2008年11月29日土曜日

Proposition 8 投票分析

アメリカは木曜日がサンクスギヴィングの休日でした。友達の家でのパーティを2軒はしごして、たくさん七面鳥を食べました。これからクリスマスにかけて本格的なショッピングシーズンですが、不況がどれだけ消費者の財布のひもに影響するのか、注目されるところです。

同性婚を禁じるカリフォルニア州の住民投票Proposition 8が通過したことは前に書きましたが、この件についての投票を分析した論説が今日のニューヨーク・タイムズに載っています。投票した黒人人口の七割がProposition 8を支持、つまり同性婚を禁じる投票をしたことは選挙直後から明らかになっていましたが、さらに明らかになったのは、黒人女性のほうが、黒人男性よりも、Proposition 8を支持する割合がずっと高かった、ということです。この点について論説委員のCharles M. Blow氏は以下のような説明をしています。まず、白人人口と比べて、黒人人口は、定期的に教会に通う割合がずっと高く、また、教会に通う黒人のうち、女性は男性よりずっと多い。黒人は圧倒的に民主党よりで、今回の大統領選では実に95%の黒人がオバマ氏に投票したが、社会道徳観に関しては、教会に通うこれらの黒人はきわめて保守的で、同性婚を初めとする社会問題についての黒人の意見は共和党のものと変わらない。また、さまざまな理由から、黒人女性は、他の女性と比べて、非婚率・離婚率がずっと高い。自らが安定した結婚生活のパートナーをなかなか見つけられない女性たちが、男性たちが他の男性と結婚するということに懐疑的になるのは自然かもしれない。(私はこの議論にはちょっと無理があるような気がします。)

というわけで、同性婚の合法化を提唱する活動家は、黒人人口、とくに黒人女性の支持をとりつける努力をするべきだ、との論旨です。その過程で、同性婚の権利を異人種間結婚(アメリカの多くの州では、20世紀後半にいたるまで、法律上は異人種間の結婚が禁じられていた)にたとえて議論を進めるのは得策ではない。非黒人男性と結婚する黒人女性の割合は、非黒人女性と結婚する黒人男性のほぼ三分の一であることにも見られるように、多くの黒人女性は、黒人が非黒人と結婚することに否定的であるからだ。また、聖書の内容について議論しようとするのも得策ではない。信仰というのは論理で成り立っているものではないからだ。そして、過ぎ去った時代の性的道徳を、現代の性文化に適用することの危険性について、より広い観点から議論するべきだ。とのこと。

同性愛に否定的な黒人人口の態度は、同性婚の合法化のほかにも、深刻な影響があるとBlow氏は指摘しています。同性愛が間違っているとの道徳観のもとで育った黒人のうち、それでも同性愛指向をもつ人は、きわめて危険な性行為に走りがちで、黒人人口におけるH.I.V.の流布に結びつく。実際、H.I.V.に感染した女性のうち、自分の性パートナーがバイセクシュアルであるということを知っていたのは6%で、同じ立場の白人女性の14%という数字の半分以下である、と。

敬虔なキリスト教信者がみな保守的であるわけでもないし、聖書にもとづいた神学的分析と現代の文化や社会問題をめぐる真剣な議論がまったく対立するわけでもないので(私の同僚にも、カトリック神学の学位をもつレズビアンで、宗教とセクシュアリティについての研究や授業をしている、人間としても学者としてもとても立派な女性がいます)、Blow氏の論には100%賛成はしかねますが、こうした論説からは、アメリカにおいて、人種・宗教・セクシュアリティといった軸が、実に複雑に絡み合っていることはよくわかります。

2008年11月25日火曜日

幸せな結婚の鍵はセックスにあり

昨日、ホノルルに戻ってきました。気温は25度で青空です。気候の面での暮らしやすさは、ハワイに勝るところは世界にもなかなかないでしょう。歳をとるにつれて飛行機での旅や時差への対応が辛くなってくるので、すぐに仕事に戻るのはなかなかしんどいですが、今日は、学部の女性史の授業では中絶問題についてのディベート、大学院の授業ではGeorge ChaunceyによるGay New York (1994)という第二次世界大戦以前のニューヨークにおける「ゲイ」男性の世界についての研究書についてディスカッションと、なかなかヘヴィーな仕事の日でした。ちなみにGay New Yorkは、圧倒されるような膨大な調査にもとづいた重厚な書ですが、社会史の醍醐味というものを教えてくれる、素晴らしい一冊です。理論的な問題は扱ってはいるものの、文章はとても読みやすいので、興味のあるかたはぜひどうぞ。

