2010年4月2日金曜日

岡田暁生『ピアニストになりたい!』

私が今住んでいるのは、名前からしていかにものどかそうな「小山田桜台」というところなのですが、私の家のすぐ横にある緑道で、今日は「さくらまつり」が行われています。普段は実に静かなエリアなのですが、今日は早朝から、よくもまあこんなに人が集まるなと思うほどの賑わいです。ちょっと散歩をしてきましたが、桜はちょうど八分咲きくらいで、お花見にはぴったりです。私は日本で桜を見るのは実に18年ぶり。改めて、桜っていうのはほんとにきれいだなあと素直に感動しています。そして、桜という花を見るためだけにイベントを催したり遠くまで出かけて行ったりする日本人とは、やはり風流な人々だなあとも思います。

さて、しばらく前にこのブログで岡田暁生さんの
『音楽の聴き方』を称賛しましたが、同じく岡田さんの『ピアニストになりたい! 19世紀 もうひとつの音楽史』を読みました。これがまたたいへん面白い!同じ音楽を扱っているとはいえ、『音楽の聴き方』とはずいぶん違ったタイプの本で、こちらは、一九世紀すなわちロマン派音楽の時代のピアノ演奏美学に焦点を当て、その根底に流れる技術性と精神性の関わりを追ったものです。「技術性と精神性の関わり」というといかにも小難しそうに聞こえるかも知れませんが、要は、いわゆる「曲」「楽曲」とは別個の「練習曲」や、指の技術的な訓練のための音階やドリルの数々、はてには指の強化のために使われた非人間的な器具が、そうした機械的なものとは対極にあるように思われがちな「ロマン派」の一九世紀に誕生し発達したのか、ということを問うたものです。とくに音楽に詳しくなくても近代史に興味のある人ならば誰でも面白く読めますが、ピアノをやったことのある人、そしてハノンだのチェルニーだのに苦しめられた人(あるいはそういったものを楽しんで練習した人)にはとりわけ刺激的です。十本の指をある程度均質化しコントロール力をつける技術訓練には、もちろんそうした指練習は有益ではあるものの、何年も何十年もたってから、近所で子供がハノンの最初に出てくる「ドミファソラソファミ」を練習しているのを聴いて、懐かしいと同時に耳を塞ぎたくなるような思いをする人は少なくないのではないでしょうか。あれはいったいなんだったんだろうか、ということをこの本は教えてくれます。岡田氏曰く、
音楽史の一九世紀は、一切の世俗を超越した精神性を宣伝してきた。しかしながらーー表向きの超俗性とは対照的にーー「ピアノの練習」というその下部構造を支配していたのは、体操や軍隊や工場における大量生産や弱肉強食といった、それが公式には最も軽蔑してきたはずの近代資本主義社会の論理だった。練習曲と指矯正器具で指を鍛え上げた多くの学習者たちが、何の疑問も感じず、同じそのマッチョな指でもって、粛々とバッハやベートーヴェンやショパンを奏でていたーーそれが一九世紀音楽史のもう1つの顔だったのである。(210)
さらに、このオソロしくもあり滑稽でもある一九世紀ピアノ練習の歴史に向き合う岡田氏の思いが、あとがきにとても人間的に書かれています。
だが正直に言えば、今の私はこの「一九世紀ピアノ学習狂詩曲」に対して、微苦笑を伴う密かな親近感と愛情を感じている(実際私自身も小さい頃、似たり寄ったりのピアノ・レッスンを嫌々受けさせられていた)。今日の目から見てどんなに愚かしく思えようとも、やはり一九世紀の人々は熱烈に音楽を愛していた。「いかなる手段を使ってでも(=当座は音楽そっちのけになったとしても)」、彼らは音楽を自分の手の中に入れたかった。自分の手で数々の珠玉の名作を弾いてみたかったのである。その情熱は浅薄なものであったかもしれないし、社会的な見栄といった世俗的な利害関心だって絡んでいただろう。だが「音楽」などという、金銭的にはたいして利益にならないものに対して、彼らはかくも大いなる情熱を燃やすことが出来た。当時の上流ブルジョアたちにとっては、ただ単に「お金持ち」になることだけが人生の目的ではなかった。金銭とは無縁の遠い遠い理想を求めて日々励むということーー恐らく彼らにとってそれは、神のいなくなった一九世紀における宗教の一種であって、これこそ彼らが「文化」とか「教養」と呼んだものだったに違いない。生きるということが、どんどん剥き出しの経済原理のみに還元されていく二一世紀に生きる私には、たかだかピアノ学習ごときにあれだけ熱中することの出来た一九世紀の悲喜劇が、たとえようもなく愛しく感じられる。(271−272)
音楽の演奏に数値で優劣をつけることの不毛さを感じながらも、クライバーン・コンクールを見学して想像以上の感動と興奮を覚えたその気持ちを、言い表してくれているようでもあります。