2008年11月19日水曜日

ソウルより

今、ソウル空港から成田に向かうところです。ほんの数日間の滞在でしたが、初めて訪れるソウルはとても興味深かったです。私は日本以外のアジアを訪れたことは恥ずかしいほど少ないのですが、行くたびに、いかに自分の世界観が日本とアメリカという二項対立の構図で成立しているかということを痛感します。言葉もまったくできず、数日間の滞在でなにを見たとも言えませんが、少なくともごく表面的な印象では、街のつくりとか空間の感覚(信じられないほど細い道にところせましと民家や商店が混在して立ち並んでいるところなど)において日本の街と共通する部分が多く(そしてそれらはアメリカやヨーロッパとはまるで違う)、東アジア文化圏というものの存在を感じます。

でも、それよりなにより、私にとって興味深いのは、出会った人たちです。今回の訪問は、梨花女子大学で開催されたTranscultural Studies in the Pacific Eraというテーマのシンポジウムに出席するのが目的だったのですが、そこに集まった20名ほどのアメリカそしてアジアの研究者や、進行の裏方をつとめていた梨花女子大学の大学院生たちとの出会いには、いろいろ考えさせられるものがありました。現代の韓国は、日本とくらべてずっと意識が外に向いていて、ミドルクラス、とくに学者のような知識層は、誰も彼もみなアメリカを初めとする海外に留学するので、シンポジウムのホストであった梨花の英文科の教授たちも、一人残らずすべてアメリカやイギリスで博士号をとった人たちです。韓国の知識層の留学熱は、アメリカの大学に身を置いている私は以前から知っていたので、このこと自体にはとくに驚きませんでしたが、なんだか不思議な気持ちにさせられたのは、彼らがみななんの不自由なく英語を操るだけでなく、社交のスタイルからいわゆるボディー・ランゲージにいたるまでが、とてもスムーズにアメリカ的であることです。英米文学・文化の専門家たちの集まりですから、英語が共通語であるのは当然といえば当然ですし、アメリカ、日本、台湾、シンガポール、フィリピンなどの研究者たちのあいだの唯一の共通言語は英語なのは、そう不思議はないかもしれません。そしてまた、そうした人々のほとんどがアメリカやイギリスで教育を受けたことがあるからといって、彼ら(私自身を含めてですが)の社交スタイルを「アメリカ的」であると形容するのは、それ自体がアメリカ中心的な見方かもしれません。それでも、私はちょうど、私がかねてから深く敬愛する水村美苗さんの新著『日本語が亡びるとき』を読んで、普遍語としての英語、そしてそれがもたらす国語や文学へのインパクトということについて考えている最中なので(『日本語が亡びるとき』についてはまた後でゆっくり書きます)、うーむと考え込んでしまいました。Transcultural Studies in the Pacific Eraといったテーマを、英語を共通言語として、アジアやアメリカの学者たちが論じるということは、歴史的・便宜的なこと以上に、言説の境界をある程度規定することでもあります。人文学系の学術的な議論は、postcolonialismとかtransgressionとかcomplicityとかhybridityとかいったキーワードをつなげていけば、内輪の人間のあいだでは、実際はそれほど目新しいことを言っていなくてもなんだか会話が進んでいくものですが、そうしたことを超えて、英語やアメリカといった媒体を経由してこうした人間たちが交流することの意味は、もっとじっくり考えるべきだと思います。

そしてまた、こうした場で交流する人たちの多くは、それぞれの国の知識層であるばかりでなく、いわゆるコスモポリタンな経験と感覚をもった人たちです。今回の20名ばかりのなかにも、台湾で生まれアフリカで育ちイギリスで教育を受けた人とか、エチオピアとアメリカで育った韓国人とか、南アフリカ文学を研究する韓国系アメリカ人とか、そういった面白い背景の人たちがたくさんいます。彼/彼女たちは、外交官やビジネスマンや学者を親にもつ人たちです。こうした社会階層の人たちのあいだの、hybridityだのidentityだのいう会話には、独特なものがあります。文学研究者が中心だったということが、より経済的・政治的・法的な構造の話が驚くほど少なかったことと関係しているのかどうかわかりませんが、「うーむ、なんだかなー」と思わされたことは事実です。

ソウルは私の滞在中、連日氷点下の寒さで、ハワイの気候に慣れた私は死にそうな思いでした。空港の周りは雪です。東京もだいぶ寒くなってきているとは聞いていますが、これと比べたらさぞ暖かく感じられるでしょう。では、搭乗します。