ところで、今日のニューヨーク・タイムズに、ずばり「幸せな結婚の鍵はセックスにあり」という意味の記事があります。(この記事が、今日のタイムズ紙オンライン版の「最も人気のある記事」となっているところがまた笑えます。)テキサス州にある福音教会(教会には約3千人の人々が通い、礼拝はテレビモニターを通じてより広範囲の人々に流される、いわゆる「メガ・チャーチ」のひとつ)の牧師で、テレビ番組のホストでもあるエド・ヤング氏が、教会に通う夫婦たちに、夫婦の絆を強めるために、一週間毎日欠かさずセックスをすること、そしてそれをずっと続けることをすすめている、という話です。セックスとは神様が生み出したものなのだから、けっして恥じることはない、よい性生活を送ることは、神によりよく仕えることでもある、とのメッセージを、聖書を手にユーモアをまじえて力説するらしいです。仕事の疲労、日常生活のストレス、子供の世話などを理由に、だんだんとセックスの頻度が低下する夫婦が多いなか、気分が乗らなくてもとにもかくにも毎日セックスをすることで、夫婦の精神的intimacy(『新潮45』11月号140頁参照)も強まる、とのこと。実験的に365日間毎日セックスをした夫婦の体験記365 Nights: A Memoir of Intimacy最近話題になっていましたが、目標を決めてせっせと真面目に実践するひたむきさが、なんともアメリカ人らしいです。でも、せっせと真面目に実践ということにかけては、日本人は一段と得意ですし、最近日本では本当にセックスレス・カップルが多いようなので、日本のみなさんも、ちょっと試してみたらいかがでしょう。

ちなみに、『新潮45』は連載2回目(今回は「恋愛単語で知るアメリカ 応用編」として、「お手軽な関係と真剣な関係」というトピックです)の12月号も現在発売中ですので、どうぞよろしく。

2008年11月22日土曜日

おくりびと

東京も秋から冬にさしかかっていることが感じられるものの、ソウルと比べるとずっと暖かいです。私が宿泊している東大駒場のキャンパスは、今銀杏並木がとてもきれいで、ハワイでは見られない色合いを堪能しています。今週末、キャンパスは駒場祭です。その昔、クラスのみんなと、かっぱ橋で道具を買い、徹夜で下ごしらえをして、おでん屋さんをやったのを懐かしく思い出します。(ちなみに、今ではいろいろな規制があって、戸外のテントで夜を明かすなんていうことは、もうできないらしいです。)

仕事のミーティングや友だちと会ったりなど、もりだくさんの3日間を送っています。先日は、白河桃子さんとの対談もありました。ご参加いただいたメディア関係のかたがた、また、わざわざ私の顔を見るために来てくださったファンのかた、どうもありがとうございました。

日本に帰ってくるたびに、いろんな感想をもちますが、今回とくに印象に残ったこと。(1)日本のサラリーマンがカッコ良くなったこと。表参道のあたりにいる男性がお洒落なのは当然としても、丸の内とか新宿とかで飲んでいる、また電車に乗っている「普通」のサラリーマンが、5年、10年前と比べてあきらかにカッコ良くなっていると思います。バブルの時代に学生生活を送ってお洒落を学んだ世代が働き盛りになったからなのか、日本人男性の体型に合ったカッコいいスーツが出回るようになったからなのか、それとも不況だからこそ張り切って活き活きと仕事をしている人たちが多いからなのか、理由はわかりませんが、とにかくカッコよく見えるサラリーマンが増えたのは確かです。(2)仕事でお会いする人たちの多くが、自分とほぼ同い年であること。ちょっと前までは、なにもわからない自分が、ベテランに仕事を教えていただく、というパターンだったのに対して、年齢においてもキャリア段階においても、自分と同じくらいの人たちと一緒に仕事をすることが多くなりました。私の世代の人たちが、一通り仕事のやりかたを覚えて、自分で新しい企画を作ったりさまざまな判断をしたりする立場になったということでしょう。同年代の人たちと一緒にものを作っていくということは、とても嬉しいことです。(3)日本には、服とか食器とかにおいては本当に洗練された素敵な色彩がふんだんにあるのに、なぜか、看板とか、ウェブサイトとか、一般家庭のインテリアとかにおいては、やたらと趣味の悪い色使いが多いこと。他の部分にあれだけお金をかけるんだったら、安っぽくのっぺりとした真っ白の壁をもうちょっと素敵な色に塗り替えたらいいんじゃないかと思うことがよくあります。(私は半年前に、ハワイの自分のマンションの各部屋の壁のペンキを塗り替えたので、どうも敏感になっているようです。)

昨日の午後は、滝田洋二郎監督の「おくりびと」を観てきました。なかなかいい映画だと思いました。アメリカでは、Six Feet Underという、葬儀屋の家族を舞台にしたケーブルテレビドラマがヒットしていましたが、チェロ奏者としての仕事を失った主人公が納棺師の修業を積む「おくりびと」も、テーマとしては似通った部分があります。自分や同年代の友だちの親の病気や介護、死などが身近に増えてくるにつれ、死ということについて考えることも多くなってきたので、とても興味をもって観ました。納棺師を演じる山崎努と本木雅弘は、人類がなぜこんなにややこしい儀式というものを生み出しご丁寧に実践し続けるのかということを、美しく伝えていると思います。また、故人の生前の生きかた、家族のありかた、そしてなんといっても経済力によって、いろんな死の迎えかたや送られかたがあるのと同時に、個々の状況にかかわらずすべての人に尊厳のある旅立ちを提供する納棺師のありかたに、心打たれます。自分が死んだらこういう人に納めてもらいたいと、私も思いました。

