2013年6月3日月曜日

Alessandro Deljavanインタビュー

今日は準本選第3日目。今日の演奏のなかで断然光っていたのは、Beatrice Rana。スクリアビンのソナタ第2番作品19、委嘱作品、そしてショパンのプレリュード全24曲という今日のプログラムと同じ彼女の演奏を、私は昨年の夏にカナダで聴いたのですが、そのときもとてもよかったけれど、今日の演奏はそれよりひとまわりもふたまわりも素晴らしく、とくにショパンのプレリュードは、Deljavanが演奏したショパンのエチュードと同じくらいの興奮を感じるものでした。とてもいい小説を読んでいるときのように、その場で起こっていることに夢中になりながら、次になにが起こるのか知りたくて次の章が待てない、ということを23回繰り返し、終わったときには、おおいなる高揚感に、終わってしまった悲しみが入り交じった、複雑な気持ちでいっぱい。これはコンクールの演奏だとはわかっているものの、ぜひともアンコールを演奏してもらいたい、という気持ちにさせられました。2009年のときにハオチェン・チャンが準本選で演奏したショパンのプレリュード全24曲を聴いたときには、歴史に残る演奏を聴いたという感想をもったのですが、今日のRanaの演奏も、タイプは違うけれど同じように興奮を感じる演奏でした。彼女は、委嘱作品についても、その遊び心をよくとらえた、いい演奏をしていたと思います。

今日の他の演奏については、特筆するほどよい点も悪い点も感じなかった(しかし、今日の最後に演奏したKholodenkoは、リストの超絶技巧練習曲12曲のうちの11曲を演奏したのですが、いったいなんだってこういうプログラミングをするのか、私にはさっぱりわかりません)のですが、私にとっての今日のハイライトは、今回のコンクールで私をすっかり魅了してしまったAlessandro Deljavanをインタビューできたことです。彼はまだ明日準本選でのソロリサイタルを控えているので、なるべく準備の邪魔にならないように時間を調整して、彼のホストファミリーの家を訪ねて30分ほど話を聞かせていただきました。ちなみに、このホストファミリーのおうちというのがすごい。2009年のときにも、さまざまなホストファミリーのおうちをいくつも訪ねたので、フォート・ワースの裕福な人々の暮らしというのは垣間みてはいましたが、このおうちはまた桁外れにすごい。私は、「こういう家に暮らすということは、人間にとっていったいどういう意味をもつのだろう」などと哲学的な問いを抱いてしまうくらい、大きくて豪華な家でした。インタビューの内容は、いずれどこかでまとめて発表する機会があればと思いますが、熱心にこのブログを読んでくださっているかたたちのために、とくに私が面白いと思った部分を以下抜粋・編集してご紹介します。

