2008年11月14日金曜日

Ruth Ozeki

昨日、ホノルルを訪問中の小説家・ドキュメンタリー映画監督のRuth Ozekiさんの講演に行ってきました。私は、彼女の小説 My Year of Meats (1998)を分析した論文の査読を頼まれたことがきっかけで、最近になってこの小説を読んだのですが、設定、登場人物、筋の展開、そして文章の技巧からなにからたいへん気に入って、途中からは本当に寝食忘れて読みふけりました。日米文化、そしてジェンダーや家庭といったテーマからしても私の関心にぴったりなのですが、なんといっても私が一番感心したのは、鋭い社会批評と、ユーモラスで人間的で読者を引き込む語りの両方を、見事なバランスで同時に達成していることです。アメリカの、とくにマイノリティの作家による小説は、人種差別をはじめとする社会の不均衡をえぐることや、小説を通じて自らのアイデンティティを模索するということが先にたって、えてして頭でっかちだったり説教臭かったりして、ストーリーとしては面白みの欠けることも少なくないのですが、Ruth Ozekiの作品は、綿密なリサーチに基づいた社会批評(My Year of Meatsはアメリカの牛肉産業の日本進出を背景に、現代アメリカの食糧産業に代表される資本主義の構造や、商業メディアのありかたを鋭く描いています)と、斬新で楽しめるストーリーテリングの両方を、見事に達成しているのです。彼女の講演も、彼女の作品のそうした特徴がそのまま出ていて、45分間ほど、鋭く、明晰で、面白く、可笑しく、大事な情報にあふれ、優しく、真摯な話(白人アメリカ人の父と日本人の母をもつ自分のバックグラウンドの話に始まって、小説のテーマでもある工場的農業やGM作物の問題から、オバマ大統領誕生の話までを、「ハイブリッド」というテーマでつなげる、見事な講演でした。いかにも無理してつなげたように聞こえるかも知れませんが、本当にちゃんと深い分析と論旨が一貫しているのです)で聴衆をすっかり魅了しました。このように全国各地を講演してまわる作家は、どこに行っても同じ講演を繰り返す人も多いのですが、彼女の場合は、ハワイの聴衆のためにきちんと考えて原稿を書いてきたことが明らかでしたし、講演の前後に私たちファンともとてもフレンドリーに会話をして、性格的にもとてもいい人であることが伝わってきて、私はすっかり大ファンになってしまいました。講演を聞いてこれほど感動するというのも、なかなかないものです。私は彼女のAll Over Creation (2003)はまだ読んでいないのですが、一刻も早く読もうと思いました。というわけで、おススメです。My Year of Meats翻訳も出ているようですので、是非どうぞ。

私は明日の朝、ソウルに出発します。梨花女子大学でのシンポジウムに参加するために行くのですが、韓国に行くのは初めてなので、張り切っています。その後、日本に行くのも楽しみです。夏休み以外に日本に行くことはまずないので、秋の気候と食べ物も楽しみです。

2 件のコメント:

lalamichiko さんのコメント...

 Ruth Ozekiさんの講演会のお話、嬉しくうらやましく読ませていただきました。
 このMy Year of Meats は、友人に勧められてほぼ出版と同時に読み、あまりの面白さに夢中で最後まで読んでしまいました。
 それから10年、ほぼ10名ほどのメンバーによる英語の本を読む回で、現在この本を取り上げております。今『長月』ですが、食肉産業のぞっとするような実態、日米の家庭、男女の関係性などが、今後どのように展開していくのか、みんなで意見・感想・質問などを出し合いながら、ユーモアあふれる語りを楽しみつつ読み進めています。日本の男性はかなり戯画化されて描かれていますね。
 私は、夢中で読み飛ばした時には味わえなかった細部を、もう一度、牛の反芻胃のようにじっくり味わいなおしております。

lalamichiko

falan さんのコメント...

一週間ほどバリ島で休暇をすごすのにこの本をもって行き、ヴィラのプールと散歩の合間に読みました。昨日もどってきて最後の章を読み終えたばかりです。ジョーイチについては翻訳者のあとがきにも、アメリカでもキャラクターに深みがないという声があったと書かれていますが、私も読んでいるあいだ気になっていました。

ひと頃の日本人ビジネスマンの粗野で傲慢な態度は目に余るものがありました。著者のオゼキ氏もおそらくイヤな目にあったことがあるに違いありません。バブル崩壊以前には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を本気で信じこんでいる自称エリートビジネスマンをあちこちで目にしました。私がかかわった東ドイツへのプラント輸出では、技術的な質問にたいして「お前たち後進国の人間に説明したって、理解できないんだよ」「この前説明してやっただろうが。理解できないなら聞くんじゃねえ」などと平気で口にする輩がうようよいました。ここには書けないほど口汚いことをしゃべっても、「言ってやって、言ってやって」と、そのままのニュアンスで通訳するよう迫るので、そのような言葉は私の辞書にはありませんと言って翻訳するのを拒否したこともあります。

そうした連中は東ばかりではなく、西ドイツやアメリカからももう学ぶものはないと豪語していましたが、威勢のよさが劣等感の裏返しであることは同じ日本人である私の目には明らかでした。なかには外地では野蛮でも、ふるさとにもどったとたん好人物に早変わりする人物もいました。オゼキ氏が描くジョーイチ的な弱さにもリアリティはありますが、重要な登場人物ですから、たんなる愚か者で終わらせたのはもったいないような気がします。

それはともかく、一人称のジェーンの語り口は、『ドット・コム・ラヴァーズ』の吉原さんと同じのような潔さに貫かれていて、すがすがしさが私の知らないアメリカの心地よい風のように感じられました。