、停職そして減給の処分を受けることが決まりました。フットボールのようなメジャーなスポーツは大学の知名度や収入と密接に結びついているので、フットボール・コーチというのは、大学のなかでも教員はもちろんのことたいていの運営者と比べてもたいへんな高給取りで、地元コミュニティのなかでも相当な地位を占めている人物です。そうした人物が差別的な発言をしそれを大学側が黙認するということは、大学におけるLGBTの学生や教員・スタッフにとって安全な環境づくりにならず、また、コミュニティすべての人々を尊重するという点においてそうした発言や行為について厳しい措置をとる必要があるとの判断から、大学側がこうした処分を命じ、コーチもそれを受け入れたわけです。アメリカの大学がすべてにおいて日本の大学より優れているとはまるで思いませんが、LGBTに関する意識という点においては、こうした発言がこれだけのおおごとに発展するアメリカの大学と、LGBTに関して信じられないような無知で差別的な発言を教員が授業でする日本の大学では、たいへん大きな差があるのは明らかです。