日本の人の多くには「いかにもアメリカ的な感想だ」と言われそうですが、私には、妻が納棺師という仕事に理解を示さないときに、なぜ主人公は、自分がなぜこの職業が尊く大事なものだと思うかということを、もっと言葉でしっかり説明しようとしないのかということが不可解でした。ナレーションで主人公は、とても明確にそして美しく、納棺師の仕事の性質を描写しているのに、なぜ、自分が一番大切にしている相手にそれを説明する努力をしないのか。この物語のなかでは、最後に妻が夫の仕事を見る機会があるからこそ、理解と愛情とサポートを抱くようになるものの、多くの夫婦は、お互いの仕事の現場を見ることはあまりないでしょう。そして、多くの仕事は、同業者以外にはなかなか理解されないものでもあるでしょう。だからこそ、仕事が自分の人生のなかで大きな部分を占めている人は、なぜ自分がそれほどのこだわりと情熱をもってその仕事に多くの時間とエネルギーを注ぐのか、その仕事のなにが面白くてなにが大変なのか、仕事を通じて自分がどんなことを感じたり考えたりするのか、ということを、恋人や結婚相手に伝える努力をすることは、大事じゃないかと思います。

もうひとつは、私はMusicians from a Different Shoreのリサーチ・執筆を通して、食べて行けない(あるいは食べて行けなくなる可能性のある)クラシック音楽家たちと数多く接してきて、今ハワイで一番の仲良しも、今にも倒産しそうなホノルル・シンフォニーの音楽家たちなので(『ドット・コム・ラヴァーズ』に出てくる「ジェイソン」と「マイク」)、この映画の主人公が、プロのチェロ奏者で、やっと職を得たオケが解散になってしまうという設定にとても興味をもちました。が、プロのオケの職を得るような人は、幼少の頃から毎日何時間も厳しい練習を積み、それまでの人生のすべて本当に音楽ばかりできたような人なわけで、そうした人が、やむをえず音楽の道を去るという選択や状況には、普通の人にはちょっと想像できないような苦悩があります。そのあたりをもうちょっと深く描かれていたらよかったのになあとも思いました。

が、全体としては、いい映画だと思いました。前回帰国したときは、「歩いても歩いても」(私は是枝裕和監督の作品はどれも大好きです)と「ぐるりのこと」を観ました。日本映画もとてもいいものがあるなあと思いますが、昨日の上映館は、土曜日の昼間の有楽町だというのに、悲しくなるほどガラガラで、日本の映画界は厳しいんだなあとも思いました。なにしろ日本は映画に行くのは高いですから、一般消費者の足が遠のくのもしかたないかもしれませんね。

2008年11月19日水曜日

ソウルより

今、ソウル空港から成田に向かうところです。ほんの数日間の滞在でしたが、初めて訪れるソウルはとても興味深かったです。私は日本以外のアジアを訪れたことは恥ずかしいほど少ないのですが、行くたびに、いかに自分の世界観が日本とアメリカという二項対立の構図で成立しているかということを痛感します。言葉もまったくできず、数日間の滞在でなにを見たとも言えませんが、少なくともごく表面的な印象では、街のつくりとか空間の感覚(信じられないほど細い道にところせましと民家や商店が混在して立ち並んでいるところなど)において日本の街と共通する部分が多く(そしてそれらはアメリカやヨーロッパとはまるで違う)、東アジア文化圏というものの存在を感じます。

でも、それよりなにより、私にとって興味深いのは、出会った人たちです。今回の訪問は、梨花女子大学で開催されたTranscultural Studies in the Pacific Eraというテーマのシンポジウムに出席するのが目的だったのですが、そこに集まった20名ほどのアメリカそしてアジアの研究者や、進行の裏方をつとめていた梨花女子大学の大学院生たちとの出会いには、いろいろ考えさせられるものがありました。現代の韓国は、日本とくらべてずっと意識が外に向いていて、ミドルクラス、とくに学者のような知識層は、誰も彼もみなアメリカを初めとする海外に留学するので、シンポジウムのホストであった梨花の英文科の教授たちも、一人残らずすべてアメリカやイギリスで博士号をとった人たちです。韓国の知識層の留学熱は、アメリカの大学に身を置いている私は以前から知っていたので、このこと自体にはとくに驚きませんでしたが、なんだか不思議な気持ちにさせられたのは、彼らがみななんの不自由なく英語を操るだけでなく、社交のスタイルからいわゆるボディー・ランゲージにいたるまでが、とてもスムーズにアメリカ的であることです。英米文学・文化の専門家たちの集まりですから、英語が共通語であるのは当然といえば当然ですし、アメリカ、日本、台湾、シンガポール、フィリピンなどの研究者たちのあいだの唯一の共通言語は英語なのは、そう不思議はないかもしれません。そしてまた、そうした人々のほとんどがアメリカやイギリスで教育を受けたことがあるからといって、彼ら(私自身を含めてですが)の社交スタイルを「アメリカ的」であると形容するのは、それ自体がアメリカ中心的な見方かもしれません。それでも、私はちょうど、私がかねてから深く敬愛する水村美苗さんの新著『日本語が亡びるとき』を読んで、普遍語としての英語、そしてそれがもたらす国語や文学へのインパクトということについて考えている最中なので(『日本語が亡びるとき』についてはまた後でゆっくり書きます)、うーむと考え込んでしまいました。Transcultural Studies in the Pacific Eraといったテーマを、英語を共通言語として、アジアやアメリカの学者たちが論じるということは、歴史的・便宜的なこと以上に、言説の境界をある程度規定することでもあります。人文学系の学術的な議論は、postcolonialismとかtransgressionとかcomplicityとかhybridityとかいったキーワードをつなげていけば、内輪の人間のあいだでは、実際はそれほど目新しいことを言っていなくてもなんだか会話が進んでいくものですが、そうしたことを超えて、英語やアメリカといった媒体を経由してこうした人間たちが交流することの意味は、もっとじっくり考えるべきだと思います。

