私は、少し前から、アマゾンのキンドルの購入を検討していたのですが、そこにiPadが登場し、「うーん、どちらにしよう」と悩んでいるところに、『ニューヨーカー』誌に、電子書籍の現在と将来について検討した記事が載りました。これはたいへん興味深く、知らなかったことを沢山知り、考えさせられることも多かったですが、キンドルにするか、iPadにするか、それともどちらもやめて紙の本を読み続けるかについては、記事を読んでますます決めがたくなってしまいました。
私がキンドルまたはiPad購入を考えている主な理由は、この先も一、二年間は、日本とハワイとアメリカ本土を行ったり来たりする生活が続きそうで、職業上どこでもかなりの数の本を買うので、移動のたびにそれらの本を送ったり運んだりするのでは輸送費がたいへん、ということです。日本語の本に関しては電子書籍化がまだまだなので、今後も紙の本を買い続けますが、移動中に使う英語の本は、キンドルかiPadに何百冊も何千冊も入ってしまうのだったらそんなに便利なことはないような気がします。
私と本の関係が、消費者と商品というものだけであるならば、ことは簡単です。同じものを読むのなら、持ち運びが簡単で、安いほうがいいに決まっているでしょう。単純な値段ということで言うならば、キンドルのほうがiPadよりも、機械そのものも安いし、本を買うときの単価も低い。噂に聞くところによると、一回の充電で読める時間もキンドルのほうが長く、目にも優しいらしい。私は基本的に電子書籍を読むための道具を買うのであって、iPadについてくる(あるいはつけられる)さまざまなアプリケーションにはあまり興味がない。すでにiPhoneを使っているけれども、主な用途は外出時のメールのやりとりと電車やバスでiPodを聴くことで、iPhoneをじゅうぶんに活用しているとはおそらく言えないし、iPadを買ったとしてもいろんなアプリを使って仕事をしたり遊んだりするとはあまり思えない。だいたい、すでに家ではMacBook、外出先ではiPhoneを使っているのだから、その上さらにiPadを持たなくてもいいんじゃないか。そして、今すでにメールとFacebookとその他で、中毒とも言えるほどネット漬けの生活なのに、さらにiPadを手に入れてしまったら、超えてはいけない一線を超えてしまうことになるんじゃないかという心配も。
ならばキンドルにすればいいじゃないか、と答えは簡単そうですが、このニューヨーカーの記事を読むと、アマゾンの現行の電子書籍のビジネスのやりかたは、長期的に出版業界そして著者にとってよいとは言えないらしいのです。なんとアマゾンは、キンドル用電子書籍の多くの本を出版社から13ドルで買って9.99ドルで消費者に売っているのだそうです。一冊の本を売るたびに3ドルも損失を出しながらも、低価格で商品を提供することによって、市場シェアを拡大し、キンドル販売を促進して、現在ではアマゾンは電子書籍市場の8割を手中に入れているそうです。しかし、そうやって恣意に書籍の価格を低く設定することは、出版社の利益を減らすことになり、著者にとってもよろしくない。また、すでにそうした動きが一部でありますが、バーンズ&ノーブルなどの物理的な書店やアマゾンなどのネット上の書店が、出版事業にも手を出すようになると、著者の獲得をめぐって書店と出版社が競合するようになる。そうした事態を避けるために、出版業界はアマゾンのような電子書籍を扱う書店に対して、「エージェンシー型」をとるよう求めている、とのこと。この「エージェンシー型」とは、出版社が売り手で、アマゾンのような電子書籍の書店はその商品を扱うエージェンシーに徹する、ということらしい(でも、この記事の説明では、現行のシステムと「エージェンシー型」がどう違うのか、私にはいまいちよくわからない)。そうした状況のなかで、アップルが提示しているiPad用の電子書籍ビジネスモデルは、アマゾンのそれよりも、出版社に価格などのより大きなコントロールを与えるので、出版業界にとってはよい、とのこと。詳しいことはなかなか複雑なので(そしてこの記事を読むと、出版業界の基本的なビジネスのありかたが、相当に非効率的なものであることがわかります)私にも100パーセントは理解できないのですが、要は、単なる一消費者の立場からすればキンドルのほうがよし、出版業界の長期的な将来を考えるならば多少機械と本の値段は高くてもiPadのほうがよし、ということのようです。安いにこしたことはないし、旅行先などで長時間本を読むのに便利なほうがいいし(今、世界各地の空港で何日間も足止めを食らっている人たちにとって、電子書籍はいいでしょうねえ)、目は悪くならないほうがいいですが、本を書く人間としては、出版業界が健全に活力を持ち続けてくれなくては困るので、出版社の基本を覆すようなことには加担したくないし...困ったなあ...と、困って決めかねているあいだに、どんどんと重い紙の本が増えていくような気がします。
それにしても、日本でも電子化が進むと、出版社の役割はずいぶんと変わってくるのでしょうが、そうすると、出版社の本来の仕事を高レベルでやる出版社と、そうでない出版社のあいだで明らかな差が出て、前者は電子化をうまく利用してさらに発展し、後者は淘汰されていくのではないでしょうか。有能な編集者が、本にすべきアイデアや原稿を見つけ、著者を育てたり励ましたり叱咤したりし、議論や文章を整え、内容にふさわしい体裁を作り、その本を読むべき読者の目や手に届くようにする。そういう出版社は今後も元気にいてくれるでしょう(と願いたい)ですが、まともな編集作業をしない、印刷屋に毛の生えたような出版社は、アマゾンやグーグルが出版事業を拡大したら、やることを失って消えていくことでしょう。いや、アマゾンやグーグルが入らずとも、著者本人が、編集者の介在なしにとにかく文章を世に出したいと思ったら、このようにブログで書けばいいわけだし、それを読者が読むのを有料化することだってできるだろうし...ネットの普及によって言論行為が民主化するという一面も確かにあるでしょうが、言論媒体が多様化することによって、言論そのものの質にも格差が広がってくるのじゃないかと私は思います。
では、これより重い紙の本を抱えてベッドに入ります。