2008年11月22日土曜日

おくりびと

東京も秋から冬にさしかかっていることが感じられるものの、ソウルと比べるとずっと暖かいです。私が宿泊している東大駒場のキャンパスは、今銀杏並木がとてもきれいで、ハワイでは見られない色合いを堪能しています。今週末、キャンパスは駒場祭です。その昔、クラスのみんなと、かっぱ橋で道具を買い、徹夜で下ごしらえをして、おでん屋さんをやったのを懐かしく思い出します。(ちなみに、今ではいろいろな規制があって、戸外のテントで夜を明かすなんていうことは、もうできないらしいです。)

仕事のミーティングや友だちと会ったりなど、もりだくさんの3日間を送っています。先日は、白河桃子さんとの対談もありました。ご参加いただいたメディア関係のかたがた、また、わざわざ私の顔を見るために来てくださったファンのかた、どうもありがとうございました。

日本に帰ってくるたびに、いろんな感想をもちますが、今回とくに印象に残ったこと。(1)日本のサラリーマンがカッコ良くなったこと。表参道のあたりにいる男性がお洒落なのは当然としても、丸の内とか新宿とかで飲んでいる、また電車に乗っている「普通」のサラリーマンが、5年、10年前と比べてあきらかにカッコ良くなっていると思います。バブルの時代に学生生活を送ってお洒落を学んだ世代が働き盛りになったからなのか、日本人男性の体型に合ったカッコいいスーツが出回るようになったからなのか、それとも不況だからこそ張り切って活き活きと仕事をしている人たちが多いからなのか、理由はわかりませんが、とにかくカッコよく見えるサラリーマンが増えたのは確かです。(2)仕事でお会いする人たちの多くが、自分とほぼ同い年であること。ちょっと前までは、なにもわからない自分が、ベテランに仕事を教えていただく、というパターンだったのに対して、年齢においてもキャリア段階においても、自分と同じくらいの人たちと一緒に仕事をすることが多くなりました。私の世代の人たちが、一通り仕事のやりかたを覚えて、自分で新しい企画を作ったりさまざまな判断をしたりする立場になったということでしょう。同年代の人たちと一緒にものを作っていくということは、とても嬉しいことです。(3)日本には、服とか食器とかにおいては本当に洗練された素敵な色彩がふんだんにあるのに、なぜか、看板とか、ウェブサイトとか、一般家庭のインテリアとかにおいては、やたらと趣味の悪い色使いが多いこと。他の部分にあれだけお金をかけるんだったら、安っぽくのっぺりとした真っ白の壁をもうちょっと素敵な色に塗り替えたらいいんじゃないかと思うことがよくあります。(私は半年前に、ハワイの自分のマンションの各部屋の壁のペンキを塗り替えたので、どうも敏感になっているようです。)

昨日の午後は、滝田洋二郎監督の「おくりびと」を観てきました。なかなかいい映画だと思いました。アメリカでは、Six Feet Underという、葬儀屋の家族を舞台にしたケーブルテレビドラマがヒットしていましたが、チェロ奏者としての仕事を失った主人公が納棺師の修業を積む「おくりびと」も、テーマとしては似通った部分があります。自分や同年代の友だちの親の病気や介護、死などが身近に増えてくるにつれ、死ということについて考えることも多くなってきたので、とても興味をもって観ました。納棺師を演じる山崎努と本木雅弘は、人類がなぜこんなにややこしい儀式というものを生み出しご丁寧に実践し続けるのかということを、美しく伝えていると思います。また、故人の生前の生きかた、家族のありかた、そしてなんといっても経済力によって、いろんな死の迎えかたや送られかたがあるのと同時に、個々の状況にかかわらずすべての人に尊厳のある旅立ちを提供する納棺師のありかたに、心打たれます。自分が死んだらこういう人に納めてもらいたいと、私も思いました。

日本の人の多くには「いかにもアメリカ的な感想だ」と言われそうですが、私には、妻が納棺師という仕事に理解を示さないときに、なぜ主人公は、自分がなぜこの職業が尊く大事なものだと思うかということを、もっと言葉でしっかり説明しようとしないのかということが不可解でした。ナレーションで主人公は、とても明確にそして美しく、納棺師の仕事の性質を描写しているのに、なぜ、自分が一番大切にしている相手にそれを説明する努力をしないのか。この物語のなかでは、最後に妻が夫の仕事を見る機会があるからこそ、理解と愛情とサポートを抱くようになるものの、多くの夫婦は、お互いの仕事の現場を見ることはあまりないでしょう。そして、多くの仕事は、同業者以外にはなかなか理解されないものでもあるでしょう。だからこそ、仕事が自分の人生のなかで大きな部分を占めている人は、なぜ自分がそれほどのこだわりと情熱をもってその仕事に多くの時間とエネルギーを注ぐのか、その仕事のなにが面白くてなにが大変なのか、仕事を通じて自分がどんなことを感じたり考えたりするのか、ということを、恋人や結婚相手に伝える努力をすることは、大事じゃないかと思います。

もうひとつは、私はMusicians from a Different Shoreのリサーチ・執筆を通して、食べて行けない(あるいは食べて行けなくなる可能性のある)クラシック音楽家たちと数多く接してきて、今ハワイで一番の仲良しも、今にも倒産しそうなホノルル・シンフォニーの音楽家たちなので(『ドット・コム・ラヴァーズ』に出てくる「ジェイソン」と「マイク」)、この映画の主人公が、プロのチェロ奏者で、やっと職を得たオケが解散になってしまうという設定にとても興味をもちました。が、プロのオケの職を得るような人は、幼少の頃から毎日何時間も厳しい練習を積み、それまでの人生のすべて本当に音楽ばかりできたような人なわけで、そうした人が、やむをえず音楽の道を去るという選択や状況には、普通の人にはちょっと想像できないような苦悩があります。そのあたりをもうちょっと深く描かれていたらよかったのになあとも思いました。

が、全体としては、いい映画だと思いました。前回帰国したときは、「歩いても歩いても」(私は是枝裕和監督の作品はどれも大好きです)と「ぐるりのこと」を観ました。日本映画もとてもいいものがあるなあと思いますが、昨日の上映館は、土曜日の昼間の有楽町だというのに、悲しくなるほどガラガラで、日本の映画界は厳しいんだなあとも思いました。なにしろ日本は映画に行くのは高いですから、一般消費者の足が遠のくのもしかたないかもしれませんね。