そしてまた、こうした場で交流する人たちの多くは、それぞれの国の知識層であるばかりでなく、いわゆるコスモポリタンな経験と感覚をもった人たちです。今回の20名ばかりのなかにも、台湾で生まれアフリカで育ちイギリスで教育を受けた人とか、エチオピアとアメリカで育った韓国人とか、南アフリカ文学を研究する韓国系アメリカ人とか、そういった面白い背景の人たちがたくさんいます。彼/彼女たちは、外交官やビジネスマンや学者を親にもつ人たちです。こうした社会階層の人たちのあいだの、hybridityだのidentityだのいう会話には、独特なものがあります。文学研究者が中心だったということが、より経済的・政治的・法的な構造の話が驚くほど少なかったことと関係しているのかどうかわかりませんが、「うーむ、なんだかなー」と思わされたことは事実です。

ソウルは私の滞在中、連日氷点下の寒さで、ハワイの気候に慣れた私は死にそうな思いでした。空港の周りは雪です。東京もだいぶ寒くなってきているとは聞いていますが、これと比べたらさぞ暖かく感じられるでしょう。では、搭乗します。

2008年11月14日金曜日

Ruth Ozeki

昨日、ホノルルを訪問中の小説家・ドキュメンタリー映画監督のRuth Ozekiさんの講演に行ってきました。私は、彼女の小説 My Year of Meats (1998)を分析した論文の査読を頼まれたことがきっかけで、最近になってこの小説を読んだのですが、設定、登場人物、筋の展開、そして文章の技巧からなにからたいへん気に入って、途中からは本当に寝食忘れて読みふけりました。日米文化、そしてジェンダーや家庭といったテーマからしても私の関心にぴったりなのですが、なんといっても私が一番感心したのは、鋭い社会批評と、ユーモラスで人間的で読者を引き込む語りの両方を、見事なバランスで同時に達成していることです。アメリカの、とくにマイノリティの作家による小説は、人種差別をはじめとする社会の不均衡をえぐることや、小説を通じて自らのアイデンティティを模索するということが先にたって、えてして頭でっかちだったり説教臭かったりして、ストーリーとしては面白みの欠けることも少なくないのですが、Ruth Ozekiの作品は、綿密なリサーチに基づいた社会批評(My Year of Meatsはアメリカの牛肉産業の日本進出を背景に、現代アメリカの食糧産業に代表される資本主義の構造や、商業メディアのありかたを鋭く描いています)と、斬新で楽しめるストーリーテリングの両方を、見事に達成しているのです。彼女の講演も、彼女の作品のそうした特徴がそのまま出ていて、45分間ほど、鋭く、明晰で、面白く、可笑しく、大事な情報にあふれ、優しく、真摯な話(白人アメリカ人の父と日本人の母をもつ自分のバックグラウンドの話に始まって、小説のテーマでもある工場的農業やGM作物の問題から、オバマ大統領誕生の話までを、「ハイブリッド」というテーマでつなげる、見事な講演でした。いかにも無理してつなげたように聞こえるかも知れませんが、本当にちゃんと深い分析と論旨が一貫しているのです)で聴衆をすっかり魅了しました。このように全国各地を講演してまわる作家は、どこに行っても同じ講演を繰り返す人も多いのですが、彼女の場合は、ハワイの聴衆のためにきちんと考えて原稿を書いてきたことが明らかでしたし、講演の前後に私たちファンともとてもフレンドリーに会話をして、性格的にもとてもいい人であることが伝わってきて、私はすっかり大ファンになってしまいました。講演を聞いてこれほど感動するというのも、なかなかないものです。私は彼女のAll Over Creation (2003)はまだ読んでいないのですが、一刻も早く読もうと思いました。というわけで、おススメです。My Year of Meats翻訳も出ているようですので、是非どうぞ。

私は明日の朝、ソウルに出発します。梨花女子大学でのシンポジウムに参加するために行くのですが、韓国に行くのは初めてなので、張り切っています。その後、日本に行くのも楽しみです。夏休み以外に日本に行くことはまずないので、秋の気候と食べ物も楽しみです。

2008年11月10日月曜日

婚活対談 11/21(金)