吉原(以下Y):昨日のドボルジャークはとにかく素晴らしかったです。2009年のコンクールのときも室内楽はドボルジャークでしたっけ?
Deljavan(以下D):いえ、前回はブラームスでした。今回は、本選のコンチェルトにブラームスを選んだので、室内楽では違うタイプの音楽を、と思ってドボルジャークにしました。あの曲は本当に素晴らしい作品だと思います。
Y:作品をすみずみまで知り尽くしているような演奏だと感じましたが、あの曲は前から何度も演奏しているんですか?
D:若いときに勉強しましたが、本番で演奏したのは19歳のときが最後です。
Y:コンチェルトでブラームスを選んだのは勇気がありますね。今回の参加者でブラームスを選んでいるのは、ひとりだけだと思いますよ。
D:そうですか。でも、明日の準本選のリサイタルで最後になると思うので、ブラームスは演奏できないと思いますが。
Y:そんなことないですよ!
D:それに、僕はコンチェルトをオーケストラと演奏するのが苦手なんです。
Y:なぜそう思うんですか?
D:何十人もの見知らぬ人と一緒に演奏するのが、気分的にしっくりこないんです。それに対して、室内楽は、このようなコンクールの場でも、(リハーサルと本番合わせて)せめて2日間のあいだに共演する人たちと関係を築くことができるので、楽しいです。僕は、理想的には、年間50回くらいのコンサートをして、そのうちの20回くらいは室内楽の演奏、という生活ができれば音楽家として最高だと思っています。ソロのピアニストの多くは、幼い頃から自分ひとりで演奏ばかりしてきて、自分がスターだと思っているので、室内楽がまったく弾けない人が多いですが、僕は室内楽はとても好きです。
Y:予選で演奏したショパンのエチュードは、私が生まれてから今まで聴いたエチュードのなかでも一番エキサイティングな演奏でしたが、この作品を演目に入れたのにはなにか理由があるんですか?
D:ショパンのエチュードは、僕にとっては古いレパートリーなんです。17歳のときに、作品10と作品25の全24曲を全部勉強しました。イタリアでは、とくにテクニックの習得にかんして昔ながらの指導法が徹底されていて、僕の先生は、テクニックを身につけるにはショパンのエチュードが一番、という人でした。そしてたしかに、ショパンのエチュードはいろいろな意味でとてもいいテクニックの勉強になります。
Y:でも、テクニックの他にも、音楽的解釈は、演奏を重ねるごとにだんだんと変化していくものでしょう?
D:そうですね。解釈は毎回変わります。弾くたびに、曲の5〜6%くらいは新しい解釈が生まれる、という感じです。
Y:2009年のコンクールのときとは、演目を大幅に変えていますね。
D:そうです。2009年には、シューベルトのニ長調ソナタを弾きましたが、あれが僕の破滅の原因でした(笑)。僕は、シューベルトやモーツァルトといった古典派の作曲家の作品はとても好きなんですが、コンクールで自分が弾くには向かない、と思うようになりました。審査員が、それぞれの作品の解釈について確固とした考えをもっているので、それから逸脱した演奏をすると低く評価されがちだからです。明日はベートーベンの「熱情ソナタ」を弾くんですが、とても心配しています。
Y:4年前にこのコンクールに出演したときと、今とでは、コンクールへの取り組みかたが違っていますか?
D:4年前は、本選に進めなかったことで、大きく怒りを感じました。まだ22歳でしたから、自分はとても幼くて、プライドが高かったんです。今は、自分が音楽家としてやること自体にもっと集中していると思います。それから、2010年から、音楽院で教えるようになったんですが、教える立場に立つようになったことで、自分の演奏にかんしても、自分が自分の教師の役割を果たすようになって、音楽家として成長したと思います。
Y:それは、具体的にはどういうことですか?
D:演奏において具体的になにかを実現しようと思ったら、まずは楽譜を集中して読み込み、細部まで理解していなければいけません。そうしたことについて、学生に言葉で説明しなければいけなくなったので、自分の楽譜の読み込みかたも向上したと思います。
Y:何人くらいの生徒を教えているんですか。
D:今、21人の生徒を受け持っています。
Y:それはかなり多いですね。
D:はい。今の自分の生活では、時間やエネルギーの60%が教えることに、残りの40%が自分の勉強に費やされています。もっと自分の勉強の時間がもてて、演奏の機会が増えればいいのですが。
Y:このコンクールと時期が重なって、エリザベート妃コンクールが開催されていますが、他のコンクールでなくクライバーン・コンクールを選んでいるのには、どんな理由があるんですか。
D:他のコンクールにもたくさん応募しているんですが、はじめから参加者として選ばれないか、参加しても予選で落とされてばかりなんです。エリザベート妃コンクールには前回出ましたが、予選で落とされましたし、ダブリンのコンクールでも予選落ちでした。ダブリンのときは、コンクールでの演奏としては自分では最高の演奏をしたのに、です。リーズには、参加すらさせてもらえませんでした。
Y:そうですか。コンクールというのはいろいろな要素が絡むので、本当に難しいですね。他のコンクールと比べて、クライバーン・コンクールは、どんな点が特有だと思いますか。
D:演目を自由に選べるというのがいいと思います。それに、財団の組織が信じられないくらいよく機能していて、スタッフがことをすべて円滑に運んでくれます。それに、僕はこのホストファミリーと前回とてもいい関係を築くことができたので、こんな立派ですばらしい家に滞在させてもらって、家族のように気楽に過ごさせてもらえるし、落選した後でも、コンクールが終わるまで残って24時間立派なピアノで練習ができる。コンクールの環境としては、とてもいいです。それに、やはりこの街では、ヴァン・クライバーン氏という人の存在が大きいと思います。クライバーン氏が亡くなったのは、大きな損失だと思います。彼がもういないということを、今回はいろいろなところで感じます。2009年には、コンクールだけでなく、フォート・ワースという街のなかで、クライバーン氏の存在を感じましたし、コンクールのときにも、僕たち全員とクライバーン氏本人が握手をして写真を撮ってくださって、そのとても温かい人柄を知ることができました。今回は、彼がもうここにいないのだ、ということを感じます。
Y:ピアニストとしてのクライバーン氏は、自分にとってどういう存在でしたか?世代が違うので、彼の演奏や録音を聴いて育った、というのとは違うのではないですか?
D:そうですね、クライバーン氏に限らず、僕は現代のピアニストよりも、もう亡くなった前世代のピアニストの録音を聴いて育ってきたんです。前の世代のピアニストたちは、音楽の解釈もそうですが、音の出しかたが今とはずいぶん違いましたし、もちろん録音のありかたも違うので、いろいろな意味で貴重な勉強になります。
Y:このコンクールでの自分の目標はなんですか?賞をとることですか?
D:今は、僕はコンサートがまったくありません。室内楽をやっていて、ベートーベン・サイクルを演奏するというプロジェクトをやってきているので、それは音楽家として自分の成長にとてもいいんですが、ソロのコンサートの機会はまるでありません。昨年度は、ソロのリサイタルをしたのは、このコンクールのオーディションだけでした。だから、今回ここに来て、予選でソロのリサイタルをするときに、自分は舞台に出て聴衆の前で演奏する準備ができていない、と思っていました。コンクールは、出るたびに、これでもう最後にしたい、と思います。毎年、「今年いっぱいやって、もうおしまいだ」と自分に言っています。このコンクールのあと、8月にクリーヴランドのコンクールにも出ることになっているんですが、それで最後にできたらいいと思っています。コンクールは自分に向いていないと思うのですが、コンクールで入賞することで、演奏の機会を手に入れる、とにかくそれが目標です。

他にも興味深い話題がいくつか出たのですが、それはまた別のところで発表することにします。私は、「僕はコンサートがまったくありません」という彼の言葉を聞いて、胸が張り裂けそうになる思いをしました。彼のような個性豊かで、伝えたいことをたくさん持った、素晴らしい芸術家に、コンサートの機会がまったくないなんて、世の中の不条理としか言いようがない!世界の人々が彼の演奏に触れる機会がないなんて、人類にとっての損失としか言いようがない!とにかく、このコンクールによって、世の中の人々が彼の芸術に触れ、彼に演奏の機会がたくさん生まれることを願ってやみません。

こうして話してみると、彼は、sweetという単語がぴったりの、とても物腰や言葉遣いが柔らかで、相手の目をじっと見て、こちらが訊いていることに正直にそしてきちんと答える人物です。そして、私がどれだけ彼の演奏に感動したかと伝えると、本当にありがたそうにお礼を言っていました。明日のリサイタルが、心から楽しみです。彼が本選に行くことはまず間違いないと思うので、彼のコンチェルトを聴くのも、本当に楽しみです。