来週仕事でソウルに行くついでに、帰りに数日間東京に寄ることにしました。東京滞在中、日本match.comの主催で、白河桃子さんと対談することになりました。ご存知のかたも多いと思いますが、白河さんは山田昌弘氏との共著『「婚活」時代』を初めとして、未婚晩婚、少子化などについて数多くの著書のあるジャーナリストです。今回は、「婚活対談〜日米の恋愛・結婚事情」というトピックでお話しすることになりました。メディア関係のかたの取材も受けつけますが、その他一般のかたにご来ていただいても結構です(と思います)ので、興味のあるかたはどうぞ。

11月21日(金)17時〜19時
パレスホテル(千代田区丸の内1−1−1)パレスビル3F 3−D室

お問い合わせのかたは、マッチドットコムジャパン、japanpress@match.comまでお願いいたします。

2008年11月7日金曜日

大統領選以外の選挙結果

首席補佐官も決まり、当選後最初の記者会見もして、オバマ政権への移行準備は早速始まっています。選挙後も株式市場はまた下落し、失業率はさらに高まって、経済状況は実に暗いので、これからの4年間、オバマ政権への課題は本当に大きいです。

オバマ氏当選に世界の注目が集まっているのは自然なことですが、今回の選挙には大統領選以外にもいろいろな側面がありました。前回の投稿でも言及した、同性婚を禁じるカリフォルニア州の住民投票Proposition 8は、52%の票を得て通過しました。カリフォルニアの他にも、フロリダとアリゾナの2州ではより大きな票差で同様の住民投票が通過しました。この結果、40以上の州で同性婚をはっきりと禁じる法律ができ、同性愛者が合法に結婚できるのは、マサチューセッツとコネチカットの2州のみとなりました。カリフォルニアでは、既婚者と同様のさまざまな権利を認めるシヴィル・ユニオンは今後も継続されますが、アリゾナとフロリダではそれも認められません。カリフォルニア州では、黒人投票者のうち70%、ラテン系投票者の過半数がProposition 8可決に投票した(つまり同性婚合法化に反対した)という結果が出ています。全国の黒人投票者の95%、ヒスパニック系投票者の67%はオバマ氏に投票したというデータと合わせて考えると、「リベラル」「保守」といったラベルが、決して人種・経済・国際関係といった軸でだけきれいに整理できるわけではないことがよくわかります。

ほかにも、選挙前はほとんど知られていませんでしたが、フロリダ州では、アジア系アメリカ人への差別の歴史を払拭するための憲法改正についての住民投票が否決されました。これはなかなかややこしい歴史的背景があるのですが、要は、20世紀前半に、日本などアジアからの移民が土地を買い占めるのではないかとの懸念から、帰化不能な外国人(当時はアジア人移民にはアメリカ国民に帰化する権利がありませんでした)は土地を所有できないという法律ができたままになっていたものを、アジア人への差別を取り除くために憲法を修正する、というイニシアティヴでした。ところが、投票用紙に記載されたイニシアティヴ自体の表現が不明瞭だったこともあり、とくに非合法移民の流入を恐れる住民の多いフロリダでは、「非合法移民が国民と同じ『権利』をもつのは間違っている」と主張する人々が多く、このような結果が出ました。

そのいっぽうで、中絶により厳しい制約を加えることについては、カリフォルニア・コロラド・サウスダコタの3州すべてで住民が反対しました。マリファナの少量の保持を犯罪でなくすることについてはマサチューセッツで可決、マリファナの医療用の使用はミシガンで可決しました。人種や性に関するアファーマティヴ・アクションを州のプログラムから取り除く、という住民投票は、コロラドではごく僅差で否決、ネブラスカでは通過しました。といったように、オバマ氏に投票した人たちのなかでも、さまざまな問題については大きく立場が分かれています。なにしろ、大統領選そのものをとってみても、州ごとに与えられた選挙人数という特殊な制度をとっているからこそ、オバマ氏とマケイン氏のあいだには倍以上の差が出ましたが、直接選挙制度であれば、52%と46%の差でしかないわけで、それぞれの州のなかでも、またアメリカ全体のなかでも、イデオロギーや社会文化的価値観をめぐってたくさんの分断があります。アメリカの「統一」をかかげて勝利にいたったオバマ氏が、どうやってそれを実現していくか、期待が高まるいっぽうです。それにしても、オバマ氏の勝利演説のなかの、I will listen to you, especially when we disagree.という一文がとくに印象的でした。恋人や結婚相手にも、そう言ってもらいたいですね。(まず自分が言うことから始めたほうがいいでしょうかね。笑)

2008年11月5日水曜日

オバマ大統領のアメリカを前に

昨晩は意外に早く大統領選の結果が出て、ハワイ時間で夜8時には一通り感動と祝福の波が過ぎたものの、その後も12時近くまで、皆でテレビの分析や他の選挙結果を見たりしながら騒いでいました。オバマ氏勝利が決まった瞬間は、みんなで涙を流しながら抱き合って歓声を上げ、その後、シャンペンを飲み、手を握り合ってテレビを見ながら、それぞれが携帯電話で世界各地の家族や友達と祝福しあっていました。私にも、アメリカ本土からも日本からも、友達が電話やメールを即座に送ってくれて、この歴史的な瞬間を共有できたこと、とても嬉しく思っています。テレビに映された、アメリカ各地でニュースを聞いて老弱男女が涙しながら歓喜をかみしめている姿が本当に感動的で、オバマ氏の勝利演説を聞きながら涙を流しているジェシー・ジャクソン氏の姿はとくに印象的でした。

アメリカの中産階級や労働者階級の人々の生活の現実についての理解、大恐慌につながると一部では言われている経済危機への対応、イラクとアフガニスタンの戦争をふくめ国際情勢についてのビジョンなど、オバマ氏を勝利へと導いた要素はたくさんあると思いますが、なかでもやはり決定的だったのは、人種問題への取り組みかたと、一般市民のボランティアや献金を底力とする草の根のキャンペーン活動の成功だと思います。

「初の黒人大統領」とはいっても、「黒人」としてのオバマ氏のバックグラウンドやアイデンティティはとても複雑です。ケニア人の父親とカンザス出身の白人の母のもとに生まれ、ハワイとインドネシアで育った彼は、アメリカ南部、あるいはinner cityとよばれる、貧困や犯罪の集中した各地の都市部で暮らす黒人とは、「黒人」として経験してきていることも「黒人コミュニティ」との関係もかなり違います。彼が大統領選に立候補した当初は、黒人コミュニティのあいだからも、「黒人」としての彼のアイデンティティを疑問視する声もありました。キャンペーンの過程でそうした声は次第になくなりましたが、そのいっぽうで、現在のアメリカでは、自分の黒人としてのアイデンティティや人種問題を前面に掲げるような政治家が大統領に選ばれることはまずないと言えます。(そうした意味で、ライト牧師の人種問題についての発言は、オバマ氏のキャンペーンにそうとう大きな危機をもたらしました。その直後に、オバマ氏が有名な「人種演説」をしたのは、とても示唆的でした。)そうした状況のなかで、オバマ氏のキャンペーンは、人種問題をあえて避けることなく、黒人やヒスパニックなどのコミュニティの支持を確保しながら、自分は「黒人代表」「有色人種代表」なのではなく、一アメリカ人として、人種や階層や政党を超えた、統一したアメリカを目指すという彼のメッセージは、彼に「リベラル」とか「社会主義者」とか「過激テロリストと関係がある」とかいったラベルを貼って攻撃する共和党キャンペーンと対照的でした。それと同時に、オバマ氏の当選が、アメリカじゅうの黒人にとって、どれほど大きな意味をもつかは、説明する言葉が足りないくらいです。

そしてまた、これまで一度も政治活動に参加したこともなければ、選挙に興味をもったこともないような一般市民を、「この選挙は自分たちの将来を決定する」「自分が関わればアメリカが変わる」という気持ちにさせて、投票者登録をしたり、献金をしたり、戸別訪問をしたり、電話をかけたりといったボランティア活動に参加させる、草の根キャンペーンの力は、本当にすごいものでした。もちろん、こうした活動は、選挙運動としてはずっと昔からある古典的なものですが、今回のオバマ・キャンペーンで画期的だったのは、そうした伝統的な選挙活動と、インターネットを使った現代的なコミュニケーションの手法を実に見事に結びつけて、とくに若者層に訴えかけたことです。このブログですでに何度か言及したFacebookなどでも、この選挙への若者(Facebookを使っているのは若者だけではありませんが、基本的には若者文化の代表といっていいでしょう)の関心と熱意が明らかでしたし、MoveOn.orgといった、インターネットを使った社会運動の媒体も、実に洗練された方法で、一般市民の選挙活動参加を広げてきました。私などはまさにその手法の思うつぼで、Tシャツを買ったり献金したり、電話のボランティアをしたりしましたが、私のような人間を、歴史を変えるプロセスのごくごく一端にでも自分が参加したんだという気持ちしてくれるところが、この草の根キャンペーンのパワーです。

大統領選の結果ばかりが注目されていますが、この選挙には他にも重要な側面がいくつもあります。上院・下院ともに、民主党は席を増やし、ホワイトハウスおよび上下両院で民主党マジョリティになるのは、クリントン政権以来のことです。注目されていた、作家・批評家・左派のラジオショーホストであるミネソタ州の上院議員候補、アル・フランケン氏の選挙は、結果が僅差すぎて再集計、この投稿の時点ではまだ結果が出ていません。また、カリフォルニア州でほんの数ヶ月前に最高裁が合法とした同性愛者の結婚を違法にするという州のProposition 8も、まだ最終結果は出ていないものの、今の時点では通過しそうな気配です。というわけで、オバマ氏が当選したからといってアメリカ全体がリベラルな方向に進んでいるとは決して言えませんし、とくに経済・国際関係・環境などの面では、オバマ政権にはとても大きな課題が待ち構えています。

が、とりあえずは、新しいアメリカの到来を祝福!

2008年11月4日火曜日

オバマ大統領誕生!

やったー!たった今、マケイン氏が敗北演説をしました。間もなくオバマ氏がシカゴで演説するでしょう。私の家では、シャンペンをあけてみんなで乾杯し、涙を流しながらテレビを見ているところです。この興奮ぶりを伝えるために、ちょっと落ち着いたらまた投稿します。

2008年11月3日月曜日

大統領選最終スパート

いよいよ大統領選は明日に迫りました。私は正直言って、興奮で夜も眠れず、昼間もなにをしていても手がつかない状態なので、学校での仕事は早々に済ませて家に帰ってきて、これから最後の一押しということで、オハイオやフロリダなどの浮動州の有権者に電話をかけるボランティアをします。昨日も少しやったのですが、時差だけで5時間もある遠くにいる、赤の他人に電話をかけて話をするというのも、なんとも不思議なものです。こうした活動がどれだけ実際に効果があるのかはよくわかりませんが、なにかしていないと気がすまない、私のようは人間には、なにかしたような気持ちになれるのでちょうどいいです。最後の献金もちょっとだけ足しておきましたが、オバマ陣は私のような小口の献金が驚異的な額集まっているので、まあ、お祝いのシャンペンが一本増えるくらいでしょう。今日は大学でも、みなそわそわして、同僚とも選挙の話題にしかならない状態です。明日は、私は友達を家に集めてみんなでテレビを見ながらお祝い(だといいですが)のパーティをするのですが、知人友人の何人もが似たようなパーティをホストすると言っています。これまでの選挙は、これほどの騒ぎではなかったので、やはりとても歴史的な瞬間に立ち会っているということだと思います。

オバマ氏をハワイで育てたおばあさんが、今日の早朝亡くなったという知らせが入りました。大学から帰り、おばあさんの住んでいたアパートの建物の前を車で通りましたが、テレビのレポーターたちの他にも多くの人たちが辺りに集まっていました。あと1日で、オバマ氏が大統領に選ばれるところを見られたでしょうに、とてもお気の毒です。でも、オバマ氏のような立派な人を育てた彼女に、世界中の人々が感謝の気持ちを送っているところだと思います。

2008年11月1日土曜日

訂正 「水道屋」のジョー

先ほど投稿した「配管工のジョー」について、矢口祐人(前にも出てきましたが、私と一緒に『現代アメリカのキーワード』を編集し、また、『ドット・コム・ラヴァーズ』を書くことを私にけしかけてくれた人です)さんから指摘がありました。日本のメディアではJoe the Plumberを「配管工のジョー」と訳していますが、英語のplumber(ちなみに、bは発音しないので、「プランバー」ではなくて「プラマー」です)を「配管工」と訳すのはちょっと誤解を招くらしいです。日本での「配管工」とは、水道作業だけでなく、空調や防災用設備、下水、土木管などの大型作業もする職業であるのに対し、個人の家にやってきて水道管を修理したり移動したりする人はテクニカルに言えば「給排水設備業者」、平たく言えば「水道屋さん」だとのこと。plumberの免許も持っていないワーゼルバッカー氏は厳密に言えば本物の「水道屋さん」でもないわけですが、「配管工のジョー」というよりは「水道屋のジョー」のほうが正しいようです。日本のメディアで使われている訳を、きちんと調べもせずにそのまま使っていたこと、お詫びして訂正いたします。

配管工のジョー

いよいよ大統領選まであと3日を残すところとなりました。各党の予備選から始まってあまりにも長い選挙戦だったので、見守るほうもみなかなり疲弊気味ですが、ここ数週間の世論調査では全体としてオバマ氏優勢とは言うものの、オハイオ、ペンシルヴァニア、ミズーリなど、鍵となるいくつかの浮動州がどちらに動くかまだまだわからないので、両候補ともこの週末に最後のスパートです。オバマ氏の出身地であり、1960年代からは伝統的に民主党支持でもあるハワイでは、オバマ氏勝利は決まっているようなものなので、地元の選挙活動は州や市レベルの活動がほとんどですが、アメリカ本土での大統領選キャンペーンのための電話でのボランティアなどは、大学生などの若者も含めさかんに行われています。私も明日の日曜日、ボランティアしようと思っています。

今学期、アメリカ女性史の学部レベルの授業を教えていることは前にも書きましたが、選挙にちなんで、先週の授業では、学生たちに討論をさせました。「どちらの大統領候補が、女性にとってよりよい政策をもたらすか」というテーマで、クラスを一チーム5人ずつ、4つのチームに分けました。5人それぞれが、冒頭弁舌、質問、質問への応答、反論、結論のどれかの役を担当し、2分から5分のあいだ全員の前で話さなければいけない、という設定にしたので、もとはそれほど政治に関心のない学生も、人前で話すのが苦手な学生も含め、全員が参加しなければいけません。授業中の討論に加えて、各学生は同じトピックで800語の論説も書いて提出しなければいけません。(論説でとる立場は、討論で自分が課されたチームと違ってもよし、ということにしました。)おかげで、みなしっかりと両候補の政策やこれまでの経歴などをリサーチし、それぞれのチームは授業の外でも何度も作戦を練るためのミーティングをして、チームによっては討論の当日わざわざおそろいの服まで着て、張り切ってのぞみました。両チームとも熱弁をふるって、学生はなかなか楽しんでいたようです。準備には相当時間がかかったし、質問に即座に応えるのはとても難しくストレスフルだったけれども、こうして選挙前に両候補のことをきちんと調べて考える機会が与えられたのはとてもよかったと学生は言っていました。エヘン。

ところで、日本でも報道されているようですが、ここ2週間、大統領選の話題で注目を浴びているのが「配管工のジョー(Joe the Plumber)」。オハイオ州遊説中のオバマ氏に、オバマ氏が大統領になったら自分のような人間にとっては増税になるのではないか、と質問したことがきっかけで、オバマ氏対マケイン氏の最終討論のときに両候補に計26回も言及されて以後、世界中の注目の的になったのが、オハイオ州在住の34歳の配管工、ジョー・ワーゼルバッカー氏。話題になってから、彼は実はきちんとした配管工としての免許ももっていないこと、彼が現在勤めている従業員2人の会社を買い取ったとしても、オバマ氏の政策によると多少の増税となる年収25万ドルのラインには到達しそうもないこと、さらには、彼は本当に税金を払うのが嫌いで、既にオハイオ州に千ドル以上の未払いの税金があることなどが、世界中に露呈されています。それでも、共和・民主両党とも、「配管工のジョー」を、アメリカ国民の象徴として扱い、マケイン陣は、ワーゼルバッカー氏の自宅に運転手を送り、マケイン氏の遊説先で彼にスピーチをさせています。全国メディアからの取材が殺到して、あまりにもたいへんな騒ぎなので、ワーゼルバッカー氏はついに取材を管理するエージェントを雇ったという話です。

選挙選にはいつもいろいろな珍談がつきものですが、なぜよりにもよって配管工の一男性がここまで大騒ぎになるのか、日本の人にはわかりにくいかもしれません。もちろんアメリカの人だってかなり首をかしげるような状況なのですが、社会・文化的な要因として、「配管工」という職業が意味するものやイメージが日本とアメリカではだいぶ違う、というのもあるでしょう。日本の配管工について私はなにも知らないので、そのうちちょっと調べてみようと思っていますが、一般消費者が必要があって家に配管工事に来てもらうときにやってくる「配管工さん」というのは、概して、地域の配管工事会社の従業員で、きれいな制服を来たお兄さんまたはおじさんが、お願いした日時にきちんと現れ、「お邪魔いたします」とかなんとかあいさつをして、出されたスリッパをはいて、台所なり風呂場なり問題の箇所に行き、床が汚れないように敷物などを敷いて、てきぱきと仕事をし、作業が終わったらそのあたりをきれいにふいて、また「失礼いたしました」とかなんとか言って頭を下げて帰って行くのではないでしょうか。アメリカにだってもちろんいろんな配管工がいますが、少なくともイメージとしては、ちょっとあるいはおおいに太っているおじさんが、約束の時間よりずっと遅れてやっと現れたかと思うと、泥のついたブーツで面倒くさそうに問題の箇所に行き、「よっこらしょ」とかなんとか言ってかがむと、ずり下がったジーパンの後ろからお尻の割れ目がちょっとのぞいてしまう。そして、なんやかんやといじっていたと思ったら、「部品が足りないので今日は仕事を終えられない」とかなんとか言って、じゃあ次にいつ来てくれるのかと思ったら2週間くらい先まで空きがないと言う。そのあいだ水道は使えない。やっと2週間がたって、また約束の時間よりずっと遅れて現れた「ジョー」は、しばらくごちゃごちゃと作業をし、終わったと思ったら、「じゃあこれ」と、膨大な額の請求書を出す。なにしろそういうイメージなのです。自動車の修理工などと同じで、素人の消費者はこうした技術者にはまるで口出しも反論もできない立場なので、納得がいかないながらも請求された額をおとなしく支払う、という状況です。

とにかく、アメリカでは配管工というのは、ブルーカラーの職人、しかも仕事の依頼さえあればかなりの高収入を得られる職業、というイメージが強いのです。大きな企業に勤めるよりも自営業を目指す指向の強いアメリカの文化には、誰の指図を受けることなく、自分の腕で仕事をする、配管工のような職業を、古典的な働く男性像として賞賛する部分があります。そしてさらに、配管工というと白人労働者をイメージする人が多いのです。つまり、「配管工のジョー」は、かつてヒラリー・クリントンが主要支持基盤のひとつとしていた社会階層を象徴するような存在なのです。その「ジョー」が、すっかり共和党のアイドルになってしまったのには、数多くの皮肉があります。ノーベル経済賞受賞が決まったばかりのポール・クルーグマン氏は、実際のオハイオ州の配管工の収入についてのデータを分析して、オバマ氏の政策のほうがワーゼルバッカー氏のような人々にはずっとサポーティヴである、と論じています。

まあとにかく、「配管工のジョー」に加え、maverickだのhockey momだのdrill, baby, drillだの、今回の大統領選では、独特のキーワードがたくさん生まれています。いずれどこかで、これらの用語や表現を説明したいと思っていますので、ご期待ください。